第20話
「……ワタシ、ずっと一人だった」
空っぽになったガウの箱を見つめたまま、クーデリカがぽつりと零した。
「五大魔法じゃない、こんな変わった魔法だから……親も社会も、みんな、ワタシをいらないってした」
視界がじわりと歪み、セピア色の記憶が混ざり合う。
それは、彼女がまだ「居場所」という言葉の意味さえ知らなかった頃の物語。
――――――
全てがどうでもいい。自分自身すらどうなってもいい。そんな感情を抱えて、毎日を喧嘩に明け暮れていた。
ドンッ!
「おいコラッ! チビ、肩当たったじゃねぇか。謝れよ!」
路地裏に、ガラの悪い女たちの怒鳴り声が響く。だが、ぶつかった少女――幼い日のクーデリカは、謝るどころか、泥に汚れた顔を見上げ、鋭く冷たい視線で睨みつけた。
「お、おい……なんだその目は。やるってのか!?」
少女の底冷えするような視線に、相手が思わずたじろぐ。
「アネキ! こいつ、最近この辺を荒らしてる生意気なチビですよ!」
「なんだと!? 中等部のくせに、年上相手に五人がかりでボコボコにしたっていう、あの狂犬か!?」
「アネキ……こいつとやり合うのは、ちょっとマズいっす……!」
仲間の制止に、リーダー格の女は「チッ」と舌打ちをした。
「……クソッ! おい、お前命拾いしたな! 私が本気だったらワンパンだったけど、今日は見逃してやるよ!」
精一杯の虚勢を吐いて、女たちは逃げるように去っていく。
聞こえていたのか、いないのか。薄汚れた制服を纏う少女は一言も発さず、ただ虚空を見つめながらトボトボと歩き去った。
ピチャ、ピチャ。
古びた配管から漏れる水が、いたる所に冷たい水たまりを作っている。
この薄暗い廃工場に住んで、どれくらいたっただろうか。
錆びた鉄と古い油が混ざった、重苦しい匂いにも慣れた。
親に見放され、行き場を失い、そのぶつけようのない怒りと悲しみと孤独が暴力となって彼女を支配していた。
そんな彼女の唯一の安らぎは、同居人の迷いネコの温もりだけだった。
「お前今日もここで寝るのか」
どこからともなく現われた猫はクーデリカの膝の上に乗っかり丸まった。
数日前から一緒にいる同居ネコだ。クーデリカの膝上が安心するのか、そこを自分の居場所と決め毎回同じ場所にすり寄ってくる。
首輪が付いているので名前は付けなかった。
「お前には帰る家がある。早く飼い主が見つけてもらえるといいな」
ネコを撫でながらそう呟いた。
自分が帰る場所。心を休める場所。いつか見つかるかもしれない「どこか」を夢見ながら、彼女は眠りにつこうとしていた。
しかし、孤独な狂犬に安息の地などない。
仮の住まいとしていたこの場所にさえ自身を否定する暴力の波がやってくる。
「やっと見つけたぜ、クーデリカ! 落とし前、ここでキッチリつけてやる!」
彼女の前に現れたのは、復讐に燃える数十人の荒くれものたちによる大集団だった。
「お前は、やりすぎたんだよ!テメェらやっちまえ!」
その号令を合図に一斉にクーデリカに襲い掛かる。
逃げ場のない行き止まり。少女は無言で、自身の周囲に磁場を展開した。
襲いかかる鉄パイプ、放たれる火球や風刃。
クーデリカは、飛来する金属武器を磁力で強引に捻じ曲げ、弾丸のように相手へと撃ち返す。
ドゴォォン!!
「ぎゃあああっ!?」
磁力に操られた瓦礫や鉄クズが、暴風となって敵対するものたちを薙ぎ倒していく。
「バカ野郎!誰が金属類もってきてんだ!やつの魔法に反応しない角材や木刀でやれ!
磁力魔法を巧みに操り応戦するクーデリカ。一人を沈めても、また三人が襲いかかる。
そんな状況にもかかわらず、戦場を優位に立ちまわっていく。
だが多勢に無勢だった。四方八方から浴びせられる魔力の奔流に、小さな体は悲鳴を上げ、視界が赤く染まっていく。
ガンッ!
それは不運な出来事だった。
相手の攻撃をかわし攻撃に転じる刹那、目線の先に同居ネコが通り抜けようとしている姿が映った。
自分の攻撃が当たるかもしれない、その迷いはこの戦場で致命的だった。
一瞬の躊躇が隙を生み、視界の外から放たれた角材の投擲に反応できず側頭部に直撃した。
片足をつき、意識が瞬間的に飛んだ。意識が戻った目の前には敵の蹴りが見えていた。防御が間に合わず、顔面にもろに受ける。
小さな体が吹っ飛び瓦礫の山へと叩きつけられた。
その衝撃は想像以上で、体を動かせずにいた。
「ハァハァ……。やっと追い詰めたぞ!オメェら!畳みかけろ!」
無数の魔法が瓦礫の山に埋まっているクーデリカに向けて注がれる。
ドゴォーーーン!!!
