第46話『先に来た者』
破損した封印の前で、しばらく誰も動かなかった。
魔法灯の白い光が、石壁に刻まれた術式を斜めから照らしている。幾重にも重なっていたはずの封止線は、その一部だけが途中で途切れ、周囲には工具で削り取ったような細い傷が残されていた。
古代から残った亀裂ではない。自然に崩れたものでもない。
誰かが、ここを開けるために壊した痕跡だった。
そして、その誰かはアレンたちより先に、この地下へ来ていた。
「……ってことは、ここを壊した奴は、この先へ入ったってことか?」
ドレイヴは大剣を肩に担いだまま訊いた。
「その可能性は高いわ」
ディアナは封印に顔を寄せたまま答える。
「ただ……力任せに壊したわけじゃない。外側の封止だけを選んで切ってる。何も知らない人が、偶然できる壊し方じゃないわね」
「じゃあ、仕組みを知ってた奴か」
「少なくとも、ある程度はね」
「そう。ある程度ってところかな」
ケイムが口を挟む。妙に含みのある言い方に、アレンは横目で彼をうかがった。
「ある程度?」
「全部分かってたなら、もう少し綺麗に開けられたはずでね」
ケイムは腰を落とし、途切れた封止線のすぐ脇を指で示した。
「ここ。封印そのものは外してる。でも、その下の術式まで少し傷つけてる」
「……失敗したってことですか?」
「そこまでは言えないな。急いでたのかもしれないし、傷ついても構わないと判断したのかもしれない」
そこで一度、言葉を切る。
「それとも――切る場所までは分かってても、その先に何があるのかは知らなかった」
アレンは、封印の向こうへ続く暗がりを透かすように見た。
これまでずっと、この遺構について、自分たちだけが何も知らなかったように感じていた。
十八年間暮らしていた家の下に入口があることも、その地下に町ほど巨大な構造物が存在することも。三十三の紋章が並び、そこから伸びた線が広場の中央へ集まり、遺構の流れがさらに深部へ続いていることさえ。
何ひとつ、知らなかった。
けれど、誰かは知り、自分たちより先にここへ来ていた。
その事実だけでも十分に気味が悪かった。それなのに、もし先にここへ来た者でさえ――すべてを知っていたわけではないのだとしたら。
「……追えそう?」
マナがディアナに尋ねた。
「痕跡を?」
「うん。ここを壊した人が、どっちへ行ったのか」
ディアナは立ち上がると、測定結晶を封印の前へかざした。すると、内部を巡る淡い光が、少しずつ形を変えていく。
「……やってみるわ。ただ、強く探査すればデスリーチャーを呼ぶかもしれない。出力は抑える」
「またあいつらかよ……」
ドレイヴが嫌そうに呟いた。
「この辺じゃ、強い魔法を使うほど寄ってくるんだろ?」
「ええ。今までと同じならね」
「ったく……魔法が使いにくい場所ってのは面倒くせえな」
「大剣は使えるでしょ」
「そりゃそうだけどよ」
ドレイヴは大剣を軽く持ち上げた。
「……やっぱ便利なのは俺だな」
「自分で言うなよ」
アレンが返すと、ドレイヴは鼻を鳴らした。
「事実だろ」
「静かに」
ディアナの一言で、二人は同時に口を閉じた。
結晶の奥で揺れていた光は、やがて一本の細い筋へと収束していく。ディアナはその様子を確かめながら、ゆっくりと壁際へ歩いた。
「……こっち」
破損した封印の右手には、最深部へ向かう主通路とは別に、壁面に沿って細い通路が延びている。
これまでは崩れた石材の陰に隠れていたため、奥まで確認していなかった場所だった。
「何か残ってる?」
ケイムが訊く。
「ごく薄い魔力残滓。古い術式とは周期が違うわ」
「人間の魔法?」
「……たぶん」
ディアナは結晶の表示を追いながら答えた。
「ただ、誰のものかまでは分からない」
「それだけ分かれば十分だよ」
