第24話『必要な力だけ』
最初に瓦礫へ手をかけたのは、ドレイヴだった。
「下がってろ!」
火属性の魔装が両腕を覆う。
この先には、限界まで魔力を蓄えた魔法石がある。外装が破損していれば、剥き出しになった核へ僅かな熱や衝撃が加わるだけでも、爆発を招きかねない。ドレイヴは赤色に光る魔力を筋肉へまとわせ、通路を塞ぐ石材へ肩を押し当てた。
「おおおっ……!」
砕けた石床へ靴底がめり込み、巨大な石材が軋みながら僅かに浮き上がる。
「アレン! 今だ!」
人一人が腹這いで通れるほどの隙間が開くと、アレンはすぐさま床へ身を伏せ、その下へ潜り込んだ。
そのすぐ後ろから、マナも潜り抜ける。
「待て! マナ、お前まで来る気か!」
「行くよ。アレンの状態は、わたしが見るって約束したでしょ!」
「ここは訓練場じゃねえ。何が起きるか分からねえんだぞ!」
「分かってる。だから、わたしが必要なの!」
言い争っている時間はなかった。
頭上の石材が不気味に軋み、ドレイヴの腕も震え始めている。
「いいから、さっさと行け!」
「道ができたら、お前もすぐ追ってこい!」
「言われなくても行く! お前らこそ、勝手に奥まで進むんじゃねえぞ!」
アレンとマナが瓦礫の向こうへ抜けた直後、石材が轟音とともに床へ落ち、噴き上がった粉塵が視界を灰色に染めた。
マナが杖を振ると、薄い水の膜が二人を包み、迫る粉塵を受け止める。濁った水滴は床へ落ち、黒い筋となって流れていった。
「呼吸は? 苦しくない?」
「大丈夫だ。問題ない」
「右手の熱は?」
「そっちは……まだ変わらない」
マナはアレンの様子を確かめ、短く頷いた。
「分かった。でも、何か一つでも変わったら、すぐに言って」
「ああ。分かってる」
崩落した通路の先は、先ほどまで療養院だったとは思えない姿へ変わっている。
床は斜めに傾き、壁から引き剥がされた導魔線が紫色の火花を散らしていた。治療室から流れ出した薬液と水が石床を濡らし、焼けた金属と薬草の臭いが混ざり合う中、奥から子供の泣き声が聞こえてくる。
「誰かいるか! 返事をしてくれ!」
アレンが叫ぶと、右手側の治療室から掠れた声が返ってきた。
「こ、ここです!」
「中に何人いる!」
「扉が開かないんです! 患者が三人、それから子供が四人います!」
入口には、天井から落ちた太い梁が斜めに突き刺さっていた。
扉そのものは壊れていないものの、梁が取っ手の前を塞いでいるため、内側からも外側からも動かせなくなっている。
「怪我人はいるか!」
「子供が一人、脚を挟まれています! 患者も全員、自力では歩けません!」
「分かった。そこを動くな! 必ず開ける!」
そう答えた直後、通路のさらに奥で紫色の光が膨れ上がり、壁の内側から腹の底を震わせるような低い音が響いた。
ぶうん。
ぶうん。
一定だった間隔が、少しずつ短くなっていく。
「制御盤……」
崩れた壁の向こうには、半ば剥き出しとなった金属箱が見えた。そこから伸びる導魔線は、すべて同じ紫色に染まっている。
赤い封止文へ続く線を切れ――そう説明されていた。
だが、今の状態では、どれが本来赤かった線なのか見分けられない。間違えれば、過充填した魔法石が爆発するか、あるいは北側の生命維持区画への供給が止まる。
どちらも選べなかった。
「先に、あの制御盤を止める」
アレンがそう言うと、マナは治療室を見た。
「でも、あの部屋にいる人たちは……」
「今ここで爆発したら、全員死ぬ」
「だからって、一人で行くつもり?」
