↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
デモンズ・ゲート ―三十三の刻印―  作者: 梅野 夕季
第一章『雷鳴の刻印』

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

11/51

第11話『古代遺跡アルカナリウム』


 夜明け前のファランディアは、眠っているようでいて、決して静かではなかった。城壁を巡回する兵士たちの足音に、荷車へ武器や食料を積み込む物音、魔導具を点検する乾いた金属音が重なり、街全体を絶え間なく震わせている。


 西門の前には、すでにアルカナリウム奪還作戦へ参加する兵士たちが集められていた。連邦軍の軽装歩兵二十名に加え、遺跡内の術式を解析する魔術師と研究員、そしてリヴァが率いる刻鎖隊(こくさたい)が隊列を整えている。


 刻鎖隊の兵士たちは通常よりも軽い防具を身につけ、背や腰に何種類もの武器を携えていた。刻印者の能力に応じ、即座に武器と戦法を切り替えるためだろうと、アレンは考えた。


 その後方には、第七特別戦術小隊のアレン、マナ、ドレイヴが並んでいた。


 アレンは右手の手袋を確かめてから、腰に差した片手剣の柄へ触れた。隣では、マナが水晶の杖を胸元へ引き寄せ、何度も荷物の中身を確認している。一方、ドレイヴは大剣を背負ったまま、閉ざされた西門をじっと睨んでいた。


