第46章 いつも通り
「昨日と一昨日はそんなことがあったのか」
「うん、だから梓のところに行けなくてごめんね」
雄平くんのとこへお泊まりの次の日、千楓たち女子野球部は、改めて“始まる”。
とは言っても改めて形が変わることもなく
今までと変わらない日常だった
休みを2日挟んでもまだ大型連休中だったので朝からの練習になった
あたしと梓は朝に待ち合わせて練習場に向かっていた
「別にそれは構わないよ。
いつも真っ先にDVDとスコアブックを渡しにくるのに来ないから気になっただけで…」
「いやぁ、まさかあそこまでの大雨になるとは思わなかったよ」
「心配はしていたんだ…
いつも雷雨のときのキミを」
梓は知っている…このときのあたしのことを。
「ありがとう」
「それでも取り越し苦労だったみたいだな」
「あはは、お陰様で!」
「全く!人の心配をよそにクラスメイトの男子の家にお泊まりなんて破廉恥だぞ」
「なにもなかったんだからいいじゃん!」
「そういう問題じゃ…!」
あたしの熱烈な視線に気づいた梓は言葉を言いかけて止める
「な、なんだ千楓」
「梓のおっぱいって何カップ?」
梓の胸元をジッと見つめながら少し前から気になっていたギモンを投げかける
「な、何のハナシをしているんだ千楓!」
「あたしも別に小さくはないとは思うんだけど」
「それがなんだ!」
あたしは自分の胸を両手で寄せながら一昨日のことを話していく
「雄平くんちにお泊まりする時に
凛さんから下着借りようとしたんだけど
大きすぎて入らなくてさ」
「ま、まあ凛さんはスタイルがいいからな」
「梓のだったらいけたのかなぁーって今ふと思ってさ」
「そんなことはしらん!早く行くぞキャッチボールするんだろ」
わちゃわちゃしながら練習場に着いて更衣室で着替えて外に出る
まだ少し肌寒いけど、
ひんやりした空気が気持ち良い
練習開始まであたしと梓は2人でずっと投げて返してを繰り返していく…
最初、この野球部が始まった時も2人のキャッチボールから始まった
あの時と同じ景色。
同じ音。同じ距離。
なのに――なんでだろう。
今日は、ちょっとだけ胸が熱い。
あたしはこの日をきっとまた忘れない
ーーー
「よぉし!全員集まったな!」
「「「はい」」」
夏海せんせーの号令にあたしたちは全員で応える
「まだ伝えてられなかったけど、
お前達は本当によくやった!先生は嬉しい!」
みんなの顔を見て改めて野球部が出来たことにあたしは実感した気がした
「今日から葛城学園女子野球部は正式にスタートします。みんなよろしくな!」
そのあとは本当にいつも通りだった
いつも通りアップをして
いつも通りダッシュをして
いつも通りキャッチボールをして
いつも通りノックをして
いつも通り打撃練習をして
いつも通り試合を想定した練習をして
そしていつも通り投げすぎて梓に怒られる
――でも今日は、その全部が少しだけ誇らしかった。
みんなの顔が違う…ボールを投げる姿、バットを振る姿、ちゃんとした高校球児になった気がする
練習の後、梓がみんなを集めた
「さっき夏海先生から皆に言伝を頼まれた」
「どうしたの、改まって…」
梓の声が少しだけ弾んでいる。
視線を逸らしたまま、口元だけが隠しきれずに緩む。
いつもは感情を出さないようにしているけど
今日は、少しだけ崩れていた。
まるで、嬉しさを隠しきれない子どもみたいに。
「実はな、我々の今年の大会が出場が決まったんだ!」
「本当に!?」
「ああ!本当だ、理事長が連盟と掛け合ってくれてな!トクベツにだそうだ」
「やったー!」
あたし達は浮かれていた…
とんでもなく下のほうにいたところから這い上がる手を色んな人から上から差し伸べられてそれに引き上げられたことに
そしてその中の一つの手が壊れかけていることに気づかないほどに…
「ねえ、千楓って藤堂くんとどうなの?」
「へ?」
突然のチームメイトの質問に履き替えかけた靴下をもちながらあたしは固まる
「な、なんで?」
「だってねえ?」
「うんうん!仲良いじゃん」
「べっ…別になんでもないよ。雄平くんとは、ただの友達だよ」
「それそれ、その名前呼び!前からずっと気になってたんだよね」
「な、なにが?」
「千楓は別に普段から男子とは仲は悪くないのはわかる…けどお互いに名前呼びをする男子はほかに1人もいない」
「これが付き合っていなくてなんなの?!」
「そんなこと言われても…」
チームメイトたちの追及にあたしは何も答えられなくなってしまった…よし!逃げよう!着替え終わったし
「ごめん!じゃあ用事があるから!!」
「あっ!おい千楓!みんな、また明日!」
ガチャっ!バタバタ!
