25話:落ち着く、という感覚
テストは土曜日の午後に行われた。
会場は公民館の一室だった。参加者は五十名。赤ちょうちんとの関係は知らせていない。どちらの店の料理かも教えない。ただ「二種類の料理を食べて、感想を教えてください」という形式だった。参加者は食の関心が高い一般の人々で、飲食業界とは無関係の人間を選んだ。アンケートの前に、どちらの料理かを知ることがないように、会場の設営にも気を配った。
料理は五品。煮物、焼き物、汁物、和え物、揚げ物。それぞれ、AとBの二種類が出された。Aが赤ちょうちん、Bが鷹宮の再生店舗、ということは参加者に知らされていない。食品研究者が進行を仕切った。
蓮は会場の隅で、参加者の様子を見ていた。
食べている顔を見ていた。AとBを食べ比べて、どちらかに箸が止まる瞬間があった。止まった時の表情を、蓮は見ていた。数字にならない反応を、目で確認していた。
AとBを食べ比べる時間が終わり、アンケートの記入が始まった。どちらが好きか、どちらにまた来たいか、理由を自由に書いてください、という設問だった。
鉛筆の音がしばらく続いた。
結果は、赤ちょうちんが七割を超えた。
数字として出た。七割という数字は、無視できない数字だった。しかし蓮が注目したのは、数字よりも理由の欄だった。
「なぜAを選んだのか」という問いに対して、最も多かった回答は「落ち着く」だった。
「Aは理由がうまく言えないけど、落ち着く感じがした」「Bは美味しいけど、Aの方がなんとなく居たくなる」「Aを食べていたら、昔行った食堂を思い出した。なぜかわからない」「Bはきれいだけど、Aの方が続けて食べたいと思う」「Aの味は、説明できないけど、また来たいと思わせる」
蓮はそれらの言葉を一つずつ読んだ。全部で、似たような表現が二十件以上あった。「落ち着く」「また来たい」「昔を思い出す」「居たくなる」。どれも、数字ではなかった。しかし全員が似たようなことを書いていた。同じ感覚を持った人間が、それだけいた。
「落ち着く、という感覚は再現できない」蓮は食品研究者に言った。「セントラルキッチンで作られた均一な料理には、この感覚が出ない。なぜかは説明できない。しかし、出ない。それが数値に出ない変数だ。数字にできないからといって、存在しないことにはならない。存在している。五十人の回答がそれを示している」
食品研究者が頷いた。「面白いデータです。学術的に価値があると思います。なぜ落ち着くのかを分析すれば、論文になるかもしれない。食品の感情的価値という領域は、まだ研究が少ない」
「論文になるかどうかは後でいい」蓮は言った。「今は、このデータを使える形にすることだけを考えます」
検証動画を公開した。食品研究者が解説し、データを示した。数字と、自由記述の回答の傾向を並べた。難しい言葉を使わなかった。誰でも理解できる形で出した。
一日で十万再生を超えた。
コメントが溢れた。「落ち着く、わかる」「この感覚には名前がない」「均一な料理には何かが足りない」。鷹宮側の反論と、それへの反論が混ざった。議論が続いた。
鷹宮は会見で「主観的評価だ」と切り捨てた。その一言が、また切り取られた。「主観的評価だ」という言葉が、感情を持つ人間を否定しているように受け取られた。コメント欄が荒れた。
蓮はその夜、赤ちょうちんで一人で飲んだ。梶が出汁の効いた小鉢を出した。一口飲んで、蓮は少し目を閉じた。落ち着く、という感覚が、確かにそこにあった。




