第二十話 終わる器
「さーて、日課のヴィルヘルム観察の時間ですわ!」
よく晴れた日の午後、
ナスターシャはソファに座り、
眷属のコウモリをヴィルヘルムの私室へと向かわせていた。
「お嬢様、前々から言おうと思っていたんですが……」
「何かしら?」
ルドルフが静かに近づいてきた。
「それ……」
「盗撮ですよね?」
「……」
数秒ほど、沈黙が流れた。
「……違うわ。」
右目こそルドルフを見ていたが、
左目は泳いでいた。
「図星じゃないですか!」
「違う!違うの!」
ものすごい勢いで首が左右に振られる。
「私は!」
「ヴィルヘルムが危険な目に遭わないように守ってるだけですの!」
あたかも健気な乙女かのような発言であった。
「それがもう危ない人の発想じゃないですか!」
「つきまといとかする人はみんなそう言いますよ!」
ルドルフも負けじと言い返す。
「私のはそういう汚いことじゃないわ!」
「毒殺とかしておいてよく言えますね!そんな言葉!」
このまま話は平行線かと思われた。
ガガッ――
映像がついた、
コウモリがヴィルヘルムの私室に到着したのだ。
「あっ、ついたついた!」
「全くお嬢様は……」
ナスターシャの目は完全に映像に釘付けになっていた。
しかし、
映像はナスターシャが期待していたものとは異なっていた。
「愛しているよ、アンナ。」
「私もです、殿下。」
ヴィルヘルムと見ず知らずの女性が仲良くしていた。
「え?」
呆然とした声が漏れた。
「お、新婚約者のアンナ嬢ですね。」
ルドルフが訳知り顔で説明する。
「知っていたの?」
「ええ、」
「確か、お嬢様と婚約破棄した数時間後に婚約したらしいです。」
「淑女であり、清く正しく、出過ぎたまねをしない。」
やけに詳しい説明である。
「お嬢様とは真逆のタイプです……」
しかし、重要なことはそこではない。
「女、私以外の女と……」
「そんな、そんな……」
うつむいたままぶつぶつと何かつぶやき始めた。
「お嬢様、これが現実です。」
「受け入れましょう。」
その手がナスターシャの肩に置かれた。
「そんな、そんなこと……」
肩が震え始める。
「最高ですわぁぁぁぁ!!」
勢いよく顔が上がる。
その顔は興奮で紅潮していた。
「え?」
今度はルドルフの口から呆然とした声が漏れる。
「ああ、流石はヴィルヘルム!私感動です!だってヴィルヘルムの素晴らしさを認める相手が私以外にもいたんですもの!それに、私だけを娶って終わる器ではないと思っていましたわ!ああ、私にもっと別の女とのイチャつきを見せて!!」
「……」
あまりに凄まじい早口。
ルドルフは生暖かい目で見守るほかなかった。
「ああ、ああ、感動で涙が!」
「わあああああん!」
最高潮に興奮したことにより、
ナスターシャの目からは涙が流れていた。
「……」
「やべえよ……この人……」
生暖かい目は冷え切っていた。
◇◇
「かわいいな、アンナ。」
「うれしいです。殿下。」
映像に映った私室では甘い空間が作り出されていた。
「今日はお前にプレゼントがある。」
「え、何ですか!」
「お前が欲しいと言っていた物だ。」
ゆっくりと小さな箱がアンナの手に渡ったその時であった。
ガチャン――
ドアが開いた。
「殿下ー!遊びに来ましたよ!」
「なっ、エマ?なぜここに!」
見たことのない、町娘が入ってきた。
「え?」
小箱が静かに手から落ちた。
「あなた、誰?」
「私は殿下の恋人よ。」
「あなたこそ誰よ。」
雲行きが怪しい。
「私はアンナ、殿下の婚約者よ!」
「こ、婚約者!?」
次第にヒートアップしていく。
一方のヴィルヘルムは、
「……」
「か、神様……お助けください……」
裁きを待つ罪人のように縮こまり、
両手を組んで祈っていた。
