43話:帰る場所
投稿は、常連以外に波及した。
赤ちょうちんに来たことがある人間が、それぞれの記憶を書き始めた。常連ほど頻繁に来ていたわけではない人間たちだった。年に数回だったり、数年前に一度だけ来たりした人間たちが、それぞれの言葉で書いた。
一件ずつは小さな投稿だったが、数が重なると流れができた。誰かが誰かの投稿を読んで、自分も書く。自分の投稿を誰かが読んで、また書く。その連鎖が続いた。広告の波形とは違う広がり方だった。中心がなかった。どこかから広がっているのではなく、あちこちで同時に生まれていた。
「赤ちょうちん、なくなるの?」という声が広がった。
心配している声だった。惜しんでいる声だった。来たことがある人間が、来たことを惜しんでいた。
地元紙が小さく取り上げた。「路地の居酒屋、閉店か、地元住民に惜しむ声」という記事だった。大きな記事ではなかった。写真一枚と、短い本文だった。しかし地元の人間に読まれた。地元紙を読む人間は、地域に根ざした人間だ。そういう人間の間で、話題になった。
テレビの取材申し込みが入った。
梶は断った。「宣伝したいわけじゃない」という言葉だけを伝えた。断った理由の説明はしなかった。謝罪もしなかった。ただ「宣伝したいわけじゃない」と言って、終わった。
しかし、断ったこと自体が記事になった。
「取材を断った店主の一言が示すもの」という記事だった。小さな媒体のウェブ記事だったが、その記事がSNSで拡散した。取材を断ること自体が、この店の性格を表しているという内容だった。宣伝したい店は取材を喜ぶ。宣伝したくない店は断る。断ったということは、何か別のものを大切にしているということだ、という解釈だった。
梶の言葉が引用された。
「宣伝したいわけじゃない」
その一文が、多くの人間に届いた。届いた理由を言葉にするのは難しかった。しかし何かが届いた。
鷹宮の会社の株価が、また動いた。今度はわずかだったが、下の方向だった。小さな動きが続いていた。止まらなかった。
投資家の一部が、新しい懸念を示し始めた。「消費者心理の読み誤り」という言葉が出た。数字だけを追いかけるモデルが、消費者の実際の行動を予測できていないのではないかという指摘だった。一件の店をめぐる動きが、モデル全体への疑問を呼んでいた。
その夜、藤堂は一人でモニターを見ていた。
全員が集まっているわけではなかった。藤堂一人が、データを見ていた。しばらくして、一人で呟いた。
「AIは、誰かの帰る場所になる瞬間を読めない」
真鍋が隣に来ていた。気づかないうちに来ていた。「何のことだ」と聞いた。
「あの店が誰かにとっての帰る場所になった瞬間、それがいつだったか、鷹宮のAIには計算できない。一人一人の話だから。計算できる規模の話ではない。しかし、その一人一人の積み重ねが、今の現象を作っている。計算できないものは、対処できない」
真鍋は少しの間、その言葉を考えた。
「じゃあ、あの店はずっと前から、あの人たちの記憶の中にあったんだ」
「そうだ」藤堂は言った。「閉まって初めて、気づいた人間もいる。閉まらなければ、気づかなかったかもしれない。そういう気づきも、計算の外にある。鷹宮は計算できないものを、存在しないものとして扱ってきた。それが今、返ってきている」