ケイムが魔法灯を一つ、細い通路へ送り込んだ。
「行ってみようか。今度こそ、先客がここで何をしてたのか……少しは見えてくるかもしれない」
アレンは左手で剣を握り直した。
「俺が先に行きます」
「アレン、待って」
マナがすぐに言う。
「分かってる。一人じゃ行かない」
アレンは振り返らずに答えた。
「ドレイヴ、後ろ頼む」
「言われなくてもな」
その返事を確かめてから、アレンは通路へ入った。
◇
通路は短く、十数歩も進むと左右の壁がわずかに広がり、小さな空間へ出た。
地下都市の巨大さと比べれば、部屋と呼ぶのもためらうほどの広さしかない。通路自体はその先の暗がりへ細く続き、壁には古い溝が何本も走っている。
その中で、中央に置かれていた物だけは、明らかに周囲から浮いていた。
「……これ」
マナが足を止めた。
石床の上には、金属製の器具が据えられている。三本の細い脚の上に円形の枠が固定され、その中央には濁った観測結晶が嵌め込まれていた。外周には小さな調整輪が幾つも並んでいる。
少なくとも、古代の石造物ではない。錆も少なく、造られてからそれほど長い時間が経っているようには見えなかった。
「……観測具だね」
ケイムの声音が落ちた。その隣まで近づいたディアナも、器具には触れず、全体を慎重に確認していた。
「……連邦製じゃない」
「見ただけで分かるのか?」
ドレイヴが尋ねる。
「この固定具」
ディアナは円形の枠の裏を指した。
「魔力線を外側から締める方式になってる。帝国の野外観測具で使われる組み方よ」
「じゃあ……帝国の奴が、ここまで来てたってことか?」
「少なくとも、この観測具を持ち込んだのは帝国側の人間でしょうね」
アレンの胸の奥が重く沈んだ。
帝国。古代遺跡。そして、観測具。
その三つが並んだだけで、一人の男の姿が頭に浮かぶ。
黒い外套をまとい、顔の半分を仮面で覆った男。その左目を中心に、枝分かれするような刻印が広がっていた。
「……ギデオン」
思わず名前が漏れたが、誰もそれを否定しなかった。
ただ、ケイムもすぐに断定することはなかった。
「まだ決めるには早いよ。帝国軍には観測兵も研究員もいる。この道具だけじゃ――」
「先生」
ディアナが言葉を遮り、観測具の脚元へ測定結晶を近づけた。
石床との隙間には、黒いものが付着している。煤のようにも見えたが、光を当てると、ごく細かな粒が鈍く反射した。
「これ……」
ディアナは小さな採取具を取り出すと、粒の一つを慎重に掬い上げた。
砂粒よりも小さなそれを観測結晶へ近づけた途端、内部の光が不自然に揺れる。
一度、二度と明滅したあと、測定値を示していた光は途中で途切れた。
「……黒い反応?」
マナの声から柔らかさが消えた。
「似てる」
ディアナは短く答える。
「魔力として読もうとすると、そこだけ値が抜け落ちる。この大きさじゃ、詳しい比較まではできないけど……」
ケイムがしゃがみ込んだ。
「結晶片……かな」
「ええ。少なくとも、普通の魔石ではないわ」
アレンの意識は、その黒い粒に引き寄せられていた。
アルカナリウムで、ギデオンが持ち去った黒い結晶。ルミノヴァで発見した地下施設にも、同じような黒い反応を持つ結晶が持ち込まれていた。
そして今、ここにも同じものが残されている。
「……偶然じゃないだろ」
アレンがそう言っても、ケイムはすぐには答えなかった。
「帝国式の観測具。その横に黒い結晶の破片」
アレンは一つずつ確かめるように続けた。
「アルカナリウムから黒い結晶を持っていったのはギデオンだ。……あいつは、そのあとも同じような黒い結晶を使ってた」
「うん」
「だったら――」
「かなり濃くはなったね」
ケイムがそこで認めた。
「ただ……まだ断定はできない」
「ここまで揃ってもか?」
