01-05:再会は再動の証となる
人気のない道を、一歩ずつ大地を踏み締めていく凛。
澄んだ空気を味わうかのように、顔を上げた。
冷たい空気が、肺の中を満たしていく。
まだ残っていた眠気が洗い流されていく。
昨日から何か変化はないか。その予兆は感じられないか。
隅々まで見落とす事がないように注意深く、凛は街の中を見渡していた。
凛にとって、この一年で日課となってしまった行動。
決して、平和を噛みしめる為に行っている訳ではない。
あかりが居るかもしれない。帰ってくるかもしれない。
一縷の望みをかけて、じっとしていられないに過ぎなかった。
いつしか、寝坊はしなくなっていた。むしろ、寝付けない日の方が多い。
長くなった一日は、あかりと逢えない時間を容赦なく突き付けてくる。
堪らなく苦しい。けれど、自分に弱音を吐く資格はない。
せめて、あかりと一緒に守ってきたこの街を守り続けよう。
いつか再会した時に、彼女に失望されたくはないから。
傷付いた心から目を逸らすように、歩き続ける凛。
そんな彼女が唯一、立ち止まる場所がある。
まだ灯りのついていない、美容院。
あかりの家を、凛は遠巻きに眺めていた。
「……っ」
胸の辺りが締め付けられる。呼吸も上手くできない。
まるで壁でもあるかのように一歩も前へ進めなくなる。
強い後悔と申し訳なさが、彼女の身体を縛り付けていた。
以前は違った。こんな壁なんて感じた事はない。
早くあかりに会いたい。その一心で、夢中でこの道路を走っていた。
笑顔で出迎えてくれるあかりの笑顔が、凛は心の底から好きだった。
「あかりちゃん……」
ぽつりと、あかりの名を呟く。
当然、何も起きない。起きるはずがない。
『凛』
「うん。ありがと、《忘音》」
頭の中に《忘音》の声が響く。
自分を気遣ってくれての言葉であると、ちゃんと解っている。
もう一年も避け続けて来たのだ。
今更、あかりの家族に合わせる顔がない。
凛は後ろ髪が引かれる思いを抱きながら、踵を返した。
ここから立ち去る時、不思議と身体は動いてくれる。
その事実が、またひとつ凛の表情を曇らせてしまう。
「凛ちゃん……」
凛は自責の念から、はっきりとあかりの家を直視出来ていない。
だからだろうか、彼女は気付いていなかった。
薄暗い部屋の中。カーテンの隙間から、自分を視ている少女が居る事に。
……*
それから数時間。凛は歩き続けた。
結局、彼女が学校へと辿り着いたのは始業のチャイムが鳴る直前だった。
「凛。もう少しで、遅刻でしたよ」
校門の前で、呆れた様子を見せる一人の少女。
同級生であり、共にO-disを討伐する仲間の紗香が、自分を待っていた。
「紗香ちゃん。別に待ってくれなくても良かったのに」
凛は少し驚いた様子を見せつつ、小走りで紗香へ駆けよる。
彼女の性格ならもっと早くに到着していただろうに。
どうして自分を待っていたのかと、凛は首を傾げていた。
「えっと、それは……」
痛い所を突かれ、紗香に動揺が走る。
本当は一緒に、クラス替えの結果を確認したかった。
ただそれだけだとは、言い辛い雰囲気が出来上がってしまう。
『あーあ。いきなりそんな態度で話し掛けるから』
自分の主はどうしてこんなに、人付き合いが下手なのだろうと呆れる《像断》。
凛や《忘音》に聴こえないよう、とても小さな声だったが紗香を赤面させるには十分な効果を持っていた。
紗香の頭の中は、みるみる羞恥心に支配されていく。
何か言わなくてはいけない。その一心だけが、彼女を行動に移させる。
「き、今日から、二年生ですからね。凛が誤って一年の校舎へ行かないようにしているだけです。
次元境界線防衛機構として皆さんに不安を与える様な振舞いを避けてもらわなくてはいけませんから」
「いくらなんでも、そこまでマヌケじゃないよ……」
尤も、そこから吐き出された言葉は決して最適解とは言えない。
渋い顔をする凛と、絶句する《像断》。
互いにぎくしゃくする中。二人は校門をくぐり抜けた。
