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居場所を守れ~AI外食コンサルに潰されなかった居酒屋〜  作者: いわん


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35/60

35話:後悔した人間

 藤堂が本格的に動き始めた。

 これまで藤堂は、資金を出し、情報を一部提供し、しかし自分の手は極力動かさないでいた。それには理由があった。自分が動けば、必ず市場に影響が出る。名前が市場に知られている人間が動けば、その動き自体がシグナルになる。影響が出れば、関係者が動く。その連鎖をコントロールするためには、タイミングを計算する必要があった。早すぎれば効果が薄い。遅すぎれば意味がない。

 今がそのタイミングだと、藤堂は判断した。

 鷹宮のIPO計画(上場準備計画)を三ヶ月前から分析していた。株式公開の準備が進んでいることは、業界では知られていた。公開前後のロックアップ条件、主幹事証券会社との関係、投資家への説明資料の内容。全て公開情報だった。公開情報を丁寧に組み合わせると、一つの脆弱性が見えてきた。

 IPOの時期が遅れれば、資金繰りに影響が出る。投資家への説明が変わる。主幹事証券会社との関係が変わる。遅れるだけの材料は、すでに市場にあった。行政調査、株価の下落、スポンサーの離脱。あとはタイミングだった。

 その夜、藤堂は赤ちょうちんで珍しく話した。

 誰も何も言わなかった。藤堂がこういう話をすることは、ほとんどなかった。全員が黙って、藤堂を見た。

「私が鷹宮と違うのは、後悔したことだ」

 それが最初の言葉だった。

「二十代の頃、私は今の鷹宮と同じことをした。合法の範囲で、感情を排除して、数字だけを見て動いた。それが正しいと思っていた。数字が全てだと思っていた。感情は判断を曇らせると思っていた。その信念には、一点の疑いもなかった」

 藤堂は手にした猪口の酒を飲んだ。

「後悔したのは、五十を過ぎてからだ。遅すぎた後悔だ。当時追い出した人間の顔が、夜中に出てくるようになった。名前は覚えていない。どんな店だったかも、はっきりとは覚えていない。しかし顔は覚えている。疲れた顔だった。何かを諦めた顔だった。怒ってもいない、泣いてもいない、ただ疲れた顔だった。あの顔が出てくるたびに、睡眠薬を飲んだ時期がある」

「何が後悔になったのか」蓮が聞いた。静かな声だった。責めているわけでも、慰めているわけでもなかった。

「顔だ」藤堂は言った。「疲れた顔だ。あの顔を作ったのが自分だという事実だ。それが消えない。合法だったから、誰も止めなかった。私を止める理由が、誰にもなかった。しかし止められなかったことと、正しかったことは、別の話だ。それを理解するのに、三十年かかった」

 沈黙があった。

 黒崎が、少し目を伏せた。同じものを見ているような沈黙だった。

「後悔できる人間は、まだ大丈夫だと思っている」梶が言った。

 厨房に向きながら言った言葉だった。全員に向けて言ったのか、藤堂に向けて言ったのか、わからなかった。しかし全員が聞いた。

 その言葉に、藤堂は少しの間黙った。それから頷いた。小さく、しかし確かに頷いた。

 翌日から、藤堂は市場への働きかけを始めた。

 合法的な空売りのポジションを取った。機関投資家への情報提供を始めた。どの情報を、どのタイミングで、どの相手に届けるか。それを計算しながら、一手ずつ動いた。全て、合法の範囲での動きだった。

 若い頃と同じやり方だった。しかし目的が違った。若い頃は、人を追い出すために使った。今回は、追い出されそうな人間を守るために使う。それだけの違いが、今の藤堂には大きかった。


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