01-07:心の距離
謙吾が高位次元力精製炉の報告書を読み直している最中。
同じく初根市第三支部へ、凛が訪れていた。
紗香は内心、彼女が来る時を待ち侘びていた。
出迎えようとする佐和へ「自分がやるので大丈夫です」と制し、自ら準備を進めていた。
『紗香、嬉しそうだね』
「そ……んなことはっ、ないですけど!?」
不意に頭の中へ《像断》の声が響く。
紗香は動揺を隠しきれないまま、その言葉を否定した。
「凛が次元境界線防衛機構へ来たいと言うなんて、珍しいですから。
これを機に習慣づけてもらおうと画策しているに過ぎません」
『そんなに硬くならなくてもいいのに』
取り繕うな咳払いを見せ、尤もらしい理屈を述べる。
決して浮ついている訳ではないと示さなくては、本人の矜持が許さないらしい。
どこまでもお堅い人間だと、《像断》は呆れていた。
「とにかく。凛だってこの初根市第三支部の一員なのですから。
少しでも訪れやすい環境だと思ってもらうのが、私の務めです」
そう言いながら、紗香は徐にふたつの湯飲みを暖め始める。
これで凛が来る頃には、丁度いい温度に暖まっているだろう。
『はいはい。頑張ってね』
これを楽しみにしていないと言うのは無理があるだろうに。
ただ、《像断》も知っている。彼女が心の底では、同年代の友人を欲している事を。
どうか凛には、彼女の良き友になって欲しい。そう願わずには居られなかった。
「ですから、頑張るというのは誤解です。
凛だって、意味もなく訪れるわけではないでしょう」
どうも佐和だけではなく、《像断》にまで茶化されているのは腑に落ちない。
僅かに眉を顰める紗香だが、彼女はきちんと理解している。
凛がわざわざ支部を訪れる理由、その真意を。
きっと一年前の事件について調べるに違いない。
O-disが現れるのではなく、消えた裂空現象に関する情報をひとつでも手に入れる為に。
今までの凛は、《忘音》を使って周囲を駆け回っていた。
機械類に疎い彼女は、足で稼ぐという方法を取っていたのだ。
しかし。一年の間、凛は手掛かりすら得る事は出来なかった。
悍ましいO-disの尻尾も、あかりの痕跡も。
彼女は何ひとつとして、見つけられてはいない。
故に、次元境界線防衛機構の情報網を頼ろうとしているのだと紗香は推察する。
当然ながら、情報を集めていたのは凛だけではない。
むしろ次元境界線防衛機構の方こそ、あの不可思議な裂空現象の意味を追っていた。
もしもO-disが裂けた空から自分達の次元へ帰るのであれば、人類が把握している以上の被害が出ているかもしれないのだから。
歓迎するべき状況ではないが、紗香はこの機を逃してはならないと感じていた。
凛と本当の意味で信頼をし合う為に。同時に、この国を守護してきた安達家の一員としての矜持を示す為に。
あの事件は、二人で解決するべきなのだと。
『紗香。凛が来たみたいだよ』
決意を新たにしている間に、どうやら凛が到着をしたらしい。
少し含みを持たせた《像断》の声に顔を顰めながら、紗香は凛を出迎えた。
この瞬間まで、紗香は確かな希望と決意を持っていた。
結果が伴わなかったのは、運が悪いとしか言いようがないほどに。
……*
「あの、凛……」
「え?」
心ここに在らずと言うべきか。
気が入っていない凛の生返事に、紗香は眉を下げた。
明らかに凛の様子がおかしい。
支部へ来たからではない。到着した時には既に、この有様だった。
折角用意した茶も、既に冷めきってしまっている。
一度たりとも口がつけられてない事実に、紗香は少しだけ心を痛めていた。
「ど――」
どうかしたのか。
そう訊こうとした直前に、紗香は己の口を噤む。
恐らく。いや、確実に凛は「何でもないよ」と答えるだろう。
一度そう言われてしまえば、しつこく訊く事も憚られてしまう。
凛とちゃんと向き合う必要があるのだから彼女だけに委ねてはいけないと、紗香は言葉を選び直す。
