3.
カルゴーネの小さな教会を聖騎士の一行が出て行く。案内役のミリィを先頭にゼノ、クレア、ロサがその後を付いて行く形だ。クレアとロサの二人は強い警戒心と共にこの先に待ち受けているかもしれない異常に目を光らせていた。
一行は村に広がる畑の間を通り抜けて進み、次々と人家が後方の霧の中へと消えて行く。前方には木々の生い茂る山があるのだが、その詳細は霧に覆われて見えない。
「正面の山の上の方に一部分だけ木が切り倒されて山肌が見えるところがあるんです。そこがランドが炭鉱を掘り当てた場所ですよ」
その言葉の内には怒りが滲み出ている。クレアはランドというのが恐らく炭鉱を掘り当てた者の名だろうと想像し、そこに込められた怒りを見るにこんな場所は本来なら頼まれても来たくはなかったのかもしれないと思う。或いは、特別こちらから頼んだわけでも無いのについて来たのはこの機にその怒りをぶちまける良い機会だと思っているのかもしれない、とも。彼女の中には聖騎士を味方に付けて自分の意を通そうという魂胆があるのかもしれない。
しかしクレアは炭鉱の利権に関してはそもそも自分たちの管轄外であると認識している。自分たちは異常の解決に来たのであってそれ以外の問題に首を突っ込む理由は無い、と。
このことに一つ問題があるとすれば、炭鉱の周囲を見て回るというのはそれだけでこの場の利権を狙う者達を刺激してしまうという事だろうか。ミリィの案内でさえこれから向かう炭鉱に居を置く村人たちを刺激してしまうのかもしれないが今更帰れなどと言うわけにもいかない。この先の事を考えると既に胃が痛いのだろう常に渋い顔をしている。
そんな彼らが最初に見つけた人影は。
「……彼らが例の村人ですか?」
「……いえ」
荷車に大量の荷を積んで山を登る男たちだ。彼らはミリィと違い町で流行の服を着てえっちらおっちら山を登る。自身の身長より高く積まれた荷物を見てクレアはよくもまあこんな場所にそんな大荷物を持ち込んだものだと感心し、
「あー、ちょっとよろしいですか?」
ひとまず彼らに声を掛ける。
振り向いた男たちはその洒落た服装には似合わぬ強面でどうにもちぐはぐとした印象を受けながらも会話を始めようとしたクレアだったが、相手はどうもそのつもりはないらしい。
「なんだぁ? どこのもんか知らねえが俺らに何か文句でもあんのかぁ?」
一言目から威圧的な態度で睨み付けるその男に思わずクレアは怯みそうになる。が、彼とて従騎士として様々な訓練を積んで来た身だ。すぐに呼吸を整えて、僅かに芽生えた怒りを隠し冷静に対応を始める。「いえ、そんなつもりはありませんよ。ただいきなりそのような喧嘩腰で来られては何かしようとしているのだと思われても仕方ないと思いますが」
本来なら冷静な対応をするつもりだったのだが、売り言葉に買い言葉というか、出て来た言葉は相手を挑発するような言葉だ。クレア自身、そんなつもりではなかったと言い訳を心の内でしていたが、こればかりは隠し切れない彼の心根なのだろう。
「てめぇ! 馬鹿にしてんのか!?」
一触即発、その気配が漂い後方に控えていたゼノがその手を腰に刺してある剣に据えた時。男たちの一人が目ざとくそれに気付き、またその鎧騎士が素性に気が付く。
「やめろ。落ち着け」
そしてすぐさまその男は前に出てクレアと睨み合いをしていた男を手で制した。
「あぁ!? 何で」
「オルディア教の聖騎士様とは知らず無礼を働いた。うちの連中はどうにも荒っぽい奴が多くて申し訳ない」
「聖っ、騎士っ!?」
その言葉でようやく男たちは目の前の一団の正体に気が付く。オルディア教は信徒も多く、またその規模故に政治的な発言力も強い。その上ここにいるのは幾つもの異常を解決に導いて来たオルディア教が抱える力そのものである聖騎士だ。たとえどんな荒くれであっても喧嘩を売る事など出来はしない。
