想いを歌に乗せて
夏休み明けはどの学年もテスト週間だった。当然、放課後に部活をすることはできず、俺たちは各々練習を続けた。受験勉強の合間を縫い、俺と依織で中庭ライブの下準備を進めていた。バンドメンバーが揃ったのは、テスト期間が明けてからだった。ライブまでは、すでに一週間を切っていた。全員が必死に練習をしたようで、思っているほど酷い出来ではなかった。
「今回の曲は大会じゃないからね。多少、粗があってもいい。でも、俺たちの実力なら十分だよ。ここから焦らずに整えていこう」
顧問と交渉した結果、確保できたのはたったの一日。月末には面談シーズンが控えていた。そこを逃せば中庭でのライブはできないとのことだった。
もやしみたいなメンバーを叱咤しながら、四階から一階まで機材を下ろす。一番体力があるのが俺だったから、バスドラムとアンプを運ぶ羽目になった。毎回俺が運んでいる。部活の練習時間に筋トレでも組み込んでおけ。
そして迎えたライブ当日。
窓の外には灰色の空が広がっていた。濡れたコンクリートと水溜まり。教室の後ろで溢れかえる傘立て。廊下を歩くたびに、きゅっきゅっと床が滑る音がした。
「マジかよ……ライブ中止じゃん」
「だからお前は諦めるのが早いって。その辛気臭い顔やめろ」
湿気のせいか、依織の片目を隠している重たい前髪が、いつも以上に重みを増していた。
「お前を見てると余計ジメジメしてくるな……」
「失礼な……」
「ちょっと髪貸して」
俺は以前使っていたヘアゴムを取り出すと、依織の前髪をまとめてポンパドールにしてやった。
「てるてる坊主作れないから、それで。都合もいいだろ?額の汗がすぐに乾くぜ」
「八つ当たりするのやめてよ……」
朝の天気予報では、午後から晴れるらしい。全く希望がないワケじゃない。
窓ガラスの外側を流れる雨筋を指でなぞりながら、東の空を睨んだ。
「次の休み時間、倉庫にモップ置いておく。雨上がったらステージ拭けるように」
「うん、ありがとう。お前のそういう無駄のないところ尊敬するわ」
「できることやってるだけだろうが」
こんな雨ごときに中止にされて堪るか。こっちは直史を待たせてんだよ。ここで演奏しなかったら、アイツが俺の姿を見る保証がないだろうが。
ここで演奏するのが俺の憧れだったんだ。今、俺の音を届けたいんだ。
さっさと晴れろクソが……!!
四時限目の終わり。カーテンの隙間からほのかに陽の光が差していた。
……いける!!
それに気づいてからは授業の内容なんてさっぱり頭に入ってこなかった。
教師がようやく教科書を閉じ、チャイムと同時に号令がかけられる。
俺は礼をすると、机の上を片付けずに、廊下へ飛び出した。乾いた足音が廊下に響く。突き当りにある職員室のドアをノックして勢いよく開けた。
「失礼します!!三年一組の友野です!!軽音部で使用する中庭の鍵を借りに来ました!!」
職員室にいた先生方がぎょっとして俺を見た。声のボリュームを完全に間違えた。顧問が爆笑しながら俺に鍵を渡す。
「お前、運動部じゃないんだから」
「元なんで、つい。ありがとうございます」
倉庫前にはすでにメンバーが集まっていた。全員走って来たらしい。依織も肩で息をしていた。お前は二階で一番近いだろうが。
「コーラスのお前が息切らすなよ」
「だって、嬉しくて気づいたら走ってて……っ」
「バッカじゃねえの」
後輩にモップ掛けを依頼し、俺と依織で倉庫にしまっていた楽器を廊下へ運び出した。二人で手際よくドラムセットを組み立て、近くのコンセントから延長ケーブルを引っ張って来た。
「ステージ綺麗になりました!!」
「よし、運べ!!」
セッティングは全員手慣れたもので、あっという間にスタンドやアンプが定位置へ置かれていく。
中庭のドアを完全に開放し、水たまりに入らないように三角コーンを置いた。これならステージ正面にも観客を確保できる。
開け放たれた廊下の窓は、俺たちが中庭で準備している音を、校舎中へ響かせていた。次第に二階から四階までギャラリーが集まってくる。
