18話:録音済み
黒崎が指定した店は、駅近くの小料理屋だった。
静かな店だった。個室があり、話が外に漏れにくい。黒崎が昔からよく使う店だった。仕事の話をするには向いている。個室で酒を飲めば、人間は自然と本音を漏らす。それを黒崎は知っていた。知っていて、何度もこの方法を使ってきた。今夜も同じことをする。ただ目的が違う。
デベロッパーの幹部―村田―は定刻通りにやってきた。五十代後半で、この業界で三十年生きてきた顔をしていた。苦労の跡と、したたかさが同居している顔だった。黒崎とは十年以上の付き合いだった。敵になったことも、味方になったこともある。今回はどちらになるか、黒崎にもわからなかった。
「久しぶりだな、黒崎さん。最近どうしてる」
「ぶらぶらしてる」黒崎は答えた。「お前は相変わらず忙しそうだな。顔色が悪い」
「そうでもない」村田は笑った。「最近はなかなか難しいことが続いてる。思ったように進まないことが多くてな。この業界、昔より面倒なことが増えた」
酒が来た。二人で杯を交わした。しばらく、仕事と関係のない話をした。子供の話、昔の仕事仲間の近況、業界の変化。黒崎はその時間を惜しまなかった。こういう会話の積み重ねが、後で物を言う。焦って本題に入れば、相手の警戒が高まる。警戒された状態では、本音は出てこない。本音が出るまで、時間をかける。それが黒崎のやり方だった。
「例の再開発の話だが」黒崎は三杯目を飲みながら言った。さりげなく話題を変えた。「うまく進んでるのか」
村田の表情がわずかに変わった。ほんのわずかだったが、黒崎には見えた。「まぁ、一つだけ残ってる」
「あの路地の居酒屋か」
「よく知ってるな」村田は笑ったが、目は笑っていなかった。「あそこさえ片付けば、全部丸く収まるんだが。頑固な店主でな。説得しても、数字を見せても、動かない」
「鷹宮も急いでるんじゃないか」
村田は少し間を置いた。酒を一口飲んだ。その間があったことを、黒崎は記憶した。間があるということは、考えたということだ。考えて、それでも話したということだ。
「急いでる。スケジュールがある。あの店が動かなければ、融資条件の見直しが必要になる。そうなると、うちも困る。正直、早く決着をつけてほしい」
黒崎は頷きながら、右手のポケットを意識した。スマートフォンが入っている。録音は三十分前から始まっていた。
「どのくらいで片付く予定だ」
「鷹宮が言うには、来月中には決着をつけると言ってたが」村田は声を落とした。「しかし、あの店主が動かん。かたい男だ。何を言っても聞かない。これまで何人かの店主を説得してきたが、あの男は手応えがない。怒るわけでも、泣くわけでもない。ただ断る」
梶の顔が、黒崎の頭に浮かんだ。
「そうか」黒崎は静かに言った。「まぁ、うまくいくといいな」
その後も、しばらく話を続けた。それ以上の具体的な情報は出なかった。しかし必要なものは録れた。
帰り道、黒崎は榊に電話をかけた。
「使えるか」
榊はしばらく黙って、それから答えた。「直接は使えない。録音の取得方法に問題がある可能性がある。同意なしの録音は、状況によっては証拠能力に疑問が生じる。ただ、この内容から芋づる式に公式な証拠を引き出せる可能性がある。突破口にはなる」
「それで十分だ」黒崎は言った。「そのための足を稼ぐのが俺の仕事だ」
電話を切ってから、夜の街を歩いた。
かつて自分が村田と同じような会話をしていたことを思い出した。攻める側で、誰かを追い詰めていた。個室で酒を飲みながら、相手の本音を引き出していた。情報を武器にして、人を動かしていた。今夜やったことは、あの頃とやり方が同じだ。ただ方向が違う。
それだけの違いが、今の黒崎には大きかった。同じことをしていても、同じではない。そう信じることにした。