先程までの態度もどこへやら後ろに下がって身を縮める男の姿にクレアは溜飲を下げつつ、元々彼らを呼び止めた目的を思い出し話を戻す。
「失礼。我々はお察しの通りオルディア教の聖騎士様とその協力者になります。ここへ来た目的は当然、この場において頻発しているという異常の解決です」
「……まさか聖騎士様が出張って来るとは思わなかったな。俺はこの一団のまとめ役をやっている、サンクトだ」
「サンクト……?」
その名には聞き覚えがあった。後方で控えていたロサに目配せをすれば彼女はその意図を察して頷く。炭鉱の利権を巡ってはカルゴーネの住民と、旅の行商人、そして隣町の有力者の三者が争っていた。そしてその隣町の有力者の名こそが、サンクトである。
クレアは僅かに悩んだが、その事実を知っている事を隠す事に決めロサに目配せする。彼女は自身が羽織っていたコートを脱いでミリィに被せた。
「実は我々はまだこの町に着いたばかりで異常の詳細もまだ分かっておらず、炭鉱に出入りしている人たちへの聞き込みをしているところでして。よろしければお話をお聞きしても?」
「構わない」
「ありがとうございます。あなた方は炭鉱には頻繁にお越しに?」
「そうだな。炭鉱が掘り当てられた経緯は知っているか?」
「カルゴーネの住民の方が掘り当てたとは聞いています。失礼ながらあなたはカルゴーネの方ではありませんよね? そのような洒落た服はこちらでは取り扱いが無いと思いますが」
「聖騎士様はどうやら鋭い洞察力もお持ちのようだ。その通り、俺達は隣町のユルスに住んでいる」
「それがどうしてここへ?」
「炭鉱は金になる。掘り当てたという住民達と交渉して炭鉱の権利を譲ってもらおうとしている」
「ああ成程。では今日も交渉に?」
「そうだ。そこの荷は交渉に際して我々がこの町に十分な利益を約束できるという事を示す為に持って来たものだ」
「成程。……ちなみに交渉は上手く行きそうなので?」
「今のところはまだ成果は得られていないが、いずれは炭鉱を手に入れるつもりだ」
「力強いお言葉ですね。自信に溢れているのが伝わって来ますよ」
サンクトはクレアのそんな世辞のような言葉を聞いてもまるで表情を緩める事は無く、寧ろ自分たちの事を詳細に尋ねる目の前の相手を睨み付け強く警戒しているようだった。
「……一応聞いておくが、まさか聖騎士様は我々の正統な交渉を邪魔するつもりは無いだろうな?」
「というと?」
「オルディア教は巨大な宗教であり組織だ。であれば、当然資金源は必要になる。つまり異常の解消を隠れ蓑にしながらこの炭鉱を手に入れようとしているわけでは無いのか?」
それは非常にわかりやすい牽制だ。炭鉱の利権を得るのは自分でありたとえ聖騎士やオルディア教が相手であってもそれを譲るつもりはないという。もしもクレアとゼノの任務に炭鉱の利権を得るという目的が僅かでもあったなら彼はその強大な壁になっていたことが予測されるが。
「いえ、我々はあくまでも異常を解消することが目的です。炭鉱の利権に関しては当事者同士の交渉で決めて頂ければと思います」
幸い、彼らは炭鉱が誰のものになろうと興味は無い。少なくともそれは異常とは何ら関係のない事なのだから。
「そうか、それを聞いて安心した。他には何か聞きたいことはあるか?」
「あ、それは勿論。異常についてですが―――」
それからクレアはサンクト達が遭遇した異常について幾つか話を聞いたが、それは牧師から聞いたものと大差はない。巨大な熊のような生き物を見ただとか、夜の空に強く光る火の玉のようなものを見ただとか、爆発音を鳴らして消えた箱を見ただとか。その間、ロサはふらふらと適当に人を捕まえては話を聞いたり世間話をしたり荷車の中身について話を聞いたりしており、ゼノとその後ろにいるミリィはただその様子を見つめている。