「……眠れたか、ドレイヴ」


 アレンが尋ねると、ドレイヴは重そうなまぶたをこすった。


「少しだけな。お前は?」


「……俺も、似たようなもんだ」


「やっぱり」


 マナが二人の顔を交互に覗き込み、心配そうに眉を寄せる。


「二人とも、目の下が少し黒くなってるよ」


「そういうマナは、眠れたのか?」


「わたしは……ちゃんと横にはなってたよ」


「それは眠れたうちに入らねえだろ」


「仕方ないでしょ」


 マナは小さく息を吐き、視線を伏せた。


「……初めての実戦なんだから」


 声は抑えられていたものの、そこには隠しきれない緊張が滲んでいる。


 アレンも同じだった。これまで剣を向けたのは、グリムフォードを襲った骸骨と、訓練場の仲間たちだけだ。だが今日、刃の先に立つのは、意思を持つ人間。


 剣の柄を握る指に、無意識に力がこもった。冷えた感覚だけが、腹の奥へ沈んでいく。


「おはよう、諸君。朝からずいぶんと重苦しい顔をしているね」


 場違いなほど軽い声とともに、ケイムが歩いてきた。黒い外套の内側には魔封符(まふうふ)や小型の魔導具が並び、片手に革張りの書類入れを抱えている。


「みんな、ずいぶん顔色が悪いねぇ。せっかくの遠足なんだ。もう少しくらい、楽しそうにしてもいいんじゃないかな」


「……遠足で、帝国軍と戦うのかよ」


 ドレイヴが低い声で返す。


「行き先だけ見れば、古代遺跡だ。そう考えれば、遠足と大して変わらないだろう?」


「帰ってこられなきゃ、何の意味もねえだろ」


「そうだね。だから――帰ってくるのさ」


 ケイムは穏やかに笑った。


「全員でね」


 西門の前方で号令が響く。


 巨大な鉄門を固定していた錠が外され、幾重にも施された術式が一つずつ解除されていく。やがて石と金属の擦れる鈍い音とともに、門がゆっくりと開き始めた。


 隙間から冷たい風が吹き込み、その向こうに、西へ続く薄暗い街道が現れる。


「奪還部隊、出発!」


 隊列が動き始めた。アレンたちは顔を見合わせ、ファランディアの城壁をあとにする。


     ◇


 街を出てからしばらくの間、隊列は古い軍用街道を西へ進んだ。


 道の両側には、冬を迎える前の枯れた草原が広がっている。遠くの丘には監視塔が点在していたが、その多くからは人の営みを示す煙が上がっていなかった。


 すでに放棄されたのか。それとも、何かが起きたあとなのか。ここからでは確かめようがない。


 隊列の先頭では、リヴァと数名の部下が周囲を警戒していた。彼女は時折足を止めると、風の流れを確かめるように顔を上げる。


 風属性の魔法を扱う者は、空気の揺らぎから、離れた場所にいる者の動きを読み取れるという。しばらく周囲を探ったあと、リヴァは先頭を離れ、隊列の中ほどまで戻ってきた。


「前方に人の気配はねえ。……少なくとも、街道沿いにはな」


「西部第三監視所は? 寄らないのか」


 ドレイヴが尋ねると、リヴァは前を向いたまま答えた。


「第二偵察隊が残って調べてる。あたしたちが向かうのは、アルカナリウムだ」


「消えた兵士たちより、遺跡を優先するってのか」


 ドレイヴの声に、抑えきれない不満が混じる。それでも、リヴァは歩調を緩めなかった。


「両方を追えねえなら、原因に近い方を選ぶ。監視所で起きたことがアルカナリウムとつながってるなら、遺跡を押さえることが、兵士たちの救助にもつながる」


「……関係なかったら?」


 リヴァはわずかに間を置いた。


「そのときは――あたしの判断が間違ってた。それだけだ」


 リヴァは振り返らない。そのまま先頭へ戻り、再び街道の先へ目を凝らした。


 昼前になると、草原はなだらかな岩場へと変わり、街道も次第に細くなっていった。左右から迫る灰色の岩壁の間を風が吹き抜けるたび、谷の奥から笛のような音が響いてくる。


 そのとき、先頭を進んでいた兵士が手を上げ、隊列を停止させた。


「ここから先は、中立地帯だ」


 リヴァが足を止め、隊列を振り返る。


「帝国にも連邦にも属してねえ。国境標識もない。だが、遺跡を帝国軍が押さえてる以上――ここからは敵地だと思え」


 兵士たちの間に緊張が走り、それぞれが無言で武器を確かめた。

 ケイムはアレンたちを谷の端へ呼び寄せる。


「さて……入る前に、作戦をもう一度確認しておこうか」


 地面に地図を広げ、四隅を小石で押さえた。紙面にはアルカナリウムの外周と、連邦側研究区画の大まかな位置が記されている。


「軍から与えられた任務は、三つだ」


 ケイムはそう告げ、指を一本立てた。