「酷い!浮気していたのね!」
「男として最低よ!」
エマもアンナも矛先をヴィルヘルムに向けていた。
「ま、待ってくれ!これは違うんだ!」
「私はただ……」
必死に弁明しようとしたその時で、
ドドドドドドド――
廊下の方から無数の足音が響く。
「ま、まさか――」
開け放しのドアから無数の女性が部屋になだれ込んでくる。
「信じられない!私とは遊びだったのね!」
「こんなにもたくさんの女と付き合ってたなんて、サイテー!」
「明日はあたしとの記念日だったのに!」
「妾の恋慕、返してもらおうかのう!」
その数、97人。
つまり、九九股である。
「殿下ぁ〜?」
「どう責任取っていただけますかぁ?」
先頭のアンナが笑顔で肩を掴む。
その目は笑っていない。
「ま、待ってくれ!」
「一旦落ち着いて話を聞いてくれ!」
後ずさりしようとするが、
すぐ後ろはソファの背もたれであった。
「待ちません。」
無数の拳がヴィルヘルムに襲いかかった。
ドス――
「待て!話……」
ドガッ――
「話せばわかる!」
ボコッ――
「違うんだ!」
「父上は、」
「多数の美しい女性と関係を持てと!」
パンッ――
「うわああああ!」
パンチの雨が止んだ後、
ソファの上には顔が腫れ上がったヴィルヘルムがいた。
「行きましょう、みんな。」
アンナたちが出ていこうとする。
「ひ、引き出しを。」
「開けて見てくれ……!」
息も絶え絶えなヴィルヘルムが呼び止める。
その指は机の引き出しを指さしていた。
「引き出し?」
「そんなの開けて何の……ッ!」
応じたエマは中を凝視したまま動かなくなってしまった。
「これ、これ……」
引き出しから何かが取り出される。
「前に私が欲しいって言った、」
「ルビーの指環?」
エマの手には真紅の指輪が握られていた。
「ちょっと待って……」
他の女性たちも硬直した。
「あたしのお父さんの薬だ。」
「高くて……あきらめてた。」
さらに別の女性。
「ハムスターの彫刻!」
「ハムスターが好きって言ったの覚えててくれたんだ!嬉しい!」
引き出しの中には、各人に合わせた贈り物が入っていた。
「これは……どうして?」
アンナがヴィルヘルムへ向き直る。
「許してくれとは言わないが、申し訳なかった。」
「それらは記念日に渡そうと思っていたんだ。」
腫れた顔のまま語る。
「私は全員を幸せにしたいと思っている。」
「いくらで嫌って軽蔑してくれても構わない。」
「ただ、」
語気に力がこもる。
「引き出しの中の贈り物だけは持って行ってくれ!」
その目に一片の曇りもなかった。
「……」
「……」
覚悟を目の前にした娘たちは互いの顔を見合わせた。
そして、
「こっちこそ早とちりして申し訳なかったわ。」
「許すつもりはないけど、もうしばらくは付き合うわ。」
ヴィルヘルムの器に触発されたらしく、
その場は丸く収まることとなった。
当然、この様子は映像を通してナスターシャも見ていた。
「流石は私のヴィルヘルムですわ!」
「あの状況を切り抜ける器の広さ!」
「正しく、王にふさわしい心の持ち主ですわ!」
彼女は浮気に怒るどころか称賛していた。
「お嬢様はそれで良いんですか?」
ルドルフが問うた。
しかし、
「ヴィルヘルムー!宇宙一!」
「聞こえてませんね、これ。」
有頂天のナスターシャには聞こえていなかった。
「やれやれ、これからどうなってしまうんですかねぇ。」
ルドルフはナスターシャの将来を不安視するのであった。
……誰も気づいていなかった、
一匹の白いヘビがナスターシャをじっと観察していることに。
あのヘビは果たして何者なのか?
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