「すぐそこだ。ここからでも見える」
「そういう意味じゃないよ」
マナはアレンの前へ回り込み、まっすぐに彼を見つめる。
「さっき、力を貸してって言ったよね」
「ああ」
「だったら、勝手に一人で背負うものを増やさないで」
アレンは口を閉じた。
治療室の扉を開け、制御盤を止め、患者を運び出す。そのすべてを、自分一人でやろうとしていた。
「……分かった」
アレンは治療室へ向き直り、声を張り上げた。
「中にいる職員さん! 梁には触るな! 仲間が来るまで、そのまま待っていてくれ!」
「分かりました!」
返事を確かめると、アレンはマナへ向き直る。
「マナはここに残って、治療室と俺の両方を見ていてくれ」
「うん、分かった」
「それから……俺の様子がおかしくなったら、すぐに止めろ」
「言われなくても止めるよ。絶対に」
マナが測定石を取り出すと、透明だった石の中心には、すでに淡い橙色の光が灯っていた。
「封止環を一層だけ開けてもらうよ」
「治療師、来られるか!」
呼びかけに応じ、落ちた石材の脇から治療師が這い出してきた。
「外側だけ解除します。異常を感じたら、すぐ戻ってください」
「お願いします」
一つの紋様が消えた瞬間、青黒い刻印が皮膚の下から浮かび上がる。右手の甲に宿った熱はそのまま手首へ広がり、前腕の奥で細い雷へと変わっていった。
周囲に溢れた魔力へ引かれるように、刻印が強く脈打つ。
「周りの魔力を取り込もうとしてる。いつもより速い」
マナの声が硬くなる中、アレンはゆっくりと呼吸を整えた。
力を押さえ込んではならない。押し返せば、逃げ場を失った雷が身体の内側を焼く。
開こうとする力へ、進む場所を与える。ただし、必要な場所だけへ。
右肩から上腕、肘、前腕へと導き、五本の指には細い雷の糸を一本ずつつないでいく。
垂れ下がっていた指が震え、まず人差し指が持ち上がった。続いて親指、中指、薬指、小指が動き、五本の指は不揃いながらも、ゆっくりと閉じていく。
「右手、つながった」
「確認した。出力は昨日の訓練より高いよ」
「どのくらいだ?」
「一・三倍。……これ以上は上げないで」
「脚にも少し流す」
「待って。脚は通常の魔装だけにして。刻印の雷は、右腕の外へ出さないで」
「……分かった」
脚には、空気中から集めた魔力だけを薄くまとわせた。刻印の力ではないが、崩れた床を進むにはそれだけで十分だった。
アレンは一歩ずつ制御盤へ近づいていく。
傾いた床の下では、石が落ち、金属が弾ける音が絶え間なく響いていた。その向こうからは、子供たちの泣き声も聞こえてくる。
急げ。
そう思うほど、右手の刻印は強く脈打った。
制御盤の前へ辿り着くと、歪んだ外装の上半分が壁から外れかけている。内部には十本以上の導魔線が密集し、紫色の光を不規則に明滅させていた。
どれが生命維持区画へ続く線で、どれが過充填を起こしている線なのか。見ただけでは判別できなかった。
アレンは右手の人差し指を伸ばす。
「何をするつもり?」
「刻印の雷を流して、返ってくる反応を確かめる」
「……何秒流すの?」
「三秒」
「長すぎる。一秒にして」
「それじゃ反応を読み取れない」
「今の出力で三秒も流したら、探し終わる前に危険域へ入るよ」
紫色の光がさらに一段強まり、壁の奥から破裂音が響いた。
「二秒だ」
アレンは導魔線から目を離さずに言った。
「二秒で見つからなかったら、その時点で一度止める」
マナは測定石とアレンを交互に見た。
「……約束して。見つからなくても、必ず止めるって」
