4.竜に会いました
王都を出発して三日。
馬車は緩やかな丘陵を越え、エルフェリア王国とライゼンシュタイン皇国の国境へ到着した。
「ユリアン様。ご覧ください」
向かいに座るエルマが嬉しそうに窓の外を指差す。
「ライゼンシュタイン皇国です」
「ええ。懐かしいわ」
幼い頃、祖母に連れられて何度も訪れたことがある国。祖母の故郷だ。そして、私のもう一つの故郷とも言える。
祖母はいつも言っていた。
『ライゼンシュタインの風は人の心を穏やかにしてくれるのよ』
本当にそのとおりだ。
ループしたとはいえ、いまだに前世を思い出すと胸が締めつけられそうになる。だが、その重苦しさが少しずつほどけていく感覚がした。
国境の白い城壁を越えると、遠くには山並みが広がっている。あの山の辺りにローゼンツ渓谷があり、祖母の別荘はその付近にあった。
昔と変わらぬ景色に私はほっとする。
馬車の窓を開けると、爽やかな風が吹いて草や花々の香りが鼻をくすぐる。
「良い香りですね」
エルマが深呼吸をして顔を緩ませる。
「本当ね。心が落ち着くわ」
前世では国外に出ることは許されなかった。日々聖女としての務めに忙しく過ごしていたので、祖母の別荘には来れなかったのだ。
流れていた景色が止まる。御者が馬車を止めたのだ。
「ユリアンお嬢様。車輪の調子が良くないので、少し停車します」
別荘まではあと少しだが、馬車が壊れてしまっては元も子もない。
「分かったわ」
街道脇には清流が流れ、季節の花々が咲いていて可憐だ。
「待っている間に少し歩いてくるわ」
「私もご一緒しますわ」
エルマとともに森の入り口に近づくにつれ、ハーブの香りが強くなる。
「ユリアン様。ミントにローズマリー、ラベンダーもこんなにたくさん自生しておりますよ」
しゃがんでいるエルマの後ろから覗き込むと、そこかしこにハーブ類が自生しているのが見える。
「すごいわね。少し摘んでいきましょうか?」
夢中になってハーブ類を摘んでいると、低いうめき声のような音が森の奥から聞こえる。
「ねえ、エルマ。あちらから何か聞こえない?」
……ルル……ゥゥ……
「そうですね。うめき声に聞こえますが……」
「様子を見てくるわ」
「ユリアン様、いけません! 魔物だったらどうするのですか?」
エルマが引き止めるが、今度ははっきりと声が聞こえる。
……グルッ……ウウウ……
「とても苦しそうな声だわ。それに助けを求めているように聞こえるの」
私は迷わず森の奥へと進んで行く。
「ユリアン様! お待ちください!」
うめき声が聞こえる方に向かっていくと、小さな崖に突き当たった。
そっと崖の下を覗くと、大きな影が見えた。
「え?」
思わず息を呑む。
「やっと追いつきました! ユリアンさ……ひっ!」
後から追ってきたエルマが黒い影の姿を見て悲鳴をあげる。
影の正体は一頭の黒い竜だった。
黒い鱗は日に輝いて美しいが、しかし左の翼には裂傷があり血が流れている。
後ろ脚には鉄製の罠が食い込み、苦しそうに声を荒げていた。
「どうして、こんなところに竜が……。いいえ! それより逃げましょう、ユリアン様!」
震える声でエルマが私の手を引くが、首を横に振る。
「この傷では飛べないわ。それに放っておけない」
「ですが!」
私は崖を滑るように下りて、ゆっくりと竜に近づいていく。
竜は黄金色の瞳を見開いてギロリと私を睨む。
「グルァ!」
そして威嚇するように低く吠える。
「大丈夫よ。私は貴方を傷つけないから」
穏やかに語りかけ、にこりと微笑む。
竜は鼻息を荒くしたが、襲いかかってくることはなかった。
近くでそっと膝をついて傷の具合を見ると、翼には大型の矢が刺さっていた。
「……ひどい」
ライゼンシュタイン皇国では竜は神聖な存在だ。竜を狩ることは禁じられているはず……。
「エルマ。先ほどハーブ類を摘んだ場所にノコギリソウがあったの。戻って摘んできてくれないかしら?」
ノコギリソウは傷薬になる薬草だ。
私が幼い頃から専属侍女だったエルマは、私の影響で薬草やハーブ類に詳しい。間違えることはないはずだ。
「そんな……ユリアン様を置いていくわけには参りません!」
「私は大丈夫だからお願い!」
私を置いていけないと頑なに拒否するエルマを何とか説き伏せて頼み込む。
「私が戻るまで絶対無茶をしないでくださいませ。少しでも危険だと思ったら逃げてください」
そう言い置くと、急いで来た道を戻っていった。
「さて、では治療を始めましょうか」
体内にある光に呼びかけ、眠っていた神聖力を起こす。
そして手をかざすと黄金色の光が竜の体を覆っていく。翼の裂傷と脚の傷口がゆっくりと閉じていった。
光が収まると、竜は驚いたように翼を動かす。
「これで飛べるでしょう?」
微笑みかけると、竜は私をじっと見つめる。そして大きな頭を近づけると、私の頬をペロリと舐めた。
「きゃっ!」
びっくりしたが、竜なりの感謝の印なのだろうと思った。
竜は満足そうに目を細めると、翼を広げる。
日に輝く黒い鱗は黒曜石のようだった。
「きれい」
見惚れていると、竜は力強く羽ばたき空高く舞い上がる。
何度か旋回した後、竜は振り返り私に視線を向けた。黄金色の瞳が優しく細められる。何となく感謝を伝えているのだろうと思った。
「元気でね。もう罠に近づいてはダメよ!」
手を振ると、「分かった!」というように小さく鳴き声をあげ、空の彼方に飛び去っていった。




