第二十四話
「で、負けたんでしょ?」
「お前な……」
依織は俺から今日の試合の話を聞き出そうとするや否や、容赦なく負けと決めつけた。俺に対する配慮はないのか。
「あ、今、気を遣えよとか思ったでしょ。遣わないよ?絆侍だって遣わないでしょ。これは君の慰め会じゃないよ」
「そんなことわかってる……!!」
こんな具合で見抜いてくるのでやりづらい。
「実際、久しぶりに試合してみてどうだった?例えば……そうだな、体って試合についていけたの?」
「体力は半分。技量は話にならない。でも、試合の中で思い出す感覚はあった」
筋力も体力も落ちているのに、体は自然と動いていた。体の奥に眠っていたものが目覚める感覚。俺の意思とは関係なく、試合に応えているようだった。
「体に染みついているものってあるよね。俺もしばらくエレクトーン弾いてないけど、久しぶりに弾いたら少しずつ体が慣れていくんだよね。でも、全盛期……って言い方も変だけど、当時には戻れない感じ」
「昔の俺の方がもっと身軽だった。体が重たくて仕方がなかった」
「背が小さくて体重が軽かったってこと?」
「俺は中学で身長止まってんだよ」
「あぁ、ごめんごめん、そんなに怖い顔で睨まないで」
依織は中学でピアノとエレクトーンを弾くのをやめたらしい。バンドでも弾けないことはないが、本人はベースより下手だから今は弾きたくないという。それでも代役ができるほどの実力だ。
「動けないことは悔しかった?」
「当たり前だろ、できてたことができないんだから」
「悔しいって思えるだけの感情は剣道に抱いてたんだ。それとも萩野君と比べて動けないから?」
「……っ」
依織がゆっくりと俺の心の輪郭をなぞっていく。
そうだ、悔しかった。上手く動けない自分に腹が立った。努力の積み重ねを捨てたのは自分なのに、諦めなかった直史に対しても苛立っている。
「わかるよ。俺はスポーツじゃないから、人と戦わないけど。でも、動画サイトで難しい曲を弾いている人を見ると、俺も辞めないで続けていたら弾けたんじゃないかって思う時があるんだ。辞めたのは俺の勝手で、続けてもその領域に辿り着けるかなんてわからないのにね。驕りだなって思う」
「驕り……そうだな、確かに」
悔しがること自体おかしな話だ。未練があった証拠だろうが。
心のどこかで未練があったのに手放したから、今更悔しがる。ないものねだりをする。剣道は嫌いだ。期待も面倒だ。それでも、俺は剣道に何かを見出していた。
「俺たちはさ、万能感の海を漂っているんだよ」
「はぁ?急にどうした」
「ほら、作詞の練習だよ。ちゃんと付き合って」
俺はあまり抽象的な表現は好まない。
依織の言葉は色鮮やかで様々な情景を描く。
「俺も絆侍も、やりたいことがあるから続けていたものを辞めただろ?それって、俺はもっと頑張れるって思ったからじゃん」
「そうだけど」
「なんでもできる!!って海を漂いながら、どこかに流れ着くのを待っているんだよ。それか、岸に向かって泳いでいる。俺たちの手には何も残っていないけど」
「……」
軽音部を三年間続けたところで、俺の家にトロフィーも賞状も増えなかった。
今まで当たり前に手に入れていた結果は、どこにもなかった。
「島に流れ着いたら、この海を泳ぎ切ったら、なんて思いながら溺れてるだけ。目的を達成できた時、何者かになれるだなんて盛大な勘違いをしている。俺たちが目指すべきものは、広大な海を漂う存在じゃなくて、山を登り続けているような存在なのにね」
ほら、俺たちってインドア派だろ?山とか登ってられないじゃん。
なんて言いながら、依織はコップに残った最後のジュースを飲んだ。
「悔しいのはそれだけ中途半端ってことさ。俺?俺はもう悔しくないよ。最悪、海の藻屑になったっていい。俺は作詞作曲とベースでやっていくって決めたからね」
「つまり俺の覚悟が足りないと?」
「そう。登山道具を船に積んで海を漂っている感じ。未練タラタラ。そして、ずっと楽しそうに山を登っている彼を、君は船からずっと見つめている。焦がれるようにね」
「俺が直史を見るわけないだろ。極力関わらないようにしてたのに」
俺は高校生になってから、直史に対して無関心を貫いた。
アイツがどこで活躍していようと心底どうでもよかった。
焦がれる?アイツのどこにそんな要素があるんだよ。
「いいや、君は彼を嫌悪して遠ざけながらも、自分の目が焼かれるのが怖かっただけだ。眩しそうだもんね、彼」
「怖い?あのひ弱のどこが怖いんだよ。能天気で鬱陶しいだけだろうが」
そうだ。あの前向きな態度が気に食わなかった。
へこたれない姿勢が疎ましかった。
実力を認められなくても、まっすぐなアイツの目が嫌いだった。
「まっすぐな人が嫌いだもんね、絆侍は。でも、萩野君と絆侍の関係は、歪んでるけど、君の欲しいものを萩野君はぶつけてくれていたはずだよ」
「クソ面倒臭い憧れと執着」
「違う、そうじゃなくって……何でこう、捻くれてるかなぁ」
二杯目のコーラを飲みながら、依織はストローを咥えてぶくぶくと泡立てていた。ノートには俺と直史の似顔絵を描いて、捻くれ絆侍と書いてある。
「焦がれるのも人によって受け取り方が違うから仕方ないか。じゃあ、これはどう?」
依織は記者のように、ノートを手に持ちながら、マイクを差し出すようにペンを向けた。
「今日の試合、楽しかった?」
飲み干したコップの氷がカランと音を立てる。一番下にあった氷はすでに水へと変わっていた。
飲み物を頼むタイミングを逃した俺は、依織の問いの前でただ、唾を飲み込んだ。




