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THE WORLD IS MINE

夕刻十六時。先般の事故で植物状態と化したYさんの水分介助を行う。職員の全員がビビっているので仕方なく「汚れ役」の僕がどうにかこうにか50ccを吸い飲み容器で提供していたら、Yさんはその三倍くらいの量の黒褐色の液体を口と鼻から噴き出した。

スクランブルだ。

ナースコールを押し、大声で「応援を呼べ!」と叫んでからYさんの体をベッド上で少し無理な態勢で躰を「くの字」のうつ伏せにして思い切り背中を叩く(ヤスタカ式緊急タッピング)。口の中に嘔吐物が残っていたら誤嚥あるいは窒息して即死する可能性が高いから早急に吐き出させなければならない。「ヤスタカさん、僕なにかしましょうか?」と呑気に同僚が来たので「さっさとナース呼んでくれ。これ死ぬぞ」と云って背中を叩きまくる。本当は背中を叩き過ぎるのは、あまりよろしくない。痕が残るからだ。しかしそうも云っていられない。また人殺しになるのは御免だ。それから躰を起こして口の中にハミングッド(スポンジのついた棒)を突っ込んで口腔内の物を掻き出す。

黒褐色の液体が何なのか分からない。鉄の匂いはしないから血ではなさそうだ。では前に摂取していたもの……昼食? いや黒い食べ物はなかった筈だ。薬か? いや薬だって何がしか匂いはするだろう。その黒褐色の液体は不思議と何の臭いもしなかった。パニクって臭いが分からなくなるほど平和ボケしていない。何だ、これ?

ナースが来て吸引を行う。鼻や口に管を突っ込んで吸引機を作動させると果たして黒褐色の謎の液体が出て来る。看護部長も来たが、彼女にもこれが何なのか判別不能らしい。僕は云った。「もう金を積まれても食事介助はやらねえぞ。少しの水で謎の液体を吐き出すような人間にメシなんか出せるか。気に入らないなら僕をクビにしてくれ。殺しはこっちも厭だ」

この夕方は結局、夕食・服薬禁止となり絶対安静・様子観察となったが、翌朝に再び嘔吐し(今度は何もしていないのにいきなり嘔吐したらしい。そういう記録があった)、病院へ受診しそのまま入院となった。

「ありゃ内蔵が駄目だな」とフロアリーダーのスズキさんが云った。

「そうでしょうね」僕は云った。「来年まで持ちますかね?」

「無理だろうな」煙草を吸いながらスズキさんが答えた。「つーかお前、心臓強過ぎるぞ。アレに水分提供とか本気かよ」

「内心ビビリまくりですよ。でも仕事ですしね。まあ死んだら、それも運命ってことで」

戦後復興を支えたタフな人間、九十年近く生きた人間の末路がこれか、といつも思う。地球よりも重いらしい人間の命が十個、僕の小さな掌の上で踊る。狂気の沙汰だ。人間の人生の価値は、その過程であって結末ではない。本当にそうか? 僕には分からない。分かる奴が居るなら教えてくれよ。

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