EP 11
死蟲の残骸が片付けられた翌日の昼下がり。
ポポロ村の広場には、昨日までの殺伐とした空気を完全に上書きする、暴力的なまでに香ばしい匂いが充満していた。
「ジュゥゥゥゥッ……!」
巨大な鉄板の上で、分厚いステーキ肉……のような『肉椎茸』が、特製のタレを絡められて豪快に焼かれている。
焦げた醤油の匂いが、周囲を取り囲む自衛隊員たちと自警団の鼻腔を容赦なく蹂躙した。
「さあ、食ってくれ。うちの村の特製、『肉椎茸とワサビの丼』だ」
リアンがどんぶりにホカホカの白飯(米麦草)を盛り、その上に分厚い肉椎茸のステーキを乗せ、刻み海苔とワサビを添えて差し出す。
「いただきますッ!」
坂上信長は、もはや何の疑いも躊躇いもなく、どんぶりを掻き込んだ。
「……ッ!! 美味ぁぁぁぁっ!!」
信長が天を仰ぎ、魂の叫びを上げた。
噛み締めた瞬間、キノコ特有の芳醇な香りと、本物の牛肉を凌駕する濃厚な肉汁が口の中で爆発する。
そこへ、ピリッとしたワサビの辛味と醤油の香ばしさが追い討ちをかけ、無限に白飯を要求してくるのだ。
「隊長! これヤバいです! 俺、もう一生この村の飯だけで生きていけます!」
「うむ! 親父のカレーに匹敵する、いや、それ以上の白飯ドロボウじゃ!」
赤城たち空挺団の面々も、顔を涙と脂でグシャグシャにしながら、無我夢中でどんぶりを空にしていく。
その隣では、竜人のイグニスが「お前ら、食うの遅ぇぞ! おかわり!」と豪快に笑いながら、すでに三杯目に突入していた。
昨晩の死闘を共に生き抜いたことで、地球の軍隊と異世界の自警団の間にあった壁は、美味い飯という最強の共通言語によって完全に打ち砕かれていた。
「……見事なものですね」
少し離れた木陰で、日野輝夜は自分用の小さな丼を上品に味わいながら、微笑を浮かべた。
その横には、エプロンを外して一息ついているリアンが立っている。
「銃口を突きつけ合っていた者同士が、今は肩を組んで同じ釜の飯を食っている。あなたが作ったこの状況は、霞が関のどんな優秀な外交官にも真似できません」
「飯が美味けりゃ、喧嘩する気も起きなくなるだろ。単純な話さ」
リアンは肩をすくめ、食後の芋酒を軽く煽る。
「それで? 政府の『特使』様は、俺たちに何を要求する気だ? こんだけ飯を振る舞ったんだ、無理難題を吹っかけたら承知しないぞ」
「とんでもない」
輝夜は姿勢を正し、静かに、だが確固たる意志を込めて言った。
「日本国政府は、このポポロ村を『日本国特例不可侵・緩衝指定特区』として承認します。我々は一切の軍事介入を行わず、他国からの干渉に対しても、日本が後ろ盾となって村の独立を保証します」
「……へえ。随分と気前がいいな」
「ただし」
輝夜の瞳が、官僚としての鋭い光を放つ。
「この村で採れる『陽薬草』や『魔石』、その他特産品の日本への優先的な輸出ルートの確立。および、未知の大陸の情報提供をお願いします。……それから」
「それから?」
「リアンさん。あなたが定期的に、日本政府の要人にその『料理』を振る舞うこと。……これが、条約締結の絶対条件です」
輝夜は真剣な顔で言い切った。
リアンは一瞬きょとんとした後、腹を抱えて笑い出した。
「はははっ! 一国の条約の条件が、俺の飯かよ! いいぜ、そんなことで村の平和が保証されるなら、安いもんだ」
「契約成立ですね」
輝夜が差し出した手を、リアンがしっかりと握り返す。
地球の論理と、異世界の非論理が、見事に噛み合った瞬間だった。
(……ええ。これでまずは、第一歩)
リアンの温かい手から伝わる熱を感じながら、輝夜の胸の奥で、静かな狂気が渦を巻く。
この圧倒的な力を持つ男を、日本という国家の、いや、彼女自身の『理想の世界』を構築するための最強の切り札として、完全に盤面に組み込んだのだ。
こうして、歴史的なファースト・コンタクトは、一杯のどんぶりと共に、前代未聞の不可侵条約として結実した。
だが――。
地球とアナスタシア世界の融合は、まだほんの序章に過ぎなかった。
* * *
一方その頃。
ポポロ村から遥か遠く離れた、魔族の支配する『アバロン皇国』の深部。
「……おい、ルチアナ」
「んー……なんだいラスティア。今、ポテチのコンソメ味食べてるから話しかけないで……」
薄暗い部屋の中。
床に敷かれた布団の上に、日本の『コタツ』が鎮座している。
その中には、アバロン皇国の絶対君主である魔王ラスティアと、この世界の創造主である女神ルチアナが、揃って芋ジャージ姿で首まで潜り込んでいた。
彼女たちの視線は、コタツの上に置かれた『魔導通信石』――という名の、スマホもどきの画面に釘付けになっている。
「これ、見ろ。……日本のネットニュースだ」
「どれどれ……『突如出現した新大陸、政府は特例条約を締結か』……ふーん、佐藤太郎の村あたりが接触したのかしらね。まあ、適当にやってくれれば……」
「違う!! そっちじゃない!! その下だババア!!」
ラスティアが、バンッ! とコタツの天板を叩き割らんばかりの勢いで立ち上がった。
彼女の指が震えながら指し示しているのは、政治のニュースのすぐ下にあるエンタメ欄だった。
『超絶大人気アイドル・朝倉月人! 来月、念願の東京ドームライブ開催決定!! ファンクラブ先行抽選開始!』
「…………」
「…………」
魔王と女神の間に、息詰まるような沈黙が落ちた。
「……ルチアナ。日本の自衛隊とかいう連中、こっちの大陸に来てるんだよな?」
「ええ。結界が破れて、向こうの海と繋がったみたいね」
「ってことは、物理的に海を渡れば……『月人くん』のライブに行けるってことだな?」
ラスティアの瞳に、ブラックホールすら飲み込むほどの、ドス黒く、そして熱狂的な『推し活への執念』が灯った。
「ルーベンス!! おいルーベンス!! いるか!!」
「……お呼びでしょうか、ラスティア様。また国庫の予算で謎のグッズを買おうというなら、断固――」
執務室から駆けつけてきた魔族の貴公子ルーベンスの言葉を遮り、ラスティアはマントを翻して声高らかに宣言した。
「今すぐ、魔王軍第一艦隊に出撃命令を出せ! 目的地は日本国・東京ドーム!!」
「は……?」
「月人くんのVIP席チケットを奪いに行くぞ! ついでに、ペンライトとウチワの予算を国庫から捻出だァァァッ!!」
世界の均衡など、知ったことではない。
推しのライブに行くためなら、次元の壁すらぶち破る。
「ちょっとラスティア! 抜け駆けは許さないわよ! 私も行く!!」
女神ルチアナも、ジャージ姿のまま慌てて立ち上がる。
平和協定が結ばれたばかりの地球(日本)へ向けて、世界の理を司る『最悪の厄災』たちが、今まさに海を渡ろうとしていた。
ポポロ村の平穏なスローライフは、まだまだ波乱に満ちているようである。




