第三十六話 止まらない王子と令嬢
「うふふ、楽しいですわ!」
ナスターシャは遊び呆けていた。
いや、遊んでいるわけではなかった。
「次はあの回転しているノコギリですわ!」
本来なら死をもたらしかねない危険な罠を、
彼女はまるでアトラクション感覚で楽しんでいるのだ。
ノコギリがナスターシャの足に触れるが⋯⋯
「うーん、ちょうど脛の毛が気になり始めていたところですわ。」
その切れ味を利用して彼女はムダ毛の手入れをしていた。
「な、なんだと⋯⋯」
あまりの絵面に遠隔で見ていたヴィルヘルムは絶句していた。
排除のために用意した罠でかつての婚約者が美容の手入れをしているのだ。
無理もないことである。
「な、ならば、これはどうだ!」
「行け!」
「⋯⋯」
数体の鎧を着込んだ魔物が襲いかかる。
「あら、私に何か用かしら?」
対するナスターシャは冷静そのものだった。
「うふふ、遊びましょう?」
そして、激しい音が響き、
砂埃が舞った。
「は、はは、終わったか?」
ヴィルヘルムの口から乾いた声が響く。
「はい、あの魔物は主以外の人間に懐くことはあり得ません。」
「そうか、なら⋯⋯」
言いかけたその瞬間であった。
「かわいいですわねー。」
「な、ナスターシャの声だ!」
ヴィルヘルムの声が震える。
「まだ生きている。」
「魔物を倒したとというのか!」
「そ、そんなはずは!」
ヴィルヘルムの問いただすかのような声に、
学者は少し萎縮する。
「そういえば、奴は四天王を2人屠っているのであったな⋯⋯」
学者もヴィルヘルムもナスターシャが魔物を倒したものとそう思い込んでいた。
しかし、事態は思わぬ方向へと進んでいた。
「もっと甘えていいですわよー。」
「ごろにゃーん。」
砂埃が晴れた。
そこにあったものは、猫のように丸くなった魔物たちが、
ナスターシャのそばで甘えるような仕草をしている姿であった。
「⋯⋯?」
「⋯⋯!?」
二足歩行の巨体を誇る魔物が丸まっている。
その状況の異常さにヴィルヘルムも学者も言葉を失っていた。
「こ、これは一体⋯⋯」
学者の背を冷たい汗が伝って落ちた。
「ど、どうなっている!」
ヴィルヘルムは学者を問い詰めた。
「わかり⋯⋯ません⋯⋯」
精一杯の答えであった。
「いや!」
ヴィルヘルムの心身は限界に近づいていた。
「そんなことは問題じゃない!」
「この防衛機構、全くナスターシャを止められていない!」
「もうすぐここまで⋯⋯来る!」
その恐怖は最高潮に達しつつあった。
「落ち着いてください殿下。」
「まだ、罠は残っております!」
学者は必死になだめるが⋯⋯
「そんなものもう信頼できるか!」
「私は逃げる!」
ヴィルヘルムは窓辺へ駆け寄る。
「お待ちください!」
「そこからは危――」
必死に忠告しようとする学者。
しかし、ヴィルヘルムは止まらない。
彼は勢いのままベランダと部屋を仕切る窓へと突っ込み。
「うおおおおおおおお!」
パリン――
鋭利な音とともにガラス片が散る。
ヴィルヘルムの体は勢いのままにベランダを越え、
空中へと投げ出されていた。
「で、殿下ぁぁぁぁぁぁ!」
学者が悲鳴を上げる。
「私は生き残る!」
「ナスターシャに捕まってたまるものか!」
全身血だらけになりながらも着地した彼は、
全速力で庭を駆けていた。
「うーん、流石はヴィルヘルム、こんなにかわいい小動物を用意しているなんて⋯⋯」
対するナスターシャはそんなことつゆも知らず、魔物を愛でていた。
今宵の彼らの追走劇は止まらない。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
追記:リアルがまたしても忙しくなってきたので一日ほど投稿をお休みします。
再追記:忙しさがもうしばらく続きそうなので、本日も休みます。すいません。




