第九話
「僕と絆侍が試合だなんて、本気で言ってるんですか」
ガラガラと音を立てて玄関のドアが閉じられた。絆侍のお兄さんは、僕の問いに対して顔色一つ変えていない。
「本気だよ。冗談ならセンスがないだろう」
「でも、こんなの絆侍が嫌がるとしか……」
「へぇ、君は笑っていたのに?」
慌てて口元を押さえると、お兄さんは目を細めて僕を見つめ返した。光を反射しないような漆黒の瞳が、瞼の奥から僕を射抜いている。
「楽しみなんだろう。いいじゃないか。その気持ちは否定しなくていい」
足の裏が、地面に貼り付いたみたいだった。昔からこの人の雰囲気が本当に苦手だ。
「……何がしたいんですか」
「嫌だな、俺が悪者みたいじゃないか」
僕は正直、絆侍の家のことをよく知らない。お兄さんはとてつもなく優秀で、絆侍も同じくらい期待されていたことは知っている。道場は何代も続いている名門だ。僕には想像できないような重みがあるのだと思う。
絆侍が投げ出した全てを、目の前の人は背負って笑っている。僕からすれば怪物みたいな存在だ。
「過去の自分と決別させたい。絆侍が前を向くためにね」
「どうやって……」
「君の剣だよ、直史」
「僕、の……?」
僕の剣が、過去の絆侍を斬る?僕の憧れで、心の支えだった、あの絆侍を……?
「俺の剣じゃ届かない。君だからこそ意味がある。何せ絆侍は、今の君を正しく見ることができていない。絆侍の積み上げた実績を、君の手で崩すんだ」
「そんなの絆侍を傷つけるだけじゃないですか!それに何の意味があるんです!絆侍の努力を、他人がどうこうしていいものじゃない!」
「おかしいな、君だって見ただろう。あの景色を」
お兄さんの顔から笑みが消える。冷たい夜風が僕たちの間を吹き抜けていく。
「過去の栄光は埃を被り、色褪せていくものだ。終わりの見えない虚しさの入り口を見たんじゃないのかい?」
「…………っ」
「やがて己を守る殻となり、先に進む足枷となる。絆侍が過去の栄光から逃れられずに苦しんでいるのを知っているだろう」
それは哀れみにも苛立ちにも見えた。虚しさの入り口。地獄を見た時、絆侍はそれに耐えられなかった。周囲の期待は僕たちを不自由にする。手にした栄光は呪いのように纏わりついてくる。
「それに、これは君にとっても必要なことだ」
お兄さんは門にもたれるように立つと、顎で僕を指した。
「君の知っている絆侍はもういない。この試合は、君たちの別れの試合なんだ」