「まず、遺跡を占拠している帝国軍を排除する」


 続けて、二本目の指を立てる。


「次に、取り残された研究員や警備兵がいれば保護する」


 そして、三本目。


「最後に、帝国軍が発見したと思われる古代兵器――あるいは遺物を、こちらで確保する」


「……それが、表向きの目的か?」


 アレンが尋ねると、地図の上をなぞっていたケイムの指が止まった。


「おや。察しがいいねぇ。もう少し遠回しに話すつもりだったんだけど」


「昨日、本当の目的は別にある……そんな言い方をしてた」


「覚えていたか」


 ケイムは小さく笑い、再び地図へ目を落とす。


「命令書に書かれているのは、今話した三つで間違いないよ。少なくとも――軍にとってはね」


 その指先が、地図の中央に記された遺跡の印で止まる。


「ただ、私がわざわざ同行する理由は、もう少し個人的で……少しばかり厄介なんだ」


「刻印との共鳴……だよね」


 マナが確かめるように言った。


「正解」


 ケイムは穏やかにうなずく。


「話が早くて助かるよ」


 ケイムは満足そうに目を細めると、外套の内側から小型の水晶球を取り出した。内部には、紫色の光が細い糸のように漂っている。


「昨夜から、アルカナリウム周辺の魔力波は断続的に強まっている。君が近づけば……さらに面白い変化が起きる可能性は高いね」


「つまり、俺を使って遺跡の反応を確かめるつもりか」


「少し身も蓋もない言い方をすれば――そういうことになる」


 ケイムはあえて否定しなかった。マナが不安そうにアレンを見つめ、ドレイヴも険しい表情を浮かべる。


「……ずいぶん、あっさり認めるんだな」


「綺麗な言葉で包んだところで、君が遺跡へ近づく事実は変わらないだろう?」


 ケイムは水晶球を外套の内側へ戻した。


「アレン。君の刻印が、遺跡を開く鍵になる可能性がある。まあ……反対に、中で眠っている何かを叩き起こす鍵かもしれないけどね」


「それなら、近づけない方が安全なんじゃねえのか」


 ドレイヴが低い声で言う。


「目先の安全だけを考えるなら――そのとおりだ」


 ケイムは谷の先を見やった。


「だが、帝国はすでにアルカナリウムを占拠している。向こうが刻印と遺跡の関係に気づいているなら、私たちが大人しく距離を置いたところで――帝国の計画まで止まってはくれないよ」


「だから、向こうより先に調べるの?」


「そういうことさ。何も知らないまま帝国に利用されるくらいなら、こちらから危険の正体を確かめに行く方がいい。その方が、まだこちらにも選択肢が残る」


「……俺も、それがいいと思う」


 アレンはそう答えた。


 黒い手袋の下で、右手がかすかに疼く。引き返したいという思いは消えていない。それでもアレンは、自分の足で街道を進んだ。危険を知らずに連れてこられたのではない。知ったうえで、ここへ来ると決めたのだ。


「ただし」


 リヴァが会話を遮るように口を挟む。


「遺跡がアレンに強く反応したら、そこで前進は止める。軍の命令より、こいつの状態を優先するからな」


「異論はないよ」


 ケイムは素直にうなずいた。


「呪縛を進めることまで、任務に含まれているわけじゃないからねぇ」


「……だったら、最初からそう言え」


「私が言うより、君が言った方が、みんなも安心すると思ってね」


「あとで殴る」


「できれば任務が終わってからにしてくれたまえ。交戦前から負傷者を増やすのは、あまり感心しない」


 リヴァは不機嫌そうに鼻を鳴らすと、再び隊列の先頭へ戻っていった。


 やがて谷を抜けると、それまで狭まっていた視界が一気に開ける。岩山に囲まれた盆地の中央には、目的地であるアルカナリウムが静かに佇んでいた。


「……あれが」


 マナが息を呑む。


 目の前に広がる遺跡は、神殿という言葉だけでは到底表せない姿をしていた。巨大な石柱が円を描くように立ち並び、その間を黒ずんだ金属の梁(はり)がつないでいる。


 建造物の上空には幾つもの石盤が浮かび、見えない軸を中心にゆっくりと巡っていた。


 外壁からは、歯車に似た巨大な魔法装置が半ば露出している。低い駆動音が一定の間隔で響き、何千年ものあいだ、一度も止まることなく動いてきたかのようだった。


 石と金属。魔法と機械。


 そのどれにも属しきらない建造物が、盆地の底で一行を待ち受けている。


 盆地の入口には、連邦と帝国による共同管理を示す二本の柱が立っていた。だが、柱に刻まれていた連邦の紋章は鋭利な刃物で削り取られ、その代わりとでもいうように、帝国旗が掲げられている。