「ああ。見つからなくても止める」
「分かった。二秒だけだからね」
アレンは指先を最も端にある導魔線へ触れさせた。
「……始めて!」
青白い雷が走り、導魔線の中へ流れ込むと、いくつもの分岐へ分かれていく。
返ってきたのは光ではなく、右手の奥へ伝わる振動だった。
一つの流れは遠くまで安定して続き、ゆっくりと満ちては、ゆっくりと弱まっていく。まるで、誰かが呼吸を繰り返しているようだった。
生命維持区画。
切ってはいけない線だ。
別の流れは途中で行き止まり、押し込まれた魔力が制御盤へ逆流している。速く乱れた脈動は、そのたびに周囲の線まで巻き込もうとしていた。
これだ。
「止めて!」
マナの声と同時に、アレンは雷を切った。
指先から火花が散り、右腕の筋肉が勝手に収縮する。指が強く握り込まれた。
「見つけた」
「本当に? どの線?」
「生命維持の線は、呼吸みたいな流れだった。切るのは、その隣にある――」
言い終わるより先に床が大きく揺れ、アレンの足元で石板が割れた。
傾いた身体を支えきれず、右脚が床の亀裂へ滑り込む。
「アレン!」
反射的に右手を制御盤の縁へ伸ばすと、五本の指が金属を掴んだ。
だが、感覚がないため、どれほど強く握っているのか分からない。指先の皮膚が裂けても、骨が軋んでも、右手は何も伝えてこない。
「指の出力が上がってる! もっと弱めて!」
「無理だ、このままじゃ落ちる!」
「腕で耐えないで! 脚を使って、身体を支えて!」
アレンは左脚へ重心を移すと、魔装をまとった脚で床を蹴り、亀裂から右脚を引き抜いた。
制御盤を掴んでいた指へ流す雷を、親指から一本ずつ弱めていく。やがて手が開き、金属から離れた。
「戻った。出力も下がってる」
マナの声を聞き、アレンは浅く息を吐く。
自分一人なら、指が壊れるまで右手の力を強めていただろう。だが、マナの声に従い、右手の力を強めずに体勢を立て直せた。
「アレン!」
背後からドレイヴの声が響いた。
ドレイヴが瓦礫を慎重に押し退け、先ほどより広くなった穴から、赤い魔装をまとって飛び込んでくる。
「勝手に奥まで行くなって言っただろ!」
「まだ、お前から見える場所だ」
「そういう屁理屈はあとにしろ! 俺は何をすればいい!」
アレンは制御盤の下を指した。
「線を切ったら、あの弁を開けてくれ。たぶん歪んでる」
「要するに、力仕事だな」
そう言いながらドレイヴが制御盤の前へ立った、そのときだった。
治療室から悲鳴が上がる。
「天井が!」
扉を塞いでいた梁が沈み込み、治療室の壁には亀裂が走っていた。白い石片が内側へ落ち始めるのを見て、ドレイヴが振り返る。
制御盤の弁を開けるには、ドレイヴの力が必要だった。
だが、治療室の梁を支えなければ、中にいる者たちが押し潰される。
「俺が梁を支える!」
ドレイヴが治療室へ駆け出そうとする。
「待て、ドレイヴ!」
「待ってる暇があるか!」
「先に弁を開けないと――」
「中には子供がいるんだぞ!」
怒鳴り返された瞬間、アレンの胸に冷たいものが走った。
どちらも必要だった。どちらかを選べば、もう一方が間に合わない。
制御盤を止めなければ、全員が爆発に巻き込まれる。だが、梁を支えなければ、治療室の者たちが先に死ぬ。
ならば、自分が弁を開ければいい。
雷の出力を上げればできる。ドレイヴが梁を支え、自分が制御盤を止めればいい。
そう考えた、そのときだった。
右手の奥で、黒い扉が軋む。
暗闇の中から、何かがこちらを見ている。