ドレイヴが怪訝そうな顔をする。
「調査ならね」
「二人とも」
今度はマナがそれを止め、観測具の反対側にしゃがみ込むと、床の様子を確かめた。
「ここ。何か挟まってる」
細い金属板の下から、茶褐色の薄い札の端が覗いていた。
それに気づいたディアナが、すぐに近づく。
「触らないで」
「うん」
マナが手を引くと、ディアナは杖先を近づけ、まず罠や強い魔力がないことを確かめた。それから、指先で慎重に札を引き抜く。
出てきたのは、掌に収まるほどの薄い符だった。
紙ではなく、繊維と金属膜を重ねたような素材で、表面には細かな文字列と複数の術式線が刻まれている。
「記録符ね」
ディアナが言った。
「観測結果を簡易保存するものだと思う」
「読める?」
「起動させれば」
その言葉に、全員が一瞬黙った。
強い魔力波を出せば、デスリーチャーに感知されてしまう。
「どれくらいの魔力が要る?」
アレンが訊く。
「ほんの少し。これ自体に残っている魔力を開放するだけだから、こっちから流す量はほとんど要らないわ」
「なら、やろう」
アレンが即座にそう言うと、マナがわずかに眉を寄せた。
「……大丈夫?」
「ここまで来て、読まずに戻るほうが気になる」
マナが頷くと、ディアナは記録符を石床に置いた。
「開くわ」
杖先から、ごく細い光が落ちた。
符の外周に刻まれていた線が一瞬だけ淡く輝き、表面に文字が浮かび上がる。
数は多くなく、日時も詳しい経路も、誰が記録したのかを示す署名も残されていない。ただ、短い観測結果だけが並んでいた。
その最初の一行には、こう記されている。
『構造不明』
それを見たドレイヴが、眉を寄せた。
「……構造、不明?」
次に浮かび上がったのは、
『下層観測不能』
その文字を見て、マナの表情が強張る。
そして最後に
『因果観測不能』
その一行が現れた瞬間、空気が変わった。
誰もすぐには声を出せない。
わずか三つの短い記録。だが、最後の一行だけは重みが違っていた。
「因果って……」
アレンが口にする。
「あいつの刻印だよな」
ケイムの顔から、わずかに残っていた軽い表情が消えた。
「そう見るのが自然だね」
ドレイヴが記録符とケイムを交互に見る。
「待て待て。帝国式の道具に黒い結晶。おまけに因果だぞ」
「ええ」
ディアナが符を見つめたまま答えた。
「ここまで重なるなら、ギデオン本人――あるいは、彼とかなり近い人物がここを調べた可能性は高いわ」
「もう本人でいいだろ」
「高い、であって確定ではないわ」
「……お前、そこ絶対譲らねえよな」
「譲ったら調査にならないでしょう?」
ドレイヴは何か言い返そうとしたが、諦めたように口を閉じた。
最後の一行がアレンの頭から離れなかった。
『因果観測不能』
因果の刻印は、未来を決める力ではない。今ある情報から無数の可能性を読み、その中から望む結果へ続く流れを見つけ、ごく小さく確率を傾ける。
ケイムからは、そう聞いていた。
あの男が、何もかも最初から知っていたわけではない。それでも、アレンがアルカナリウムへ来る可能性も、遺跡へ触れる可能性も、仲間を守るために力を使う可能性も利用された。
ルミノヴァの地下施設でも同じだった。
用意された選択肢のどれかを、自分たちが選ぶように仕向け、その先を観測するために。
「……観測不能って、どういうこと?」
マナがケイムに訊いた。
「道具が壊れてた……って話じゃないよね?」
「それなら、下層と因果を分けて記録する意味がない」
ケイムは符の三行を指で追う。
「……たぶん、別々の方法を試したんだろうね」
「普通の観測具でも見えなかった」
ディアナが続ける。
「それで、因果の刻印でも観ようとした。でも――そこでも情報が取れなかった」
「因果の刻印でも、見えねえものがあるのか?」
