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デモンズ・ゲート ―三十三の刻印―  作者: 梅野 夕季
第四章『故郷の底に眠るもの』

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第41話『残っていた家』


 白い骨の背中が、崩れた家々の向こうへ消えた。


「……追うぞ!」


 アレンは迷いを振り切るように言い切ると、石の欠片が散らばる道を駆け出した。

 すぐ後ろからドレイヴの重い足音が続き、そのさらに後ろをマナ、ディアナ、ケイムが追う。


 鐘楼(しょうろう)の広場で遭遇したスケルグールは、どこから来たのかを突き止めるため、あえて逃がした相手だった。


 五人の包囲を抜けた怪物は、町の中心から離れる方向へ走り始めた。その方角を見た瞬間、アレンは気づいた。


『……俺の家の方だ』


 偶然なのか。それとも、何か理由があるのか。

 それを確かめるために、五人は怪物の後を追っていた。


「右だ!」


 先を走るスケルグールが、崩れた石塀の角を曲がる。アレンもその後を追って角を曲がった。


 町の中心部から離れるにつれ、建物の間隔が広くなっていく。商店や住宅の瓦礫は減り、代わりに荒れた畑と低い石垣が増えていった。


 ここまで来れば、道を考える必要はない。何百回と通った道を、体が覚えている。


 学校から帰るときも、町へ買い物に行くときも、子供の頃、日が暮れるまで遊んでから走って帰ったときも。


 いつも、この道を通っていた。


「アレン、見失うんじゃねえぞ!」


「分かってる! まだ見えてる!」


 ドレイヴに返しながらも、アレンは前方から目を離さなかった。

 スケルグールの白い頭蓋が、一度だけ枯れ草の向こうに見える。怪物はさらに先へ、町外れへと走っていく。


 そして――


「……やっぱり、そうか」


 呟いた瞬間、アレンの足取りが一瞬鈍った。

 前方に見えてきたのは、畑の端――道から少し外れた土地だった。


 そこは、間違えようがない。


 スケルグールは崩れた石垣を越えると、その脇に生い茂った雑草の中へ入り込んだ。


「待て、まだ逃がすか!」


 アレンは声を張り、草むらへ踏み込んだ。


 だが、茂みを抜けた先に、白い影はもう見えない。

 辺りを探る。右には荒れた畑が広がり、左には崩れた農具置き場の残骸が残っていた。さらに奥には背の高い草が生い茂り、その先へ細い獣道のような隙間が続いている。


「くそっ、どこ行きやがった?」


 追いついたドレイヴが、大剣を構えたまま首を巡らせ、辺りを警戒する。


「分からない。確かに今、ここを抜けたはずなんだけど……」


「ったく、骨だけのくせに、やけに足速えな。あいつ」


「骨だから軽いんじゃない?」


 息を整えながら追いついたマナが、ぽつりと言う。


「……そういうもんなのか?」


「知らないよ」


「お前が言ったんだろ」


「思っただけだよ」


「二人とも」


 ディアナの落ち着いた声が、二人のやり取りを遮った。


「まだ近くにいる可能性はあるわ。話すのは構わないけど、警戒は解かないで」


「……分かったよ」


 ドレイヴは大剣を握り直し、周囲へ意識を戻した。

 最後に追いついたケイムは、スケルグールが消えた草むらではなく、アレンの様子を窺った。


「この辺りかい?」


 アレンは答えなかった。

 いや、すぐには答えられなかった。


 走っているあいだは、怪物の背中しか見ていなかった。けれど、こうして足を止めてしまえば、嫌でも目に入る。


 そこにあったものが。


「……ここだ」


 アレンはしばらく崩れた家跡から目を離せないまま、ようやく口を開いた。


「ここに……俺の家があった」


 周囲に異変がないことを確かめると、アレンは左手の剣をゆっくりと鞘へ戻した。ドレイヴも大剣を背へ戻す。


 それでも、ケイムとディアナの視線は、スケルグールが消えた草むらから離れていなかった。