「なるほどなるほど、参考になります」
「異常の解消が目的ならなるべく早く頼むぜ。炭鉱が俺の物になったらすぐに石炭を運び出したいんでね」
「ええ、勿論。迅速な異常の解決は常に我らの為すべき事ですから」
そのような会話の後、一行は荷車を運ぶ彼らをおいて先へと進む。そしてサンクト達が見えなくなったところで。
「もういいですよ」
ずっと黙り込んでいた、というか喋らないように厳命されていたミリィが口を開く。
「何なの、急に……」
彼女はロサに着せられたコートを返却しながら非常に不服そうに呟く。
「あの男に余計な警戒をさせたくはありませんでしたからね」
「どういう事?」
「炭鉱利権を巡っては対立が激しいですからね。我々は巻き込まれないようあくまで中立の立場を保ちたい。ミリィさんが一緒に居るとばれると我々が村人の肩を持っていると思われる可能性がありましたので」
サンクトは非常に警戒心の強い男だった。彼らがオルディア教の聖騎士の一団と知ってもすぐには警戒を解かず自身の利益を侵害して来る可能性を排除しようと試みていたのだ。もしも村人に肩入れしている可能性が僅かでも確認されたなら、異常に関しての話も今ほど聞けたかは分からない。
「まあ、異常に関しての情報は然程目新しいものもありませんでしたけどね。ひとまず早いところ炭鉱のカルゴーネ住民のところまで行きましょうか。のんびりしているとサンクト達に追い付かれそうですしね」
先に続く道を見上げる。石炭が出たというのは頂上付近らしく、まだ先は長い。
しばらく登り続け山の頂上が見えて来た頃、ミリィが道を少し脇に逸れたところにある洞穴を指差す。
「あの洞穴に炭鉱に来たみんながいるはずです」
どうやらそれは炭鉱に居座る村人たちの居住スペースとなっているらしい。そう言われて見れば周辺の木々は倒され地面が均されて整えられているのが分かる。入り口付近には荷車も置かれており誰かが住んでいるのは間違いないようだ。
「では行きましょうか」
「ああ」
一行は洞穴の方へ近付きひとまず中にいるであろう誰かに声を掛けるつもりだった、のだが。
「わっ!?」
突然ミリィが前のめりに転んでしまう。
「大丈夫ですか?」
すかさずクレアが彼女に手を貸しに行ったのだが、思わず足を止めた。
「……紐?」
足元、丁度人が足を引っ掛けそうな高さに合わせて紐が張られている。ミリィが転んだのもそれに足を引っ掛けたからだろう。そしてその紐が繋がる先を追って行くと。
「洞穴に繋がってますね」
その先は洞穴の中へと消えて行っている。それが何を指し示すのかは想像するまでも無い。
「どうやら炭鉱のカルゴーネ住民は警戒心ばりばりのようだ」
ロサが頬を掻きながらそう言った。正しく彼女の言う通りで、どうやら彼らはこの洞穴に何かが近付いて来るのを過剰なまでに恐れているのだろう。それは炭鉱を奪われまいとしての事か、或いはそれ以外にも理由があるのか。
それは、手につるはしを持って出て来た男に聞くのが手っ取り早いだろう。
「ごほっ、ごほっ。ふぅ、何だあんたらは」
警戒を顕わにして鋭い目付きで一行を睨むその男は返事次第では物騒な手段を用いる事も辞さないと言わんばかりの気配を漂わせている。しかしそれだけではない、後方の洞穴には手に武器を持った男たちが何人か控えている。クレアとゼノは衝突も覚悟し武器に手をかけていたが。
「何だじゃない!」
ミリィが発した大声にその場の全員の気勢が削がれた。
「あ、あぁ? けほっ。ミリィじゃないか、何やってるんだ」
「それはこっちの台詞! 何なのこの紐! 痛かったんだけど!」
「いや、それは」
「それに何なのその態度は! この人たちはオルディア教の聖騎士様の御一行で異常を解決しに来てくれたんだよ! 何偉そうにしてるのよ!」
「え、聖騎士様……?」