ドレイヴの問いに、ケイムは頷いた。
「あるよ。因果の刻印にも、その先を読むための手掛かりが要る」
ケイムは床に指を置き、細い埃の上に一本の線を引いた。
「ここまで道が続いてる。前に階段がある。誰かが下へ降りた。そこまで分かれば、その先の行動は予測できる」
線を途中で止める。
「でも――ここから先の情報そのものを、因果の刻印が拾えなかったら?」
「……読めない」
アレンが答えた。
「そういうこと」
「黒い扉の向こうみたいに?」
口にした瞬間、自分の声が少し低くなったのが分かった。それを聞いたケイムがわずかに顎を引く。
「可能性はあるね」
断定はしない。けれど、その言葉だけで十分だった。
因果の刻印でさえ情報を拾えず、その先を読めない領域。
少なくとも、デモンズゲートの向こう側のように観測が途切れる場所は、ギデオンの刻印にとってさえ空白になり得る。
アレンは、三行の記録を読み返した。
『構造不明』
『下層観測不能』
『因果観測不能』
あれほど人の行動を読み、選択を利用し、自分たちを何度も望む場所へ誘導してきた男。
もしこれが、あの男自身の残した記録なら――そこには、あの男にも観測できないものがあった。
「……あいつも、知らなかったのか」
思っていたよりも静かな声になった。その言葉を聞いたケイムは、少しだけ目を細める。
「もしギデオン本人の記録ならね。……だから、君に続きをやらせたいのかもしれない」
アレンの眉が寄った。
「……俺に?」
「ギデオン自身がここまで来ていたなら、自分で行けるところまでは来た。でも、その先は見えなかった」
ケイムの顔が暗い通路の奥へ向く。
「それでも知りたい。……なら、次にどうする?」
答えは聞くまでもなかった。
「……代わりに、誰かを行かせる」
「そう。もう少し正確に言えば――見えない場所へ入っても、何かを起こせる可能性がある人間、かな」
胸の奥で、嫌なものが冷たく広がっていく。
もしケイムの推測どおり、ギデオンが自分たちをここへ導いているのなら、それは答えを知っているからではない。
答えを知らず、自分では観測できないからこそ、アレンにその先を歩かせようとしている。
「あの地下施設でも……そうだったよね」
マナが小さく言った。
「自分で答えを出すんじゃなくて……アレンが何をするかを、見ようとしてた」
「ああ」
ケイムは頷く。
「そして僕たちは、あいつが用意したどの結果にもならなかった」
アレン自身は、あの地下施設でギデオンが何を観測していたのか知らない。
それでも、あの一件のあとに知ったグリムフォードの座標と、襲撃の三日前からアレンの家の地下に記録されていた黒い反応。
ばらばらだった情報が、今ようやく一本の線へとつながり始めていた。
「……だから、俺たちをここへ来させたのか」
アレンは呟いた。
「自分じゃ見えない、その先を確かめるために――」
最後まで言うことはできなかった。
カラ……。
通路の外から乾いた音が響き、五人が一斉に身を強張らせる。
カラ。
カラカラ……。
骨が石床に触れる音だった。
「……来たな」
ドレイヴが大剣を構えると、アレンも左手で剣を抜いた。
「記録符……止めて」
「……もう止めたわ」
ディアナが記録符の光を切る。だが、通路の外から響く乾いた音は、それでも止まらなかった。
通路の入口、光の届かない場所から錆びた剣先が現れ、続いて骨だけの足が姿を見せる。
一体、二体。
さらに、その後ろにも影が続いていた。
「スケルグール……」
マナが杖を構える。
骨の騎士たちは狭い通路を塞ぐように並び、錆びた武器を引きずりながら、じりじりとこちらへ進んでくる。
「四……いや、まだいるな」
ドレイヴが低く数える。
「戻れる道、一本しかないぞ」