 風が、伸び放題になった草を倒していく。


 その向こうに、家が残っていた。


 ――いや。


 家だったものが、残っていた。


 屋根はなく、二階部分もほとんど崩れ落ちている。外壁はところどころ腰ほどの高さまで残っているだけで、大半は折れた柱や梁とともに地面へ倒れていた。


 雨に晒された木材は黒ずみ、焼け焦げた部分には苔まで生えている。


 それでも、すべてが消えてしまったわけではなかった。


 家を支えていた石造りの基礎や、崩落を免れた一部の床。壁の下端や、柱が立っていた跡。


 それらが、地面に家の輪郭を残している。


「……思ってたより、残ってるな」


 ドレイヴがぽつりと漏らす。その声には、いつもの勢いがなかった。


「うん……遠くから見たときは、もっと……何も残ってないように見えた」


 マナも瓦礫の残る敷地を眺めながら、静かに言った。


 アレンは何も返さず、敷地の中へ入った。

 靴の下で、小さな木片がぱきりと折れる。その音に、アレンの足が止まった。


 そこは、家が壊れる前なら玄関があった場所だった。

 当然、扉はもうなく、枠さえ残っていない。だが、それでも分かる。


 ここから入って、少し進めば廊下がある。そこを通れば――


 目の前にある瓦礫が、一瞬だけ別の形に見えた。

 壁や柱、扉、階段。

 壊れる前の家の姿が、記憶の中から少しずつ輪郭を取り戻していく。


 アレンは顔を上げた。


「……あそこ」


 気づけば声が漏れていた。

 マナたちも、その声に気づいたようにアレンの視線を追う。


「俺の寝室があったんだ。……二階の、こっち側」


 二階は、もうどこにもない。

 アレンが示した先に残っているのは、途中で折れた柱と、その向こうに広がる空だけだった。


 あの朝、アレンはそこで眠っていた。


 卒業試験が終わったばかりで、身体には疲れが残っていた。それでも、目が覚めれば昨日までと同じ一日が始まるのだと思っていた。


 町の鐘が鳴り、着替えて、朝食を取る。それから、卒業したあとのことを考えればいい。

 守備隊に入るか、魔術師を目指すか。それとも、両親の残した畑を継ぐか。


 そんなことで悩んでいた。

 今から思えば、あまりにも普通の悩みで、そして、あまりにも遠い。


『アレン!』


 肩を揺さぶられ、目を開けると、そこには雨に濡れたマナがいた。


『……マナ?』


 最初は、何が起きているのか分からなかった。


『鐘は鳴らない』


 あの一言から、すべてが変わった。


「……アレン?」


 隣から名前を呼ばれ、アレンはゆっくりと顔を戻した。

 そこには、心配そうに顔を覗き込むマナがいた。


「……大丈夫?」


「……ああ」


 短く答えてから、アレンはほんの少し間を置いた。


「ただ……ちょっと、思い出してただけだ」


 マナはしばらくアレンの表情を窺っていたが、それ以上は何も聞かなかった。

 アレンは再び歩き出し、瓦礫を避けながら、家だった場所の奥へと進んでいく。


 足元に残された基礎や床を見れば、かつての間取りを追うことができた。


「こっちが台所」


 自分で口にしながら、その場所へ近づいていく。


 床は半分近く失われ、壁もない。調理器具も食器も、もう何ひとつ残っていなかった。

 それでも、母がよく立っていた場所だけは覚えている。


 料理の湯気や、食器が触れ合う音。生活魔法の淡い光。

 そういうものが確かにあったはずなのに、今はただ風が通り抜けるだけだった。


 アレンは少し歩いたところで足を止め、倒れた木材の前にしゃがみ込んだ。


「……これ」


「どうしたの?」


 マナがそばへ寄る。


 そこには、土と灰に半分埋もれた一枚の板があった。

 黒く変色していたが、その端に残った金具には見覚えがあった。


「たぶん……棚だ」


「棚?」


「ああ。父さんが直したやつ」


 後ろからドレイヴが覗き込む。


「どの棚だよ?」


「台所の近くにあっただろ。ほら、何回か傾いてたやつ」