……*
新しい教室と、まだ馴染んでいない机。
外の景色も今までとは違って見える。
何もかもが新鮮な二年生の校舎でひとつだけ、見慣れた姿が眼前に佇んでいた。
艶やかですらりと伸びた美しい黒髪はお淑やかさを連想させる。
その印象に違わず、伸びた背筋も相まって後ろ姿だけでも男子を魅了し、女子を羨ましがらせている。
「紗香ちゃん。今日はホームルームと、入学式だけだっけ?」
皆が息を呑む中、凛は一切の遠慮がない。
自分の前の席に座る少女。紗香とは、毎日のように顔を合わせている。
今更話し掛ける事に気後れはする必要があるはずもなく、凛は彼女へ声を掛けた。
平穏を装う教室だったが、皆が横目で紗香の行動を追う。
前を向いていた彼女だったが、振り返ればその破壊力は倍増だ。
切れ長の美しい眼は可愛さと格好良さを両立しており、いくら眺めていても飽き来ない。
紗香が次元境界線防衛機構に所属している事を知らぬ者は居ない。
高位次元力精製炉の適合者として、O-disと戦う姿はニュースサイトを通してよく見られているのだ。
そんな事情もあってか、紗香は校内でも非常に注目を浴びていた。
彼女は戦っている時の印象そのままで、教室に存在している。
凛然とした佇まいも美しいが故に、近寄りがたい。
一種の不可侵領域が自然と出来上がっている事を紗香が知る由もなかった。
そのせいか、凛が紗香へ話し掛けた瞬間に教室中が静まり返る。
高位次元力精製炉の適合者だから。
次元境界線防衛機構に所属しているから。
色々と納得できる理由はあるのだが、音無凛はある意味で特異点と化していた。
「そうですね」
一方で、周囲から馴染めないと悩んでいる紗香は凛の存在を有難く思う。
自分と距離を置かない同級生は、彼女ただ一人なのだから。
無論、彼女か周囲のどちらかが歩み寄ればすぐに収まる話ではある。
紗香とてO-disの討伐に携わっている以上、自分の名が知れているという自覚はある。
ただ、それ以上にある種の有名人である父を茶化される可能性に警戒していた。
そうなると自分はきっと、怒りを抑えられないという確信があるからだ。
友人は欲しいけれど、上手く行かない。
彼女の苦悩を緩和させている存在が、音無凛なのだ。
「じゃあ、学校が終わったら支部に寄ってもいい?
まどかさんに調べて欲しいこともあるし」
尤も。凛は紗香の事情も、周囲の眼差しも気に留めていない。
正確に言えば後悔と自責の念に囚われ続ける彼女の視野は、極端に狭くなっていた。
「ええ、構いませんよ。学校が終わり次第、直接支部へ向かいますか?」
二つ返事で紗香は了承をする。僅かに綻んだ彼女の笑顔が、静かに教室を湧かせていた。
ただ、教室に漂う歓喜の渦はすぐに鳴りを潜める。他でもない凛が、首を横に振ったからだ。
「ううん。着替えたいし、一度帰ってから行くよ」
「そうですか」
淡々と返しているように繕うものの、紗香は明らかに落ち込んでいた。
凛の高位次元力精製炉である《忘音》は、高速での移動を行う。
スカートのままでは、万が一の際に動きづらい。着替えるのは当然だと、納得のいく理由を探し出していく。
どうせすぐ会うのだから、寂しい訳ではないのだと自分に言い聞かせていた。
あかりと一緒に着ると約束していた制服を、自分だけが着ている。
その後ろめたさから一秒でも早く逃げ出したいという凛の気持ちに、気付くはずもなかった。
次元境界線防衛機構に所属してからの一年間。
凛と紗香は小さなすれ違いを続けていた。
絡まった糸が自然に解けたりはしないように、目に見えない蟠りは次第に大きくなっていく。
……*
「それじゃあ、また後でね」
「ええ。支部で待っています」
普段より短い一日を終え、凛と紗香は校門をくぐる。
凛は着替える為に、一度自宅へ。紗香は直接、次元境界線防衛機構初根市第三支部へと向かう。
小一時間後には再会しているであろう、ほんの少しの別れ。