アレンは小部屋を素早く確かめた。
正面には、先ほどの破損した封印へ戻る通路。右側には観測具があり、左は壁で塞がれている。
そして正面からは、スケルグールが迫っていた。
「封印前の広間まで戻る」
ケイムは迷わず言った。
「ここじゃ陣形が組めない。広い場所まで下がる――」
ぬるりと、何かがアレンの背後を横切った。
「伏せて!」
マナの声と同時に、黒い触手が頭上を薙ぐ。アレンが身体を沈めると、触手は石壁へ叩きつけられ、細かな破片を撒き散らした。
「後ろもいる!」
振り返ると、小部屋のさらに奥から、低い姿勢で床を這う黒い異形が近づいていた。
視覚器官はなく、幾本もの触手を石床へ擦りつけながら進んでくる。
デスリーチャー。
しかも、一体ではない。
「冗談だろ……」
ドレイヴが大剣を前へ向けた。
前にはスケルグール、後ろにはデスリーチャー。
完全に狭い脇道へ閉じ込められていた。
「広い方へ出る!」
アレンが叫んだ。
「広間まで押し返すぞ!」
「おう!」
ドレイヴが先頭へ躍り出る。その勢いのまま、大剣を横薙ぎに振り抜いた。
先頭のスケルグールが錆びた斧で受け止め、金属同士が激しくぶつかる音が狭い通路に弾けた。
「どけえっ!」
ドレイヴが力任せに押し込むと、スケルグールの骨の足が石床を削りながら、半歩後退した。
それでも倒れず、その横から二体目の剣が突き出される。
「右!」
アレンは左手の剣でその軌道を逸らす。刃が擦れ合って火花が散るなか、背後からはデスリーチャーの触手が迫っていた。
「封印よ、鎖となり、対象を縛れ――ジーゲルケッテ!」
ディアナの杖先から伸びた光の鎖が一体に巻きつき、その黒い身体を床へ引き倒した。拘束されたデスリーチャーは、触手を激しく暴れさせる。
「一体止めた! 長くはもたないわ!」
「それで十分だよ!」
ケイムが即座に応じる。
アレンはスケルグールの剣を受け流した勢いのまま一歩踏み込み、胸部を斬りつけた。だが、刃は硬い骨に弾かれる。
相手は痛みなど感じない。間髪入れず、錆びた剣を振り上げてきた。
「っ……!」
アレンが横へ避けると、その場所へ別の触手が伸びてきた。
前と後ろから迫る二種類の異界種は、互いを気にすることもなく、五人だけを挟み込んでいる。
このまま剣だけで押し切るのは無理だ。
「ケイム!」
アレンがケイムを呼ぶ。
「このままじゃ、抜けられない!」
「分かってる!」
ケイムは即座に応じ、瞬時に戦況を見定めた。
前方はスケルグールに塞がれ、その後ろにも二体が控えている。さらに背後では、デスリーチャーの数が増えていた。
こちらが強い魔法を使えば、さらに寄ってくる可能性がある。だが――使わなければ、このまま囲まれる。
迷っている時間はなかった。
「ここは魔法の威力を中位まで上げる!」
ケイムが決めた。
「出力は一点に集める。一気に道を開けるよ!」
「分かった!」
アレンが即答すると、マナも杖を握り直した。
その中で、ドレイヴだけが前方のスケルグールを押し返しながら叫んだ。
「最初からやれ!」
「使ったあとが面倒だから避けてたんだよ!」
「今のほうが面倒だろうが!」
次の斬撃を、ドレイヴは大剣の腹で受け止め、敵を壁際へ押し込んだ。
「マナ!」
「うん、分かってる!」
マナは杖を正面ではなく背後へ向け、光の鎖から抜け出そうとしていたデスリーチャーの触手の根元に狙いを定めた。
そして、魔力を絞る。
「水よ、針となり、敵を穿て――ヴァッサーナーデル!」
圧縮された水の針が一直線に飛んだ。
一撃目が暴れていた触手の一本を貫き、続く二撃目が身体の付け根へ突き刺さる。
黒い液体が石床へ飛び散り、デスリーチャーは大きく身を捩った。
「通った!」
「もう一体来る!」
アレンの声に応じ、マナは杖を横へ振る。