「ああ……あれか」


 ドレイヴの顔に、ようやく思い当たった様子が浮かぶ。


「でもあれ、直したあとも傾いてなかったか?」


「……あとで、また傾いたんだよ」


「それ、直ったって言わねえだろ」


「一回は直った」


「一回はって……じゃあ結局、直ってねえじゃねえか」


「……うるさいな」


 アレンは小さく吐き捨てた。

 だが、不思議と腹は立たなかった。


 左手を伸ばし、黒く焦げた板の端へそっと触れる。


 父が棚を直していた。ただそれだけの、何でもない日の記憶だ。

 特別な話をしたわけでも、重大な秘密を教えられたわけでもない。家の中の棚が傾いたから、父が直した。


 だからこそ、そんな日々がなくなるなど思っていなかった。


「……こんなのでも、残ってたんだな」


 アレンが、ぽつりと呟いた。


 家そのものでもなければ、父でも母でもない。ただの焦げた板だ。

 それでも――確かに、ここにあったものの一部だった。


 アレンは板に触れていた左手をゆっくりと離し、立ち上がる。

 そのとき、少し離れた場所で立ち尽くすマナが目に入った。


「……マナ?」


 呼びかけても、返事はなかった。


 彼女が見ていたのは、家の裏手に残った低い基礎の一角だった。

 そこには壁も扉もなく、今となっては、ただ石が一列残っているだけにしか見えない。


 だが――アレンにも、すぐに分かった。


「……勝手口か」


 マナが小さく頷く。


「うん……ここだったよね」


「ああ。間違いない」


 あの朝、マナは玄関から入ってきたのではなかった。

 何度も窓を叩いたが、それでもアレンが起きなかったため、勝手口へ回ったのだ。


 そして、アレンの母が生前、何かあったときのためにと預けていた合鍵を使って、家の中へ入った。


 もし、あの鍵がなかったら。


 マナはあの朝、寝室まで来られなかったかもしれない。アレンも何も知らないまま、眠り続けていたかもしれなかった。


「……あの日」


 マナが、扉の失われた場所から目を逸らさず口を開いた。


「わたし、ここから入ったんだよね」


「ああ」


「窓、何度叩いても起きないんだもん。本当に焦ったんだから」


「卒業試験のあとだったんだ。仕方ないだろ」


「だからって、あんなときまで寝てるとは思わないよ」


「俺だって、起きたら町が襲われてるなんて思ってなかった」


「……それは、そうだけど」


 そこで、二人の言葉が途切れた。

 マナの口元に浮かんでいた苦笑も、それにつれて静かに消えていく。


「……でも、あの鍵があってよかった」


 マナは、それだけを言った。

 アレンも少し間を置いてから、短く頷いた。


「……ああ。本当にな」


 風が吹き、何もない勝手口を抜けて、崩れた家の中を通り過ぎていく。

 あの朝、マナはそこから入ってきた。


 けれど今は、その扉そのものがもうない。


     ◇


「アレン」


 少し離れたところから、ディアナの声がした。

 その声の硬さに気づき、アレンは振り返った。


 ディアナは家の中央付近にしゃがみ込み、片手に観測結晶を持ったまま、もう片方の手を地面すれすれまで下げていた。


「みんな、ちょっと来て」


 その声に、アレンたち三人が近づいていく。

 ケイムは、すでにディアナの隣へ立っていた。


「どうした? 何かあったのか?」


 ドレイヴが訊く。


「……反応がおかしいの」


 ディアナは結晶の光を追いながら、手元を少し横へずらした。


 透明な結晶の内部に浮かんでいた淡い光は、ある位置で突然揺れた。そこから十数センチ動かすと元に戻る。


「さっき、鐘楼の広場で地中を調べたでしょう。そのとき……ある深度から、観測結果そのものが返ってこなかった」


「ああ……あったな」


 黒い反応が出たわけでも、魔力が零になったわけでもない。ただ、ある深度から先だけが観測できなくなる。ギデオンの言っていた黒点に近いものではないかと、先ほどケイムが話していた現象だ。


