21話:土台の話
再開発の一時停止が決まってから一週間後、鷹宮が赤ちょうちんに現れた。
今回は夜遅い時間だった。常連が二人残っている時間だった。営業時間ギリギリの来店だった。助手も書類も持っていなかった。一人で来た。鷹宮がこの店に一人で来るのは、三度目だった。
鷹宮はカウンターの端に座り、梶を見て言った。
「少し話せますか」
梶は黙って酒を出した。頼まれてもいないのに出した。燗をつけた徳利だった。
「再開発の計画が遅れています」鷹宮は言った。「それはご存知かと思います」
「知ってる」
「遅延によって、関係者にも影響が出ています。あなた方の周囲の人間が動いているのはわかっています」鷹宮は出された酒を見た。水面を眺めるような目だった。「それでも、あなた方は市場に逆らっている。市場は正直です。感情は判断を曇らせる。長期的に見れば、結果は変わりません」
「そうかもしれない」梶は言った。
言い返す気がなかった。鷹宮の言っていることが間違っているとも、正しいとも思わなかった。ただ「そうかもしれない」と思った。そしてそれと同時に、店を続けると思った。
「それでも続けるのですか」
梶は鷹宮を見た。「続ける」
「理由を聞いてもいいですか」
「ここで飲みたい奴がいるから」
梶は短く言った。それ以上は言わなかった。それ以上の言葉が出てこなかったのか、それで十分だと思ったのか、梶自身にもわからなかった。
鷹宮は少しの間、黙っていた。その沈黙は、いつもの計算している沈黙とは少し違った。何かを受け取っているような沈黙だった。それから酒を一口飲んだ。
驚いたことに、その動作には何もなかった。計算も、演技も。ただ酒を飲んだだけだった。本当に味わっているような、そんな一口だった。梶はその一口を見ていた。
鷹宮は立ち上がり、財布を出した。梶は「金はいい」と言った。鷹宮はそれでも代金を置いた。梶が言っても、置いた。過不足のない額だった。
帰り際、鷹宮は暖簾の手前で一度止まった。振り返って言った。
「美味い店ほど、残念です」
それだけ言って、出ていった。
その言葉だけは、本音に聞こえた。梶にはそれがわかった。鷹宮は本当にそう思っているのだ。美味い店だと思っている。それでも、数字が答えを出すと信じている。その信念は揺らいでいない。ただ一言だけ、本音が漏れた。
漏れた本音が、鷹宮を変えることはない。しかし漏れたことは、梶の中に残った。
翌日、黒崎は銀行のリスク担当者と会った。
融資を担当している部署の人間だった。以前から面識があった。地上げ屋として動いていた頃に、何度か同じ案件で関わったことがある。その関係を今回使った。
黒崎が持っているデータを広げながら、静かに話した。
「この再開発計画、土台が一店舗に依存しています。その店舗の取得が遅れている。その店舗に関しては、行政からの指摘もある。計画の遅延が融資条件に影響する可能性があります。リスクを把握していますか」
リスク担当者は黙って資料を見た。数字を追いながら、表情が少しずつ変わっていった。しばらく見てから、慎重な表情で言った。
「把握していませんでした」
「把握していなければ、見ておいた方がいい」黒崎は言った。「融資判断に関わる情報です。知らなかったでは済まない状況になるかもしれない。銀行として確認すべき事項です」
脅している言い方ではなかった。ただ、事実を並べた。リスク担当者が動かなければならない理由を、事実として示した。
銀行が動き始めた。内部での確認が始まった。その動きは、じわりと市場に伝わった。どこから漏れるのかわからないが、こういうことは漏れる。漏れれば、市場が反応する。小さな動きだったが、鷹宮の計画の土台に、もう一つ亀裂が入った。




