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デモンズ・ゲート ―三十三の刻印―  作者: 梅野 夕季
第一章『雷鳴の刻印』

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第8話『三人の弱点』


 ファランディア南区画の訓練場は、魔法学校のそれとはまるで違っていた。


 石造りの壁には無数の斬撃痕が刻まれ、地面の一部は炎に焼かれて黒く変色している。片隅には、砕けた標的人形や修理を待つ訓練用の盾が、無造作に積み上げられている。


 ここでは、訓練さえも戦場の続きなのだ。


 吹き抜けの天井から風が入り込み、砂混じりの土を薄く巻き上げていた。その砂煙の向こう、訓練場の中央には、すでにリヴァが立っている。


 リヴァは本物の双剣を壁際に置き、代わりに二本の訓練用木剣を逆手に握っている。


 対するアレンたちも、それぞれ訓練用の装備を身につけていた。アレンは片手剣と小型の盾を構え、ドレイヴは重量のある片刃の木剣を担いでいる。マナは魔力出力を抑制する術式が刻まれた訓練杖を握っていた。


 さらに訓練場の外周では、ケイムが設置した封止用の魔法陣が淡い光を放っている。


「始める前に、念のため確認しておこうか。まあ、形式みたいなものだけどね」


 壁際の観覧席から、ケイムが声をかけた。


「殺傷性の高い魔法は禁止。アレン、君は刻印を使わない。それと――刻印に少しでも異常が出たら、その時点で僕が試合を止める。君たちが続けたいと言ってもだ。ここだけは、話し合うつもりはないよ」