「……ここも、同じなのか?」


 アレンが訊く。


「似てる。でも……同じじゃない」


 ディアナは測定を続けながら、結晶をさらに地面へ近づけた。


「広場では、途中から観測そのものが途切れていた。でも、ここは違う。どこで途切れるのかが、はっきりしてる」


「……それって、どういうこと?」


 マナが訊く。


「境界があるの。……ここには」


 ディアナは確かめるように観測結晶を左右へ動かし、さらに方向を変えて同じ境界が現れることを確認した。


「……ここから、ここまで」


 ディアナは地面に指を滑らせ、範囲を示した。


「この部分だけ、地中の反応が周囲と明らかに違う」


 ケイムがその場にしゃがみ込み、示された地面を覗き込む。


「深さは、どのくらい?」


「……待ってください。今、絞ります」


 ディアナは結晶を手元へ引き寄せ、術式を細かく調整した。

 すると、結晶の内部に細い光の層が、一つ、二つ、三つと重なっていく。


 深度を変えるたびに、光の形も変化していった。


「……表層は、普通ね」


 ディアナが観測結果を確かめるように低く言う。


「その下も……家の基礎がある深さまでは、目立った異常はない」


 さらに深く探った、そのときだった。

 突然、結晶の中心で光が歪んだ。


 マナがそっと身を寄せる。


「……今の、反応したよね?」


「ええ……私も見たわ」


 ディアナは同じ深度へ、もう一度術式を合わせ直した。


 すると、やはり光は歪む。


 少し横へずらせば元に戻り、再び中央へ戻すとまた歪んだ。


「……二メートルほど下ね」


 ディアナは測定を止め、足元の土を示した。


「そこに……空洞がある」


 数秒、誰も言葉を返さなかった。

 アレンは、その意味を飲み込むまで少し時間がかかった。


「……空洞?」


「ええ」


「この家の……真下に?」


「そういうことになるわ」


 アレンは自分の足元を見下ろした。

 崩れた床の下には、土がある。


 十八年間、いったい何度ここを歩いただろう。


「地下室なんて、なかったぞ」


 自分でも驚くほど、その言葉はすぐに出た。

 それを聞いたドレイヴが腕を組む。


「お前が知らなかっただけってことはねえのか?」


「十八年住んでたんだぞ。そんなのあったら気づくだろ」


「いや、住んでたからって床の下まで全部知ってるわけじゃねえだろ」


「地下室なら、どこかに入口があるはずだ」


「隠し地下室とかよ」


「……なんで、うちにそんなもんがあるんだよ」


「知らねえよ。親父さんが何か隠してたとか――」


「ドレイヴ」


 マナの声がわずかに低くなると、ドレイヴはすぐに口を閉じた。


「……悪い」


 アレンも何も返さなかった。

 父や母が知っていたのだと考えるのは簡単だ。だが、証拠はなく、ここで勝手に決めるべきではない。


 ケイムは地面を見たまま、静かに口を開いた。


「まずは分けて考えよう。ここに空洞があることと、アレンの家に地下室があったことは、まだ同じ話じゃない」


「……どういうことですか?」


「家の真下に空間があるからって、それが家の一部だったとは限らないってこと」


 アレンはケイムを見る。


「じゃあ……家が建つ前から、そこにあったとか?」


「うん。その可能性もある。ただ――今のところは、まだ可能性のひとつだね」


 ケイムがディアナに問いかける。


「ディアナ、空洞の輪郭まで取れそう?」


「もう少し調べれば……たぶん」


 ディアナは観測結晶を見つめたまま位置を変え、測定を続けた。

 数分後には、地面の上に測定範囲を示す簡単な印が、ひとつずつ置かれていった。


「……この範囲ね」


 家全体と比べれば、その範囲はかなり小さい。

 位置は中央から少し奥で、アレンの記憶では、居間と台所の境目に近い場所だった。


「これ……自然にできた穴じゃないの?」


 マナが足元を見ながら訊く。


「断定はできない。でも……自然にしては、形が整いすぎてる」


 ディアナは最後の測定を終え、ゆっくり立ち上がった。


「少なくとも、このまま放っておくよりは調べる価値があるわ」


「なら、掘ろう」


 アレンが間を置かずに言うと、四人がそろってアレンを見る。


「最初に黒い反応が記録された座標も、この土地だった。それで今度は、実際に空洞まで見つかった」


 一度、息を吸う。


「俺は……確かめたいです」


 ケイムはすぐには答えず、アレンの顔をじっと見た。


「……急いでる?」


「そりゃ……急ぎたくはなります」


「うん」


「でも、何があるか分からないし……下手に壊していいものじゃないかもしれない。それも分かってます」


 アレンはそう言って、ディアナを見た。


「だから、掘るならディアナの指示に従う」


 ディアナが目を細める。


「……それならいいわ」


 その隣で、マナも頷いた。


「で、俺は?」


 ドレイヴが自分を指差すと、ディアナは間髪入れずに言った。


「壊さないでね」


「まだ何もしてねえだろ!」


「だから先に言ってるの。これから壊す可能性が一番高いのは、あなたでしょう」


