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第十四話

 兄貴と稽古を始めてから三日が経った。

 たった三日で、生活は笑えるくらい破綻し始めていた。

 夏休みは、思っていたよりずっと短い。

 午前は模試。午後は軽音部の練習。夜は兄貴との稽古。

 朝は早く起きて受験勉強を進め、集中力が切れればギターを弾き、喉を温めながら英単語を眺める。発声練習をしながら問題を解いていたら、父に怒鳴られた。


 直史との試合は一週間後。その三日後には軽音部の大会。

 歌詞カードは、相変わらず白紙のままだった。

 模試の自己採点もゴミ。くだらない凡ミスや計算ミス。

 夏休みの勉強の成果を測って、残りの貴重な時間をその対策に充てたいというのに。

 ……何やってんだか。


 剣道も音楽も勉強も、何一つ俺を待ってくれなかった。

 クソみたいな暑さが俺の体力を削っていく。ただでさえ、忙しいというのに。


 何で世の中の学生の大会は夏に開催したがるのだろう。甲子園のように昔からあるのならわかる。地球温暖化まっしぐらなのに、どうして夏から変えようと思わないんだ。パフォーマーも観客も熱中症で倒れるだろうが。

 その暑さも含めてフェスやライブの醍醐味?

 知るか。俺は空調の効いた快適な空間で音楽を楽しみたいね。


「でも残念ながら、今年も夏開催だからね。絆侍がそんな調子じゃ本当に倒れるよ」


 炎天下でスタジオに向かうだけでも体力が削られた。

 俺は到着するなり、頭痛に襲われて動けなくなってしまった。依織に渡されたスポーツドリンクを飲みながら、後輩がコンビニで買って来た冷却シートを額に貼っていた。


「徹夜してる人みたいだね。クマも酷いし」

「熱中症だバカ。吐くぞ」

「やめてよ汚い。少し休んでな。参加できそうだったら参加して」


 依織の指示で練習が始まる。結局その日は、スタジオを借りている時間の半分も参加できなかった。


 依織はメンバーが解散した後、俺をカラオケボックスへ連れて行った。

 ここならクーラーも完璧だろ?と、氷の入った水を持って来てくれた。


 俺は横たわってクーラーの風を直に浴びながら、兄貴にメッセージを送った。


『ごめん。今日の稽古休む。熱中症』

『大丈夫か。今どこだ、迎えに行く』

『大丈夫。今、友達とカラオケで休んでる』


 時間は限られている。体力と睡眠時間を削るしかない。そんなものとっくに慣れていたはずなのに、気づけば心も体も悲鳴を上げていた。毎日胃が痛い。結局、今日は勉強も、練習も、稽古も何一つできていない。


『試合の日を変えるか?軽音部の大会も近いんだろ?』

「……あ?」


 兄貴の提案に思わず声が出た。

 モニターで延々と流れる広告を見ていた依織が、ちらりとこちらを見る。


『変えない』


 ……嫌だ。

 それって、俺の都合でリスケするってことだろ。

 そんなの、久しぶりの剣道で慣れるのに手こずっているからお時間をください、と言っているようなものだ。

 ダサい!!ダサすぎる!!マジで時間くれって思う自分もいるから余計に嫌だ!!


『体調管理も鍛錬のうちだぞ』

『わかってるわ、ボケ』


 大きく舌打ちをして、俺は兄貴とのトーク画面を閉じた。


「今日の稽古は休めた?」

「あぁ」

「たまには、そういう日もあるって」


 依織はそれ以上、兄貴とのやり取りに触れなかった。


「歌詞も上手くいっていないね?」


 どいつもこいつも、すぐに俺を見透かす。

 そんなにわかりやすいのか、俺は。


「……俺はお前みたいな歌詞を書けない」

「うわっ、何この程度で弱気になってんだよ。お前のポテンシャルはこんなものじゃないだろ、俺は信じてるんだからな」

「……俺のこと知らないくせに」

「そんなことない」


 依織は端末で曲を選ぶと、マイクを持って立ち上がった。


「俺は絆侍の好きな曲を知ってるし、好きなアーティストも知ってる。それで十分じゃね?」


 モニターに映し出されたのは、俺の好きなアーティストの曲で、特に好きな曲だった。


「お前は歌詞で曲を選ぶから、その感性を信じてんだよ」

「何だそれ」


 俺の反論も気にせず、依織は歌い始める。

 依織はロングトーンが綺麗だった。歌詞が最後までまっすぐ届く。依織がたまに歌ってくれるこの曲がすごく好きだった。言葉が、胸に届く。

 俺がどれだけまっすぐ歌っても、心に響かないのに。


「歌詞っていいよな。普段恥ずかしくて言えないこととか、思ってることとか、言葉にできて。音がそれを補強してくれる。調和を保ってくれる」


 依織も歌詞が好きだった。好きな歌詞の話をしている時が一番盛り上がった。アーティストを知らなくても、詳しくないジャンルでも、言葉は通じ合えるから。


「お前の言葉にできない想いが、お前の好きな曲の歌詞に詰まってる。だから、俺はお前の感性が好き」


 依織は俺にマイクを差し出した。


「気づいてないだろうけど、お前、好きな歌詞の曲歌ってる時、最高に熱いぜ?」

「……俺が?」

「そう。きっと、絆侍の心に近いんだよ。その歌詞が」


 依織は大会の歌詞カードを取り出して、眺めながらため息を吐いた。


「俺が萩野君との試合に賛成したのは、絆侍の心が整理されると思ったから。ぐちゃぐちゃのままだとさ、他人の言葉って意外と掴めないんだよ。……俺の歌詞も、多分」

「それ、は」


 言葉が詰まる。

 じゃあ、今まで俺は何を歌っていた?

 依織の言葉も、曲も、ただ音程通りになぞっていただけなのか。


「そんな顔すんなって、責めてるわけじゃない。昨日は煽ったけどさ、今の絆侍に無理やり書かせても、多分いいものにはならない。ただ、そうだな……」


 依織は俺にスマホのカレンダーを見せて、試合の日の翌日を指差した。


「この日に歌詞を考えてみてよ。それまでは放っておいていい。それなら、タスクも一旦減るだろ?」

「別に、その前に仕上げることだって……!!」

「お前の能力を疑ってない。ただ、見えるものが違うはずだから」

「…………っ」


 直史との勝敗が決まる。

 俺の人生が覆る瞬間。

 俺は、何を見ている……?


「俺は、絆侍を信じているから」

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