表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
居場所を守れ~AI外食コンサルに潰されなかった居酒屋〜  作者: いわん


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/11

2話:感情を排除すれば

 翌週の火曜日、鷹宮は約束もなしに現れた。

 今度は三人連れだった。若い男が二人、タブレットと書類を抱えている。スーツの質が揃っていた。同じ会社の人間が纏う、同じ種類の清潔感だった。鷹宮はカウンターではなく小上がりの席を選び、三人で向かい合って座った。来るとわかっていたような座り方だった。

「お邪魔します、梶さん」

 梶は厨房から顔を出さなかった。「営業中だ」

「わかっています。少しだけお時間を」

 鷹宮はタブレットを開き、画面をカウンター越しに向けた。グラフと数字が並んでいる。見やすく整理された資料だった。こういう資料を、この男は毎日作っているのだろうと梶は思った。特別に用意したものではなく、いつものやり方だ、という雰囲気が漂っていた。

「先週お渡しした資料の補足です。簡単にご説明させてください」

 常連が三人いた。真鍋と、元地上げ屋の黒崎と、もう一人。三人とも酒を飲みながら、何も言わずに聞いていた。聞くともなく聞いていた、というのが正確だった。

「まず売上推移です」鷹宮の声は、前回と同じ温度だった。温度という言葉が正しいかどうかわからないが、感情の起伏がなく、それが一定であるという意味での温度だった。「過去三年を見ると、緩やかに下がっています。周辺の競合店の影響もありますが、新規客の獲得ができていないことが主な要因です。常連客への依存度が高すぎる」

 梶は厨房で仕込みを続けていた。手を動かしながら、耳だけを向けていた。言い返す気はなかった。ただ聞いていた。

「原価率は三十八パーセント。この規模の居酒屋としては高めです。仕入れのロスが出ている可能性があります。あるいは仕入れ先との交渉が十分でないか。いずれにしても、改善できる部分です。回転率は一日平均一・二回転。もう少し上げられるはずです」

「客単価は?」真鍋が聞いた。

「二千三百円前後です。低くはありませんが、滞在時間が長い分、席の効率が落ちています。一席あたりの時間単価で見ると、改善の余地がある」

「それが、問題なのか」

 真鍋の問いは、どこか他人事のような響きがあった。自分の問題ではなく、面白い議題として検証しているような声だった。

「数字として見れば、そうなります」鷹宮は続けた。「仕込みに四時間かけていますね。毎朝、開店前に。その間の人件費だけで、月に十二万以上の損失が出ています。梶さんご自身の時給を計算すれば、もっと大きな数字になる」

 厨房で、梶の手が一瞬だけ止まった。

 止まって、また動いた。止まったことを悟られたくなかったわけではない。ただ、手が止まった。それだけだった。

「仕込みを外注に切り替えれば、コストは三分の一になります。セントラルキッチンから仕入れるという選択肢もあります。品質の標準化という点でもメリットがあります。どの席に座った客にも、同じ品質のものを提供できる」

「味が、違う」

 声を上げたのは、カウンターの黒崎だった。ぼそりとした声だったが、店の中には届いた。大きな声ではなかった。しかし静かな店の中で、その声はちゃんと聞こえた。

「何がですか」鷹宮は黒崎を見た。

「セントラルキッチンと、ここの味は違う」

「そうかもしれません」鷹宮は頷いた。その頷き方に、否定も肯定もなかった。単なる情報の受け取りだった。異論を処理する、という感じの頷きだった。「ただ、その違いを数値化していただけますか。客が何人増えるか、売上がどう変わるか。その違いによって、どれだけの経済的価値が生まれるか。数字で示せれば、私たちも判断の材料にできます。感情ではなく、データで判断すれば、答えは出ます」

 黒崎は何も言えなかった。

 言えなかったのは、反論がないからではなかった。言葉にできないものを、言葉にしろと言われたからだった。数字にできないものを、数字にしろと言われたからだった。そういう要求に対して、言い返す言葉を黒崎は今は持っていなかった。持っていなかったが、納得もしていなかった。

 梶は包丁を握ったまま、動かなかった。言い返す言葉を探しているわけではなかった。ただ、どこかで鷹宮の言っていることが正しいと、わかっていた。数字は嘘をつかない。この店が非効率であることは、梶が誰よりもよく知っていた。知っていて、三十年続けてきた。

「改善の余地は明確にあります」鷹宮は書類をまとめた。「やり方次第で、三ヶ月で黒字化は可能です。私たちにはその実績があります」

 そして鷹宮は、もう一枚の紙をカウンターに置いた。

「もし話し合いが難しいようであれば、こちらのご検討もお願いします」

 買収額が書かれていた。

 数字を見た真鍋の表情が変わった。驚いたというより、何かを確認したような顔だった。やはりそういうことか、という顔だった。黒崎は視線を逸らした。梶は厨房から出てきて、その紙を一瞥し、それから鷹宮を見た。鷹宮は梶を見ていた。どちらも、何も言わなかった。

「今日も結構だ」

「そうですか」鷹宮は立ち上がった。迷う素振りがなかった。「お時間をいただけるなら、いつでも。数字は正直ですから。感情を排除して考えれば、答えは一つです」

 三人が小上がりを出て、暖簾をくぐった。

 店の中に沈黙が残った。真鍋が紙を手に取り、数字を確認し、それからカウンターに戻した。

「梶さん」

「わかってる」梶は短く言った。それだけ言って、厨房に戻った。「続けるぞ、今夜の仕込みは」

 誰も何も言わなかった。

 ただ、鷹宮が去り際に残していった紙の数字が、カウンターの上に置かれたまま、しばらく誰の目にも触れていた。梶が片付けるまで、そこにあった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