7.お祖母様の願いを知りました
ローゼンツ渓谷にある祖母の館に到着した日の翌朝。
小鳥のさえずりで私は目を覚ました。
「……朝なの?」
柔らかな陽射しがレースのカーテンを透かし、部屋いっぱいに降り注いでいる。
エルフェリア王国で暮らしていた頃は、起床時間きっちりに起き、一日が慌ただしく始まっていた。
おそらく起床時間はすでに過ぎているはずだが、エルマが起こしに来る気配はない。もうそんな必要はないからだ。
私はベッドから起き上がり、窓を開けると、爽やかな風が部屋に吹き込む。とても気持ちの良い朝だ。
「いいお天気ね」
青く澄んだ空を見上げると、思わず頬が緩む。
コンコンと扉をノックする音がする。
「ユリアン様、お目覚めでしょうか?」
「ええ、エルマ。入ってもいいわよ」
エルマは部屋に入室すると、微笑みながら一礼した。
「おはようございます。朝食のご用意が整っております」
「おはよう、エルマ。ありがとう」
支度をエルマに手伝ってもらい、食堂に下りていく。
食堂にはいい匂いが漂っていて、食欲をそそられる。
焼きたてのパンに野菜たっぷりのスープ、ふわふわのオムレツがテーブルに並んでいた。
「おはようございます。ユリアンお嬢様」
ダリアが紅茶の用意をしながら、笑顔で迎えてくれる。
「おはよう、ダリア」
「昨夜はよく眠れましたか?」
「久しぶりにぐっすり眠れたわ」
疲れていたのもあるが、昨夜は夢を見ないほど深く眠ることができた。
「それは何よりでございます」
ダリアが安堵したように微笑む。
「本日のご予定はございますか?」
ふわふわのオムレツに舌鼓を打っていると、ダリアが尋ねてくる。
「温室を見て、あとは薬草を植えたいのだけれど……」
「承知いたしました」
◇◇◇
朝食を終えた私はエルマと一緒に温室へ向かった。
ガラス越しに降り注ぐ陽光は温かく、中には色鮮やかな花々が整然と並んでいる。
「すごいわ。お祖母様が育てていた花がまだ残っているのね」
「ユリアンお嬢様がいらっしゃるまでは、絶やさないようにとエリザベート様から仰せつかっておりましたから」
花の手入れをしていた帽子を被った老人が私に微笑みかける。
「まあ、もしかしてハンス? 貴方がこの花たちを守っていてくれたの?」
ハンスもアルディオン公爵家に仕えていた庭師だ。
お祖母様が亡くなってまもない頃、王都を去ったと聞いていた。
「はい。大きくなられましたね、ユリアンお嬢様」
懐かしそうに目を細めるハンス。目尻の皺が増えたが、穏やかな好々爺と言った雰囲気は変わっていない。
幼い頃、ハンスはお祖母様と一緒に花の手入れの仕方や薬草の育て方を教えてくれた。
「ハンス、私薬草を植えて育てるつもりなの。手伝ってくれるかしら?」
「もちろんです。そう仰るだろうと思っていくつか苗を注文しています」
「まあ! ありがとう。また色々教えてね」
ハンスは優しく微笑み頷くと、一冊の本を手渡してくれた。
濃い茶色の革表紙のそれは古い本のようだ。
「この本は?」
「エリザベート様のものです。ユリアン様がいつかここを訪れてきたら渡すようにと、儂が預かっておりました」
「お祖母様の本……」
パラリとページをめくると、『エリザベート・アルディオン』と流れるような美しい文字で名前が綴られていた。祖母の文字だ。
さらにページをめくると、そこには薬草の育て方や調合方法だけでなく、その日の出来事まで丁寧に綴られていた。
『五の月十の日。ユリアンが初めて薬草の名前を覚えた。「難しい」と言いながら、その日のうちに全部覚えてしまった。本当に賢い子』
そういえば、そんなこともあったなと思わず笑みがこぼれる。
『六の月二十二の日。ユリアンは怪我をしたウサギを抱えて泣いていた。あの子は人も動物も分け隔てなく慈しめる優しい子だ。あの優しさがどうか失われませんように』
私は胸の奥がじんわりと温かくなり、そっと本を閉じる。
(お祖母様はいつも私を見守っていてくれたのね)
本を抱きしめると、中から一枚の封筒が滑り落ちる。
封筒を拾うと、『ユリアンへ』という宛名が目に入った。
祖母が私に宛てて書いた手紙なのだろうかと封を開くと、便せんが二枚入っていた。
『愛しい孫娘ユリアンへ
もし、この手紙を読んでいるのであれば、貴女はきっと人生の岐路に立っているのでしょう。
だから、この館へ帰ってきたであろう貴女に宛てて筆をとっています。
一つだけお願いがあります。
貴女は優しい子です。困っている人がいれば見過ごせないのでしょうね。
その人たちを助けるのは素晴らしいことです。
ですが、自分を犠牲にしてまで誰かを救ってはいけません。
貴女が笑っていてこそ、周りの人も幸せになれるのです。
わたくしの愛しいユリアン。
どうか幸せに生きて。
エリザベート』
お祖母様の手紙を読み終えた時、瞳から涙がこぼれ落ちた。
前世でこの手紙を読むことができたのであればと思った。
自分を犠牲にし続け、最後には命を失ってしまった。
お祖母様は私が前世のように生きることをある程度見通していたのだ。
だから、この手紙を遺してくれた。この館を遺してくれた。
誰かに利用されるためではなく、一人の人間として幸せになるために……。
「お祖母様……」
手紙と本をぎゅっと抱きしめ、心の中で祖母に誓う。
今度は自分の人生を大切に生きますと……。




