19話:記録の空白
再開発の住民説明会が開かれた、という記録を探すことから始めた。
榊が行政情報開示請求の書類を作成し、提出した。対象は区の都市開発部門だった。再開発計画に関連する住民説明会の議事録と、その開催通知の送付記録を求めた。手続きとしては単純だった。窓口に書類を出して、待つ。通常、一ヶ月程度かかる。
その間、黒崎は別の角度から動いた。
再開発エリアの住民への聞き込みだった。一軒一軒、直接会いに行った。高齢者が多い地域だった。昔からここに住んでいる人間が多かった。黒崎はドアをノックして、自分の名前を名乗り、話を聞かせてほしいと頼んだ。丁寧に、ゆっくりと話した。威圧しない。急かさない。ただ話を聞く。かつては攻めるために使っていたやり方を、今は情報を集めるために使った。
「説明会、ありましたか」黒崎は聞いた。
「なかった」という答えが、何件も続いた。「通知も来なかった」「聞いていない」「ある日突然、工事の話が来た」「誰かが説明してくれたわけじゃない」「知らないうちに決まっていた」。
十五件聞き込みをして、十三件が「説明会を知らなかった」と答えた。二件は「あったかもしれないが、覚えていない」だった。「あった」と明確に答えた人間は、一人もいなかった。
黒崎はメモを取り続けた。証言として使えるかどうかは榊が判断する。今は集めることだけを考えた。数が揃えば、一つ一つが弱くても、全体として意味を持つ。
二週間後、行政からの回答が届いた。
榊が内容を確認した。封筒を開けて、資料を広げて、最初の一枚を読んだ時点で、榊は少しの間黙った。
「記録に空白がある」榊は静かに言った。「住民説明会の開催通知の送付記録が、このエリアについてだけ存在しない。他のエリアには送付記録がある。過去三件の再開発では全て記録が残っている。このエリアだけ、記録がない」
「意図的に消したのか」黒崎が聞いた。
「証明は難しい。紛失した可能性も排除できない。記録管理が杜撰だったという説明もできる。ただ、他のエリアにはある記録が、このエリアだけない。その事実は動かない」
「行政が動けば」
「再開発の手続きに問題があったと判断されれば、計画の一時停止を求めることができる。法的な強制力は弱いが、停止を求めること自体が時間を稼ぐ。行政が動いたという事実が、メディアの取材を呼ぶ。メディアが動けば、投資家が動く。連鎖する」
黒崎は頷いた。時間を稼げれば、こちらが証拠を積み上げる時間ができる。鷹宮のスケジュールを狂わせることができれば、資金計画に影響が出る。その積み重ねが、最終的に物を言う。一手で決まるわけではない。しかし一手ずつ積み上げれば、いつか決まる。
その夜の赤ちょうちんで、黒崎は珍しく饒舌になった。進捗を報告した。全員が聞いていた。報告が終わって、少し間があって、黒崎は続けた。言うつもりではなかったのかもしれない。ただ、口から出た。
「昔、俺が追い出した店がある。あの時の店主の顔が、今でも忘れられない」
誰も何も言わなかった。
続きを促す人間もいなかった。黒崎が続けたければ続ける。続けたくなければ、そこで終わる。赤ちょうちんはそういう場所だった。
梶が静かに酒を注いだ。それだけだったが、その沈黙は責めているわけでも、慰めているわけでもなかった。ただそこにあった。黒崎はそれを受け取り、酒を飲んだ。今夜の酒は、いつもより少し苦かった。