「普通の魔法なら?」


 アレンが尋ねる。


「それは構わない。ただし、出力は訓練場の制限値までだ。試合のついでに、壁の耐久試験まで始められると困るからね」


 ケイムは手にした魔力測定器を軽く振ってみせた。


「超えれば、こいつが先に教えてくれる。たぶん、君が自分で気づくより早くね」


「……分かった」


 アレンは右手を覆う黒い手袋を見下ろす。

 刻印は静まり返っている。だが、これから戦闘が始まると意識しただけで、指先には微かな痺れが走った。


「それと、もう一つ」


 リヴァは二本の木剣を肩に担いだ。


「あたしに一撃でもまともに入れられたら、その時点でお前らの勝ちだ」


「三人がかりだからって、ずいぶん余裕じゃねえか」


 ドレイヴが挑発するように笑う。


「気に入らないなら、あたしが一発もらった時点で負けってことにしてもいいぞ」


「……いや、同じだろ、それ」


「ん? ……ああ、そうだったな」


 リヴァは悪びれもせず、軽く肩をすくめた。

 マナは杖を胸元へ引き寄せ、二人にだけ聞こえる声で呼びかける。


「始める前に、せめて最初の動きだけでも決めよう」


 三人はリヴァから少し離れた場所へ集まった。その間、リヴァは欠伸を噛み殺しながら、二本の木剣を退屈そうに回している。


「まずは俺が前に出る」


 ドレイヴが迷いなく言う。


「正面からリヴァを止める。その隙にアレンが横から入れ。マナは後ろで援護だ」


「止めるって……リヴァを、そんな簡単に止められるか?」


 アレンの問いに、ドレイヴはリヴァから目を逸らさず答えた。


「簡単じゃねえから、俺が行くんだろ。誰も前に出なきゃ、何も始まらねえ」


「それはそうだけど……先にマナの防御術式を――」


「うん。まず二人に防御強化。その次にドレイヴを水で補助して、最後にアレンの魔力を――」


 マナは指で手順を確かめるように、杖を握り直す。


「待て。全部やるつもりか?」


 ドレイヴが途中で遮った。


「そんなことしてたら、終わる頃にはリヴァが目の前にいるぞ」


「でも、順番を崩したら術式が不安定になるの」


「なら、戦いながら順番にやればいい」


「……だから、そんな簡単に言わないでよ」


 二人の声が少しずつ強くなっていく中、アレンは相談の輪から目を上げ、リヴァの様子をうかがう。


 彼女は口を挟むことなく、その場に立ったまま三人の相談を眺めている。だが、その表情には、すでに何かを見抜いているような色が浮かんでいた。


「とにかく――」


 アレンは言い合いになりかけた二人の間へ割って入った。


「ドレイヴが前に出る。俺は少し後ろからついていく。マナは、最初から全部の術式を使おうとしなくていい。その場で必要なものを――」


「必要なものって、何?」


 マナに問い返され、アレンは言葉を止める。

 相手はリヴァだ。何を仕掛けてくるのか、考えたところでまるで読めない。


「……それは、動きを見て決めよう」


「だから、それを決めるために作戦を立ててるんだろ」


 ドレイヴが呆れたように言った。


「――もういい」


 離れた場所から、リヴァの声が飛んでくる。


「相談はそこまでだ。戦場じゃ、敵がいつまでも話し合いを待ってくれるとは限らねえぞ」


 三人は慌てて距離を取った。アレンが中央に立ち、ドレイヴがやや前へ出て、マナが後方へ下がる。

 魔法学校で何度も繰り返し練習してきた、基本的な三人編成。


 対するリヴァは、木剣を下ろしたまま、力みのない自然体で立っている。


「準備はできたか?」


「……ああ。いつでもいい」


 アレンが答えると、リヴァの口元がわずかに上がった。


「そうか。なら――始めるぞ」


 その言葉が落ちるより早く、ドレイヴが真っ先に駆け出す。


「おおおっ!」


「待って、まだ防御術式が――!」


 マナの制止も間に合わず、ドレイヴは一直線にリヴァへ迫ると、片刃の木剣を大きく振りかぶった。

 踏み込みにも、振り下ろす刃にも迷いはない。だが、アレンとマナは、その背中を追うことさえできていない。


「先走るなよ」


 リヴァは斜め前へ一歩踏み出す。


 振り下ろされた剣を避けるのではなく、その懐へ入り込んだ。


「なっ――」


 予想外の踏み込みに、ドレイヴの反応が一瞬遅れる――その瞬間。


 横合いから振るわれた木剣が、狙い澄ましたようにドレイヴの手首を叩いた。鈍い音とともにドレイヴの指が開く。握っていた片刃の木剣は、そのまま宙へ弾き飛ばされる。


 それでもドレイヴは止まらない。木剣を弾かれると同時に、左腕を伸ばしてリヴァの肩を掴もうとした。


「悪くねえ」


 低く呟いたリヴァは体を沈め、伸びてきた腕の下を潜り抜ける。

 もう一方の木剣の柄がドレイヴの脇腹に突き込まれた。


「ぐっ……!」


 巨体が横へ崩れる。それでもドレイヴは落とした木剣へ手を伸ばしている。


「ドレイヴ!」


 マナは杖を掲げた。


