4.
炭鉱より戻って来た一行はカルゴーネの村の中を歩く。太陽は天頂を過ぎて日の光の下で人々が畑仕事に精を出しているのが見える。その中の一人が一行の存在に気付き声を掛けた。
「ミリィ、聖騎士様の案内はちゃんと出来てるか?」
「大丈夫だよ。炭鉱のみんなも絶対説得して見せるから」
「……そうかぁ。頑張れよぉ」
彼は弱弱しくそう言うと聖騎士の鎧を着ているゼノに祈るような仕草をして礼をした。ゼノはそれに対してただ礼を返すのみ。その男は彼らがそのまま去って行ってもしばらくは同じ格好のまま祈りを捧げていた。
「敬虔な方なのですね」
「うちの村はオルディア教の熱心な信徒が多いから。元々は畑仕事の忙しい日でもみんな礼拝には欠かさず行ってたんだよ。今は畑仕事が忙しいし、牧師様が無理に礼拝をする必要はないって言うから行ってないんだけど」
元々は村が総出で行っていた畑仕事、それが大部分の者が炭鉱の方へと行ってしまっては手が回るはずも無い。なんなら今は畑仕事が本分でない牧師までもが手伝いに行っているほどだ。ミリィが怒りを覚えるのも分からなくはないが、皆の考えを間違いだと非難するのは難しい。炭鉱などと言う今後の金の心配をしなくてもいいかもしれないようなものが掘り当てられたのだ、信仰が救うのは苦境の中にある心であって肉体ではない。より実のある方へと心が傾くことを止められはしない。
そういう意味では、目の前に苦境を抜け出すチャンスが見えているのにそれに対して執着の気配を見せないミリィの方がおかしいとさえ言えるのだろう。
「……それで、例の行商人が泊まっているのはところはまだ先ですか?」
クレアは色々と思う所はあったがそれ以上は考えるのをやめて任務の方に思考を戻す。ロサの推察に真に迫るものを感じた彼らは炭鉱を手に入れようと画策する最後の一人、旅の行商人の元へと向かうのだった。
カルゴーネの村の中でも大きな家、そこは村長が住まう場所でもあり例の行商人が客人として泊まっている場所でもある。
「立派な家でしょ」
ミリィが村長の家を見上げて自慢げにそう言ったが、クレアは思わず苦笑いを浮かべることしか出来ない。木造の古めかしいその家は都会に行けば時代遅れの古びた家だと笑われることだろう。大きさにしても富のある者は石造りの立派な城のような屋敷を建てている。こんなものを前に驚くなど正に田舎者だ。
「ロサさんは村長に会ったことがあるんでしたね」
「ああ、と言っても私も二度ほど会ったぐらいだよ。最初にここに来た時と大聖堂に送る手紙を書くように頼まれた時か」
「そうでしたか」
クレアは事前に人となりでも聞いておこうかと考えていたようだがその程度の付き合いならば必要は無さそうだと考えを改める。ミリィの方は村人に対する仲間意識のようなものが強過ぎてあまり参考にならないと考えているのだろう。
「とりあえず入りましょうか」
カルゴーネの基準では大きく立派な、都会の基準では古臭くてみすぼらしい家の中へ。
「トナ村長~、いますか~!」
扉を開けてミリィが中に声を掛ける。するとその声に応じて人の足音が聞こえてくるだろう。やがて現れるのは恰幅の良いご婦人だ。
「あ~ら、ミリィ、ロサさんもいらっしゃい。それに、これはこれは聖騎士様方まで。何かありましたでしょうか?」
「商人さんが居たら話を聞きたいんだって」
「ああ、ヤムクに話を聞きたいのかい。ちょっと待ってなよ」
そう言うと村長は大きく息を吸う。それを見てミリィが条件反射のように耳を塞いだのを他の三人は気付くだろう。直後に出来る物事は即座に予測できたが、残念ながら準備の為の時間は足りなかったようだ。
吹き飛ばされそうなほど巨大な声が響く。
「ヤァムゥクゥ~!!!! ちょっと来な~~!!!!」
耳を塞ぐのが遅れたクレアとロサはそれぞれ後ろにのけぞって見たりしゃがんで引っ繰り返ったりしている。ゼノはと言えば相変わらずの不動で突然の大声にもまるで動じず耳を塞ぐ素振りさえ見せはしなかった。或いは、あの兜が周囲の音を遮っているのだろうかとクレアは思うが普通に会話らしきものが出来ていたのだからそれは無いと断ずる。
何はともあれ、そのような大声に呼び出された行商人、ヤムクがばたばたと大急ぎでこちらへと向かって来た。