「敵の姿が見えない」


 ドレイヴが大剣へ手を伸ばした。


「隠れてる」


 リヴァは短く言い、右手を上げる。その合図で隊列が停止すると、刻鎖隊(こくさたい)の兵士たちは素早く左右へ広がり、岩陰や遺跡の外壁を警戒した。


 そのとき、不意に風が止まる。


 そして、次の瞬間――


「伏せろ!」


 リヴァの声と同時に、岩壁の上から赤い光が降り注いだ。


 炎の矢や土の槍――魔力を固めた無数の投射物が、連邦軍の隊列めがけて一斉に飛来する。兵士たちは即座に反応し、そろって盾を掲げた。


「防御術式、展開!」


 連邦側の魔術師が杖を地面へ突き立てると、半透明の障壁が一気に広がり、降り注ぐ魔法の雨を受け止める。

 直後、爆発音が立て続けに響き、障壁の表面にはひび割れにも似た光が走った。


「左の岩棚に六! 遺跡正面に十以上!」


 リヴァの部下が叫ぶと、それまで身を潜めていた帝国兵たちが一斉に姿を現す。


 彼らは黒い軽鎧(けいがい)に銀色の外套をまとい、腕には魔力の出力を補助する金属製の魔導具を装着していた。そのまま斜面を駆け下りながら、連邦軍へ向けて魔法と矢を次々に放ってくる。