一度にすべてを動かせ。
右腕だけでは足りない。脚へ、背中へ、心臓へ。
全身を雷へ変えれば、梁も制御盤も、まとめてどうにかできる。
刻印が青白い光を放ち、その輝きは手首を越えて前腕へ駆け上がった。
「アレン!」
マナが叫んだ。
「黒い扉が見えてるんでしょ!」
アレンは答えられなかった。
「ちゃんと報告して!」
黒い扉の隙間が、さらに広がっていく。
「アレン!」
「……見えてる」
アレンは絞り出すように答えた。
「右腕は?」
「熱い。もう肘まで上がってる」
「だったら、一人で決めないで!」
マナの声が、激しい耳鳴りを貫いた。
「何が必要なのか、三人で決めるって言ったよね!」
アレンがドレイヴを見ると、彼もまた、まっすぐこちらを見返していた。
「梁は、どのくらい持ちそうだ?」
アレンが尋ねると、ドレイヴは即座に答えた。
「俺が支えりゃ、持たせられる」
「そのあと、弁を開けるだけの力は残るか?」
「残す」
「嘘をつくな」
「お前にだけは言われたくねえ!」
「残るのか、残らないのか!」
ドレイヴは一瞬だけ、治療室の梁を見た。
「……分からねえ」
正直な答えだった。
アレンは次に、マナを見る。
「マナ、水で梁を支えられるか?」
「無理! あれは重すぎる」
「なら、何秒まで落ちるのを遅らせられる?」
「十秒。長くても十五秒」
十五秒。その間にアレンが線を切り、ドレイヴが弁を開けて治療室へ戻る。
「まず、マナが一時的に梁を支える」
「うん、分かった」
「その間に、ドレイヴは弁を開けてくれ」
「任せろ」
「俺は……線を切ることだけに集中する」
言葉にしてみれば、自分のやるべきことは驚くほど少なかった。
自分が梁を持ち上げる必要も、弁を回す必要もない。すべてを壊す必要など、なおさらなかった。
一本だけ。
過充填を起こしている導魔線を、ただ一本だけ切ればいい。
「行くよ!」
マナが杖を治療室へ向けると、大量の水が床を走り、扉を塞ぐ梁の下へ潜り込んだ。幾重にも折り重なった水流は透明な柱となり、梁を押し返していく。
その間に、ドレイヴは制御盤の下へ両手を伸ばし、アレンは右手の人差し指を密集した導魔線へ向けた。
黒い扉は、まだ開こうとしている。もっと力を使えと訴えかけてくる。
マナの手にある測定石が、橙色から赤へ変わった。
「危険域に入った! それ以上は上げないで!」
だが、必要なのは大きな雷ではない。
指先から導魔線までの僅かな距離に、髪の毛ほど細い道を通せばいい。
それだけでよかった。
「残り十二秒!」
「アレン、急げ!」
ドレイヴの叫びに、アレンも声を張り返した。
「分かってる!」
生命維持区画へ向かう、ゆっくりと満ちては弱まる呼吸のような流れを思い出す。
狙うのは、その隣で逆流し、暴れ続けていた一本だ。
アレンは狙いを定め、刻印から人差し指へ一本の雷を通した。
放たれた青白い糸は制御盤の隙間へ入り込み、過充填を起こしている導魔線だけを焼き切る。アレンが即座に人差し指への雷を断つと、赤熱した断面から火花が弾けた。
「切れた!」
「残り五秒!」
「ドレイヴ、今だ!」
「分かってる!」
ドレイヴが排出弁を掴むと、全身を覆う魔装が強く輝いた。
「おおおおっ!」
金属が軋んだものの、弁は動かなかった。
「残り三秒!」
治療室を支えていた水の柱が歪み始める。
「回れっ!」
ドレイヴの肩から鈍い音が響いたが、それでも手を離さない。
やがて、歪んだ弁が僅かに回った。
錆びついていた固定具が砕け、弁が一気に回る。