迫っていた二体目へ水の針が走り、その動きを僅かに鈍らせた。その隙に、アレンは前へ出る。
スケルグールが手にしているのは、錆びた金属製の剣。その後ろにも、同じように武器を持つ個体が並んでいる。
「ドレイヴ、離れろ!」
「おう、任せろ!」
ドレイヴが大剣を引いて横へ跳ぶと、アレンは左手を前へ突き出し、空気中の魔力を引き寄せて術式へ流し込んだ。
「雷よ、流れとなり、敵を撃て――カーレント!」
青白い雷が通路を走り、錆びた武器を伝ってスケルグールの全身に弾けた。
神経のない骸骨を痺れさせることはできない。それでも、中位の雷撃は高い魔法耐性を押し切り、骨の継ぎ目を弾け飛ばした。
「今だ!」
ドレイヴが踏み込むと、大剣を下から振り上げた。
胴体をまともに捉えられた一体が宙へ浮き、後ろの二体を巻き込む。骨が崩れ落ち、通路には大きな隙間ができた。
「出るぞ!」
開いた隙へアレンが飛び込み、五人は封印前の広い空間へ飛び出した。
だが、広間はすでに別の気配に満ちていた。
右の通路からも、左の坂道からも、黒い何かが石床を擦る音が近づいてくる。
「増えてる……!」
マナが息を呑む。
「今ので位置が割れたわ!」
ディアナの測定結晶が激しく明滅し、その直後、脇道からスケルグールも姿を現した。
今度は、狭い一本道ではない。
広いからこそ――あらゆる方向から敵が迫ってくる。
「円陣!」
ケイムが指示を飛ばした。
「ドレイヴ正面! アレンは左! 僕が右につく! マナとディアナは中央!」
「了解!」
アレンは左側へ回り、振り下ろされたスケルグールの斧を剣で受け流すと、その勢いを利用して横を抜けた。
右手は使えず、頼れるのは左手一本。それでも、以前のように一体を前にして何もできなくなることはなかった。
敵の踏み込みを見て、刃の軌道を読む。そして、自分だけで倒そうとはしない。
「ドレイヴ、そっち行った!」
「任せろ!」
ドレイヴが大剣を振るい、アレンの前から外れた一体を受け止める。
だがその代わりに、彼の死角へ黒い触手が滑り込む。
「マナ!」
「見えてる!」
水の針が飛んだ。
「水よ、針となり、敵を穿て――ヴァッサーナーデル!」
横から伸びた触手が弾かれたが、ドレイヴは振り返らなかった。
「助かった!」
「いいから前見て!」
「見てる!」
その声の直後、別のスケルグールが大剣に噛みつくように武器を叩き込んだ。
「ったく、何体いんだよ!」
ドレイヴの身体から赤い魔力が立ち上る。
「炎よ、弾けて敵を焼け――フラメンシュトース!」
掌から放たれた火球が二体の間へ飛び込み、爆ぜた。
炎と衝撃によって骨の身体が左右へ吹き飛ばされる。魔法耐性が高いため、炎だけでは倒しきれない。
だが、崩れた体勢までは立て直せず、その隙を逃さずドレイヴの大剣が一体の胴を叩き砕いた。
「一体!」
「数えてる場合かよ!」
アレンが言いながら剣を振る。
「あとで自慢すんだよ!」
「じゃあ勝手に覚えとけ!」
「覚えてる!」
だが、会話を続ける余裕はすぐに消えた。
デスリーチャーが一斉に身を沈め、三方向から黒い触手が襲いかかる。
その狙いは――アレンだった。
「アレン!」
マナが名を呼ぶ。
「分かってる!」
右から薙いできた一本を剣で払い、左から迫る二本を一歩下がってかわす。
だが、さらに正面の一本が胸元へ突っ込んでくる。
避けきれない。
アレンが魔力を集めかけたその瞬間。
「一人でやるな!」
ドレイヴが怒鳴る。横合いから大剣が割り込み、触手をまとめて叩き落とした。
その一喝で、アレンの中に集まりかけていた魔力が途切れる。
「……悪い!」
「謝んのはあとだ!」
「ディアナ、止められるか!」
「二体までなら!」
アレンが敵の位置を指す。
「右の二体!」