「刻鎖隊、左を押さえる!」


 リヴァが双剣を抜いた。


「連邦歩兵は正面! 第七小隊は中央から離れるな! 敵から情報を引き出すため、できる限り生け捕りにしろ!」


 指示を出すと同時に、リヴァは足元へ魔装を集中させる。

 次の瞬間、彼女は一陣の風となって、左手の岩棚を駆け上がっていった。


 ケイムは研究員たちを防御障壁の内側へ下がらせ、自身も中央に残った。


 アレンも片手剣を抜き、こちらへ向かってくる帝国兵を見据える。相手は骸骨ではない。仮面の隙間から覗く目には、紛れもない意志が宿っていた。


「敵の中央を崩すぞ!」


 ドレイヴが大剣を構え、踏み出そうとする。


「待て」


 アレンはその肩を掴んだ。


「……また、一人で突っ込むつもりか?」


 ドレイヴは足を止め、ほんの一瞬、悔しそうに眉を寄せる。だが、すぐに息を吐いて気持ちを切り替えると、マナを振り返った。


「マナ、準備はできるか?」


 マナが一瞬だけ目を見開く。ドレイヴは、彼女が杖を握り直すまで前へ出なかった。


「うん。すぐにできる」


 正面からは、三人の帝国兵が迫っている。先頭の男が槍を構え、その後ろでは二人の兵士が、腕の魔導具へ炎を集めていた。


「なら急げ! こっちは俺が止める!」


 ドレイヴは大剣を盾のように掲げ、二人を庇うように前へ出る。


 直後、ドレイヴは放たれた炎弾を剣の腹で受け止めた。爆発とともに大剣が赤く焼け、衝撃に押されて両足が地面を滑る。


「ぐっ……まだだ!」


 アレンは左手へ魔力を集めた。


 今なら、迫る帝国兵を狙える。だが、ここで雷魔法を放てば、生身の人間へ直撃することになる。たとえ威力を抑えたとしても、電流の流れる場所によっては命を奪いかねない。


 迷いに呼応するように、指先に生まれた火花が揺らぐ。その間にも帝国兵が槍を突き出し、ドレイヴは大剣で穂先を受け流した。


「アレン!」


 名を呼ばれても、アレンの体はすぐには動かない。


 相手は人間だ。倒せば血を流し、殺せば二度と立ち上がらない。その事実が、見えない鎖のように体を縛りつけていた。


「今は迷うな! 考えるのはあとだ!」


 ドレイヴは槍を大きく弾くと、敵兵の胸へ肩からぶつかった。男は地面へ倒れたが、それ以上の追撃はしない。


「前は俺が止める! だからお前は――お前にできるやり方で戦え!」


 その言葉に、アレンの呼吸が一瞬止まる。

 敵を殺す必要はない。戦えない状態にすればいいのだ。そのための方法を、自分で選べばいい。


「マナ!」


 アレンが叫ぶ。


「敵の視界を奪えるか?」


「水の壁なら――」


 そこまで言いかけて、マナは口を閉じた。その目が一瞬だけ揺れる。

 その表情を見た瞬間、訓練中にリヴァが彼女へ投げた言葉が、アレンの脳裏に蘇った。


『正しい術式より、今そこにいる仲間を見ろ』


 マナは杖を握ったまま、戦場を見渡す。

 火魔法に熱せられた空気。岩場の窪みに溜まった水。そして、爆発によって舞い上がり、辺りを漂う砂埃。


「……できる」


 マナは迷いを振り切るように杖を地面へ向ける。


「水よ、壁となれ――ヴェレンヴァル!」


 アレンたちの前に水の盾が立ち上がり、それを見た帝国兵たちが身構えた。だが、マナは水の形を保とうとはしない。


 杖を横へ振り抜くと、水の壁が一気に崩れ、無数の細かな飛沫となって宙へ広がった。


「そのまま――散って!」


 水滴が炎によって熱せられた空気中へ広がると、白い蒸気が一気に膨れ上がる。

 さらにそれは、地面に残る水分と舞い上がった砂埃まで巻き込み、濃い霧となって帝国兵たちの周囲を覆っていった。


「何だ!?」


「前が見えん!」


 濃い霧に包まれたことで、帝国兵たちの動きが止まる。マナも、自分が生み出した霧を驚いたように見つめていた。


 教本には載っていない、即興の霧。


「ドレイヴ、三歩下がって!」