「な、何だい何だい? そんな大声で呼ばなくても……」
「うるさいねぇ、良いからこっち来な。聖騎士様たちがあんたに話を聞きたいんだとよ」
そう言ってトナはヤムクを引っ張って一行の前へと差し出す。
「さて、客人にお茶でも用意しようかねぇ」
「私も手伝う!」
「そうかい、ミリィは良い子だねぇ」
そのまま彼女はミリィと連れ立って奥へと消えて行く。残されたヤムクは聖騎士達を前にして背筋を伸ばし敵意は無いと示すように笑顔を浮かべ手もみなどし始めるのだが、どうも動揺しているのかそれらの全てはぎくしゃくとした覚束ない動きだった。
「あ~、えっと、これはこれは。私はしがない旅の行商人でして、聖騎士様たちの怒りに触れるような事はまるでしていないと専らの評判でございますが」
「……別に我々はあなたにやましい事があるだろうと思いこちらに伺ったわけではありませんよ」
「へぇ!? ああ、そ、そうですよね。すみません」
これほどあからさまに動揺を見せられると何かやましい所があるのかと勘繰ってしまうところだが、ひとまずそのような先入観を捨ててクレアは今日三度目の説明をすることとなる。
「我々聖騎士の目的はあくまでも異常の解消です。ここ最近カルゴーネ近辺、特に炭鉱付近で異常が多発していると聞き我々はその調査及び解消の為に来ています。聞けばヤムクさんは炭鉱の利権を自分のものにしようとしているそうで?」
「ええ、まあ……。しかしそれは異常とは関係ないでしょう?」
「ご安心ください。オルディア教及び聖騎士はあなた方の商業活動にまで口を出すつもりはありませんよ。詐欺や恐喝まがいの事をしているのでしたら問題ですが、あなたはそのような事はなさらないでしょう?」
「そ、それはもちろん!」
「そうでしょうそうでしょう。ただあなたが炭鉱を欲しがっているのであればそちらへ足を運ぶことも多いのでは?」
「それは、まあ。今は炭鉱を掘り当てたここの人があそこに住んでますから、ねぇ?」
「ですよねぇ。それでですね、異常は炭鉱付近で多発していると聞きます。それならば何度も足を運んでいる方ならば異常と実際に遭遇したこともあるだろうと」
「ああ、それはそうですな」
「つまりですね、我々は実際にどのような異常と遭遇したのかをお聞きしたいのですよ。やはりどんな異常があったのかは実際に遭遇した人に聞くのが一番わかりやすいですから」
優しい微笑みを湛えたままに話し続けるクレアに対してヤムクはようやく緊張がほぐれて来たのか軽く安堵の笑みなど浮かべて頭を掻く。
「そ、そういう事でしたら、お役に立たせて頂きますけどもね、ええ」
そうしてヤムクが語ったのは、ほとんどがこれまでの焼き直しだった。
「そう、あの、炭鉱の、洞穴ですね。あそこに話をしに行った帰りですよ。巨大な熊みたいな、何かまでは分からなかったんですけどね? そんなのが現れて、もう怖くてなりふり構わず逃げ出した事もあるんですよ」
巨大な熊のような生物が現れたのは村人たちとの話を終えた後という図った様なタイミングだ。ロサの考えが正しいとすれば話をしている間に他の者がこっそりと抜け出して待ち伏せをしていたという事になるだろう。
「そうそう、山の中で妙な音も聞きました。すごい音で、何かが破裂したみたいな、びっくりしてすぐ逃げちゃいましたけどね」
破裂音の元が箱であるという事実には彼も言及しない。現状、それに唯一言及しているサンクト達は少々怪しいという考えは間違ってはいないのだろう。
「それと光が空を走ってたんですよ」
僅かに、その言葉にクレアとロサだけが眉を顰める。しかし二人共感情を隠すのに慣れているようにすぐさま普段の表情へと戻る。
「光が、ですか? ちょっと詳しくお聞きしても?」
「なんか、こう、ビュンって、空を走って行ったんです、光が」
「それは何時ごろで?」
「夜ですよ。話し合いが全然進まなくて下山が遅くなった日があったんですけど、ふと空を見上げたら光が走って行ったんです。あれは間違いなく異常ですよ!」
「ちなみにどのような色でした?」
「緑っぽかったです。ね? 変でしょう? 異常でしょう?」
「確かにそれは異常ですねぇ」