「あーあ、逃げられちゃった」
「でも、あの感じだと…どっちかは確実にホの字だね。」
「言い方ふる〜い!」
ガヤガヤと盛り上がる部室をあとにしてあたしは走っていた
「待ってくれ千楓!待てって!」
後ろから追いかけてきた梓にかけられて立ち止まって息を整える
「ごめんごめん急に出ちゃって」
「まだDVDとスコアブックもらってないからな」
「あ、そっちが目的?」
「君たちの色恋には興味がないからな」
「その割には顔が赤いけど…」
「……ッ!!走ってきたからだ!それよりも早くDVDとスコアブックを!」
「あれ!あそこにいるのってさ」
「誤魔化すな!」
「いやほんとに…雄平くんじゃない?」
「へ!?」
あたしが指を指した先で自転車に乗ろうとする雄平くんがいた
そしてその駐輪場の建物の看板
――スポーツ整形外科。
その文字を見た瞬間、あたしは唇をきゅっと結んだ
声をかければ、きっと振り向く。
いつもみたいに、歯を見せて笑った顔をして、それでもちゃんと返事をくれる。
――でも。
さっき見た、あの自転車の乗り方…
左腕をかばうような、あの違和感が頭から離れない。
「…声かけるか?」
声をかければいいのに。
なのに、足が動かなかった。
――触れてはいけない気がした。
「今は……いいや」
「そうか」
梓はそれ以上何も言わなかった。
雄平くんは、そのまま自転車に乗って、ゆっくりと走り出す。
その背中を、少しだけ見送る。
胸の奥が、少しだけ重たい。
「……行こ、梓」
「どこにだ」
「決まってるじゃん」
無理やりいつもの調子で笑う。
「凛さんのとこ。ちょっと顔見たいし」
「……やれやれだな」
あたしたちは、その場を離れた。
カランカラーンッ!
「いらっしゃいませ〜」
「こんにちは凛さん」
「こっ、こんにちは」
「あら、いらっしゃーい!千楓ちゃん、梓ちゃん」
中を見ると奥で一組おばさんたちがいたくらいで他にお客さんはいなかった
「今日はどこに座ろうか」
「カウンターにしよう。凛さんとも話したいし」
「あら、嬉しいわね。はいお冷やです。」
あたしたちがカウンターに座るとおしぼりとお冷やを置いてくれた
「今日はなんにしようかなぁー」
「私はアイスコーヒーだな」
「珍しい!ようやく苦味が美味しく感じてきた?」
「いやウィンナーのほうだ」
「あ、そう…
じゃあ、あたしはウィンナーじゃないほうにして…
ね、またサンドイッチ分けっこしない?」
「そうだな」
「2人とも決まったのかしら?」
ベストタイミングで聞きにきてくれた…さすがだ
「「はいっ!」」
ーーーしばらくして
コトン、と軽い音を立ててグラスが置かれる。
「はい、アイスコーヒーとウィンナーコーヒーね」
背の高いグラスの中で、氷がカランと静かに鳴った。
梓のには、黒く透き通ったコーヒーの上に、白いクリームがふわりと乗っている。
「はい、こちらもお待たせ!」
続いて、木のプレートが目の前に置かれる。
ふわっと、いい匂いが広がった。
こんがり焼かれたパンに、たっぷりの具材。
レタスの緑とトマトの赤が綺麗に映えている。
チーズとハムも入ってて目から小腹をくすぐる
「これこれ〜!」
思わず声が弾む。
「……相変わらず美味しそうだな」
梓も小さく頷く。
手に取れば、少しだけ温かい。
いつもと同じ、味も、匂いも、空気も。
――なのに。
ストローを口に運ぶ手が、ほんの少しだけ止まった。
さっきの光景が、頭から離れない。
「……千楓?」
「あ、ううん。なんでもない」
慌てて一口飲む。
いつもと同じ味のはずなのに。なんでだろう。