「了解!」
ディアナの杖から術式線が走った。
「封印よ、鎖となり、対象を縛れ――ジーゲルケッテ!」
光の鎖が二方向へ伸び、デスリーチャーの身体に巻きつく。
それと同時に、アレンも左手を上げた。
「マナ! そいつらの間!」
「分かった!」
マナが床へ杖を向けると、細い水流が石床を走り、拘束された二体の足元へ広がった。
アレンは、その水が仲間の足元まで届いていないことを確かめる。
「雷よ、流れとなり、敵を撃て――カーレント!」
雷撃が水面へ落ちると、青白い光が一気に広がり、拘束された二体を包み込んだ。
デスリーチャーの身体が激しく跳ねる。その横を、ドレイヴが駆け抜けた。
「退け!」
大剣が一体を叩き潰し、もう一体にはマナのヴァッサーナーデルが突き刺さった。
黒い液体が床へ散り、その動きが止まる。
「次! 後ろ、二体!」
ケイムの指示が飛ぶ。
後方からは新たなスケルグールが二体、間合いを詰めてくる。さらに遠くでは、まだデスリーチャーの這う音が続いていた。
強い魔力を使うほど、奴らを呼び寄せる。それは分かっている。
それでも、今は止められない。
「来るならまとめて来やがれ!」
ドレイヴの身体から、再び炎が上がる。
「ドレイヴ、煽るな!」
「もう来てるだろ!」
マナが何か言い返すより早く、一体が飛び込んだ。
「水よ、壁となれ――ヴェレンヴァル!」
水の膜が立ち上がり、そこへ触手がぶつかると、表面が大きく波打った。
「長くもたない!」
「三秒でいい!」
ケイムが前へ踏み込み、片手を振ると、圧縮された魔力が衝撃となって放たれた。
水壁へ押しつけられていたデスリーチャーは、後方へ弾き飛ばされる。
「アレン!」
「分かってる!」
今度は雷を一体だけに絞る。
「走れ、雷――ブリッツフンケ!」
細い閃光が黒い身体を撃つ。
相手が硬直した隙に、アレンは踏み込んで左手の剣を深く突き立てた。
剣を押し込んだまま身体を捻ると、黒い触手が力を失って床へ落ちる。
直後、背後で炎が爆ぜた。
「炎よ、弾けて敵を焼け――フラメンシュトース!」
ドレイヴの火球が最後のスケルグール二体を巻き込み、一体がよろめいたところへケイムの衝撃波が叩き込まれる。
もう一体にはディアナの光の鎖が絡みつき、動きを止められた二体へ、ドレイヴが大剣を横薙ぎに振り抜いた。
鈍い破砕音とともに、骨が飛び散る。
残るのは、奥から迫るデスリーチャー。
マナが杖を構え、アレンも左手に雷を集めた。
「合わせるよ!」
「ああ!」
「水よ、針となり、敵を穿て――ヴァッサーナーデル!」
水の針が二本走り、一体の触手を左右から貫いた。
左右を貫かれ、デスリーチャーの身体が硬直する。
「雷よ、流れとなり、敵を撃て――カーレント!」
青白い電流が走り、黒い異形の体を打ち抜いた。
「ドレイヴ!」
「任せろ!」
最後は大剣だった。
炎の残光を引きながら振り抜かれた刃が、デスリーチャーを石床へ叩きつける。轟音が響き、それきり動かなくなった。
それでも、誰もすぐには武器を下ろさない。荒い呼吸だけが、地下に残る。
床には砕けた骨と焼けた石、水、黒い液体が散らばり、その上には雷と炎の残滓がまだ薄く漂っていた。
「……終わった、か?」
ドレイヴが肩で息をしながら言った。
「そういうこと言うと、だいたい終わってないよ」
マナも呼吸を整えながら答える。
「じゃあ、何ならいいんだよ」
「何も言わなくていい」
「厳しくねえ?」
アレンは答えず、周囲へ耳を澄ませた。
すぐ近くに動くものはいない。少なくとも、今のところは。
ようやく剣を下ろすと、マナが駆け寄り、アレンの右腕から肩までを確かめた。異常がないと分かって、ようやく少しだけ表情を緩める。
「……でも」
そのとき、ディアナが沈んだ声で告げた。