俺はマイクを手に取り、音量を確認すると、そのまま空へ向けて声を放った。
「これより、軽音部のライブを始めます!!一階中庭は観客席開放してるので、自由に出入りしてください!!」
楽器ケースやモップが倉庫にしまわれていることを確認する。暗がりで狼のマスコットがギターケースの上で座っていた。鍵を閉めて、急いで中庭へ戻る。
数分経たないうちに、中庭に大勢の生徒が押しかけた。入りきらない生徒は廊下で立ち見をしている。見上げれば、どの階も人で溢れていた。
俺はギターを持ってマイクの前に立った。隣の依織も準備ができているようだ。
女子の固定ファンがいて、俺たちを見て黄色い声をあげていた。曲聴いてから騒げっての。
「髪切ったから失恋じゃないかって言われてたよ。色男は大変だね」
「んなワケねぇだろ、バーカ」
メンバーが全員定位置につく。観客も静かに演奏が始まるのを待っていた。
雨上がりの湿った匂いが中庭を包む。床のタイルや銀色の窓枠が陽射しを浴びて光っていた。
四方を窓に囲まれた狭い空間なのに、俺にとっては最高のホールだった。一階から四階まで、生徒が窓から顔を覗かせている。
依織の目配せで、ドラムのカウントに合わせて俺は勢いよくギターを奏でた。
一曲目はカバー曲。イントロからギターのソロがいきなり始まる。何度も練習しただけあって外さなかった。
Aメロはベースとボーカルがメインの曲調で、依織の音色を引き立てるようにギターを掻き鳴らす。俺の声に合わせて、コーラスの依織が上ハモを重ねていく。
デュエットでもあり、依織がメロディーを歌う時は俺がコーラスを歌った。
あれだけ息切れしてたのに、今日はちゃんと声出てんな。
間奏を挟むごとにボルテージが上がる。この曲は技量で殴りつけるような部分があった。素人でも、今演奏しているメンバーのレベルがどれだけ高いか伝わるくらいだ。
別に巷を賑わせた曲でもない。インディーズのバンドの曲だ。それでも観客はリズムには抗えない。自然と手拍子が沸き上がってくる。
サビの手前で主旋律がベースからギターに切り替わる。サビの爆発を焦がれる観客を見るのはいつだって気分がいい。
そうだ、踊れ。みんなが踊り狂えばいい。
サビの第一声で観客が手を振り上げて沸き立った。歌詞なんてどうせ大半は知らないけど、キーワードは伝わるように語りかける。
俺は依織に目配せをして、サビの後半を譲った。目を丸くして驚いていたが、声を張り上げて歌い上げてくれた。その様子が伝わったようで、メンバーも観客も笑いながらライブを盛り上げてくれている。
大会みたいな音響じゃない。狭くて音が籠っているし、ライト替わりの照り付ける太陽は焼けるように暑い。
それでもこの空間、瞬間が心地いい。俺があの春の日、目を奪われた場所に立っている。
たくさんの視線を浴びながら、めちゃくちゃな歓声が湧き上がる。左右バラバラに振っている手も、小さく口ずさんでいる観客も、全てがこの音楽を作り上げている。
……最高の景色だ。
同じ歌詞をメインボーカルとコーラスで紡ぎながら、依織がニヤリと笑う。歌詞の中で一番俺に伝えたかった言葉を受け取り、二人で力強く歌った。
この言葉を伝えたいがために、難易度の高い曲を選ぶなんて……アホかコイツは。
ラスサビを迎える頃には、廊下の窓は全て人で埋め尽くされていた。集客は完璧。このまま二曲目まで全員連れて行ってやる。
俺たちは一曲目をミスなく演奏し終え、会場は拍手に包まれた。次の演奏を待ち侘びる観客を前に、依織がマイクを持った。
「次は、新曲を演奏します。俺と絆侍の二人で作った、俺たちの軽音部最後の曲です」
依織の声が震える。MCが苦手なのに、今日は上の階まで視線を送りながら話していた。
「受験生だけではなく、全ての頑張っている人に送ります。聴いてください『moratorium』」
いつかの春の日を思い起こさせるような、キーボードの優しい音色が響く。観客のざわめきが、あの日の春風にさらわれるように静まっていく。
静かな曲のボーカルは緊張する。少しでも声がブレたり音を外せば、すぐに目立つ。