「お前、俺を何だと思ってるんだよ」


「力加減を考えるより先に、大剣を振る人」


「……あれは事故だ」


 ケイムが二人のやり取りに苦笑を漏らした。


「まあまあ。今日は遺跡調査になるかもしれないからね。ドレイヴには力仕事を任せたい。ただし――ディアナの指示が出るまでは、何もしないこと」


「……分かったよ」


 不満そうに口を尖らせながらも、ドレイヴは今度こそ素直に頷いた。

 五人は作業を始め、そのあいだも交代で周囲への警戒を続けた。


     ◇


 まず、残っていた床板と瓦礫を取り除いた。

 大きな梁はドレイヴとケイムが運び、小さな破片はマナとアレンが避けていく。


 アレンは右手を使わず、持ち上げられるものだけを左手で扱った。

 重いものへ手を伸ばしかけると、


「それ、俺が持つ」


 アレンが手を伸ばすより早く、ドレイヴが木材をひょいと持ち上げた。


「いや、それくらいなら持てる」


「持てるかどうかじゃねえよ。片手で持って、足にでも落としたら面倒だろ」


「……分かったよ」


 アレンがあっさり引き下がると、ドレイヴは妙なものでも見るように眉を寄せた。


「なんだよ。素直すぎると逆に気持ち悪いな」


「……じゃあ返せ」


「それは嫌だね」


 ドレイヴは木材を肩へ担いで、離れた場所へ運んでいった。


「……扱いづらいな、あいつ」


「アレンが素直になったから、調子が狂ってるんじゃない?」


 マナが横から言う。


「俺が悪いのか?」


「違うよ。いいことだって言ってるの」


 そう言って、マナは小さく笑った。

 やがて床板の下が露出し、そこからはディアナの指示に従いながら土を取り除いていった。


 深く掘りすぎず、先端の鋭い道具も強く突き立てない。何があるか分からない以上、少しずつ進める必要がある。


 最初に出てきたのは普通の土で、その中には家が崩れた際に入り込んだ灰や、小さな石、木片が混じっていた。


 観測で示された位置を外さないよう、そこから少しずつ掘り下げていった。

 やがて、掘り下げた穴が二メートル近い深さに達する。


「この辺りよ」


 ディアナが観測結晶で位置を確かめ、その底でドレイヴが慎重に土を削っていく。


 一度、二度。


 そして――


 ガッ。


 硬い音が響き、全員の動きが止まった。


「……当たったぞ」


 手応えに気づいたドレイヴが手を止めると、ディアナがその場へ近づいた。


「そのまま。もう叩かないで」


「ああ、分かってる」


 ドレイヴは慎重に手を伸ばし、表面に残った土を払い落とした。


 すると、その下から灰色のものが現れた。


「石?」


 マナが穴の底を覗き込み、アレンもその隣から目を凝らした。

 最初は家の基礎だと思った。


 だが――


「……違う」


 アレンが呟いた。


 家の基礎に使われている石とは違う。上に残っている基礎は、形の異なる石を組み合わせ、その隙間を接合材で埋めている。


 だが、今土の下から現れたものは平らで、大きな石材がほとんど隙間なく並んでいた。


「もう少し出しましょう」


 ディアナの言葉に従い、交代しながら周囲の土を取り除いていく。


 すると、石の面が次第に広がっていった。

 しかも、それは一枚ではなかった。


 複数の平たい石が規則正しく組み合わされ、一つの床を形作っている。


「……石の床だな」


 ドレイヴが、露出した石面を見下ろした。


「なんで家の床の下に、もう一枚床があるんだよ?」


 しばし、答えは返らなかった。

 ディアナも黙ったまま、上に残る家の基礎と、地下から現れた石材とを交互に見比べている。


「……違うわ」


「何がだ?」


「年代よ」


 アレンが顔を上げた。


「見ただけで分かるのか?」


「正確な年代までは無理。でも……少なくとも、同じ時期に造られたものじゃない」


 ディアナは石に直接触れず、表面すれすれまで指先を近づけた。


「加工の仕方が違う。石の組み方も。それに――こっちのほうが、明らかに古い」


「家の基礎よりも?」


「ええ。かなりね」


 ケイムも隣へしゃがみ込み、露出した石床を覗き込む。


「となると……上の家を建てたとき、一緒に造られたものではなさそうだね」


「じゃあ……」


 マナが露出した石床へ目を落とし、言葉を選ぶ。


「この家が建つ前から……ここにあったってこと?」


 ディアナはすぐには頷かなかった。


「今の段階では――その可能性が高い。言えるのは、そこまでね」


「うん」


 ケイムが静かに続ける。


「でも少なくとも、アレンの知らない地下室を家族が後から造った……そんな単純な話ではなさそうだ」


 アレンは何も言わず、足元に現れた古い石床を見下ろした。


 家が建つ前も、父や母がここで暮らす前も、自分が生まれる前も。

 その頃から、この場所には何かがあった。


「……何なんだよ、これ」


 思わず、言葉がこぼれた。

 しかし、その問いに答えられる者はいなかった。


「……待って」


 不意に、ディアナが低く言った。