直後、床下から轟音が響き、溜め込まれていた魔力が排出術式へ流れ込む。銀色の光が床を走ると、紫色に染まっていた導魔線は一斉に青へ戻っていった。
「マナ、もう離せ!」
ドレイヴはそう叫ぶと、水の柱が崩れる寸前に治療室へ駆け戻り、落下する梁の下へ肩を差し入れた。
「ぐっ……!」
衝撃に膝が沈んだものの、梁はその場で止まる。
「今だ! 早く開けろ!」
治療室の職員たちが内側から扉を押すと、僅かな隙間が生まれ、最初の子供が這い出してきた。
続いて二人目、三人目も脱出し、療養院の職員も歩けない患者を背負って外へ出る。
「急げ!」
ドレイヴの腕は震えていた。
マナも治療室へ駆け寄り、出てきた患者たちを安全な場所へ誘導していく。
アレンは制御盤の前に立ったまま、その光景を見つめていた。
制御盤は止まった。
魔法石の振動は弱まり、排出術式も正常に動いている。もう、刻印を使う必要はない。
そう分かっているのに、右手の雷は消えなかった。
切ったはずの雷の糸が再びつながり、指が強く曲がっていく。刻印は床下へ流れた魔力を追おうとし、青白い光が手首から肘へ広がった。
「アレン、もう止めて!」
「止めようとしてる!」
「なら、人差し指から! 一本ずつ切って!」
人差し指へ流れる雷を探す。
だが、五本の糸は絡まり合い、右腕の奥で一つになろうとしている。
そのとき、黒い扉の向こうから声が響く。
まだ終わっていない。
もっと使え。
すべてを確かめろ。
「アレン!」
マナの声に、アレンは治療室を見やった。三人目の患者が運び出されたが、出てきた子供は三人だけだった。
「まだ奥に、女の子が一人います!」
職員が息を切らしながら叫んだ。
「脚を挟まれて……動けないんです!」
身体が勝手に治療室へ向かおうとした。
刻印を止めている場合ではない。雷を脚にも流せば、梁の下を抜けて少女を助け出せる。
自分なら、まだ間に合う。
「ドレイヴ!」
アレンが声を張る。
「まだ一人、奥にいる!」
「聞こえてる!」
梁を支えたまま、ドレイヴが叫び返した。
「俺が行く!」
「でも、お前が離れたら梁が――」
「職員! ここを代われ!」
二人の職員が駆け寄り、支柱と壊れた寝台を梁の下へ差し込む。
「これでは、長く持ちません!」
「一人連れ出すまで持てばいい!」
ドレイヴが梁から肩を抜いて治療室の中へ飛び込むと、アレンもその後を追おうとした。
だが、その外套をマナが掴む。
「待って、アレン」
「まだ一人、残ってるんだ!」
「ドレイヴが行った。今は信じて!」
マナはアレンの正面へ回り込み、震える手で外套を掴んだ。粉塵に汚れた顔のまま、それでも目だけは逸らさない。
「梁は職員の人たちが支えてくれてる。魔力の流れも治療師が確認してる。もう、アレン一人の役目じゃない」
右手の刻印が、なおも強く脈打つ。
ドレイヴが奥へ向かい、職員たちが梁を支え、治療師たちが制御盤を監視していた。
自分が動かなくても、救助は続いている。
一人ではない。
「……分かった」
アレンは強く握り込まれた右手を見つめ、一つずつ雷の糸を切っていく。
人差し指、親指、中指、薬指、小指。続いて手首、前腕、肘。
指が開いていく間も、刻印はなお、力を出せと脈打ち続けていた。
「もう必要ない」
最後に、刻印と右腕をつなぐ雷の根元を断ち切ると、青白い光が手の甲へ集まり、細い火花となって消えた。
右腕から力が抜け、肩から先が重く垂れ下がる。同時に脚の魔装も解けたことで足元が揺らぎ、アレンはマナに支えられながら膝をついた。
