3話:古臭いという言葉
三日後の夜、真鍋がスマートフォンを持ってカウンターに来た。
「見てくれ」
画面には動画が映っていた。再生数のカウンターが、見ている間にも増えていく。サムネイルに赤ちょうちんの暖簾が写っていた。見慣れた暖簾が、見慣れない文脈に置かれていた。
人気グルメ系のインフルエンサーが赤ちょうちんを訪れた動画だった。梶は覚えていた。先週の木曜日、予約なしで来た二人組の一人がカメラを持っていた。撮影してもいいかと聞かれ、梶は断る理由が思いつかなかった。よくある話だと思っていた。断らなかったことを後悔したわけではない。ただ、よくある話ではなかった。
動画の中で、インフルエンサーは笑顔で話していた。
「雰囲気はね、昭和レトロって感じで、それはそれでいいんですけど。コスパ的にはちょっと厳しいかな。この値段でこのクオリティは、正直どうなんでしょうって感じ。時代に取り残された感が否めないですよね。令和にこのメニュー構成、みたいな」
コメント欄が流れていく。
「古臭い」「わざわざ行く必要ある?」「コスパ最悪」「令和に昭和は無理」「もっとオシャレな店が近くにあるのに」「ジジイの店」
再生数は、動画が出てから二日で五十万を超えていた。
「初速が速すぎる」真鍋がスマートフォンを置いた。「動画が出た直後から、拡散の波形がおかしい。自然な拡散じゃない。最初の一時間で一万再生を超えている。有機的な拡散でこの数字は出ない。何かが後ろにある」
「どういうことだ」黒崎が聞いた。
「ボットか、組織的な拡散かのどちらかだ。誰かが意図的に広めている可能性がある。ただ証拠はない。今のところ状況証拠しかない」
梶は動画を最後まで見た。自分の店が「古臭い」と言われているのを聞いた。間違っているとは思わなかった。古いのは事実だった。ただ、「古臭い」という言葉には何かが含まれていた。古いことが悪いことだという前提が、その言葉には含まれていた。古いことと、古臭いことは、同じではないはずだと梶は思った。しかし、その違いをどう言葉にすればいいのか、梶にはわからなかった。
梶は何も言わなかった。スマートフォンを真鍋に返し、厨房に戻った。
翌日から、電話が鳴らなくなった。予約の電話が、ぱったりと止まった。新規の客が来なくなった。それまで月に一度は来ていた顔が、見えなくなった。動画を見て来ようとしていた客が、コメント欄を見て来るのをやめたのだろうと梶は思った。常連だけが、いつも通りに来た。
木曜日、梶は午後から仕込みを始めた。いつも通りの量を仕込んだ。売上が半分以下になっていても、仕込みの量は変えなかった。余れば捨てればいい。客が来た時に出せるものがなければ、それは店ではない。仕込みを削ることは、梶には考えられなかった。削ることを考えた瞬間に、何かが終わる気がした。
真鍋が夕方に来て、カウンターに座った。
「梶さん、対応しなくていいのか」
「何を」
「動画に対してだ。反論するとか、こちらからも動画を出すとか。今は発信しないと負ける時代だ。黙っていれば、あの動画の情報だけが残る」
梶は出汁を火にかけながら答えた。「俺は料理を出すだけだ。それ以外のことは知らん」
「このままでは客が来なくなる」
「来ない客のことは考えられん。来た客のことだけ考える。来た客に、できる限りのものを出す。それだけだ」
「それでは足りない時代だと言っている」
真鍋は少し声を上げた。珍しかった。普段は声を上げない男だった。感情を出すことを、真鍋は普段は好まない。それだけ、この状況を真剣に見ているということだと梶は理解した。
「足りないなら足りないで、それが俺の器だ」梶は出汁の様子を見ながら言った。「俺には俺のやり方しかわからん」
真鍋は何も言えなかった。反論がないのではなかった。反論はあった。しかし、梶に言っても変わらないとわかっていた。そしてそれが、真鍋には少し悔しかった。
その夜、店を閉めた後、梶は一人でカウンターに座った。電気を消さずに、酒を一杯だけ飲んだ。
鷹宮の言った言葉が頭の中にあった。数字で見れば、この店は非効率だ。梶はそれが正しいとわかっていた。わかっていて、三十年続けてきた。
親父がここで店を始めたのは、梶が十歳の頃だった。狭くて、儲からなくて、しかし毎晩誰かが飲んでいた。梶は高校を出てからここに入り、親父が倒れてからは一人で続けてきた。効率のことを考えたことがなかったわけではない。ただ、考えるたびに、親父の顔が浮かんだ。親父がここで飲んでいた人間の顔が浮かんだ。その顔に、「古臭い」という言葉は似合わなかった。
翌朝も梶は仕込みを始めた。動画のことは考えなかった。
ただ、真鍋の言葉だけが、頭の隅に残っていた。
――初速が速すぎる。自然な拡散じゃない。




