↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
デモンズ・ゲート ―三十三の刻印―  作者: 梅野 夕季
第二章『刻まれし代償』

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

19/51

第19話『一人では背負わせない』


 その日の夜、三人は療養院の食堂で遅い夕食を済ませると、客室へ戻った。


 部屋の暖炉には火が入り、赤い炎が静かに揺れている。窓の外では雪が降り続き、硝子の端には白い霜がじわじわと広がっていた。

 ドレイヴは椅子に腰を下ろし、雪で濡れた靴を暖炉へ向けている。そばの机では、マナが帳面を広げていた。


 二人から少し離れた窓際で、アレンは右手の黒い手袋を外した。


「明日、訓練をする」


 沈黙を破ったアレンの言葉に、マナの筆先が止まる。


「……何の訓練?」


 聞き返しながらも、彼女はすでに答えを察しているようだった。


「刻印を使う」


 マナはすぐには何も言わなかった。やがて帳面から顔を上げ、アレンをまっすぐ見つめる。


「本気で言ってるの?」


「ああ」


「今日、ハルヴァさんが何を話してたか、ちゃんと聞いてた?」


「聞いてた」


「だったら、どうして――」


「聞いたからだ」


 アレンは右手を見下ろし、ゆっくりと握ろうとした。


「このまま封じて、何も起きないことを祈り続けるだけじゃ駄目なんだ」


「でも、使えば呪縛が進むんだよ」


「分かってる」


「分かってない」


 マナの声が、はっきりと強くなる。


「本当に分かってるなら、そんな簡単に言えるはずない。ハルヴァさんを見たでしょ。刻印を止めたら、自分の力で息をすることさえできないんだよ」


「見た」


「手も、脚も動かない。呼吸まで刻印に任せて、あの人は生きてる」


 マナはアレンの右手を見つめた。


「次は指だけじゃないかもしれない。腕が動かなくなって、脚が動かなくなって……いつか、アレンもああなるかもしれないんだよ」


「ああ」


 その短い返事に、マナの表情が歪んだ。


「だったら、どうしてそんな顔で言えるの!」


 マナは椅子の脚を鳴らして立ち上がった。その拍子に机の上の帳面が乾いた音を立てて閉じる。


「制御できるようになるために、少しずつ死へ近づいていくなんて……そんなの、どう考えてもおかしいよ」


 使わなければ守れない。使えば身体が壊れていく。逃げ場のない焦りが、アレンの胸を突き上げた。


「じゃあ、どうすればいいんだよ」


「使わなくて済む方法を探せばいい」


「封印具だけじゃ、いつか破られる」


「だったら、もっと強い封印を作ってもらえばいい。ケイムやディアナなら、何か方法を――」


「それが次の戦いまでに間に合うのか?」


 マナの言葉が止まった。


「帝国は待ってくれない。怪物だって、いつまた現れるか分からない。そのときまでに封印が完成する保証が、どこにあるんだ」


「だったら――」


 マナは唇を噛み、絞り出すように言った。


「戦わなければいい」


 アレンが目を見開く。


「何だって?」


「もう、戦わなくていいよ!」


 マナの声が、静かだった部屋いっぱいに響いた。

 声の余韻が残る中、暖炉の炎が細く揺れる。


「今のアレンは、戦える身体じゃない」


 マナは言い聞かせるように、けれど震える声で続けた。


「右手だって、まともに動かない。退院したばかりで、医師からも戦うなって言われてる。それなのに、どうして次に戦うことばかり考えるの?」


「じゃあ、戦いの方が俺の都合を待ってくれるのか?」


「だからって、自分から死にに行くようなことを――」


「ファランディアでも同じだった」


 アレンは彼女の言葉を遮った。


「あのときだって、刻印を使うつもりなんかなかった。封印具も着けてた。それでも、俺の意思とは関係なく暴走したんだ」


 右手を握ろうとしても、小指だけは曲がらず、伸びたまま残る。


「次も同じことが起きたら、どうする」


「そのときは、みんなで止める」


「間に合わなかったら?」


「間に合わせるよ」


「何を根拠に言ってるんだ」


「根拠なんてなくても、間に合わせる。わたしたちが――」


「どうやって!」


 荒い声が部屋を打ち、マナの肩が僅かに震えた。

 叫ぶつもりなどなかった。だが、その反応を見てから悔やんでも、もう遅い。


 ドレイヴは暖炉の前から動かず、黙って二人のやり取りを見つめていた。


「一か月前、お前たちは俺を止めるために死にかけた」


 アレンはマナから目を逸らさずに続ける。


「リヴァもいた。ケイムもいた。それでも、あと少し止めるのが遅れていたら、誰かが死んでたかもしれない」


