49話:気のせいだ
鷹宮が来た翌日、常連たちが集まった。
誰かが呼んだわけではなかった。ただ、いつもより少し早い時間に、全員が来た。梶から話を聞いた。昨夜のことを、梶は短く話した。鷹宮が来た。飲んだ。出ていった。それだけだった。詳しいことは言わなかった。「美味かった」という最後の言葉は、梶自身も話すかどうか迷ってから、言った。
全員が黙って聞いた。
誰も何も言わなかった。鷹宮が来たことについて、コメントをする必要があるとは思わなかった。起きたことが起きた。それで十分だった。
黒崎が「一杯頼む」と言った。蓮が「俺も」と続いた。真鍋、榊、藤堂が順番に座った。梶がいつも通り酒を出した。燗をつけた徳利を、全員の前に置いた。頼んでもいないのに、いつも通りに。
いつもと違うことは何もなかった。
鷹宮の話もしなかった。控訴の話もしなかった。行政調査の話もしなかった。戦いの話もしなかった。ただ酒を飲んだ。それだけだった。話すことがないわけではなかった。ただ、今夜は話さなかった。そういう夜だった。
肴が出てきた。梶が頼まれてもいないのに出した。今夜も出てきたもつの煮込みを、全員が受け取った。何も言わずに箸を取った。
しばらくして、蓮が言った。
「この酒、最初に来た時より美味い気がする」
梶は何も言わなかった。
「気のせいか」蓮が続けた。
「気のせいだ」梶は言った。
全員が笑った。
大きな笑い声ではなかった。それぞれが少し笑った。声が出た笑いと、表情だけの笑いが混ざった。誰かの笑いを見て、また笑った。
蓮が少し前にも同じことを言っていた。「この酒、最初に来た時より美味い気がする」と。梶は同じように「気のせいだ」と答えた。同じやりとりを繰り返すことが、この店ではなぜか自然だった。同じことを言っても、同じように笑える。それが何かを示していた。
鷹宮の問いに、梶は「ここで飲みたい奴がいるから」と答えた。その答えが、今夜の店の中にあった。飲みたい奴が来ていた。来て、飲んで、笑った。数字にならない何かが、今夜もここにあった。
誰も気づいていなかった。気づく必要がなかった。
ただ酒が続いた。梶が全員の徳利を追加した。どこかで誰かが笑った。また別の誰かが笑った。理由のない笑いが続いた。
今夜もここで飲んでいる。それだけのことだった。それだけで十分だった。




