第十七話
道場に足を踏み入れた瞬間、息が止まった。
道場の真ん中では、絆侍が目を閉じて正座していた。
膝の横には竹刀が置かれている。
背筋は真っすぐで、肩に余計な力も入っていない。
まるで、一週間ずっとここで待っていたかのようだった。
悪態をつきながら待っていると思っていた僕は、その静けさに足を止めてしまった。
この一週間は長かった。
インターハイが終了したというのに、あの日から気持ちが晴れなかった。
僕はただ、絆侍に認めてほしいだけだった。
頑張った、と言ってほしいだけだった。
それでも負けられない。負ければ、僕の三年間が揺らぐ。
……それだけは絶対に嫌だ。
「……来たか」
絆侍はゆっくりと立ち上がると、僕をまっすぐ見据えていた。
一週間前の、苛立ちを隠せない絆侍とはまるで違った。
三年間の空白があるはずなのに、立ち姿も気迫も、あの頃の絆侍に近かった。
「うん。絆侍こそ、逃げなかったんだ」
「あ?逃げるわけないだろうが」
絆侍は、口調こそ荒いけれど、剣道に関しては常に冷静だった。
竹刀を持つと、まるで別人みたいに余計なものが削ぎ落とされる。誰よりも真面目に取り組み、努力を怠らず、一切の妥協がなかった。
そんな彼と、対峙している。
絆侍のお兄さんは少し苦い顔をしながらも、僕たちの間に立った。
「では、始めよう。準備ができたら、位置につけ」
防具を身に着ける手順は、体に染みついている。垂れを締め、胴をつけ、面紐を整える。小手に指を通すと、革の匂いが鼻をかすめた。
これは何度も繰り返してきた動作だ。
今日は大会じゃない。観客もいない。緊張を制する術も身に着けてきた。
それなのに、耳の奥でどくどくと脈打つ音が響いている。
小手の中で指先が冷えていく。
竹刀を握る感覚だけが、やけにはっきりしていた。
支度を終え、立礼の位置へ着く。
僕と絆侍が正式な大会で戦ったことは一度もなかった。道場や部活の稽古での打ち合いも数えるほどしかなかった。僕の力がまだ届いていなかったから。
憧れだった。勝ちたかった。
勿論、負ける気なんてない。君がよく言っていた言葉だ。
……でも、傷つけたくない。
審判役のお兄さんが静かに声をかけた。
「礼」
僕と絆侍は互いに礼をする。
数歩進み、竹刀を抜き合わせて蹲踞する。低く腰を落とした先で、面の奥の絆侍と目が合った。
面の奥で、絆侍の視線が絡む。そこに迷いはなかった。
数秒の静寂。
僕たちがともに過ごした時間の中で最も長いと錯覚するほどに、物音一つしなかった。
互いの呼吸の音さえも。
「始め」
審判の声が落ちる。
僕たちは立ち上がり、かつて隣にいた相手へ竹刀を向けた。