「ど?」
「い、いえ。どんな情報でも、佐和さんが纏めてくれていますから安心してください」
小首を傾げる凛に不審がられないよう、紗香は手元のタブレットを凛へ見せる。
そこには一年前の事件だけではなく、O-disに関するあらゆる情報が網羅されていた。
「凄いね、これ」
見つけやすく。そして見やすく纏められた情報を、凛は素直に感心していた。
情報の収集と整理は佐和の特技だと聞かされては居たが、これほどまでとは思っていなかった。
機械音痴の自分でも扱えそうなぐらいだ。
「そうでしょう。佐和さんは、第三支部の有能な通信士ですから」
付き合いの長さからか。紗香は誇らしげに頷く。
初根市第三支部は、他の支部との折り合いが悪い。こうして褒められる事すら、非常に稀だった。
例え身内からだとしても、佐和が褒められる事は嬉しい。
「それじゃあ、紗香ちゃん。少し、調べて欲しいことがあるんだ」
「ええ、いいですよ」
やはり、目的は情報の収集だった。
まだどこか気落ちしたままなのは引っ掛かるが、一歩前進と言ったところか。
心の中で佐和へ感謝をしながらも、紗香はタブレットを操作する。
「一年前。たくさんの適合者を殺したO-dis。
アイツはあれから、来てないのかな」
ところどころ言葉を詰まらせたのは、苦い記憶だからだろう。
それでも、凛にとっては避けては通れない事件。
親友を失ったという事実は、あまりにも深い傷痕を刻んでいた。
「それは、初根市に限った話ではないということですか?」
半ばそうだと思いつつも、紗香は尋ねる。
凛ならば、裂空現象と同時に《忘音》を使って現場へ駆けつける事が出来る。
むしろ、実際にそうしてきているのだ。初根市に現れたのなら、気付かないはずがない。
「……うん」
下唇をきゅっと噛みしめながら、凛が頷く。
きっと彼女はこの一年、初根市をくまなく探したのだろう。
それでも、天間あかりを見つけられはしなかった。
(あるいは、天間さんはもう向こう側で――)
紗香の脳裏に浮かぶのは、最悪の可能性。
しかしそれは、凛の気持ちを思うと口にするのも憚られる。
凛にとってあのO-disは宿敵であり唯一の希望なのだ。
天間あかりが生きているかもしれない。また帰ってくるかもしれないという願いを保つ、細い細い糸。
「……残念ですが、あのO-disと同形のものは確認されていませんね」
初根市に留まらず、世界中の報告を漁ったにも関わらず。残酷な結果が映し出される。
あかりは勿論、あのO-disの情報は世界中どこを見渡しても見つからない。
完全に姿を消してしまっているのだ。
「そっか……」
表情に影を落としながら、凛が呟く。
苦しそうに絞り出した声から漏れる絶望感が、紗香へと伝播する。
このままでは、凛はそう遠くないうちに壊れてしまう。
そう考えた紗香は、ある決断を下す。
「凛の方こそ、当時のことを何か思い出したりしていませんか?」
今までは凛の気持ちを慮って、当時の一件を深く踏み込まないようにしていた。
時間と共に彼女の苦しみが緩和される事を願った、言わば保存療法だ。
けれど、日に日に彼女の余裕は削り取られている。
ならば痛みを伴ってでも、答えを見つけるべきではないか。
あの日。唯一の生存者である音無凛の記憶を遡るによって、新たな何かが発見できる可能性に紗香は賭けた。
「……分からない。分からないんだよ」
「凛……?」
けれど、凛から絞り出された答えは同じだった。
唯一違う点を挙げるとすれば。
どういうわけか、凛は普段よりも苦しそうな表情を見せている。
「急に真っ暗になって、眼を開けているかも閉じているかも分からなくって。
気付いたらもう、空が裂けて。あかりちゃんも、O-disも居なくなってたんだから!
あたしは……っ! あたしはいちばん近くにいたのに、何も分かってないんだよ!