 ディアナが、石の表面にまだ薄く土の残る一角へ目を留めていた。


 慎重に土を払うと、細い線が現れる。


 傷ではない。一本の溝だ。


 そこから別の線が伸び、交差しながら円を描いている。さらに土を取り除くにつれ、その模様は少しずつ広がっていった。


 それを見た瞬間、ディアナの表情が変わった。


「全員、そこから離れて。石床には乗らないで」


 声が一段鋭くなり、アレンたちは反射的にその場から後退した。


「……術式なの?」


 マナが緊張を滲ませて訊く。


「ええ。たぶん――」


 ディアナは刻まれた線を追いながら、観測結晶をかざした。

 石に刻まれていた線が、結晶の淡い光を受けて浮かび上がる。


 複数の線が重なり、輪を描き、いくつもの接続部へとつながっている。その外周を、消えかかった構造が取り囲むように残されていた。


「……封印術式」


 ディアナが低く言うと、その一言でドレイヴの顔から冗談めいた色が消えた。


「……何を封じてる?」


「まだ分からないわ」


「でも、下の空洞を封じてるんじゃねえのか?」


「その可能性はある。でも――分からないうちから決めつけないで」


 ディアナの声に迷いはなかった。


「ずいぶん古いね……」


 ケイムも身を屈め、刻まれた線を追う。


「今使われてる形式とは、かなり違う」


「ええ。私もそう思います」


「読めそう?」


「……一部なら」


 ディアナは観測結晶の位置を変え、術式を追うようにゆっくり動かした。


「かなり劣化してる。魔力も、ほとんど流れてない。でも……術式の構造自体は、まだ残ってる」


 アレンの目は、石床に刻まれた古い線へ吸い寄せられた。


「じゃあ、これも……家が建つ前から?」


「ええ。そう考えるのが一番自然ね」


 その言葉はすぐには消えず、アレンの胸の奥へ重く沈んだ。


 家より古い石床。そして、そこへ刻まれた古い封印術式。

 十八年間暮らした家の下に、そんなものがあった。


 何も知らずに眠り、食事をし、学校へ通い、両親を思い出しながら暮らしていた。

 わずか二メートルほど下に、何があるのかも知らないまま。


「……父さんたちは」


 言いかけたところで、アレンは止まった。


 知っていたのか――そう訊きたくなった。

 だが、答えなどない。


 ケイムがこちらを見る。

 アレンは一度考え込み、それから自分に言い聞かせるように首を振った。


「……いや。今はまだ、分からないよな」


「うん。そうだね」


 ケイムは短く頷くだけで、それ以上は何も言わなかった。


 それでいい。


 分からないものを、分かったことにしない。父も母も、もう答えられないからこそ、勝手に過去を作るべきではない。


「……開けられる?」


 アレンが、石床を見たままディアナへ訊いた。


「慎重にやれば、たぶん」


「壊さずに?」


「もちろん。そのつもりよ」


 ディアナは観測結晶をかざしたまま、術式を追っていく。


「封印そのものを全部壊す必要はないわ。石床の一部が開口部になってる。その部分を閉じている構造だけなら……切り離せると思う」


「危なくないの?」


 マナが訊く。


「危険はあるわ」


 ディアナは迷わず答えた。


「だから、全員すぐ動けるようにしておいて。何か起きてからじゃ遅いから」


「うん。それがいいね」


 ケイムも頷き、家の周囲を見渡した。


「その前に、もう一度周りを見ておこう。さっきのスケルグールも、完全に離れたとは限らない。それに、あいつがこの敷地で消えたことも忘れないで」


 五人はそれぞれ警戒を保ったまま、家の周囲を確かめていった。


 怪物の姿も物音もなく、動いているのは風に揺れる草だけだった。

 壊れた家のほかには、何も動いていない。


「……よし」


 ケイムは全員の顔を見回し、短く頷いた。


「それじゃ、始めよう」


     ◇


 石床の周囲に残っていた土をすべて取り除くと、そこで初めて全体の形が分かった。

 四角形に近い石造床の中央には古い封印術式が刻まれ、さらに、その一辺には――


「……継ぎ目がある」


 アレンが石床の一角を見つめて言った。


「ええ。そこね」


 ディアナも継ぎ目を確認し、小さく頷く。


「ここが開口部になってる」


「取っ手は?」


 ドレイヴが石板を覗き込む。


「ないわ」


「じゃあ、どうやって開けるんだよ?」


「封印術式で閉じる前提なら、外から簡単に開けられる造りにはしないでしょう」


「でも、それじゃ開けるとき困るだろ」


「だから、そのために術式があるの」


「……面倒くせえな」


「封印って、そういうものよ」


 ディアナはそう言って石床の前へ膝をつき、観測結晶を構え直した。


「じゃあ……始めるわ」


 観測結晶を横へ置き、杖先を封印術式へ近づけると、淡い光が走った。

 石に刻まれた線の一部が、弱々しく反応する。


 アレンは左手を剣の柄へ置き、ドレイヴはすぐに前へ出られる位置を取る。

 マナは杖を構えたまま、ディアナとアレンの両方を視界に収め、ケイムは全員の動きを見渡せる位置へ下がった。