「水よ、守りの壁となれ。包み込め――」


 空中に青い術式が浮かび上がる。


 青い術式は正確に組み上がっていく。ドレイヴが倒れたあとも、マナが選んだのは最初に予定していた防御術式だった。


「遅い」


 リヴァは倒れたドレイヴを飛び越え、その勢いのままマナへ迫る。


「ヴェレンヴァル!」


 マナの前に水の盾が広がった。

 しかし、リヴァは正面からぶつかろうとはせず、踏み込む直前に進路を変えると、水の盾の側面へ素早く回り込む。


「えっ――」


 マナが杖を向け直そうとしたときには、すでにリヴァは目の前にいる。

 木剣の切っ先がマナの喉元に突きつけられた。


「マナ、脱落。一人目だ」


 そう告げると、リヴァはマナの杖を軽く払い上げる。

 杖はあっけなく手を離れ、そのまま地面へ転がっていく。剣を構えたまま、アレンは二人が倒されるのを見送るしかなかった。


 あまりにも速い。


 ドレイヴが倒され、マナの防御を抜かれるまで、ほんの数秒しか経っていない。


「アレン!」


 マナに名を呼ばれ、アレンの意識が戦いへ引き戻される。リヴァはマナの前に立ったまま、こちらへ背を向けていた。


 今なら撃てる。


 そう判断したアレンは右手を前へ突き出し、空気中の魔力を一気に引き寄せる。青白い火花が、指先で弾け始めた。


「走れ、雷――」


 だが、詠唱はそこで止まった。

 リヴァのすぐ横にはマナがいる。倒れたドレイヴも、射線から完全には外れていない。


 出力を落とせばいい。

 そう考えた直後、別の言葉が脳裏をよぎった。


 ――また、逸れたら。


 ルミノヴァの訓練場で、雷がマナの腕を焼いた光景が鮮明に蘇る。

 指先へ集まっていた魔力は、迷いに引きずられるように不安定に揺らいでいく。


「撃たねえのか?」


 リヴァが振り返った。

 アレンは答えられない。


「だったら、こっちから行くぞ」


 次の瞬間、リヴァの姿が消える。


 そう錯覚するほどの速度で間合いを詰められ、アレンは考えるより先に盾を跳ね上げた。直後、木剣が盾の中心を真正面から打ち据え、左腕へ強い衝撃が走る。


 衝撃を殺しきれず、盾ごと左腕が外側へ流された。


「っ!」


 体勢を崩しながらも、アレンは右手の剣を横薙ぎに振るう。リヴァは上体を反らしてその刃をかわしたが、アレンはさらに一歩踏み込み、間を置かず二撃目を放つ。


 しかし今度は、リヴァが片方の木剣で受け止めた。乾いた音が訓練場へ響き渡る。


「剣筋は悪くねえ」


 リヴァが淡々と言った。


「守りも、丁寧だ。けど――」


 もう一本の木剣が、盾の縁を下から鋭く打ち上げる。

 盾ごと左腕を上へこじ開けられた。


「考えすぎなんだよ」


 木剣の先端がアレンの胸元にそっと触れる。

 それはほんの軽い一撃にすぎなかったが、勝敗を決めるには十分だった。


「二人目」


 その声に重なるように、背後から荒い足音が迫ってくる。


「勝手に終わらせんな!」


 脇腹を押さえていたドレイヴは落とした木剣を拾い上げると、痛みを振り切るように再びリヴァへ突進した。


 だが、足取りは一度目より明らかに乱れている。剣を振り上げる動きも隠せていない。狙いは正面から見ても分かるほど単調だった。


「今度こそ――!」


「……変わってねえよ」


 リヴァが静かに言うと、体をわずかに横へずらし、ドレイヴの斬撃を紙一重でかわす。

 勢いを止められない彼の背へ木剣を添え、そのまま足を払う。巨体は前方へ投げ出され、土の上を何度も転がった。


 ドレイヴが起き上がろうとしたときには、すでにリヴァの切っ先が首元へ突きつけられている。


「三人目」


 訓練場に静寂が戻った。開始からまだ一分も経っていない。

 アレンは胸元に触れた木剣の感触を思い返しながら、呆然とその場に立ち尽くしている。


 何もできなかった。


 三人で戦ったはずなのに、実際には連携することもできず、一人ずつリヴァへ向かっては、ただ倒されていっただけだった。


「ここまでだね」


 壁際にいたケイムが告げた。

 封止用の魔法陣の光が弱まり、訓練場を囲んでいた術式が消えていく。


「……もう一回だ」


 ドレイヴは服についた土を乱暴に払いながら、立ち上がる。


「今のは、最初の動きが噛み合わなかっただけだ」


「やり直しても同じだ」


 リヴァは二本の木剣を無造作に下ろした。


「少なくとも、今のお前らじゃな」


「俺たちは、まだ全力を出してねえ」


「違う」


 リヴァはドレイヴをまっすぐ見据える。


「全力を出さなかったんじゃねえ。出せなかった。それが問題なんだよ」


 ドレイヴが言葉を詰まらせた。

 リヴァは三人の前へ歩み寄る。


「先に言っておく。お前らは、弱くねえ」


 思いがけない言葉に、三人が顔を上げた。


「ドレイヴには突破力と、倒れても立つしぶとさがある。マナの術式は正確で、防御と治療を任せられる。アレンは剣の基礎が安定してるし、相手を見る冷静さもある」