男はミリィに気圧されながらも改めて一行の風体を確かめ、すぐにオルディアの紋章が入った鎧に気付く。そこからは話も早く警戒態勢も解かれてすぐに洞穴の前に人数分の椅子も用意され話し合いの場が持たれることとなった。
「聖騎士様たちをこんな場所で迎える気?」
ミリィはまだ不満そうにしていたが。
「馬鹿言え、中はろくに身体を洗えてもない俺達が住んでるんだ。こっちより汚えんだよ」
男のそんな訴えを聞くと渋々引き下がるのだった。
「え~、失礼ながら。カルゴーネの住民の方ですよね」
「ああ。俺はランド。この炭鉱を掘り当てた一人だよ」
彼こそが先程名前だけ聞かれた炭鉱を掘り当てた立役者、ランドその人だ。
「こいつがどっかから炭鉱で一山当てたって話を聞いてみんなを口車に乗せたんです」
「そんな言い方ねえだろ! 実際に石炭は出たじゃねえか!」
ミリィからの評判頗る悪いが、彼こそがカルゴーネに炭鉱をもたらした張本人だ。それが理由か彼の炭鉱への拘りはかなり強いようで、その姿を見れば不衛生な場所で気を張りながら何日も過ごしている事は誰の目にも明らかだが、それを理由に山を下りるつもりは全く無いらしい。
「まあまあ、申し訳ありませんが炭鉱の話はまた今度にして頂けると」
「あんたらは石炭には興味ねえのか?」
「全く無いと言えば嘘にはなりますが、我々の目的はあくまで異常の解消。炭鉱に関してはあくまでも当事者間で話し合って頂ければと思います」
クレアはサンクトに言ったのと同じような言葉をランドにも告げる。彼はしばらく睨むように一行を見つめていたが、やがて大きく息を吐いた。
「まあ、オルディア教の騎士様を疑ってもしょうがないか。で、こんなとこに来たからには、けほっ、けほっ。と、悪いな、ここまで来たのは異常の話を聞きたいって事でいいのか?」
「ええ。カルゴーネの炭鉱付近で無数の異常が確認されているとの話ですからね。実際にこちらにいる方に聞くのがやはり間違いのない手段と思いまして」
一瞬、ランドは視線を地面に向けて何か考えるような素振りを見せた。クレアはそれを疑問には思ったが。
「わかった。そういう事なら異常に遭った連中を呼んで来る。ちょっと待っててくれ」
直後に示された協力の態度に深く考えるのをやめた。おそらくはまだ自分たちが真に信頼を得られてはいないだけなのだろうと適当に理由を付けて。
そこからは話が早く、ランドが連れて来た数人の者が自分の出会った異常について色々と語るばかりだ。夜中に妙な音がしてその音の鳴る方へ向かっていたら突然大きな音がして逃げ帰っただとか、真夜中に木々の間を抜けて行く火の玉を見ただとか、巨大な熊に襲われて逃げ帰っただとかだ。
「ごほっ、ああそうだよ。でっけぇ熊がよ! ごほっごほっ、こう、腕を振り上げて襲って来たんだ! 木も薙ぎ倒されちまって、すげぇ力だったぜ」
「なるほどなるほど」
クレアは話を聞きながら、はずれだなと心の内で呟く。ここで聞いた話は牧師やサンクト達から聞いた話とほとんど変わらない。つまるところ新たな情報がまるで無いのだ。或いは無駄足だったかもしれないとここに来たことを彼は後悔し始めていたのだが。
「どうもさっきから咳の音が多いねぇ」
不意にロサがそんなことを言っているのが聞こえた。そう言われて見るとランドやさっきの熊の話をしていた男、それに他の者の中にも咳をしている者が少なくない。
「村にいた時はそんなこと無かったよね?」
ミリィがランドに尋ねると、彼はバツが悪そうに視線を逸らす。
「いや、これは……」
「もしや炭鉱で過ごし始めてからでは?」
ロサの問いに彼はただ無言で顔をこわばらせ視線を逸らした。
「もしかして……、その咳も異常って事?」
ミリィの問いに答える者はいない。それはその事を自覚しながらも彼らがここに留まり続けていたことを示唆している。それが、彼女の怒りの琴線に触れたのだろう。バンッ、と椅子を強く叩き彼女はその感情の高まりを示す。
