第十二話
「父さん、道場のことは俺が考える。後で話そう」
「紡、お前何を言って……」
「母さん、ケーキはそこに置いたから食べて。俺と絆侍の分、残しておいて」
「あぁ、うん……わかった」
兄貴は一方的に話すと、俺の手を引いてリビングを出た。
二人分の足音で廊下がギシギシと鳴る。空は分厚い雲で覆われ、遠くでは雷が鳴っていた。
「兄貴、風邪ひく」
「そうだな。じゃあ、俺の部屋でもいいか」
「うん」
兄貴の部屋は、俺の部屋の隣だった。俺は座布団に腰を下ろすと、兄貴は目の前で着替え始めた。
「父さんと喧嘩したのか」
「俺が、父さんを殴った」
「ははっ、みたいだな。あんな顔、俺も初めて見たよ」
兄貴はいつもと変わらず笑っていた。タオルで髪を拭いて、着替えが終わると兄貴は座椅子に座ってこちらに体を向けた。
「兄貴は、怒らないの」
「何でだ?お前に対して怒るようなこともないだろう。むしろ俺が謝りたいくらいだ」
「謝る?何を」
「お前に剣道を強いてしまったこと。もっと早く、父さんを説得しておくべきだった」
俺は兄貴とさほど仲が良くないと勝手に思っている。それでも、兄貴はこの家の長男らしく全員を気にかけていた。兄貴も例に漏れず、俺にとっては紛れもない他人だが、唯一俺の本心に気付いていた。
三年前、剣道をやめたいと口にした俺に、中学の三年間をやり遂げてやめるよう提案したのも兄貴だった。今思えば、受験のことも見据えての提案だったとわかる。
「兄貴が俺のことでそこまでする必要ないだろ」
「いや、お前に押し付けた俺が悪い。安心していたんだ、継がなくてもいいんだって」
兄貴は今も大学で剣道を続けている。インターハイで優勝し、そのまま剣道に力を入れている大学に進学した。恐らく、このまま世界でも活躍する、そのくらい素晴らしい選手だ。
父は兄貴に選手としての成功を期待していた。
俺は当然のように跡継ぎの役目を家族に押し付けられたってワケだ。
「大学を出て、就職しつつ選手として続ける予定だった。でも、俺も絆侍と同じで剣道が好きじゃないんだよ」
「兄貴が……?」
兄貴が稽古を嫌がった姿は一度も見たことがなかった。それどころか夜遅くまで自主練していた。よっぽど好きだから、自分の時間を削ってでも打ち込めるのだろうとずっと思っていた。
「意外だろう。もう後戻りはできないから、これは一種の諦めだな。幸い、平均より剣道は上手みたいだし、割り切ろうと決めたんだ。剣道に俺の感情を持ちこまない。考えたところで変わらないからな」
「でも、これは兄貴の人生だろ。何で諦めるんだよ」
これは俺の未来だ。ここで、剣道を捨てられなかった未来が目の前にいる。
俺は兄貴ほど器用じゃないから、そんな簡単に自分の人生を割り切れない。一回きりなんだ。俺は操り人形でもないし、敷かれたレールを走る電車じゃない。
「何度も考えたよ。この決断をした後も、夢に見るくらい」
「……っ」
兄貴が力なく笑った。
俺が剣道をやめたいと駄々をこねた時、兄貴は高校一年生だった。今、俺が立っている分岐を乗り越えて、兄貴は高校も、その先も剣道を続けることを選択した。その上で、当時小学六年生の俺に、自身が残せなかった選択の余地を俺に作らせた。
……自分と同じ道を通らせないために。
「お前と同じだよ、絆侍。俺も、最後まで好きになれなかった」




