螺旋階段
私は元田コーポという四階建てマンションの最上階、401号室に住んでいる。しかしマンションと呼ぶにはあまりに粗末な造りだ。築二、三十年は経過しているだろう。外壁にはあちらこちらにひび割れが見られる。私はあまりその方面には明るくないが、建築法では四階建て以上の建造物はエレベーターを備えなければなかったか。しかしこの貸家にはエレベーターも、非常階段すらも無かった、もし、こんど東京で地震が起これば私はなすすべもなく死ぬだろう。死。東北の震災以来、東京の地震も懸念されている。テレビの報道ではその、ことの重大さを流している。しかし、出演しているコメンテーターや視聴者の多くと同じように、私も地震など起こるはずがないと嵩を括っていた。だから平然とこんな場所に棲める。狂気の沙汰だ、と我ながら苦々しく思う。
四階の自室までは螺旋階段になっている。まずは一階。そしてぐるりと回るように登れば二階。次いで三階。最後に四階の私の貸家に到着する。
その日の私は疲れていた。否、仕事柄、概ね疲弊して帰宅するのが常なのだが、その日は殊に疲れていた。
いつものように、何年も繰り返してきた動作を、何年も繰り返してきたように行う。階段に足を掛け、一段、二段と登り、一階、二階、三階には目もくれずに自室へ向かう。
そうして四階に着いた。このマンションには天井付近に階数を示すプレートが張り出してあり、「四階」とあった。この表示が、疲れでふわふわとした浮遊感から現実へ引き戻してくれる。
私はポケットから鍵を出して鍵穴に差し込む。習慣づけられた無意識下での動作だ。しかしこの日、鍵穴に差し込んだ鍵は回らなかった。不審に思い少し力を込めるが、やはり回らない。鍵を間違えた訳ではない。
四階が最上階である。私の部屋は401号室で、階段を登りきったところの直ぐに扉がある。その正面には屋上へあがるための階段が掛かっている。これは何某の業者が清掃などを行うためのもので、平生、居住者は使用しない。
私は鍵を引き抜いて振り返ると、登り階段があった。四階建てのマンションには有り得ない、五階へと続く階段が。
私は疲労困憊していた。そのためだろう、何のためらいもなくその階段を登った。ぐるりと螺旋階段を上がりきると、天井付近に「四階」のプレートが張り出されている。私は直近の扉に鍵を差し込んだ。回らない。
後ろを振り返ると、果たして登りの階段があった。胸中には疲労も相まって怒気を孕んでいた。ただ部屋に入って大の字になって横になりたいだけなのだ。私は一段一段を踏みつけるようにしてぐるりと登った。
「四階」のプレートが見えた。扉に鍵を差し込む。回らない。案の定だ、と思った。私は、回るわけがない、と確信していた。背後には三度、登りの階段がある。
いい加減にしてくれ。そう思いながら階段を登った。変化があった。おそらくは私の部屋の扉であるところの前に人が倒れていた。あまり顔を合わせたことはないが、隣人だということは見て取れた。
「どうしました」私自身、この質問にどのような意味があるのか分からなかった。ただ、人が倒れていたから声を掛けただけだ。隣人はやつれているように見えた。
「どうやっても自分の部屋にたどり着けないんです」と隣人は云った。私は仲間を見つけたと思って少し安堵した。安堵? 孤独しか愛せない私が、安堵か。
「私もそうなんです。今しがた帰ってきたところなのですが、扉は開かないし、階段は増えるしで、困っているんです」
「もしかしたらたどり着けないのかも知れません」と隣人は云った。それから頭上を指さした。
そういえば昨日は雨だった。雨の日は玄関前の欄干に傘を広げて干しておくのが習慣となっている。大家はあまりいい顔をしないが。
私は頭上を観た。そこには、螺旋階段が延々と続き、カラフルな花のように咲いた傘が無数に干してあった。美しいな、と思った。