「だから言ったじゃん! こんな事やめろって!」
彼女の言葉に炭鉱の住民達は思わずたじろぐ。
「炭鉱が掘り当てられて、みんな欲に目が眩んでさ、それまでの生活を捨てて山に籠って、何が手に入ったの!? ずっと苦しい生活して、この辺りは異常が増えて、ついには身体にまで! こんなことして何になるのよ!」
「いや、俺達は……」
「都合のいい夢ばっか見て何になるの!? 少しは現実見てよ!」
ミリィの、まだ二十歳にも満たない村娘の言葉にランドを始め炭鉱に籠っていた住民達は言葉を失くす。確かに彼らは夢を追って現実を蔑ろにしていたのかもしれないと、僅かな後悔が芽生えるのを感じているのだ。
村での暮らしは楽ではなかったかもしれないが、余程の不作でもない限りは日々を食うのに困らない暮らしは出来た。しかし炭鉱が見つかってからの日々はこれを誰にも奪われまいと籠り切りだ。食事は誰かが村まで取りに戻り、それ以外の時間は炭鉱を掘り進めつつ誰にもこの場を奪われないよう警戒し続ける日々。そしてその見返りとして得た物が身体にまで引き起こった異常だ。
一体誰がこんなものを望んだというのか。ミリィの言う通り、炭鉱は誰かに権利を譲り元の暮らしに戻る事が出来るのならその方が良いのかもしれない。そんな思いが彼らの中にも僅かだが芽生え始める。
が、そんな思いを刈り取ったのはこの話の切っ掛けを作った者、ロサだ。
「あ~、悪いけど、咳に関しては異常がどうこうという話では無いんだが」
「え?」
思わず、その場の誰もがロサの方を見る。
「より正確に言えば、確かにその咳は、異常の一つと考えられている場所もある。しかし私は研究の末にそれは異常では無いと断じたよ」
「何を言っているんですか、あなた」
この一件に関しては協力者であるはずのクレアが思わず突っ込みを入れる。それほどに彼らにとって彼女が言い出したことは唐突で意味不明だ。
「言っただろう。私は異常の研究を専門としていると」
クレアは思う。そういえばそんな話だった、と。あまりにもそれらしい所を見る機会が無かったので単なる現地民のような扱いをしていたのだ。ロサはそれを察したのか軽く睨んでいたがクレアはすぐに視線を逸らし素知らぬ顔をする。
「……ふう、まあいい。異常の研究をする中で私は様々な地を巡って来たわけだが」
言いながら彼女は羽織っているコートの中から小さくまとめられた手帳を取り出す。
「それは?」
「ここには私の研究の成果の一端が記されている」
淀みなく頁をめくる彼女の手はその手帳の中身をどれほど読み返したかの証であろう。そして開かれた頁には。
「ここに、他の鉱山における君達との類似の症状が記してある」
自然、皆がその手帳の元へと集うのだが、ゼノとクレアを除きすぐに離れて行く。
「おやおやぁ? 私の研究成果は隠すようなものじゃないんだ、もっとちゃんと読んでくれたまえ」
「いや……」
「なぁ?」
先程まで険悪だったはずのミリィとランドが顔を見合わせて気まずそうな表情を見せる。
「言いたいことがあればはっきり言ってくれたまえ」
「俺達、字なんか読めねえよ」
この時代、識字率はおおよそ五割ほどであり、その数字も実際には地方と都市で大きな差が開いていたようだ。カルゴーネの住民はほとんどの者が字を読むことは出来ず、牧師や村長など一部の者しか読むことは出来ないらしい。
「聖騎士様は字が読めるのか?」
「騎士になる過程では勉学も重要とされますので」
クレアは手帳に書かれた文字を読み込み、要約しながら内容を話し始める。
「ここには、三か所ほどの鉱山での記録が書かれていますね。炭鉱に限りませんが、しかし彼らは皆あなた方と同じように咳などの症状を訴えているようですね。基本的には長期間働いた労働者の方が症状が重く、中には咳が酷くて呼吸がままならず亡くなった方もいると」