 リヴァはそこで一拍置き、三人の顔を順に見る。


「――一人ずつなら、な」


 リヴァの声が低くなった。


「お前らはな、三人で戦った途端に弱くなる」


 ドレイヴの眉がぴくりと動く。


「……どういう意味だよ」


「言ったままの意味だ」


「まずは、お前だ」


「俺からかよ」


「真っ直ぐ進むのは悪くねえ。その体格と突破力なら、前衛はお前だ」


 リヴァは木剣の切っ先でドレイヴの胸を軽く叩く。


「だが、仲間がついてきてるかも見ずに飛び出せば、突破じゃない。ただの孤立だ」


「……マナの支援を待てってことか」


「支援だけじゃねえ。後ろの二人が何をしようとしてるのか、見ろ」


 ドレイヴは言い返せず、悔しそうに奥歯を噛んだ。

 続いて、リヴァはマナの前で足を止める。


「お前は、その逆だ」


「わたしは……何が駄目だったの?」


「正しい順番にこだわりすぎた」


 マナは杖の柄を強く握り締めた。


「最初に防御、次に補助、そのあとで拘束。学校で習った通りに組み立てようとしたんだろ」


「だって、順番を崩したら術式が不安定になるから……」


「じゃあ、戦場で仲間が倒れかけてても、教本どおりの順番を守るのか?」


 マナの返事が途切れる。


「ドレイヴが飛び出した時点で、予定はもう崩れてた。なら、防御を張るより先に、水であいつの進路を逸らす手もあった」


「でも……そんな使い方をしたら、失敗するかもしれない」


「失敗しないことばかり考えて、何もできずに終わる方が悪い」


 厳しい言葉だった。

 だが、リヴァの声に責めるような響きはない。


「正しい術式ばかり見るな。今、目の前にいる仲間を見ろ」


 マナは俯き、しばらくして小さくうなずいた。


「……うん」


「お前の正確さは武器だ。捨てろって言ってるんじゃねえ」


 リヴァは手の中で木剣をくるりと回す。


「何を、いつ使うのか。それを自分で決めろって言ってるんだ」


 マナはゆっくりと顔を上げ、今度ははっきりと頷いた。

 最後に、リヴァがアレンの前へ来る。


「お前が一番厄介だな」


「……分かってる」


「いや。分かってねえよ」


 アレンは眉を寄せた。


「撃てる瞬間があった。そうだろ?」


「ああ」


「じゃあ、どうして撃たなかった」


「マナとドレイヴが近くにいた。巻き込みたくなかったんだ」


「それは、本当に正しい判断だったか?」


 アレンは答えられない。


「出力を落とすこともできた。地面に流して、あたしの足を止めることもな。撃つと見せかけて、一瞬動きを鈍らせるだけでもよかった」


「でも……もし、制御できなかったら――」


「そこだ」


 リヴァが言葉を断ち切った。


「お前は二人を守るために撃たなかったんじゃねえ。怖くて、撃てなかったんだ」


 胸の奥を見透かされたようだった。


「……違う。巻き込む可能性が――」


「撃たないと決めるのと、怖くて撃てないのは違う」


 その言葉には、アレンの言い訳を許さない鋭さがある。


「撃たないと決めたなら、その次に動いてたはずだ。剣で援護する。声をかける。二人を下がらせる。けど、お前はそこで止まった」


 アレンは唇を噛む。


「……そうだ」


 もう、認めるしかなかった。

 あの瞬間、アレンはマナを傷つけた記憶に呑まれていた。


 撃たないと決めたのではない。ただ、恐怖に足を止められたのだ。


「……二人を、傷つけたくなかった」


「それは間違ってねえよ」


 リヴァの声が少しだけ柔らかくなる。


「仲間を巻き込みたくないと思えるのは、お前の長所だ。けどな、その気持ちに足を止められたら――結局、誰も守れなくなる」


 アレンは倒された二人の姿を確かめる。

 ドレイヴは脇腹を押さえ、マナは拾い上げた杖を強く握り締めている。


 これが実戦なら、二人とも死んでいたかもしれない。


「……俺は、どうすればよかった?」


「それを、これから確かめる」


 リヴァはそう答えると、アレンの手にある片手剣を顎で示す。


「三人で動くと、お前は仲間を気にしすぎる。だから先に、一人でどこまで戦えるのかを見る」


「俺一人で?」


「ああ」


 ドレイヴが眉をひそめた。


「待てよ。次は連携を直すんじゃねえのか?」


「直すさ。けど、自分にできることが分からなきゃ、何を仲間に任せるかも決められねえ」


 リヴァは木剣の切っ先をアレンへ向ける。


「刻印は使うな。そのうえで、どこまで戦えるのか……まずは見せてみろ」


 右手の手袋の下で、刻印が微かな熱を帯びた。

 恐怖が消えたわけではない。それでもアレンは恐怖を抱えたまま、剣の柄を握り直す。


 その様子を見たリヴァの口元に、不敵な笑みが浮かんだ。


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