「……封印の核には触れない」


 ディアナが自分に言い聞かせるように呟く。


「開口部につながってる経路だけ……そこだけを切り離す」


 杖先が、術式の線をなぞるようにゆっくりと動き始めた。

 一本の光が消える。だが、何も起こらない。


 続いて、もう一本。

 その瞬間、石の奥でかすかに何かが動いた。


 カチ。


 小さな音が響き、ドレイヴの重心が前へ移る。


「まだ」


 ディアナが短く制した。数秒、杖先を止める。

 そして、最後の一本まで慎重に術式の線を確かめていく。


「……よし。外すわ」


 光が消えると、石床の一角にあった髪の毛ほどの継ぎ目が、ほんの少し開いた。


「……開いた」


 マナの声が、かすかに強張る。

 ディアナは観測結晶をかざした。


「急激な魔力変化は……なし」


「黒い反応は?」


 アレンが間を置かずに訊く。


「今のところは、出てないわ」


「なら、持ち上げるぞ」


 ドレイヴが一歩前へ出た。


「ゆっくりよ」


「分かってるって」


「……本当に、ゆっくり」


「二回言うな!」


「あなた相手なら必要でしょう」


「ドレイヴ」


 ケイムが隣へしゃがみ込む。


「その話は、開けてからにしようか」


「……分かったよ」


 ドレイヴは不満そうに息を吐き、ケイムと二人で石板の隙間へ道具を差し込んだ。

 少しずつ力を加えると、石同士が擦れ合う。


 ご……。


 低い音とともに隙間が広がり、そこから冷たい空気が流れ出した。

 その空気が、アレンの頬を撫でる。


 湿ってはいない。むしろ乾いていて、長い間閉ざされていた空間の空気だと直感させる冷たさだった。


「あと少しだ。そのまま」


 ケイムがタイミングを合わせるように声をかける。


「……せーの!」


 二人は息を合わせ、一気に力を込めた。

 石板が持ち上がり、横へずらされる。


 その下には、黒い穴が開いていた。


 五人は黒い穴を前に、しばらく動けずにいた。

 マナが携帯用の魔法灯を近づけると、淡い光が穴の中へ落ちていく。


 照らし出されたのは、石の壁と石の床だった。


「……部屋?」


 マナが言う。


 穴の下にあったのは、大きな地下室ではなかった。


 数人が入れば、それだけで狭く感じる程度の小さな空間で、壁も床も石造りになっている。家の地下室と呼ぶには、どこか不自然だった。


 アレンは穴の縁から中を覗き込む。


「こんなの……」


 やはり、知らない。見たこともない場所だった。

 アレンが言葉を失っている横で、ケイムが穴の奥を覗き込んだ。


「まず僕とドレイヴが降りるよ。中を確認して、安全なら三人も来て」


「なら、俺が先に行く」


 ドレイヴはそう言うなり、穴へ身体を滑り込ませた。

 深さはそれほどなく、石の凹凸へ足を掛けながら降りていくと、ほどなくして下へ着いた。


「……よし。今んとこ、何もいねえぞ」


「じゃあ、僕も行くよ」


 続いてケイムが穴の中へ降り、そのあとにディアナ、マナが続いた。

 最後に、アレンが降りていく。


「アレン、左手だけなんだから無理しないでね」


 先に降りたマナが、下から声をかける。


「分かってる」


「右腕も、石にぶつけないようにして」


「分かってるって」


「その少し下、足を置けるところあるよ」


「見えてる。大丈夫だ」


 アレンは左手で縁をしっかりと掴み、慎重に身体を下ろしていく。

 途中まで降りたところで、下にいたドレイヴが肩を支えた。


「よし……離すぞ」


「ああ、頼む」


 支えが外れ、アレンの両足が床へ着いた。

 これで、五人全員が小さな地下空間へ降りたことになる。


 ドレイヴは入口に最も近い位置へ残り、地下だけでなく、頭上の気配にも意識を向けていた。


 頭上に開いた穴から細い光が落ちているものの、奥までは届かず、周囲は暗い。


 魔法灯(まほうとう)を掲げると、古い石壁が淡く浮かび上がった。


「……ここ、本当に俺の家の下なんだよな」


 アレンが、信じきれないように呟く。


「ええ。位置は間違いないわ」


 ディアナが答える。


 奇妙だった。

 頭上、ほんの数メートル上には、自分が十八年間暮らした家がある。


 いや――あった。


 その床を何度も歩き、転び、座り、食事をし、眠った。

 そのすべての下に、この場所があった。


「観測結晶は?」


 ケイムがディアナへ訊く。


「今、確認します」


 ディアナは観測結晶をかざし、慎重に測定を進めた。


「……ここでも、黒い反応そのものは出てないわ」


「じゃあ……この空洞が原因ってわけじゃないの?」


 マナの問いに、ディアナはすぐには頷かず、ゆっくりと首を振った。


「まだ、そこまでは言えない。反応が記録されたのは襲撃の三日前よ。今ここで何も出てないからって、無関係だとは決められないわ」


「なるほどな……」


 ドレイヴは壁沿いに歩き、四方を確かめた。


「にしても……何もねえな、ここ」


 その言葉どおりだった。

 棚も箱も家具もなく、何かを保管していた痕跡さえない。


