表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
19/32

第十九話

 直史は何も言わなかった。一本を取られた悔しさを顔に出すでもなく、俯くでもない。ただ静かに開始線へ戻る。

 その背中を見た瞬間、嫌な予感がした。


 直史は、折れていない。

 それどころか、さっきよりもずっと静かだった。 


 二戦目。

 開始線に立ち、試合開始の合図が落ちる。

 視線が絡んだ瞬間、肌が粟立った。面の内側で、息が詰まる。


 ……来るッ!!


 そう思った時には、直史の竹刀が振り下ろされていた。初動の手首の動きを見落とすほどの、無駄のない滑らかな動き。


「面ッ!!」


 速い。さっきの面とは比べ物にならない。

 俺は竹刀を斜めに構え、反射で避けた。乾いた衝撃が腕に走る。

 体に染みついた動きは簡単に忘れられないらしい。

 現役時代の感覚が、俺の奥で少しずつ呼び覚まされているようだった。

 いちいち頭で理解していたら、この試合の速度に間に合わない。


 交わった竹刀が離れるよりも早く、直史の剣先がもう一度、俺の喉元へ伸びた。

 距離を取ろうと後退するが、直史の脚捌きは速く、すぐに距離を詰められてしまう。剣先を払うが、それでも直史の竹刀は眼前から離れない。


 先取をしたのは俺なのに、直史は試合の流れを完全に断ち切っていた。

 静かなはずの直史から、焼けつくような圧が立ち上っていた。

 さっきまでの直史とは別人のようだった。

 俺の記憶で、直史が攻めに寄った剣道をした覚えはない。


 俺の考えすらも掻き消すような一太刀が容赦なく振り下ろされる。


「面ッ!!」


 首を傾け、太刀筋を外す。

 こんなのを何度も繰り返されれば、いずれ当たってしまう。

 ……随分と強気だな。


 直史の竹刀が俺の肩に乗り、こちらの竹刀も逃げ場を失っていた。

 直史は竹刀を下方へ引き抜くと同時に、踏み込んで鍔迫り合いとなった。

 押し返そうとすれば手元が浮く。力を抜けば、間合いを潰される。

 

 俺はお前が必死に食らいつくような相手でもないだろ。

 今の俺なんて隙だらけだ。

 技のキレだって落ちているし、脚捌きだって間に合っていない。

 それなのに、直史の打突は全て俺に八つ当たりをしているようだった。力も速さも申し分ない。しかし、直史の実力を考えると、イマイチ精度が足りていないように感じた。

 ……何イライラしてんだよ、コイツ。


 俺に取られた一本が悔しい?そんなワケがない。

 あんな一本、お前はまぐれだと切り捨てるかもしれない。


 直史はあの日からずっと、今の俺なんか見ていない。

 お前が認めてほしかったのは、三年前の俺なんだろ。俺もお前も別の道を歩んでいるのに、お前は過去の俺を見続けている。

 もう誰も俺とお前を比較しない。

 いつまでも勝手に期待して勝手に失望してんじゃねぇよ……!!


 面越しに直史と視線を合わせる。

 試合開始の情けない顔はとっくに消えたようだ。

 直史の性格上、何かにイラつくのはあまり見たことがなかった。そもそも穏やかを絵に描いたような奴だ。俺と違って攻撃的な言動をしない。

 それは試合スタイルも同じだ。強気に出て揺さぶりをかけるのはわかるが、これは何かが違う。

 お前は、俺に何をぶつけたいんだよ……。


 俺は軽く息を吸い込み、腹の底から声を張り上げた。

 直史が怯んだ瞬間を狙い、体当たりをして突き放した。

 それでも、直史は俺の隙を見逃さない。体を引きつつ、直史の竹刀が上がった俺の小手を狙った。

 竹刀が完全に離れる前に、近い間合いのまま相手の竹刀を押し込み、ぎりぎりの距離で外す。


 ようやく遠い間合いへと逃げることができたが、呼吸を整える暇はない。

 絶対に、この試合は長引かせたくない。

 昔から、持久力は直史の方が上だった。体力テストのシャトルランだって、一度も直史に勝てたことがない。長距離走もだ。

 俺が足を止めたくても、お前はずっと馬鹿みたいに後ろを走っていた。ある程度まで走れば、限界を突き詰めなくてもいいのに、お前は最後までずっと走っていた。

 そのひたむきさが眩しくて、俺はずっと嫌いだった。


 あと一歩で届くところまで踏み込んで、引く。

 俺が追えば、打突の機会を待ち、俺が待てば詰めてくる。

 近くにいるようで、届かない。

 有効にならない打突を俺に何度も打たせてくる。


 術中に嵌っているとわかっているのに、抜け出せなかった。

 さながら、蟻地獄のようだ。逃げようと足掻くほど、直史の届く距離へ引きずり込まれていく。

 呼吸が乱れる。竹刀を振る速度も、踏み込みも鈍くなっていく。

 剣先が、ほんの少し落ちた。


 俺の視界の正面を、直史の剣先が捉えた。

 遠くに見える直史は、まるで俺を憐れんでいるかのようだった。


……やらせるかよ!!


 俺は手首を傾けて、直史の打突に備えた。

 眼前の剣先が上下に揺れる。

 面に来る。そう読んだ。

 けれど、振り上がった竹刀は途中で止まり、俺の手元へ落ちた。


 なっ……。


「小手」


 乾いた音が響いた。


 兄貴の声を聞くまでもなかった。

 一本。


 打ち返そうとするより早く、直史は俺の横を抜けていた。

 振り返った先で、すでに構え直している。


 隙がない。

 怒っているくせに、一本を取るための形だけは崩れていない。

 そういうところがクソ腹立つんだよ。


 誰が見ても文句のつけようがない。

 手本みたいな小手だった。


 そんな一本を取られたまま、終われるワケがなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