さっきから、胸の奥がざわざわしてる。
冷たいはずのコーヒーが、妙に喉に引っかかった。
「どうかしたの千楓ちゃん?」
洗ったコップを拭きながら聞いてきた
そんなに顔に出てたかなぁ
「いえなんでもないんです…ちょっと今日は記念すべき日だったので張り切りすぎちゃって」
「そういえば!今日が初練習だったのよね?女子野球部としての!」
「そ、そうなんです。だから私も千楓も舞い上がってしまって…」
「どうだった?きちんと認められての活動は」
「言うほど、劇的ではなかった気がします。いつも通りの変わり映えしない練習だったので」
「でも、みんなの気持ちは変わっていたな」
「……うん」
少し涙が出そうになる…と思ったら
「本当に良かったわね」
凛さんの瞳から涙がひと筋…流れていた
「凛さん!?」
「ご、ごめんなさい!思わず感極まっちゃって!」
「だ、大丈夫ですか?」
「う、うん大丈夫、大丈夫よ。ちょっと色々と思い出しちゃって…」
「それって…雄平くんのことですか?」
「おい千楓、またそんなことを!」
「……もしかしてまた何か見ちゃった?」
「実は病院から出てくる雄平くんを…さっき」
「またドンピシャなタイミングね」
「すみません、ほんとにたまたま見てしまって。」
申し訳なさそうに梓は軽く頭を下げた
「いいのよ、いずれ分かることだから」
「雄平くんの左肩はそんなに悪いんですか?」
「もう去年の時点でよく言われるガラスの肘…?になってしまったらしくて」
「でも、一年生でそうなるのは早すぎるような…?そんなに中学で投げてたんですか?」
指で顎を支えるようにして梓は質問するけど
「そこはわたしもわからないの…わたしは雄平が中学の時には実家から離れてたし雄平もあまり話してくれないし」
「そう…なんですね」
「だから本当は謝らなきゃいけないのはわたしなの…」
「え…?」
「雄平の肩のことも知らせずに千楓ちゃんに無理難題を押し付けてしまって」
「無理難題…?あ!」
あたしは凛さんとの約束を思い出した
正確には忘れていたわけではないが話が繋がっていなかったみたいだ
「本当にごめんなさい」
今度は凛さんが、少しだけ無理に笑った。
その姿にあたしは何も言えなくなってしまった
……知らなかった。
そんな顔、初めて見た。
凛さんは、いつも笑ってる人だと思ってた。
優しくて、明るくて、ちょっとだけお姉さんで。
でも――
今の顔は、違った。
ずっと、何かを抱えたまま、
それでも笑っていた人の顔だった。
……雄平くんも。
あの人も、同じなのかな。
さっき見た、あの背中。
――あれ、無理してる時のやつだ。
なんで分かるんだろう。
なんで、分かっちゃうんだろう。
「……千楓?」
梓の声で、現実に引き戻される。
「あ、ごめん……なんでもない」
そう言って、コーヒーに口をつける。
もう、氷は少し溶けていた。
冷たいはずなのに。
さっきよりも、少しだけぬるく感じた。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
女子野球部、ついに正式スタートとなりました。
とはいえ、やっていること自体はあまり変わらないのがこの子たちらしいところですね。
「いつも通り」の中にある、ほんの少しの変化や気持ちの違い。
そういう部分を感じてもらえていたら嬉しいです。
そして、少しずつですが見え始めてきたものもあります。
ただ、まだ全部は分からなくて大丈夫です。
次回からはまた少し空気が変わっていくと思いますので、引き続き見守っていただけると嬉しいです。
それでは、また次回で!




