30話:形になってきた
元店主たちの証言を集め続けながら、榊は別の方向からも動いていた。
鷹宮の会社の過去の行政対応履歴を調べた。公開情報の範囲で、行政指導や届け出の記録を確認した。企業情報として開示されているものを丁寧に拾い上げた。地味な作業だった。書類を読み、データベースを検索し、また書類を読む。法廷での仕事と比べると、地味だった。しかし地味な作業が、時に核心に届く。
一件だけ、気になる記録があった。
三年前、ある県の商工部門から「取引条件の明示について」という行政指導を受けていた。内容は公開されていなかったが、指導を受けたという事実は記録に残っていた。どんな指導を受けたのかは、記録を見るだけではわからない。しかし「取引条件の明示」という言葉が、榊の経験に引っかかった。
榊はその件を担当した行政官に接触した。現役ではなく、すでに退職していた人物だった。退職しているから話せることがある場合もある。話せないこともある。会ってみないとわからない。
「当時の件について、少し話を聞かせていただけますか」
退職した行政官は、しばらく考えてから言った。考える時間が必要だったということは、話すかどうかを迷っていたということだ。「記録にあることしか話せません」
「それで結構です」
「当時、取引先の店舗に対して、契約条件の一部が適切に説明されていなかった可能性があるという情報が入りました。調査した結果、改善を求める指導をしました。その後、改善されたとの報告を受けて、案件は終了しています」
「改善の内容は」
「それは記録に残っていません」
改善の内容が残っていない。改善したという報告は来た。しかし何を改善したかは記録にない。その空白が、意味を持つかもしれない。持たないかもしれない。
手がかりになるかどうか、まだわからない。確信はなかった。しかし、パターンは見えてきていた。三年前にも同様の指摘があった。その後も同じことを続けているとすれば、学習していないか、あるいは学習した上でより巧妙にやっているかだ。巧妙になったとすれば、今回の案件で改善策を踏まえた手口を使っている可能性がある。
証言と状況証拠と行政記録が積み重なってきた。
証言は五件。状況証拠はパターンの一致。行政記録は三年前の指導。まだ決定打ではない。一本の矢では刺さらないが、矢束になれば話が違う。形にはなってきた。
その夜、榊は赤ちょうちんに戻った。
常連は誰もいなかった。梶だけがいた。閉店後の時間ではなかったが、客の切れ目だった。榊はカウンターに座り、梶に一言だけ告げた。
「形になってきた」
梶は何も言わなかった。ただ酒を出した。燗をつけた徳利を、静かにカウンターに置いた。
その一言が何を意味するか、梶にはわかっていた。形になるというのは、証明の輪郭が見えてきたということだ。輪郭が見えれば、次に何をすべきかが見える。それまでの時間を、梶は梶なりに知っていた。長い時間だったかもしれない。しかし形になってきたなら、次がある。
それだけのことだった。
榊は酒を飲みながら、次の動きを考えた。内部から出てくる人間を待つしかない。長年の経験が、そう告げていた。状況証拠がどれだけ揃っても、最後は内側から来る。外からは届かない核心が、必ずある。待つしかない。しかし待てる。形になってきたから、待てる。