マナが測定石を近づけると、赤く染まっていた光は少しずつ橙色へ戻っていく。
「出力、下がってきてる」
そのとき、治療室の奥から石の崩れる音が響いた。
アレンは反射的に立ち上がろうとしたが、マナが肩を押さえる。
「待って。……信じるんでしょ?」
アレンは歯を食いしばり、その場に留まった。
短いはずの時間が、ひどく長く感じられる。
やがて――
「どけえええっ!」
ドレイヴの怒声が響き、治療室の暗闇から赤い魔装の光が現れた。
その腕には、片脚から血を流す小さな少女が抱えられている。少女は意識を保ち、粉塵で灰色に汚れた紙の風車を胸元に抱えていた。
「治療師! この子を頼む!」
ドレイヴが叫ぶと、待機していた治療師が少女を受け取り、その場で脚の処置を始めた。
治療を受けながら、少女は弱々しく顔を上げる。
「お兄ちゃんたち……」
「無理に喋らなくていいよ」
マナが優しく声をかけた。
「もう大丈夫だから」
少女が小さく頷くと、その手から紙の風車が滑り落ちた。
アレンは左手を伸ばし、床へ落ちる寸前で受け止める。羽根の一枚は破れ、青い紙には血と灰がこびりついていた。
「それ……」
少女が手を伸ばし、アレンは風車を返そうとした。
だが、少女は首を横に振る。
「あげる」
「……俺に? どうして」
「助けてくれたから。お礼」
アレンがドレイヴとマナを見ると、ドレイヴは肩を押さえながら荒い呼吸を繰り返し、マナの顔にも魔力を使い続けた疲労が滲んでいた。
梁を支えていた職員たちは床へ座り込み、その傍らでは、治療師たちが患者を一人ずつ確認している。
「俺一人が助けたんじゃない」
アレンは少女へ言った。
「みんなで助けたんだ」
少女は三人を順番に見つめる。
「じゃあ……みんなに、あげる」
「ああ」
アレンは左手で風車を持ち上げた。
「三人で受け取る」
少女は安心したように、小さく頷いた。
「患者三名、子供四名、職員二名!」
治療師の声が崩れた通路に響き渡る。
「全員の救出を確認しました! 生命維持区画も正常です!」
その言葉を聞いた途端、張り詰めていた空気が緩んだ。すすり泣く声が漏れ、職員の一人がその場へ座り込む。
ドレイヴはアレンの前まで歩いてくると、左拳を差し出した。
「戻ったぞ」
「ああ。……お前もな」
アレンが左拳を重ねる。
「約束したからな」
「一人で制御盤まで行っただろうが」
「見える場所だった」
「また屁理屈かよ」
マナが二人の間へ入った。
「でも、最後はちゃんと止まれたよ。ドレイヴに任せて、自分で力を切れた」
「なら……ぎりぎり合格だな」
「どうしてお前が決めるんだ?」
「少なくとも、お前よりは信用できる」
そう言ったあと、ドレイヴは右肩を押さえて顔をしかめた。
「肩、痛むの?」
マナが尋ねる。
「これくらい、何でもねえ」
「隠すなよ」
アレンが言うと、ドレイヴはすぐさま睨み返した。
「お前にだけは言われたくねえ!」
マナが小さく笑い、アレンも僅かに口元を緩める。
右手は動かず、失った感覚も戻ってはいない。刻印の奥には、今も黒い扉が残っており、次も止められる保証などどこにもなかった。
それでも今日、アレンは初めて、自分の力が必要なくなった瞬間に止まることができた。
最後の一人を救ったのは、アレンではない。
だが、それでよかった。
アレンは感覚のない右手を隠さず、左手に破れた風車を持つ。
崩れた壁の隙間から弱い風が吹き込み、汚れた羽根が三人の間でゆっくりと回り始めた。