クレアは興奮気味に話すヤムクの言葉を受け流しながら横目でロサに視線を送る。彼女はそれに対してただ僅かに頷いた。それを確認したクレアは内から湧き上がる怒りをどうにか面に出さないよう無意味に腹部に力を入れるなどし前を向く。
「お待たせしました~」
その時にミリィが戻って来たのは実に好都合だったと言えるだろう。配られるお茶のおかげで一息ついてそれまでの感情を一旦リセットする事が出来たのだから。
「その他にはどうでしょう?」
それでクレアはもう少しだけ会話を続ける事を選択したのだが。
「後はですねぇ―――」
後の会話にさして聞く価値は無かったという事だけは確かだ。
ヤムクから十分に話を聞き村長の家を後にした一行は一旦教会の方へと帰還することに。今回の聞き込みで得た情報を整理する為だ。牧師は畑仕事を手伝う為に外出しているようでひとまず部屋を借りて彼らだけで話をすることに。
しかしながらクレアとロサはそれぞれどこかやる気無さそうに溜息をついたり机に突っ伏したりしている。
「あの、お二人共大丈夫ですか?」
ミリィは心配そうに二人の事を見つめているがそのような心配は不要だろう。二人共決して体調が悪いわけでは無いのだから。とはいえクレアも人に心配を掛ける事が本意であるはずも無い。ゆっくりと顔を上げると仁王立ちのまま鎮座しているゼノの方を向く。
「ゼノ様、今回の件についてどう思われますか?」
ひとまず伺いを立てたのは正式な聖騎士であるゼノが彼にとっての上司に当たるからだろう。まずは上の意向を聞いて、それから自分の意見を話すのが事をスムーズに進めるやり方だと知っているのだ。今回に関しては、相手が悪かったが。
ゼノはしばらく黙り込んだまま考え込む素振りを見せ、それから泰然自若とした話しぶりで、
「自分の意見は貴殿らの参考にならないだろう」
とだけ言った。
内心クレアはそれはあなたがろくに考える気がないという事を宣言しているだけだろう、と思ったがそれを口に出す事は無い。もしもあの体躯の人物に激昂され殴られでもしたらどれほど鍛えていたところでただでは済まないのだから。
それで彼は、
「では僭越ながら、僕の考えについて話させて頂きます」
と前置きをして話し始める。
「カルゴーネは異常が多発しておりその解消の為にオルディア教の聖騎士が動いているわけですが、どうにもこの異常の数々はきな臭いものがありますね」
「えっと、きな臭いっていうのはつまり……」
「人為的なものである可能性が高いという事です」
つまりクレアはロサの考えが正しいと考えているのだ。
「まず巨大な熊のような生物ですが、洞穴前の熊の毛や商人ヤムクが彼らと話した帰り道に遭遇した件、更には具体的な被害が出ていないなど状況証拠が多過ぎます。無論、我々はまだあの山の中を調べ切れていないので断定は出来ませんが……、炭鉱の住民達が作り上げた偽の異常の可能性は高いですね」
「ランド達がそんなことを……」
ミリィは同じカルゴーネの住民がそのような事に手を出した可能性が高いと聞いてショックを受けているようだ。しかしそれでも、彼らがやっていないと言い張らないというのは、やるかもしれないという疑いを持っている証左だろう。その反応を見てクレアはより確信を強めて行く。
「第二に突然鳴り響く音ですね。こちらは、熊の方ほど断定は出来ませんが十分に可能性はあります」
「個人的には火薬の匂いがしたのは怪し過ぎると思うけどねぇ」
「というと?」
「炭鉱について調べた事のある人間なら知っていると思うけど、炭鉱内は火気厳禁なんだよ。初めの頃には硬い岩盤をぶち抜こうと大量の火薬が使われた事もあるそうだが、どっかーん!」
「わっ!」
唐突に叫んだロサにミリィは思わず驚きの声を上げクレアもまた思わずのけぞる。
「想像以上の大爆発だ。折角掘り進めた坑道は全て崩れてぱあだよ」
「それは……、恐ろしいですね」
「それ以来火の気があるものは炭鉱内に持ち込まないのが常識だ。カルゴーネの住民はともかく、彼らよりも知識がありそうなサンクトがその匂いをさせるのは違和感があるね」
「成程……。まあ考慮には入れておきましょう」
クレアはロサの豊富な知識はどこから来ているのかと疑問に思うが、そもそも異常の研究などしているおかしな人間に対して問うのは今更かと考えるのをやめる。