その言葉を聞いて周囲がざわめく。確かに炭鉱に籠り出してから咳が出始めたのは気になっていたもののそれが命に関わる可能性までは考えていなかったのだろう。
「これはつまり命を落とす可能性のある異常という事ですか?」
「そうではない。続きを読んでくれ」
「え~、当初は異常の可能性も疑われていたこれらは……、調査の結果、鉱山の環境がもたらす病気の可能性が高い?」
「……それってどういう事? 異常とどう違うの?」
ミリィの問いにロサは僅か眉間に皺を寄せたように見えたが、それが気のせいだったのかと思う程すぐにいつも通りの表情へと戻った。
「異常とは、人知の及ばない何かによって引き起こされる常と異なるもの。ここで重要なのは、明確な原因が常に分からない、という事かな」
彼女の言う通り、異常とは原因不明の何かである。例えばカルゴーネへの道中出会った大蛇は何が原因でそうなったのかは全く分からない。しかし明らかに人の理解を超えたところにいる存在でありそれは異常と呼べるものだ。突然起こる大地の揺れも、抜け出せない回廊も、或いは人々に蔓延する咳の症状すらそれは異常であったかもしれない。
しかし。
「君達の咳には明確な原因がある」
ロサはそう断言した。
「クレア、次の頁を読んでくれ」
そう頼まれたクレアは若干自分が使い走りにされているようで気に食わなかったが、ひとまず話を進める為に手帳の文字を追う。
「えっと……、ああ、ここか。鉱山で働く人々への聞き取りによりある程度原因の絞り込みが完了。鉱山内に舞い散る粉塵こそがこの症状の原因であり、それを可能な限り吸入しないようにすることで症状の進行を抑えられる」
「ふんじん?」
ミリィは何が何だか分からないと言った表情を見せるが、炭鉱のカルゴーネ住民達は心当たりがあるのか動揺を隠せないようだ。
「確かに、石炭を掘る時にはすげえ粉が舞うけどよ。あれを吸ったらまずいって事か?」
「おそらく。あくまでも仮説段階ではあるが、粉塵を吸うのが嫌で口元を布で覆っていた者は比較的症状が軽い傾向があった。小麦の粉なんかもその辺を舞っているとくしゃみが出るだろう? 要するにあれが身体の中で起こっているんじゃないかと思うんだが」
ロサの仮説は後世にこの時代に粉塵が原因である事に言及していた点で大きく評価されることになる。粉塵がどのようにして身体に影響を及ぼすかの仕組みについてはいい加減なものであったが。
「なるほど、確かに」
「言われてみればだなぁ」
しかしこの場においてはカルゴーネの住民達にも確かな実感として理解できる仕組みを伝えたことが功を奏し、彼らに一定の納得感を与える事に成功したようだ。ただそうして自分たちの咳の原因を知り頷き合う住民と違い、ミリィとクレアはどこか脱力したようにロサを見つめる。
「あの……」
「結局、これは何の話で?」
妙に力を使ったこのやり取りは一体何だったのか、彼らにはそれが分からなかった。が、ロサは当然のように言う。
「単に咳の予防方法を伝えようと思っただけだよ。彼らは別に悪いことをしているわけでもないんだ。不必要に苦しむ必要は無いだろう?」
誰も文句の付けようが言い分だ。故に、クレアは思わずミリィの方を見る。そうだとすればそもそも話をややこしくしたのは彼女ではなかっただろうか。ミリィはそれに気付くと先程から黙り込んだまま山のように不動を貫くゼノの後ろへと隠れてしまった。
口々にどうやって粉塵を防ぐかを話し合う炭鉱の住民、満足気にしながら地面の辺りを眺めているロサ、威圧感だけは凄いゼノとそれに隠れるミリィ。それらを見ていると自分が何の為この場にいるのかを忘れてしまいそうでクレアはただただ溜息をつく。
こんな調子で本当に異常の解消など出来るのだろうかと、ただただ不安を心中に吐露するのだ。