 今度はマナが指示を出し、ドレイヴは迷うことなく後退する。


 直後、霧の中から槍が突き出されたが、すでにそこに彼の姿はない。敵兵そのものは見えなくても、腕の魔導具が放つ赤い光だけは、濃い霧の中にぼんやりと浮かんでいた。


 アレンは地面へ目を落とす。


 遺跡の周囲には、帝国兵が設置した金属製の杭が打ち込まれ、その間には細い魔力導線が張り巡らされていた。おそらく、警戒用の術式を展開するためのものだろう。


 さらに、帝国兵の魔導具にも、導線へ接続するための金属端子が備えられている。


 人間を直接狙う必要はない。装備の回路を断てばいい。

 そう判断したアレンは、片手剣の切っ先を地面の導線へ触れさせた。


「走れ、雷(いかづち)――ブリッツフンケ!」


 低威力の雷が剣身を伝い、魔力導線へ流れ込む。青白い光は霧の中を這うように進み、金属杭から次の杭へと渡っていった。


 導線の近くへ踏み込んだ帝国兵の腕で、魔導具の端子が赤く光る。その瞬間、杭から伸びた雷が短い火花となって跳び、端子へ食らいついた。


「ぐっ!」


 短い悲鳴が上がる。


 アレンは雷の流れを装置の術式回路へ集中させた。人体へ届くより先に、魔力は魔導具の内部を駆け巡り、刻まれていた回路を焼き切る。


 赤い光が不規則に明滅し、焦げた匂いとともに装置から煙が立ち上った。


「魔導具が動かない!」


「外せ! 暴発するぞ!」


 帝国兵たちが混乱する中、アレンが剣の角度を変えると、雷は別の導線へ流れ込む。


 青白い光が兵士たちの足元まで走り、地面から跳ね上がった。最も近くにあった槍や剣の鍔へ雷が食らいつき、金属製の武器が一斉に激しく震える。


「くっ……!」


 敵兵たちの手から、次々と武器がこぼれ落ちた。


「今だ、ドレイヴ!」


「ああ!」


 ドレイヴが前へ出る。

 だが、霧の中へ踏み込む直前、足を止めて振り返った。アレンとマナの位置を確かめる。


 二人が頷くのを見届けると、ドレイヴは力強く地面を蹴った。

 武器を落とした帝国兵の懐へ一気に入り込み、大剣の平らな腹を胴体へ叩きつける。


「ぐはっ!」


 兵士は数歩ほど弾き飛ばされ、そのまま地面を転がった。


 ドレイヴはすぐさま次の敵へ向かう。だが、深くは追わない。アレンたちとの距離を保ちながら、一人ずつ着実に戦闘不能へ追い込んでいった。


「ドレイヴ、右から二人!」


 霧の揺れを捉えたマナが叫ぶ。


「見えてる!」


 ドレイヴは応じ、大剣を横へ構えた。


 直後、霧を抜けてきた二人の帝国兵が同時に剣を振り下ろす。ドレイヴは一方の斬撃を大剣で受け止め、もう一方は肩の防具で受け流した。


 アレンは片手剣の切っ先を向ける。しかし、その射線上にはドレイヴがいた。


 アレンの動きが一瞬止まる。

 だが、今度は目を逸らさない。


 敵の剣、ドレイヴの鎧、そして地面を伸びる金属導線。その中から、使えるものを選ぶ。


「ドレイヴ、そのまま動くな!」


「分かったから、早くしろ!」


 アレンは敵兵ではなく、二人が握る剣の鍔へ狙いを定めた。


「走れ――ブリッツフンケ!」


 細い雷が地面の導線を走る。二人の足元で青白い火花が跳ね、二つに枝分かれした。それぞれの雷は、最も近い金属――二人が握る剣の鍔へ食らいつく。


 火花が弾けた瞬間、二人の手が反射的に開き、武器が地面へ落ちた。


「今だ!」


 ドレイヴはその隙を逃さず、体を回転させる。大剣の柄で一人の腹を打ち、続けざまに肘で残る一人の胸を押し倒した。


「助かった!」


「礼はあとだ! まだ来る!」


 霧の向こうでは複数の赤い光が明滅していたが、その数は次第に減っていく。


 左側の岩棚では、リヴァの双剣が風を裂いていた。彼女は敵兵の急所を避けながら、腕や脚の防具だけを正確に打ち抜き、次々と戦闘不能へ追い込んでいる。さらに、刻鎖隊の兵士たちも連携して周囲へ広がり、逃げ道を塞いでいた。