「そして空を飛ぶ火の玉の件ですが」
そこまで言ってクレアは頭を抱える大きく溜息をついた。
「あれはもう、ねぇ」
ロサもそれを受けて半笑いになっている。
「どうかしたんですか?」
ミリィは二人の様子に首を傾げ、ゼノはただただ彼らの様子を見つめていた。
「あれはもう、分かりやす過ぎます」
「これに関してはほぼ間違いなく、あの商人、ヤムクが犯人だね」
「えっ!? そうなんですか!?」
驚くミリィを見て、こうも純粋だと少々生きづらく無いだろうかと思わずクレアは同情してしまう。なにせあれほどわかりやすく態度で示してくれたのだから。
「先程のヤムクの態度を見たでしょう。非常にわかりやすく他の異常よりもあの火の玉、もとい光に対して反応していました。まるでそれを本物の異常と思って欲しいかのように」
「いやぁ、正直笑いそうだったよ。丁寧に説明してこんなにおかしいでしょ? 間違いなく異常でしょ? って。話をしてるのが私だったら堪え切れなかっただろうね」
「そ、そうなんですか? 確かにそう言われて見たらちょっとあの時だけうるさかったなとは思いますけど」
「要するにあれは自分で偽の異常をこしらえてそれが聖騎士にも異常だと認定されれば、他の連中がびびって手出し出来なくなるとでも思っているのでしょう。人為的な異常なのだとすれば、それが解消されたところで再び引き起こすのは簡単ですからね」
聖騎士がいる間だけ大人しくすればその異常は既に解消されたものだと勘違いさせることだって不可能では無い。後は一行が帰った後に再びその手で異常を引き起こせば聖騎士ですら完全には解消することが出来なかった異常へと格が上がるでは無いか。もっとも、それはあくまでも聖騎士たちの目が節穴であった場合に限るのだが。
さてそういうわけで実に三つもの異常が人為的に起こされている可能性がある。それを知ったミリィはどこか不安そうにクレアたちを見た。
「じゃあカルゴーネで起きていた異常は、全部あの人たちが起こしたものなんですか? オルディア教はきっと、それを許してはくれないですよね……」
もしもここで起こった異常の数々が全て人の手で起こされたものだとしたら、その先はどうなるのだろうか。ミリィにはそれが分からない。だが、少なくとも、聖騎士を擁し異常を解消する事を旨とするオルディア教がそれを引き起こした者達を放置する事は無いだろう。
「オルディア様の教えは、人々に秩序と平等を説いていて……。牧師様は言ってました。富める者も貧しき者も同じ人なんだって。彼らは互いを敬って自らの慈悲を相手に与えるべきなんだって……。でもランド達や他の人たちは……」
クレアはミリィにどういう言葉をかけるべきか知恵を巡らせている。少なくとも、ここまで同行している中で彼女は少々思い込みが激しく少々激昂しやすい所こそあるものの、その基本は善良な少女に過ぎないことを理解している。
彼女はきっと同じカルゴーネの住民やそこにある炭鉱を狙う人々がこのような事を起こすなど考えもしなかっただろう。人々が己の欲望の為に他者を蹴落とす事など考えもしなかったのだろう。信仰篤きその心は素晴らしいが、それ故に現実の厳しさを知った彼女にどう声を掛けるべきなのかが分からない。
ロサもまた言葉に詰まっている一人だ。彼女は異常の研究者として様々な事を調べこそして来たが、そこに人の信仰が崩れそうになった時にかける言葉などありはしない。
せめてこの場に牧師が居れば、そんな事を二人が思った時。
「欲に塗れてはならぬ。それは自らを傷付ける事になるだろう」
不意に、声が響く。それは兜の中から発された声だ。クレアはすぐに気付いたが、それはミリィが言っていた言葉の続きだ。オルディア教の聖典に記されている一説。
「オルディア神は人々が持つ富に差があろうと彼らは平等である事を、互いに敬い慈悲を与え合う事こそが大切なのだと説いた」
「……はい」
「そして彼らが欲に塗れ慈悲を忘れた時、それは自らを傷付ける事になるとも」
「では、オルディア神は彼らをどうするのでしょう?」
ミリィはゼノを真っ直ぐに見据えてそれを尋ねた。クレアやロサはすぐさま恐ろしい結末を思い描いき聖騎士の姿をその目に写す事すら恐れた。かつて一人の聖騎士が行った蛮行、一つの町が消えた恐ろしい出来事が再び起ころうとしているのかもしれない、と。