感傷に浸る必要はないと、互いが振り返る事は無かった。
「ねえ、《忘音》。入学式、どんな様子だった?」
『え? 普通だったと思うけど……』
家路へとつきながら凛は《忘音》へ話し掛ける。
頭の中で少し悩むような、それでいて当たり前の回答が響いた。
「そっか」
『普通』の入学式。
つまりは、新入生の皆は高校生活に大きな期待と少しの不安を抱えた様子で迎えていたのだろう。
当たり前の事が、凛は少し羨ましい。
一年前は違っていた。
絶望に打ちひしがれていた自分と、参加すら出来なかったあかり。
校長の口からあの事件が語られた時は、頭の中が真っ白になった。
「紗香ちゃんには、甘えっぱなしだなぁ……」
見兼ねた紗香が再び次元境界線防衛機構へ勧誘してくれたのは、その帰りの事だった。
まだ心に深い傷を負ったままだが、立ち上がれているのは彼女のお陰だ。いつかきちんと、お礼をしなくてはならない。
ぼんやりと、そんな事を考えている瞬間だった。
「凛ちゃん」
背中越しに、名を呼ばれる凛。
直後、彼女の身体が強張った。
紗香のものではない。
けれど、凛はこの声を知っている。
当たり前だ、忘れるはずがない。
忘れていいはずがない。
固唾を呑み込み、冷や汗を滲ませながら。
凛は、ゆっくりと振り返った。
瞳に映し出されるのは、一人の少女。
活発的な印象を齎す短い髪と、くりっとした眼がよくマッチしている。
自分の記憶より少し印象こそ変わっているが、凛が彼女を見間違えるはずもなかった。
「しおり……ちゃん……」
唇を震わせながら、凛は少女の名を呟く。
天間しおり。自分の親友である天間あかりの、一歳年下の妹。
「やっぱり、凛ちゃんだ。久しぶり!」
「う、うん。久しぶりだね」
驚きで目を丸くする凛とは対照的に、しおりは屈託のない笑顔を見せる。
凛はどんな表情を向けるのが正しいのか判らず、震えそうな身体を必死で抑えつけていた。
印象が変わって見えるのは、髪が短くなっているからだろう。
一年前までの自分を彷彿とさせる髪型に、心臓が締め付けられそうになる。
「しおりちゃん、初根ヶ丘高校に入ったんだ」
「うん。ココの制服、やっぱり可愛いよね」
「そ、そうだよね」
頭の中で必死に「落ち着け」と連呼しながら、凛はしおりとの会話を続ける。
しおりはどうして、話し掛けて来たのか。自分を恨んでいないのか。
そんな邪推をしてしまう自分の心が、心底嫌になっていた。
言葉を交わしたのは、ほんの数分だった。
けれど凛は、内容を全く覚えてはいない。覚えておく余裕すら、持っていなかった。
恐らく、当たり障りのない。つまらない返答だけを、していたのだと思う。
「また凛ちゃんの後輩になるから、よろしくね!」
やがて満足をしたのか、しおりはひらひらと手を振る。
釣られて凛も手を振るが、そこに心を込める余裕は残っていなかった。
「あかりちゃん……」
しおりの姿が見えなくなると同時に、凛はあかりの名を呟く。
自分だけではなく、しおりも初根ヶ丘高校の制服に身を包んでいる。
その事実は、彼女の心に深い傷を負わせていた。
……*
「凛ちゃん、ちょっと雰囲気が変わってたよね」
気分も上々に歩くしおりの声が弾む。
周囲には誰もいないが、問題はない。
返事は頭の中へ、直接響くのだから。
『ええ、そうね』
きっと、あらぬ心配をしているのだろう。
あまり高揚のない声が響き渡ると、しおりは苦笑した。
『しおり、解っていると思うけど』
「大丈夫。凛ちゃんを巻き込むつもりはないよ」
声の主。自分が身に着けている高位次元力精製炉が、釘を刺そうとする。
「ほら見たことか」と笑みを浮かべながら、しおりは続けた。
「だから、心配しなくていいよ。
――《天掏》」
制服の袖から覗かせるブレスレットへ、しおりは語り掛ける。
それはまさしく、凛とあかりが身に着けていたお揃いのものだった。
音無凛。高校二年生の春。
運命の歯車は既に廻り始めている事を、彼女はまだ知らなかった。