下山、ひとまずは必要な話も聞けたという事で行きしとは違う道で山を下りて行く。
「どうしましょう。このまま情報を元に異常を探しますか?」
彼らが得られた情報の中には明確にここに行けば異常に遭う事が出来るというものは無かったが、それらはどれもこの炭鉱のある山の中で起こった事ばかりであり適当に山をぶらついているだけでもそれに遭遇することは出来るだろう。
「それで問題ない」
ゼノはクレアの提案に深く考える事も無く頷くが、
「いや、出来ればもう少し話を聞きたい」
その提案を拒む声が一つ。クレアは溜息交じりにその声の主に向き直る。
「ロサさん、一応、何か理由あっての事なんでしょうね? そもそもこれ以上誰に話を聞くつもりですか?」
クレアはこれ以上の聞き込みは無駄だと判断している。炭鉱に最も長く籠っている住民達やそこに足しげく通うサンクトに話を聞けたのだ、他に誰に聞く必要があるのか。また仮にそういう人物がいたとしてなぜそこには新たな情報があると思えるのか。
さっきは異常の研究者を名乗るだけあって少しは博識な面を見せてくれたとは言え、クレアは根本的にはロサの事をまだ信用し切っていない。彼女の提案をただで飲み込むことなど無いだろう。
対してロサはそういう返事が来ることを予期していたかの如く平然としたもので、返答を用意していたかのようにすらすらと答え始める。
「まず誰という部分から答えよう。と言ってもこの炭鉱にまつわる登場人物は大きく分けて三つしか登場しないだろう? 炭鉱を掘り当てたカルゴーネの住民、噂を聞き付けた隣町の有力者サンクト、残るは……」
「行商人ですか、炭鉱を手に入れようとしている」
ご明察、と言わんばかりにロサは指をパチン、と鳴らす。
「噂の行商人はカルゴーネに留まっているんじゃないかな?」
ロサはミリィの方に視線をやる。
「まあ、そうです。食料を幾らか貰ったので村長が家に泊めてやるって言ってました」
「やっぱりね」
何がやっぱりなのかと誰もが言いたかったかが、ひとまず話の続きを促すに留めたようだ。
「まあ、はっきり言ってしまうと、私はこの異常に関して、どうにも怪しい点が幾つも散見されていると思ってね」
「怪しい?」
「この異常は厳密には異常では無いのではないか、とね」
また妙な事を言い出したぞ、クレアは思わず顔を顰めて頭を抱える。
「またですか? あなたそればっかりですね」
「明確な根拠は無いが……、不自然に思わないかい?」
「何がですか?」
「牧師と炭鉱の住民は突然鳴り響く大きな音について言及していた」
「そうですね」
「サンクト達はその音が爆発音だと断定し箱についても言及していた」
「……それは、何かおかしいですか? その謎の箱こそが異常でたまたま彼らが目撃しただけでは?」
「牧師とサンクト達は巨大な熊のような生物について言及していた」
当然ながらそんな事クレアもゼノもミリィも、誰だって覚えている。
「炭鉱の住民は熊だと断定していたが」
「それがどうしたと?」
クレアが若干苛立った口調で詰め寄る。彼女の言葉は徒に結論を先延ばしにしているようで不愉快だったのだろう。それをロサも理解していたのか、次の言葉で極めて明確に結論を述べた。
「熊は住民達が、大きな音はサンクト達が用意した異常の可能性がある」
「はぁ?」
困惑するクレアに対してロサは追撃するように言葉を続ける。
「巨大な熊は毛皮が用意出来ればそれを繋ぎ合わせる事で用意するのは難しくない。薄暗くなってからならそれらを複数人で被り巨大な生物のように見せてもそうそうわかりはしないだろう
「それは、可能だというだけで……、証拠は」
「あの洞穴の周辺には動物の毛が落ちていた」
そう言ってロサは懐から茶褐色の、おそらく熊のものであろう動物の毛を取り出す。
