第十五話 恐怖を越えた共闘
ルイの魔物化から数十分後。
地下牢には無数の兵士の死体が転がっていた。
「ああ、弱い弱い。」
「どんなやつだろうが、僕には敵わない。」
その鋭くなった爪には赤い血がベッタリとついていた。
ペロリ――
舌によってその血が舐め取られていく。
「うん、おいしい。」
「覚醒してからどうしてもおいしくてね。」
満足気につぶやく。
そして目の前には、
「ひっ!嫌だ!やめてくれ!」
恐怖で腰が抜け、
ただ喚くことしかできない兵士がいた。
「ねえ、食べさせてよ。」
ニヤリと微笑む。
「いただきます。」
グサリ――
爪が胸を貫く。
「うあああああああ!」
絶叫が地下牢に反響する。
◇◇
「急げ、急げ!」
馬車でブレーセンへの帰路についているヴィルヘルム。
しかし、その表情には焦りが滲んでいた。
「魔王軍四天王の言うことが本当ならば、王宮が危ない!」
数分前、彼の目の前にはデニスが現れていた。
そして、そっと耳打ちしたのだ。
「あなたの国、今どうなっているんでしょうかね?」
鼓動が急速早まっていった。
「まさか、昨晩の刺客もお前が!」
「さて、どうでしょうね?」
そう言い残し、どこかへと姿を眩ませたのだ。
「クソっ、ここからでは夜までかかってしまう!」
彼は昨夜、日の出る前に出発し、
昼頃にフラレアスに到着したのだ。
その間に王都でどれほど酷いことが起こるかわからないのだ。
「どうすれば……」
一定を維持する馬車の速さに対して、
焦りばかりが募っていく。
……その時であった。
「ヴィルヘルムー!」
あの恐怖の声。
もう二度と聞きたくなった鈴のように澄んだ声が聞こえてきた。
(ま、まさか!)
嫌な予感がしながら外を見ると、
「ヴィルヘルムー!奇遇ですわねー!」
ナスターシャが涼しい顔で馬車と並走していた。
「うわぁぁぁぁぁ!」
あまりのタイミングの悪さ。
彼を絶望させるにはそれだけで十分であった。
「さ……最悪だぁぁぁ!」
「最悪?」
彼女はその細い首を傾げた。
「……あ、そっか!」
一瞬の思考。
すぐに彼女は笑顔に戻る。
「私と一緒にいる時間が楽しくて、」
「仕事ができないから最悪なんですね!」
向ける視線が甘くなる。
「もう、ヴィルヘルムってばー、」
「お茶目さんですねー!」
しかし、その目線の先の表情は真逆であった。
(ああ、終わった、私も……国も……)
(よりによって、こんなところで出会うなんて……)
彼にはもはや一寸先すら見えていなかった。
相手がナスターシャである以上、
どのような手も通用しない、
彼の未来も国の未来も閉ざされたように思われた。
しかし、神は彼を見捨ててはいなかった。
「そういえば、どこに行く予定でしたの?」
当たり障りのない平凡な疑問だった。
「王都が大変らしくてな、大急ぎで戻っていた。」
声はあきらめにより完全にかすれていた。
「そう、急いでいるのですね……」
彼女は思いの外、真剣な表情になっていた。
その表情が意外だったか、
あきらめていた目にわずかに光が宿る。
「もし良ければ……」
「私があなたを抱えて王都まで飛ぶのは?」
「ちょっと怖いですけど、すぐに着きますわよ。」
願ってもない機会であった。
本来であれば即答すべき状況。
しかし、ヴィルヘルムは迷っていた。
(すぐに王都に到着できる?)
(でもナスターシャに抱えられるのは怖い。)
長い間、蓄積されてきた恐怖が、
返事を渋らせていた。
「い……い……」
心の中の我が身かわいさが拒否させようと暴れる。
「……い……」
ほんのり口角を上げて待っている、
ナスターシャを拒絶しようと口が動き始める。
その時であった。
「その時からです。」
「あなたのためなら死んでも惜しくなくなったのは!」
それは忠臣、アルブレヒトの声であった。
なぜ今聞こえてくるのか?
彼が疑問に思っていると別の声が聞こえた。
「万歳!」
「あの方がおられる限りこの国は安泰だ!」
召使いたちと民たちの声であった。
ヴィルヘルムの心の奥底から熱いものが込み上げていく。
(そうだ、アルブレヒトは恐怖を乗り越え戦ったのだ!)
(民たちも、今恐怖と戦っている!)
(私が恐れから逃げ出してどうする!!)
「ナスターシャ!」
その両手が白く小さい手を包み込む。
「お前の力を貸してくれ!」
この一瞬だけかもしれない、
しかし、
彼は今まさに恐怖を乗り越えていた。
「私を……王都へ連れて行っていくれ!!」
ぱあっとナスターシャの顔が明るくなる。
「ええ、もちろん!」
「連れて行きますわ!」
そう言うやいなや、ナスターシャは彼を抱き上げた。
その細く華奢な身体からは考えられない力であった。
(……)
彼の思考が停止する。
ふと気づけばお姫様抱っこの体勢になっている。
光景だけで言えばとても間抜けなものであった。
しかし、思考が止まっていても、
彼の覚悟のこもった目は変わっていなかった。
「さあ、一気に行きますわよ!」
「落ちないようにちゃんと抱えていますわよ!」
ヴィルヘルムをしっかりと抱えた彼女は
大きく踏み込んだ。
そして……
ドゥオオオン――
周囲の木が倒れ、岩がめくれ上がるような勢いで大きく飛び上がった。
鳥の飛ぶ高度を越え、雲よりも上に達していた。
(な、なんて脚力だ。)
抱えられている彼は内心目を見開いていた。
その跳躍は高いだけでなかった。
早いのだ。
馬車や川を下る船よりも遥かに。
数分後にはもう王都が見え始めていた。
(やった、王都にもうすぐ着く!)
しかしよく見れば、
王宮から煙が上がっていた。
(王宮で何が!)
(父上、兵たちよ、どうか無事で!)
ナスターシャに抱きかかえられたまま、
彼は知る者の無事を祈り続けることとなった。
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