これは俺と依織で考えた歌詞だ。俺たちの言葉だ。
高揚している体を落ち着かせるように息を吸い込むと、俺は柔らかい声で歌い出した。
今度はノリとリズムじゃない。メッセージを届ける音楽だ。
言葉の強さに合わせて曲調が変化していく。
顔を上げ、時計を見れば昼休みの半分を過ぎていた。客席代わりの中庭には、続々と人が集まっている。さらに上の階に視線を向ければ、全ての窓が開いていた。
こんなド素人の歌詞だけで、誰もが泣くような奇跡が起きるとは思っていない。それでも、この緊張感が保たれているのはメンバーの技術と、依織の構成力だった。
言葉の一つ一つに丁寧に想いを乗せながら、俺は顔を上げた。二階の窓。必ずどこかにいるはずだ。
……直史。
目的の人物は、二階の窓の真正面から俺を見ていた。
視線を向けると、直史は目を逸らさなかった。
それでいい。そこで黙って聴いてろ。今から俺が全部伝えるから。
全ての音が消え、ギターボーカルだけのソロが訪れる。ギターを奏でながら、俺は掠れた声で言葉を紡ぐ。
足踏みしている人の背中を押せるように。
自分を愛せるように。
熱意を抱えて生きていけるように。
サビには簡単なフレーズを選んだ。それを何度も繰り返す。観客が一緒に歌えるように。
進め。描け。
ソロが終わり、観客を煽りながらサビを繰り返し歌う。
進め。描け。
少しずつ観客の声が大きくなる。中庭の観客が歌い始めた頃、俺は二階……直史目掛けて煽るように手を振った。
「もっと声出せ!!」
二階の窓枠を掴む直史の手に力が込められる。
俺の声に応えるように、うろ覚えの歌詞をみんなが歌う。二回、三回、繰り返すうちに、直史の口が開いた。
俺はここで楽しくやってる。俺の道を歩めてる。この道を選んだことに後悔はない。もうお前の楽しさも妬まない。
……もう、俺たちは前を向いていいんだ。
ふと気が緩んで、零れた涙が額の汗と混ざり合った。汗だくの顔面じゃ、観客はわからない。俺にとって都合が良かった。
俺の声の震えに反応して、観客の声が小さくなる。
俺は汗を拭い、立て直そうとした時だった。
進め、描け。
逆光の中で身を乗り出しながら、馬鹿みたいに叫んでいる奴がいた。音程だって若干外れている。それでも、道場で飽きるほど聞いた声は、笑ってしまうほどデカかった。
その声に合わせて再びみんなが声を揃える。
……お前だって泣いてんじゃねーよ、ばーか。
依織の合図に合わせて、ラスサビを歌う。新曲とは思えないほどの盛り上がりを見せて、俺たちは最後の音を奏でた。
二階に向けて拳を突き上げる。
昔、大会の後に付き合わせた拳のように、あいつは俺よりも大きな拳を突き出した。
歓声と拍手に包まれ、校舎の壁に反響する。
俺は息を切らせながら、音が遠くなっていくような感覚に身を委ねていると、突然依織が俺の頭を掴んで礼をさせた。
「ありがとうございました!!」
気づけば、始業まで残り五分を切ろうとしていた。サビを繰り返し過ぎて予定時間を大幅に超えてしまっている。
俺たちは慌ただしく撤収作業をしていると、中庭にいた観客数名が片づけを手伝ってくれた。
「最後の曲、すごく良かった!!」
「うん!!耳から離れないし、勇気づけられる曲だったよ!!」
そんな感想を浴びせられて、思わずメンバー全員がにやけてしまった。急いで楽器を倉庫へ押し込み、手伝ってくれた生徒たちも駆け足で去って行った。
観客の消えた中庭。開けっ放しになった窓。直前までの雨が嘘だったように晴れた青空が、四角い天井に広がっている。
「はぁ……終わっちゃった。ふふ、今まで観客に呼びかけることなんてしなかったのに、どうしちゃったの」
依織が肘で俺を小突きながら笑った。
「別に。日差しが強いから、ちょっと熱くなっただけだっての」
「素直じゃないなぁ。今日は晴れたからね。少なくとも、俺のところからは雨降らなかったし」
「……うっざ」
廊下の向こうでは、まだ誰かが「進め、描け」と口ずさんでいた。
それだけで十分だった。