だから、だから……っ。あかりちゃんを探してるんだよ……!」
聞いている紗香まで胸が苦しくなるような、悲痛な叫び。
消えたという事実が、ただひたすらに凛を追い詰めていた。
「……ごめん、紗香ちゃん。
紗香ちゃんは何も悪くないのに」
どう声を掛ければいいのか判らない。言い淀む紗香の姿を受けて、凛が我に返る。
荒くなった呼吸を整えながら、彼女へ謝る表情はまだ苦しそうだった。
「いえ、気にしないでください」
「……っ」
申し訳なさそうに頭を下げる紗香を受けて、凛は言葉を失う。
紗香へ八つ当たりをしてしまった。彼女は何も悪くないのに、謝らせてしまった。
本当に自分が嫌になると、凛はまた表情を曇らせていた。
「ごめん、紗香ちゃん。あたし、今日はもう帰るね。
……情報、いろいろと調べてくれてありがとう」
「あ、凛――」
これ以上は、一緒に居るのも居た堪れない。
手を差し伸べようとした紗香に気付く事もなく、凛は支部を後にした。
『紗香、大丈夫?』
「大丈夫じゃないのは、凛の方でしょう……」
紗香を気遣う《像断》の声が、頭に響く。
尤も、質問の意図を理解していない彼女に《像断》は頭を悩ませていた。
(凛。想像以上に想い詰めていますね)
《像断》の気持ちも把握できないままに、紗香は凛の様子を思い返す。
ひょっとすると、自分は凛を余計に追い詰めてしまっただけなのかもしれない。
凛がどう思っているのか。どう考えているのか。紗香は、未だに想像する事しか出来ない。
二人の距離は、依然として縮まる気配が感じられなかった。
一体どうすればよかったのだろう。
解るはずのない答えを求め、自問自答を続ける紗香。
「紗香?」
「……お父様」
そんな彼女へ声を掛けたのは、他でもない父親の謙吾だった。
「音無君は、既に帰ったのか」
「はい、先ほど。すみません、お父様や佐和さんに挨拶もせずに」
「そんなことは気にしなくてもいい」
困った顔を見せる紗香を、謙吾は軽く手で制して見せた。
いつもの父が見せる穏やかな所作に、彼女は安堵を覚える。
「紗香の方こそどうかしたのか? 随分と元気がないようだが……」
「それは……。いえ、すみません」
悩みが顔に出過ぎてしまっていたのかと、紗香は己の頬を軽く叩く。
今、初根市第三支部で戦えるのは自分と凛だけなのだ。
指揮を執る父へ、要らぬ心配を与えてはならない。
前線で連携できず、一年前のような悲劇が起きる事は断じて許されない。
「実は、凛と一年前の事件について再度情報を見直していました。
その時の様子を凛へ尋ねたのですが、『分からない』という回答がありました。
やはり、《天掏》の影響があったのだと思います」
紗香は凛が来てから帰るまでの流れを、謙吾へ伝える。
彼女は当時の記憶を取り戻す気配がない。覚えているのは、裂空現象が起きたという事実だけ。
「そうか」
謙吾は神妙な面持ちで、紗香の言葉に耳を傾ける。
傍目には何も変化がないという状況にも関わらず、真剣に向き合ってくれる。
紗香は、そんな父の存在を尊敬すると同時に有難く感じていた。
「あれから一年だ。音無君が不安になるのも無理はない。
無茶なことをしないように、気にかけてやってくれ」
「……はい」
支部長としての謙吾の言葉に、紗香は深く頷く。
凛の為にも。父の為にも。何より、自分の為にも。
より深く一年前の事件と向き合わなくてはならないと、紗香は決意を新たにする。
そうすればきっと、凛との距離も埋まる。埋められる。
不器用な自分に出来るのはそれぐらいだと、紗香はぎゅっと胸を握り締めた。
……*
『凛、いくらなんでも態度が悪すぎたって。
あんないきなり捲し立てたって、紗香はびっくりするだけだよ』
空がオレンジ色に染まる中。
揺れる鈴から小言が直接頭に響き渡る。
「分かってるよ。分かってるけど……」
ばつの悪そうな顔を見せながら、凛は天を仰いだ。
美しい夕焼けが広がっているにも関わらず、彼女にはまるで視えていない。
《忘音》に言われるまでもない。
自分でも感情的に成り過ぎたと、理解している。
ただ、それを理性的に対応できるかどうかは別の話となる。
彼女は再会してしまったのだから。あかりの妹である、しおりと。
「しおりちゃんは、どうしてあたしに声を掛けたんだろう」
しおりは、初根ヶ丘高校の制服を着ていた。
自分が通っていると知りつつ、初根ヶ丘高校を選んだのだ。
その意味を考えずには居られない。
一年ぶりに再会した彼女は、あかりの存在に触れなかった。
あれだけ姉にべったりだったのに、一言も口にしていない。
「……やっぱり、恨まれてるよね」
ぽつりと、凛が呟く。
当然の思考だった。しおりにとって自分は、大好きな姉を奪った人間だ。
散々振り回して、自分だけがおめおめと生き延びた。赦せるはずもない。
『考えすぎだって。気を遣っただけかもしれないでしょ』
フォローを入れる《忘音》だったが、しおりに気を遣わせたという事実が既に辛い。
あかりの家族にちゃんとした謝罪の言葉も遅れず、逃げ回っていた自分と大違いだ。
本当に自分は最低なのだと、再確認せずには居られなかった。
(あたしは、どうすればいいんだろう)
進むべき道が判らず、途方に暮れる凛。
段々と沈んでいく夕陽が、彼女の心を映し出しているようだった。
その夜。
初根市と隣接する戸成市にて、裂空現象が確認される。
一体のO-disが速やかに駆逐される傍ら。
二名の適合者が、命を落としていた。