ゼノは、一歩前へと歩み出る。クレアとロサは恐怖のあまりに息すらまともに出来なくなりそうになっている。しかしミリィは変わらずゼノを真っ直ぐに見据える。或いはそれは、彼女がかつての出来事を知らぬが故なのかもしれない。しかし彼女の瞳を、その瞳に宿る力強い光を見て、兜の中で一人の男が柔らかな笑みを浮かべていたことを誰も知る事は無いだろう。
「オルディア神は何もしない」
「……何も?」
「そしてオルディア教が信徒である貴殿が示すべきは慈悲だ。彼らを正しき道へと導けるように慈悲を示すべきだろう」
ミリィはその言葉に大きく息を吸って、力強く吐き出す。その背を丸めて、拳に力を籠める。
「そうですね。あのわからずや達に正しい道を教えてあげないと」
そして彼女は顔を上げるとゼノの方に拳を突き出した。その意味が分からないのか困惑した様子のゼノを見て、
「そういう時は拳を合わせるんですよ」
クレアが横から口を出す。鎧に包まれた拳と小さな少女の拳が触れ合い、ミリィはどこか晴れやかな笑顔を見せていた。
話し合いも一段落し、ミリィが自分の持つ信仰の深さを熱くゼノに語っている最中。その熱気に付いて行けず部屋から出た者が二人。
「おやおや、従騎士ってのは聖騎士様に付いてないといけないんじゃないのか?」
「ここで何をしろと? 少なくとも今は何も必要ないでしょう」
クレアとロサは互いを見つめ合い、或いは睨み合い、互いに何を考えているのか推し量ろうとしているかのようだ。やがてロサはにっ、と笑みを浮かべ、
「少し風に当たらないか?」
と外を指差す。
日が傾き始めたその場所は徐々に霧も出始めて非常に視界が悪い。二人は教会の外壁をぐるりと裏手へ回る。それはまるで人に聞かれたくない話でもするかのようだ。
「よっ、と」
ロサが何も無い地面に座り込むのをクレアはまるで異邦人を見るかのような目で見つめる。土に手を付いて霧に覆われてろくに見えもしない空を眺める彼女は、クレアにはおよそ理解し難い生き物だ。
「それで、何の用ですか?」
クレアは特別この後にやるべきことがあるわけでは無かったが、ここで時間を潰す為だけにロサと二人になるのが嫌で用件を尋ねた。既にロサの性格はある程度分かっており、こんな場所に誘ったのも何か話したい事があっての事だと理解していたかrだ。
「君は話が早くていいね」
ロサのその言葉にクレアはただ溜息をつくばかりだ。彼女はそんなクレアの気持ちを知ってか知らずか楽しそうに笑っている。
「まあ話をしたくてここまで来たのはそうだし早く要件に行くとしようか」
「そうしてください」
「虐殺騎士」
その単語を聞いてクレアは思わず固まる。
「あの聖騎士がそうなんだろう? 名前を聞いた覚えがあるよ」
クレアはただ歯を噛み締めて思う、気付いていたのかと。今思えば自分がゼノの名前を呼んだ時に妙な反応を見せていた、それは虐殺騎士であることに気付いたからだったのだろう、と。
「やっぱりね。しかし、だ。てっきり私はカルゴーネが廃墟になるのかと思っていたよ」
カルゴーネが廃墟になる、彼女がそう思ったのは決しておかしなことではない。
「ソルドゥムの悲劇が繰り返されるのかとね」
なぜならば、かの虐殺騎士ゼノは以前に町を一つ滅ぼしたのだから。
虐殺騎士。それはとある一人の聖騎士に与えられた名だ。その者は一つの町を廃墟に変えた。
「ソルドゥムの悲劇ですか」
クレアは当然その話を聞いたことがある。聖騎士を目指すからには聖騎士がこれまでにどのような事をして来たのかは当然に勉強して来ているのだ。その中でも一際異彩を放つ出来事こそがソルドゥムの悲劇。
「君は従騎士だったね。それならば私よりもあの件については詳しいんじゃないか? 詳細を聞いてみたいものだが」
「……あなたが知っている事以上の事は僕も知らないとは思いますが。まあ、知識の共有ぐらいはしても良いでしょう」
ソルドゥムの悲劇、それは現在からおよそ十二年前に遡る出来事だ。
「ソルドゥムというのが町の名前だという事は知っているでしょう?」
「ああ、そのぐらいはね」
