10.優しい少女(SIDE:ラインハルト)
ローゼンツ渓谷まで飛んできたのはいいが、ラインハルトはエリザベートの館の位置を知らなかった。
だが、ユリアンが自分を助けてくれた場所からさほど離れてはいないはずだと、森付近を見渡す。
森から少し離れた場所に白い建物が見えた。おそらくはあそこがエリザベートの館だろうと予想される。
ラインハルトの予想は当たった。
上空からユリアンが連れていた侍女の姿が伺える。おそらくは帽子を被っているのがユリアンだろう。
彼女の姿を確かめようと高度を下げると、ユリアンが空を見上げる。一瞬だけ視線が会った。
(見つけた! 彼女だ!)
旋回すると、森の方へ飛ぶ。
(竜の姿で会うわけにはいかないだろうからな)
竜の姿でも話すことはできるが、この巨体では館に降りることはできない。
一度森に降りて人間の姿に戻ってから、正面から堂々と訪ねることにする。
しかし、先触れもなく訪ねてしまって大丈夫だろうかと思い直す。
だが、ラインハルトはもう一度ユリアンに会いたかった。竜の姿に怯えず、怪我を癒してくれた優しい少女。
「あくまで非公式に礼を言うだけだ。いや、この姿で『俺はあの時助けられた竜だが』と言って彼女は信じるだろうか?」
独り言を呟きながら歩いているうちに館に辿り着いてしまったラインハルトだ。
空から見下ろした時はユリアンは畑らしきところにいたのだが、今は姿が見えない。
どうしたものかと館の前で迷っていると、中から出てきた老婦人と目が合う。
声をかけようとしたが、老婦人はラインハルトに向かって最高の礼をとる。
どうやら老婦人はラインハルトが何者か知っているらしい。
「驚かせてすまない。こちらにユリアンという令嬢はいるだろうか?」
「ユリアンお嬢様でございますか? はい。いらっしゃいますが、なぜ皇帝陛下がお嬢様をお訪ねに?」
老婦人は首を傾げている。
それはそうだろう。ユリアンとラインハルトは面識がない。
「それはだな……。こちらにエリザベート殿の孫が滞在していると聞いて……。そう! 親族として挨拶に来たのだ」
苦しい言い訳だが、一応筋は通っていた。
「左様でございましたか。それではユリアンお嬢様に皇帝陛下が訪ねてこられたと知らせてまいります」
穏やかに微笑むと、老婦人は「どうぞ」と館に入るよう促す。
「ああ、いや。ユリアン嬢が気を遣うといけない。あくまで非公式なのでこのままユリアン嬢のところへ案内してくれるか?」
一瞬、老婦人は怪訝そうな顔をしたが、すぐに穏やかな表情に戻る。
「承知いたしました。ご案内いたします」
老婦人はダリアと名乗った。今はこの館でユリアンの世話をしていると、案内している間に語ってくれる。
(俺が皇帝と分かっても物怖じしなかったな。物腰に品がある。元は女官か高位貴族に仕える侍女と言ったところか)
「こちらの居間でございます」
ダリアは扉をノックすると、皇帝が訪問してきたことをユリアンに告げる。
ラインハルトは待ち切れず、ダリアの後ろから居間を覗く。
皇帝として褒められた行動ではないが、早くユリアンの顔が見たかったのだ。
ユリアンは少し慌てたが、高位貴族の令嬢らしくラインハルトを迎えてくれた。
居間へ入ると、ふわりといい香りがする。
(これはハーブの香りか?)
ラインハルトは竜なので、わりと嗅覚が鋭い。ユリアンからも同じハーブの香りがする。
(優しい香りだ)
夜会などで貴族の婦人や令嬢に接することがあるが、彼女たちは香水を体中につけている。ラインハルトは香水の香りが好きではないので、正直きつい。
だが、ユリアンからは自然の香りがする。高位貴族の令嬢だが、ユリアンは香水をあまり使わないからだ。
一言挨拶をしたら帰るつもりでいたが、ユリアンからお茶に誘われたので、ありがたくいただくことにした。
毒味もなしに茶を飲むことなどないが、ユリアンがラインハルトに毒を盛るはずがない。
(オリバーが見たら怒るだろうな。『もしものことがあったらどうするんですか!?』とか)
ユリアンが調合したというハーブティーは優しい味がした。祖母に教えてもらった調合方法だという。
会ったことはないが、エリザベートもユリアンのように優しい人柄だったことが伺えた。
◇◇◇
皇城に帰ると、執務室の窓から入る。
執務室にはまだ明かりが灯っていた。オリバーが執務机に向かっている。
「オリバー。まだいたのか?」
声をかけるとオリバーは、じろりとラインハルトを睨む。
「仕事が片付かないからです。誰かさんのせいで!」
「それはすまなかった。後は俺がやる。お前はもう休め」
オリバーの目の下にはくまができている。不休で仕事をしていたからだ。
「それでユリアン嬢には会えたのですか?」
「ああ。会えた」
ハーブティーを飲みながら、ユリアンとの他愛もない会話は楽しかった。
「また……会いたいな」