「だから今度は、もっと準備するの」


 マナは間を置かずに言い返した。


「治療師も呼ぶ。封印具も強くする。何かあったら、すぐにみんなで止められるように――」


「それじゃ駄目なんだ」


 アレンの声が低くなった。


「どれだけ周りが準備しても、俺自身が止められなければ、また同じことが起きる」


「だからって、そのために自分の身体を壊すの?」


「壊れると決まったわけじゃない」


「もう壊れ始めてる!」


 マナの声が鋭く響く。

 その視線が、アレンの右手へ突き刺さった。


「動かない指があるのに、どうしてまだそんなことが言えるの?」


 感覚を失い始めた薬指と小指に目を落とし、アレンは動く指だけを内側へ曲げた。いびつに丸まった右手を反射的に背後へ隠す。


 その仕草を見たマナの表情は、かえって苦しげに曇った。


「……見せたくないんでしょ」


「違う」


「だったら、隠さないで」


「隠してなんか――」


「今、隠したよ」


 マナの言葉に、アレンは背中へ回していた右手をゆっくりと戻した。だが、内側へ曲げた指を、思うように開くことができない。


「どうして開かないの」


「これは……」


 言い訳を探しても、喉の奥で言葉が絡んだ。


「俺の身体。どうするかは俺が決める。マナには関係ない」


 その言葉を口にした瞬間、アレンは言い過ぎたことに気づく。

 マナの表情から、わずかに色が消えた。


「……そうだね」


 マナは小さくうなずいた。


「マナ、今のは――」


「アレンの身体だよ」


 重ねた声は静かだった。怒りよりも、深く傷ついた響きが滲んでいる。


「痛いのも、痺れるのも、少しずつ動かなくなっていくのも……全部、アレンが受けることだよ」


 マナは閉じた帳面の上に両手を重ねた。


「だから、最後に決めるのはアレンなんだと思う」


 そこで一度言葉を切り、伏せていた顔を上げる。


「でもね、アレンの身体だからって、アレン一人だけの問題になるわけじゃない」


「……どういう意味だ」


「アレンが傷つけば、わたしたちだって痛いんだよ」


 声の端が僅かに震えた。


「指が動かなくなるたびに怖くなる。次はどこなんだろうって考える。いつかアレンがいなくなるかもしれないって、何度も想像してしまう」


 閉じた帳面を押さえる指先に、力がこもる。


「その苦しさまで、自分の身体だから関係ないなんて言わないで」


 マナは震える息を押さえ、言葉を続けた。


「アレンが動けなくなったら、わたしたちが支える。自分で息ができなくなったら、どうにかして息をさせる。死にそうになったら……助けるためなら、わたしは何だってする」


 瞳には涙が滲んでいた。それでも、マナはアレンから目を逸らさない。


「だから、一人で決めないで」


 アレンは何も答えられなかった。


「自分の身体だから、自分の好きに壊してもいいなんて思わないでよ」


「そんなつもりじゃない」


「いつも、そう言う」


 マナの声が僅かに掠れる。


「死ぬつもりはない。無茶をするつもりもない。みんなを守りたいだけだって」


 一つひとつ、これまでのアレンの言葉を突き返すように告げた。


「でも、追い詰められたら、最後には必ず自分が残ろうとする。自分一人が傷つけば済むって、勝手に決める」


「俺は――」


「それが、一番つらいんだよ」


 マナの目から、堪えていた涙が一筋だけ頬を伝った。


「アレンは自分が傷つけば終わりだと思ってる。でも、残されたわたしたちは、そのあともずっと生きていかなきゃいけないんだよ」


 骸骨へ素手で組みつこうとしたときも、ドレイヴを残して逃げることを拒んだときも、仲間から離れようとしたときも――自分は、誰かを守ろうとしていた。


 少なくとも、アレンはそう信じていた。


「俺はただ、お前たちを危険に巻き込みたくないだけだ」


「だから、その決め方を一人でしないでって言ってるの」


 マナの頬を、もう一筋の涙が伝う。


「アレンが危険だと思ったら、わたしたちは何も知らされないまま遠ざけられる。守るためだって言われて、選ぶことすら許されない」


「それは、お前たちを――」


「守られるかどうかは、わたしたちにも決めさせてよ」


 震える声でそう言いながらも、マナの視線は揺らがなかった。


「アレン一人で、わたしたちの覚悟まで決めないで」


 暖炉の中で薪が崩れ、小さな火の粉が二人の間へ舞い上がる。

 アレンは右手を見つめたまま、何かを言わなければならないと思った。


 だが、謝るだけでは足りない。かといって、今の自分が何を伝えるべきなのか、言葉を見つけることもできなかった。


「マナの言ってることは正しい」


 それまで黙っていたドレイヴが、低い声で口を開いた。

 アレンは思わず顔を上げる。