「しかしあの洞穴に熊やその他の動物が出たと彼らは言っていたか? もしそうだとしたら何の対策もしていないのは不自然じゃないのか?」
クレアは自身が聞き込みをしている最中、ロサが洞穴近辺の地面を見つめて事を思い出す。今思えばあの時点では既に彼らに疑いをかけており何かしら証拠になりそうな物を探していたのだろうと合点が行く。
「教会には毛皮の絨毯があった。カルゴーネでは狩りも行われていて毛皮を様々な用途で使っていたのだろう。調達は難しくないはずだ」
「……確かに、寒い時期には毛皮の服で暖を取ったりもします」
ミリィの証言も合わさりいよいよ巨大な熊のような生物に関しては存在が疑わしく思えて来る。事実、そう言われて見ると不自然な事もあった。巨大生物の目撃情報はあるのにその具体的な被害に関しては何も無いのだ。登山の途中、それが通ったと思しき跡はまるで無く、襲われた動物の死骸などの話も出ていない。
「わかりました。巨大な熊が住民達が用意した可能性がある点は認めましょう。しかし音の方はどうなんです?」
「そちらは推論が多くて申し訳ないが、しかし彼らが箱の事や音を爆発音だと断定したのが少々気になる」
「というと?」
「彼らの荷物から僅かだが火薬の匂いがした」
そう言われて見るとロサは彼らの荷物について何やら色々と聞き回っていたはずである。その間に匂いを嗅ぐ事もあるだろう。そして火薬の匂いと爆発音、その繋がりは実にシンプルだ。
「つまり、その箱は彼らが用意した物で中に火薬が詰まっている、と?」
「ああ、どこかに仕掛けて人が近付いて来たら導火線に火を点けているのかもしれないね。あとは時間が来れば弾けて大きな音が鳴る」
「確かに、可能ではありますが……」
クレアは考える。ロサのもたらした情報が全て真実であれば、彼女が言った通りにそれらの異常は人為的なものである可能性がある。そして彼らには、それを行う理由もあった。
「炭鉱を手に入れる為に、そんなことに手を染めたと」
「あくまで可能性の話だがね」
クレアとロサは二人の間で通じ合ったように頷き合う。
「どういう事?」
それを傍から見ていたミリィはただただ首を傾げるばかりだ。
「三者が炭鉱を手に入れようとしているのが現状というのは理解できていますね」
「まあ」
「では、それを手に入れる時に最も得をするにはどうすればいいと思いますか?」
「……どういう事?」
「あ~、つまりですね。当然ながら三者とも炭鉱を手に入れようと争っています。しかし交渉の余地はあります。例えば明らかに炭鉱を手にするよりも巨額のお金を持ち出せば他の二者は喜んで譲ってくれるでしょう。現実的にはそんなことをする理由はありませんが」
「それで?」
「つまり、彼らは今こう考えている可能性があります。炭鉱に価値があるから誰も譲るつもりが無い。しかしもしもここに異常が発生したとすれば?」
「すれば?」
「炭鉱の開発は難航しそれに対応する為には多額の資金が必要になる。要するに炭鉱から得られる利益は下がり価値が無くなるという事です」
「……あ、そうなると」
「ええ、炭鉱に旨味が無いのなら手を出す理由はありません。つまりカルゴーネの住民もサンクトにも炭鉱を手に入れるという目的の為に異常が発生していると偽る理由は十分にあるのです。炭鉱を自分の物とする為に」
「ましてや他の異常は本物だと思っているのなら、自分たちが一つ異常を増やしたところで気付かれないと思うかもしれないね」
ミリィは二人の言葉に唖然とする。そのような可能性はまるで考えていなかったのだろう。
カルゴーネ、この場所は異常が多発している、のだろうか。クレアはこれで異常の解消という任務内容自体が変わるわけでは無いが、単に異常を解決するよりも面倒な事態に巻き込まれているのかもしれない、そう思い渾身の溜息を一つついた。