 あるのは、ただの石壁と床だけだった。


「……この部屋、何のために造られたんだ?」


 アレンが訊く。


「それを確かめるのは、これからよ」


 ディアナは壁際へ寄り、刻まれた細かな痕跡をひとつずつ確認していった。


 アレンも魔法灯の届く範囲を順に追った。

 入口側、左右の壁、そして最後に正面。


 そして――


「……待って」


 不意にマナが足を止めると、魔法灯を持つ手もその場でぴたりと止まった。


「どうした?」


「……奥。何かある」


 マナは薄暗がりを探りながら、ゆっくりと灯りをその先へ向けた。


 地下空間の一番奥は、一見すると壁に見えていた。

 しかし、光を横から当てたことで、そこに黒い輪郭が浮かび上がる。


 床は、そこで終わっていなかった。


 その先へ向かって、下へ落ち込んでいる。

 アレンも足音を殺すように近づいた。


「……これ」


 マナが、さらに奥へ光を向ける。

 一段、その下にもう一段。さらにその先へ、石段が続いている。


「……階段、か?」


 ドレイヴの声からも、いつもの軽さが消えていた。

 全員が集まった先、小さな地下空間の奥には、さらに下へ続く石の階段があった。


 幅は狭く、一人ずつ降りるのが精いっぱいだろう。


 そして、その先は暗い。


「……地下室の下に、まだ続いてるの?」


 マナが、闇へ沈む階段を見つめたまま呟く。


「もしかしたら、この空間自体が地下室じゃないのかもしれないわ」


 ディアナは階段の造りを慎重に確かめる。


「ここは……下へ行くための、ただの通路?」


 アレンは階段の奥に口を開けた暗がりを、じっと覗き込んだ。


 家の下に空洞があり、そこへ入れば終わりだと思っていた。

 だが、本当にあるものは――もっと下だ。


「灯りを貸してもらえるかい」


 ケイムが手を差し出すと、マナは魔法灯を渡しながら念を押した。


「ケイム、勝手に降りたら駄目だよ」


「心配には及ばないよ。ちょっと照らして見るだけだ」


 ケイムは階段の入口ぎりぎりまで身を寄せると、魔法灯を闇の先へゆっくりと差し出した。


 白い光が、一段、二段、三段と階段を照らし、その先へ落ちていく。


 さらに光量を上げると、より下まで階段が浮かび上がった。

 だが、十段を越えても、その先はまだ暗い。


「もう少し先まで見えねえのか?」


 ドレイヴが訊く。


「これ以上明るくしても……この距離じゃ、さすがに厳しいね」


 ケイムはそう言いながら、魔法灯をさらに奥へ向けた。

 光は細い階段へ吸い込まれていくが、その底までは届かない。


 アレンは何も言わず、光が途切れる先を追った。


 家より古い石床。古い封印術式。小さな地下空間。

 そして、そこからさらに地の底へ続く階段。


 自分が生まれる前。家が建つ前。


 おそらく、ずっと前から。

 ここにあった。


「……これ、どこまで続いてるんだよ」


 アレンの低い声が、石壁の奥へ吸い込まれるように反響した。

 返事はなく、ただ下から冷たい空気だけが上がってくる。


 その隣へ、マナが静かに並んだ。


「……今は、降りないよね」


「分かってる」


「本当に?」


 アレンは闇の先を見たまま、小さく息を吐いた。


「ここまで来たからって、何の準備もなしに突っ込んだりしないよ」


 マナは少しだけアレンの横顔を確かめる。


「……うん。それならいい」


 後ろで、ドレイヴが鼻を鳴らした。


「お前も、ようやく学習したじゃねえか」


「……お前に言われると、なんか腹立つな」


「褒めてんだぞ?」


「褒め方の問題だろ」


 いつもなら、そこでマナが何か言っただろう。

 だが、今回は何も言わなかった。


 アレンも途中で口を閉じる。


 そのとき、小さな音が聞こえた気がした。


「……今」


 マナが何かに気づいたように、ぽつりと呟いた。

 その声に、全員が動きを止める。


 辺りは静まり返り、聞こえるのは頭上を抜ける風の音と、遠い地上から届く草の擦れる音だけだった。


「……何か、聞こえた?」


 ケイムが声を落として訊く。


「……分からない。今、何か……」


 マナも耳を澄ませながら、曖昧に答えた。

 アレンは階段の奥へ意識を集中させた。何も見えない。耳を澄ませる。


 数秒。さらに十数秒。


 何も聞こえない。


 気のせいか――そう思いかけた、そのときだった。


 コツ……。


 石を叩くような音が響いた。


 アレンの左手が剣の柄へ動き、ドレイヴも一歩前へ出る。マナは杖を構え、ディアナは観測結晶を階段の奥へ向けた。


 ケイムだけは、魔法灯を掲げたまま動かない。


 誰も言葉を発しなかった。

 音は、下から聞こえた。


 階段の奥――光の届かない場所から。


 再び静寂が落ちる。


 そして。


 コツ……。


 もう一度、音がした。

 さっきよりも、少しだけ近い。


 アレンは暗闇から目を離さなかった。


 何かが、階段を上ってくる。

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