56話:一人じゃない
蓮の店が開いた日、赤ちょうちんの常連たちが全員顔を出した。
予約もなく、示し合わせたわけでもなかった。それぞれが、自分で来た。開店時間に合わせてくる人間と、少し遅れてくる人間がいた。でも全員が来た。
客は少なかった。初日だから仕方がなかった。それでも全員が長く飲んだ。席を埋めたのは知っている顔だけだったが、誰も早く帰らなかった。追加の注文が続いた。蓮が出す料理を一つ一つ食べた。全員が食べた。
蓮は最初、厨房からなかなか出てこなかった。
料理を作り、皿を出し、また厨房に戻った。それを繰り返していた。厨房にいる方が落ち着くのだろうと、全員が思っていた。
しばらくして、蓮は厨房から出てきた。皆の前に立った。エプロンを外していなかった。立ったまま、少しの間黙っていた。
「また負けたらどうしよう」
それだけ言った。戦略の話でも、売上の話でも、目標の話でもなかった。ただその言葉が出た。
真鍋が答えた。「負けたらまた考えればいい」
声は静かだったが、迷いがなかった。答えを知っているのではなく、答えが出ない時にどうするかを知っている声だった。
黒崎が言った。「今度は一人じゃない」
その言葉は、黒崎が一番言いたかった言葉かもしれなかった。かつて黒崎は、誰かを一人にして追い出した。今度は一人にしない側にいる。
榊が言った。「法的な問題は任せろ」
藤堂が言った。「資金が必要なら言え」
蓮は全員を見た。
全員を順番に見た。真鍋を見て、黒崎を見て、榊を見て、藤堂を見た。
それから笑った。
久しぶりに見る、力のある笑顔だった。店を潰してから失っていた笑い方が、今夜戻ってきた。誰かに見せようとして笑っているのではなかった。自然に出てきた笑い方だった。
梶はその様子を入口のところから見ていた。
中に入らずに、外から見ていた。厨房に立つ蓮の背中を、何度も見てきた梶だったが、今夜の蓮の顔は違った。何かが戻っていた。
蓮が梶に気づいて、こちらを見た。
梶は何も言わなかった。ただ頷いた。小さく、しかしはっきりと頷いた。
それだけだった。それだけで十分だった。言葉にする必要がなかった。
その夜遅く、全員が赤ちょうちんに戻った。
蓮の店から歩いて三分だった。路地を歩いて、もう一つの路地に入ると、赤ちょうちんの暖簾があった。梶がすでに先に来ていた。
梶が酒を出した。いつも通りの酒だった。今夜特別な酒を出すわけではなかった。特別な言葉もなかった。ただいつも通りに出した。
全員が受け取った。飲んだ。それだけだった。それで十分だった。