彼女が掲げる測定結晶の内部では、光が今まで見たこともないほど激しく揺れていた。
「私たち……かなり使ってしまったわ」
誰も聞き返さなかった。何を指しているのか、言うまでもない。
魔力だ。
水、炎、雷、封印、そして衝撃波――短時間とはいえ、これまで地下で避け続けていた強い魔力を、何度も使ってしまった。
「……位置、ばれたか」
アレンが訊く。
「ええ、さすがにこれだけ派手にやれば」
ディアナは結晶を奥へ向ける。
「しかも一度じゃない。今の戦闘で、かなり広い範囲まで魔力波が届いたはずよ」
「……じゃあ、また来る」
マナが顔を上げた直後、その予想を裏づけるように、遠くから音が聞こえてきた。
ずる……。
ずるずる……。
石の上を濡れた何かが這う音。それも、一方向からではない。
複数だった。
「くそ……」
ドレイヴが大剣を持ち上げた。
「ちったあ休ませろよ」
「来るぞ」
アレンも剣を構え直す。右の通路、奥の橋、そして下へ続く坂道――どこから来ても対応できるよう、順に位置を確かめた。
まだ輪郭までは見えない。だが、魔法灯の白い光の外縁では、黒いものがいくつも蠢いている。
デスリーチャーだ。
魔力を感じ取り、こちらへ近づいている。
「魔法はできるだけ抑える」
ケイムが言った。
「次は剣と封印符を中心に――」
そのときだった。
ズン――。
床が揺れた。
耳で音を捉えるより先に、靴底を通して重い振動がアレンの脚へ伝わってくる。壁の継ぎ目から細かな砂が落ち、魔法灯も僅かに揺れた。
全員が構えたまま、次の揺れを待った。
「……何だ、今の」
ドレイヴの声が、妙に小さく聞こえた。
崩落ではない。石が落ちた音とも違う。
もっと重い。
何か巨大なものが、遥か下で床を踏んだような――。
アレンは深部に意識を集中したが、見えるのは闇だけだった。
だが、ずるずると近づいていた音は、いつの間にか止まっていた。
「……来ない?」
マナが囁いた。
通路の端、白い光の境界に一体のデスリーチャーが現れる。
先ほどまでなら、魔力を使ったアレンたちへ迷わず迫ってきたはずだった。だが、その個体は触手を石床へ広げたまま身体を低くし、動こうとしない。
まるで、何かを探っているようだった。
数秒後、デスリーチャーは不意に反転した。
「……え?」
マナが声を漏らした。
黒い身体は来た道を猛然と戻っていき、アレンたちへ触手一本伸ばさない。魔力にも反応せず、ただ逃げていく。
しかも、それは一体だけではなかった。
右の通路、橋の向こう、さらに下へ続く坂道の途中――あちこちから聞こえていた這う音が、次々と遠ざかっていく。
石を叩き、壁に触手をぶつけ、互いに押し合いながら、それでも構わず何体ものデスリーチャーが深部から離れていく。
中には、アレンたちの横を通り過ぎるものさえいた。
すぐそばには、雷鳴の刻印を持つアレンがいる。
それなのに、襲ってこない。
「……こいつら」
ドレイヴが大剣を構えたまま呟く。
「逃げてんのか……?」
誰もすぐには答えなかった。
だが、アレンが気にしていたのは、逃げていく黒い影ではなく、その反対側だった。
あの円形広場の中心――三十三本の線が集まっていた場所。その先、さらに下へ続くのは、何も見えない闇だけだ。
だが、さっき確かに――その奥から地面が揺れた。
「……俺たちからじゃない」
アレンの声が冷えた地下へ落ちる。
隣でマナが言葉を失い、ケイムも今度ばかりは何も言わなかった。
逃げていくデスリーチャーの音だけが遠ざかっていくなか、アレンは剣を握ったまま、暗闇の底を見据えた。
「……あの音だ」
声に出して確かめる。
「あの音のした方から、逃げてる」
自分たちを狩っていた怪物たちが。
そのさらに下にいる、何かから逃げていた。