「僕は行ったことがありませんし詳しくは知りませんが、当時にしては先進的な町だったそうですよ」
ソルドゥムは特別目立って有名な産業は無かった、というよりは彼らはより先進的な試みへの投資をしていたのだろう。例えば町の入り口には精密な金属加工を目指し技術を磨く者が工場を作り、その少し先には新しい染料の開発の為に多種多様な植物を集める織物工がおり、また路地を曲がれば製本技術について喧々諤々の言い争いをする者が屯していた。
「あそこで多くの技術が生まれ、様々な場所に広まって行ったと聞いています」
「らしいね。私の持っている手帳もソルドゥムが産んだ製本技術が作り上げたと聞くよ。しかし私が聞きたいのはあそこがどんな町だったかでは無い」
「……でしょうね。しかしまあ、ソルドゥムの悲劇については本当に詳しくは知らないんですよ。ただ」
クレアは唇を噛みその先を言い淀む。
「ただ?」
しかしロサは当然先を促した。クレアはちらりと背後を、教会の壁の向こうにいるであろうゼノの方を見た。
「想像を絶する恐ろしい異常が発生し、その結果町の住民は一人の聖騎士によって全て殺された、と」
聖騎士とは本来異常から人々を守る盾となるべき存在のはずである。無論、異常の様態によっては住民の生活を妨げざるを得ないこともあるだろう。例えば建物に紐づいた異常が起こった時、その建物を破壊することで異常の解消を図る事がある。一時的にその家の主は住居を失う事になるかもしれないが人命を守る事を考えれば致し方ない部分はあるだろう。
しかしソルドゥムにおいては守るべき人命をたった一人の聖騎士が全て殺したというのだ。ソルドゥムで起こっていた異常などよりもその事の方が余程の異常事態と言えるだろう。故にその事に及んだ聖騎士はこう呼ばれる、虐殺騎士と。
「その想像を絶する恐ろしい異常については何か聞かされていたりは?」
クレアはその問いに対して首を横に振る。もしもそれを知っていたならばゼノが虐殺騎士と知ったところで従騎士が彼を恐れる事は無かったかもしれない。しかしその時に何があったのかは教会内でも言及が避けられている節がある。
「僕はこれまで、教会がソルドゥムの悲劇や虐殺騎士について深く教えないのはその裏に不都合な真実があるからだと思っていました」
「……因みにどんなものか聞いても?」
「虐殺騎士ゼノは自らの快楽や任務とは関係の無い理由で人々を殺し、それを教会が隠蔽しているのではないか、と」
「聖騎士を目指す人間がそんな事言っていいのか?」
クレアはその突っ込みに対して何も答えない。それはつまらない突っ込みに呆れたわけでなく、既にその事については自分の中で一つの決着がついているかのようだ。故に返事はせず逆に彼は問い返す。
「ロサさん、あなたはゼノ様をどう思いますか?」
「私に聞くのか?」
「ええ。他に誰もいませんから」
問われる側に立ったロサはしばらく答えるのを渋るように視線をぶらぶらと移動させ、それでもじっと見つめて来るクレアの姿にようやく観念したかのように口を開く。
「最初にゼノの名前を聞いた時は、正直驚いたさ。異常について研究している中でソルドゥムの悲劇や虐殺騎士については耳にしたことがあったからね」
「……今は、どうです?」
「……本当にあの男がソルドゥムの住民を一人残らず殺したのか疑わしく思ってるよ。あの鎧の中身が何を考えているのか推し量るのはあまりにも難しいが、しかし、ねぇ?」
本来なら何の同意を取りたいのか分からないと一蹴してもよいその問いに、しかしクレアはただ頷く。ミリィに聖典の一節を説いたあの男は本当にソルドゥムの悲劇を引き起こした虐殺騎士と同一人物なのだろうか。
「或いは、同名の別人という説や、十二年も前の出来事なので心境が変わったという事なのかもしれませんよ」
「それならそれで偽名でも名乗ればいいだろう? なぜ彼は馬鹿正直にゼノを名乗る」
ロサの反論にクレアは押し黙る。結局、この時に彼らの疑問が完全に解決されることは無かった。ただ奇妙な謎を残したまま話を終えることしか出来ないのだ。無論、彼らにはその疑問を解明する最も簡単な方法が一つある。本人に直接尋ねるという最も単純明快で確実な方法が。
しかし、彼らにその勇気はまだ無いようだ。