「やったか?」
「さすがに今のは立ち上がられねぇだろ」
複数の魔法が放たれた瓦礫の山は煙に包まれ、誰もが"終わった"と確信した。
だが、その静寂を切り裂き煙の中からコツ、コツと靴音が響く。
「マジか!今の食らって歩いてやがる」
「今の攻撃に耐えるのかよ」
止めを刺したと思い込んでいた者たちに衝撃が走る。
煙の中から現れたのは、腕をだらしなく下げ、頭から血を流し、満身創痍で歩き続けるクーデリカだった。
片目しか開かない顔で、それでもなお攻撃態勢を崩さない。
その執念、その威圧感は、荒くれものたち全員に敗北という感情を芽生えさせるに十分だった。
ドサッ。
クーデリカの心とは裏腹に、蓄積されたダメージは体中を蝕み肉体の限界をとうに超えていた。膝から崩れ落ち前のめりに倒れた。
「コイツッ!ビビらせやがって!」
ドゴッ!
クーデリカへの復讐心に燃えるリーダー格の女がすかさずクーデリカの腹を容赦なく蹴り上げた。
「グッ…」
クーデリカの顔が痛みに歪む。
「今までやってくれたこと全部返してやるよ!」
怒りの感情を蹴りに変えてクーデリカにぶつけ続ける。
ドスッ!ドゴッ!メリッ!バキッ!鈍い音が廃工場に響き続ける。
「さすがにこれ以上やったら死んでしまいますよ!」
「うるさい!黙れ!」
取り巻きが見かねて止めようとするが暴力の雨は止まない。
(ああ。ついに運にも見放された。ワタシはここで終わるんだ。まぁ、それもいいか……)
意識が遠のきかけたその時。
肺が凍りつくような極寒のプレッシャーが、戦場を支配した。
「……群れなければ何もできん羽虫どもめ。この程度の小娘一人に、これほどの人数で囲んで恥ずかしくないのか」
冷徹な声と共に、一人の女性が歩み寄る。ミランダだった。
彼女が指先をわずかに動かした瞬間。
パキィィィィン!!
大気が凍りつき、地面から巨大な氷の柱が突き出した。
襲いかかっていた女たちは、悲鳴を上げる暇もなく、その足元から瞬時に凍土へと縫い付けられる。路地裏全体が、一瞬にして静寂の氷晶世界へと変貌した。
「誰だテメー!邪魔すんじゃねぇ!」
クーデリカへの攻撃を止め、ターゲットをミランダに変え魔法の一撃を放ちミランダとの距離を一気に詰める。
魔法の攻撃をひらりとかわすが、躱されることを前提とした至近距離で低い体勢からの拳が放たれる。
ミランダはその攻撃を、氷の拳でカウンターを合わせた。
氷の拳が相手の顔面にめり込み、その一撃で勝負は決した。
「ひ、ひぃぃっ! こいつ、"銀牙の魔女"ミランダだ!!」
辛うじて氷を逃れた者たちが、腰を抜かしながら逃げ惑う。後に残されたのは、血と泥にまみれた少女と、すべてを凍てつかせる絶対的な支配者だけだった。
ボロ雑巾のように倒れこんでいるクーデリカに、静かに歩み寄り問いかける。
「私はミランダ。お前の名は?」
「……クー、デリカ」
やっとの思いで答える。
「そうか。お前が噂に聞くクーデリカか。行く宛がないのなら、私の元へ来い。お前はもう一人じゃない、私がお前の居場所になってやる」
一目見ただけだった。しかし、その一言に全てが詰まっているように感じた。理解してくれるようなそんな気がした。
差し伸べられた白く冷たい手。最後の力を振り絞って手を伸ばす。
それが、クーデリカが生まれて初めて触れた、生きるための「約束」だった。
回想から戻ったクーデリカの瞳に、月明かりが宿る。
「……だから、ワタシにはミランダを裏切るなんてできない。でも、ガウを殺させるのも……」
「探す!!」
沈黙を破ったのは、リューネの猛々しい宣言だった。
「え……?」
「ガウを探す!」
唐突な叫びに、三人が目を丸くする。
「リューネ、何を言ってるの!? 相手はどこにいるかも分からないんだよ!?」
ルナの動揺を余所に、リューネは拳を固く握りしめた。
「ガウがクー子の足かせになってるなら、そいつをぶっ壊してやる! ガウを取り戻せば、クー子がミランダを裏切る必要もなくなるだろ!」
「そんなこと、できるの……?」
「フェリス、あいつらの溜まり場、心当たりはあるか?」
リューネの鋭い眼光に、たじろぐフェリスだが、すぐさま頭をフル回転させ記憶を呼び起こす。
「……ええ。スモーキーズの拠点なら、いくつか候補があるけど……」
「明後日、夜会同士でやり合うんなら、ガウを人質に取ってるやつらはそう多くないはずだ。隙は必ずある」
リューネはクーデリカの正面に立ち、その肩を力強く掴んだ。
「クー子。お前の覚悟は分かった。だから……ギリギリまで、ミランダには手を出すな。あたしが必ずガウを助け出して、お前の元に連れ戻してやる!」
クーデリカは呆然とリューネを見つめた。
「……なぜ、そこまでする? ワタシとアンタは、敵同士なのに……」
「なぜって……」
リューネは、まるで「そんなの当たり前だろ」と言わんばかりに不敵に笑った。
「あたしがそうしたいからだ。敵とか味方とか、そんなの関係ねぇ。……友達を助けるのに、理由なんていらねぇだろ?」
「……友達?」
クーデリカの唇が、その聞き慣れない言葉をなぞる。
氷の規律でも、絶対的な忠誠でもない。
銀色の髪の少女が差し出したのは、あまりに青臭く、そして眩いほどの「絆」だった。