「お前も、訓練には反対なのか?」


「いや。刻印を使うこと自体には反対しねえ」


 予想外の答えに、今度はマナが驚いたように彼を見た。


「ドレイヴ?」


「使わなきゃ分からねえ。身体で覚えなきゃ、次も同じことになる。ハルヴァの話はたぶん間違ってねえよ」


 ドレイヴは暖炉の前の椅子から立ち上がる。


「次に暴走したとき、またリヴァやケイムが近くにいる保証はない。俺たちだけじゃ、お前を止められないかもしれねえ。それも事実だ」


「だったら――」


「最後まで聞け」


 ドレイヴの声が、アレンの言葉を押しとどめた。


「刻印を使うことには反対しねえ。ただし、お前が一人で決めて、一人で背負うつもりなら、俺は絶対に認めない」


 ドレイヴはアレンの前まで歩み寄り、その胸倉を左手で掴む。


「使うなら、俺たちの見ている前で使え」


 襟元を締めつける指に、さらに力がこもった。


「指が痺れたら言え。耳鳴りがしたら、すぐに言え。怖くなったならそれも隠すな」


「怖いって言ったところで、何が変わるんだ」


「少なくとも、俺たちには分かる」


「分かったところで、何ができる」


「それを考えるのは、聞いたあとだ」


 ドレイヴはアレンの目を正面から見据えた。


「お前が何も言わなきゃ、俺たちは気づくことすらできねえ。隣にいるのに、助けるための手も出せねえんだよ」


「……それだけか」


「それで十分だろ」


 そう言い捨てると、ドレイヴはアレンを突き放すように胸倉から手を離した。


「お前は平気なふりをしてるときが、一番危ねえ。自分じゃ隠せてるつもりでも、見てるこっちは気が気じゃねえんだ」


 アレンは答えられないまま、乱れた襟元を静かに直す。

 マナは頬に残った涙を拭うと、しばらくドレイヴを見つめていた。


「……訓練には、わたしたちも立ち会う」


 今度は迷いのない声だった。


「ハルヴァさんにも、そう認めてもらう。治療師も呼んで、何かあればすぐに止められるようにする」


「危険だ」


 アレンが言うと、マナはまっすぐ彼を見返した。


「危険だから、そばにいるの」


「もし、また暴走したら――」


「そのとき逃げるかどうかは、わたしが決める」


 アレンの言葉が止まる。


「アレンが危険だから離れろって言うなら、その理由はちゃんと聞く。でも、何も起きていないうちから、わたしの代わりに決めないで」


 マナは震えの残る声で、それでもはっきりと言った。


「怖くてもそばにいるのか、怖いから逃げるのか。それを選ぶのは、アレンじゃない。わたしだよ」


 その言葉に、アレンは息を詰まらせた。

 マナは、まっすぐにアレンを見つめている。


 ようやく分かった。二人が拒んでいるのは、刻印でも訓練でもない。アレンが二人の覚悟まで勝手に決め、危険から締め出そうとすることだった。


「……分かった」


 長い沈黙の末、アレンは答えた。


「明日の訓練は、二人にも立ち会ってもらう。何か起きても、もう一人では抱え込まない」


 マナはすぐには安心せず、アレンの顔を見つめたまま続けた。


「それだけじゃ駄目」


「まだ何かあるのか」


「わたしたちが危険だと判断したら、訓練を止める」


 マナの声には、譲るつもりのない強さがあった。


「アレンがまだ続けられると思っても、わたしたちが止めると言ったら、そこで終わりにして」


 その約束だけは、すぐに口にすることができなかった。


 あと少しで制御を掴めると思ったとき、本当に力を引けるのか。身体に異変が出ていても、続けようとしてしまうのではないか。


 すぐに約束できない自分こそが、アレンには恐ろしかった。

 答えをためらうアレンを、マナとドレイヴは黙って見つめていた。


 そしてマナは、アレンの胸に生じた迷いを見逃さなかった。


「アレン」


 静かな呼びかけだった。だが、目を逸らすことは許さないという強さがある。


「……分かった」


 アレンは覚悟を決めるように頷いた。


「二人が止めろと言ったら、その時点で訓練を止める」


「もう少しで掴めそうだと思っても?」


 アレンは答えかけて、口を閉ざした。視線が右手へ落ちる。

 それでも、やがて顔を上げ、マナの目をまっすぐ見返した。


「止める。二人が止めろと言ったら、俺は従う」


「……絶対に?」


「絶対にだ」


 マナは、その言葉の真意を確かめるように、しばらくアレンと向き合っていた。

 やがて、納得したようにゆっくりとうなずいた。


 恐怖も迷いも、消えたわけではない。三人が同じ答えに辿り着いたわけでもなかった。

 それでも、アレン一人の選択だった明日の訓練は、三人で背負う覚悟へと変わっていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。