17話:守る側に立つ
黒崎が電話をかけたのは、翌朝の早い時間だった。
「俺だ。黒崎だ。久しぶりだな」
電話口の相手は、かつて同じ仕事をしていた人間だった。地上げ屋として十年、二人で各地の再開発に関わってきた。一緒にいくつもの建物を動かし、いくつもの人間を動かした。今はそれぞれ別の道を歩んでいる。相手が今何をしているのか、黒崎は正確には知らなかった。知らなくても、必要な時だけ連絡が取れる。そういう関係だった。
「懐かしい声だな。何の用だ」
「再開発の融資契約を見たい。ある区画の話だ」
「合法の範囲でか」
「当たり前だ」
「金は」
「払う」
会話は短かった。それで十分だった。長く話す必要がない相手だった。
電話を切ってから、黒崎は少しの間、部屋の窓を見ていた。
かつて自分がやってきたことを、今回は逆からやる。それが今の自分にできることだと思っていた。しかし、それが正しいことなのかどうか、黒崎にはまだわからなかった。守る側に立つことと、攻める側に立つことで、やっていることの本質がどれだけ違うのか。手法は同じで、方向だけが違う。人を追い出すために使っていた技術を、人を守るために使う。それを「善い行為」と呼んでいいのかどうか。
答えは出なかった。考えても出なかった。おそらく、考え続けても出ない問いだった。
ただ、赤ちょうちんを潰したくないという気持ちだけは、はっきりしていた。それが感情論であることは知っている。数字では説明できないことも知っている。しかし、感情論を数字で切り捨てることが正しいとも、黒崎には思えなかった。感情論を切り捨てた結果がどうなるかを、黒崎は知っていた。路地の寿司屋の店主の顔として、知っていた。
三日後、融資契約の詳細データが届いた。
黒崎はそれを一晩かけて読んだ。再開発全体の資金構造が見えてきた。どの金融機関が、どの条件で、どの区画の開発に融資しているか。条件の細部まで確認した。こういう書類の読み方を、かつては攻めるために使っていた。今は守るために使う。読み方は同じだった。
そして見えてきた事実があった。
赤ちょうちんの区画の取得が遅れることで、融資条件の一部が変更になる可能性があった。特定の期日までに全区画を確保できなければ、金利条件の見直しが求められる契約になっていた。その条件は、融資契約の深いところに埋め込まれていた。知らなければ気づかない場所に。
変更になれば、デベロッパーの資金計画に影響が出る。影響が出れば、鷹宮の会社の買収スケジュールも変わる。一店舗の遅れが、計画全体を揺らす。連鎖していた。
「だから焦っている」黒崎は呟いた。「期限がある。時間的な制約がある。期限までに取れなければ、計画全体が狂う。だから手を次々と打ってくる」
攻め方が見えてきた。正面から押し返すのではなく、計画全体の土台を揺らす。土台が揺れれば、上に載っているものが不安定になる。鷹宮が焦っているなら、焦りをさらに深める方向で動く。
黒崎は次の電話をかけた。今度はデベロッパーの幹部、かつての仕事仲間だった。
「久しぶりだな。一杯どうだ」
声は穏やかだった。かつて一緒に飲んだ時と同じ声を出した。この声を出す時、黒崎は仕事をしている。酒を飲みながら、仕事をする。それが黒崎のやり方だった。かつても、今も。