 一方、正面では連邦歩兵が霧を盾にして前進している。霧に視界を遮られ、魔導具の一部も封じられた帝国軍は、次第に統率を崩し始めていた。


「退け! 全員、大扉の手前まで戻れ!」


 帝国側の指揮官らしき男が声を張り上げる。


「急げ! 入口を封鎖する!」


 残った帝国兵たちは互いを庇いながら後退し、大扉の前まで退いた。

 最後の一人が仲間の列へ飛び込んだ直後、連邦軍との間を遮るように、半透明の障壁が広がる。


「追うな!」


 鋭いリヴァの声が、戦場を貫いた。


「誘い込むための罠かもしれねえ! 負傷者を拘束しろ。ほかは周囲を確認――勝手に遺跡へ近づくな!」


 しばらくして、周囲に伏兵がいないことが確認され、倒れた帝国兵たちも拘束された。

 ようやく大剣を下ろしたドレイヴが、アレンとマナを振り返る。


「今度は、一人で突っ走らなかったな」


 アレンがそう言うと、ドレイヴは息を切らしながら顔をしかめた。


「……うるせえよ」


 そう返しながらも、その口元には僅かな笑みが浮かんでいる。


「言われなくても、それくらい分かってた」


「本当に?」


 マナが疑うように覗き込んだ。

 ドレイヴは一瞬だけ目を逸らす。


「……半分くらいはな」


「半分だけなんだ」


 緊張がわずかに緩んだ直後、アレンは自分の右手へ目を落とした。

 その手は小さく震えている。人間と戦った恐怖が、遅れて体へ現れたのだ。


 霧の向こうには、倒れた帝国兵たちの姿があった。呻き声を上げる者もいれば、意識を失っている者や、焼けた魔導具を押さえて苦しむ者もいる。


 それでも、少なくともアレンが雷を流した相手に、致命傷を負った者はいないようだった。


「アレン」


 マナがそっと隣へ並ぶ。


「……大丈夫?」


「ああ」


 反射的にそう答えかけて、アレンは口を閉じた。


「いや……怖かった」


「うん」


「今も、まだ手が震えてる」


 マナは否定も励ましもせず、ただ静かにうなずく。


「それでも……動けた」


 アレンは、地面に落ちた帝国兵の剣へ目を向けた。


「人じゃなくて、武器を狙えた」


「うん。それは、アレンが自分で選んだことだよ」


 そこへ、リヴァが歩み寄ってきた。頬には薄い切り傷が走り、双剣の片方には敵の血が僅かに付着している。


「敵を殺さずに済んだのは、運もある」


「……ああ」


「実戦じゃ、次も同じようにいくとは限らねえぞ」


「分かってる」


 リヴァは少しだけ目を細める。


「ならいい。それでも――初めてにしちゃ、悪くなかった」


 そう言って、今度はドレイヴへ顔を向けた。


「お前は?」


「ちゃんと二人を待っただろ」


「最初だけな。途中から、少し前へ出すぎだ」


「戻れる距離は保ってた」


「……まあ、昨日よりはマシだ」


 続いて、リヴァの視線がマナへ移る。


「教本にはない使い方だったな」


「水の盾を、霧に変えただけだよ」


「“だけ”で済ませるな」


 リヴァは短く言い切った。


「状況を見て、術式の使い方を変えた。それでいい」


 マナの表情が、僅かに明るくなる。


「……あれで、よかった?」


「今回はな」


 リヴァは厳しい口調を崩さない。


「だが、次も同じように成功するとは限らねえ。霧は敵だけじゃなく、味方の視界も奪う。風向きひとつで、今度はこっちが不利になる」


「……うん」


「だから、うまくいったやり方に頼り切るな。その場を見て――毎回、自分で選べ」


 それは、三人全員に向けられた言葉でもあった。

 やがて、拘束された帝国兵の魔導具を調べていたケイムがこちらへ歩み寄ってくる。


「これはなかなか興味深いねぇ。既存の増幅器を土台にしているようだけど、そこへ見覚えのない術式が継ぎ足されている」


「帝国の新兵器か?」


 アレンが尋ねた。


「さて、まだ断定はできないね。単なる試作品という可能性もある。ただ――この術式の一部は、アルカナリウムで使われている古代文字によく似ている」


 ケイムは壊れた魔導具を革袋へしまう。


「どうやら帝国は、遺跡から何かを拾って帰っただけじゃないらしい。もう兵器として使えるところまで、手を加えているのかもしれないねぇ」


「急いだ方がいいな」


 リヴァは遺跡の正面を見やった。


 帝国兵たちが退いた大扉の手前は、半透明の障壁によって完全に閉ざされている。その向こうには、巨大な扉がそびえていた。黒い金属と灰色の石を組み合わせて造られた表面には、幾何学的な線と見覚えのない文字が刻まれている。


 扉の中央には円形の窪みがあり、その周囲を三十三の小さな紋章が取り囲んでいた。

 連邦軍の魔術師たちは障壁を取り囲むと、一斉に杖を構える。


「解除術式、第一層へ接続!」


「駄目です、反応がありません!」


「流した魔力が……そのまま外へ押し返されます!」


 複数の解除魔法が立て続けに放たれた。だが、障壁はそのたびに淡い波紋を広げるだけで、傷一つ負うことはない。


「……あいつら、どうやってこんな障壁を動かしたんだ?」


 ドレイヴが障壁を睨みながら尋ねる。


「帝国兵が正面から組んだ術式とは考えにくいねぇ」


 ケイムは障壁へ近づくと、手を触れないまま周囲の魔力を慎重に探った。


「向こう側から、誰かが遺跡の防御機構を起動した――そう考えるのが自然かな」


「つまり、中にいる誰かが遺跡を動かしたってことか?」


「おそらくはね。まあ……私たちを歓迎するための仕掛けには、とても見えないけど」


 ケイムは障壁から目を離し、アレンの方へ振り返る。


「さて、アレン。無理のないところまででいい。少しだけ近づいてみてもらえるかい?」


 リヴァの表情が険しくなった。


「無理に触らせるんじゃねえぞ」


「触れる必要はないよ。どこで反応するか――それを見るだけさ」


 アレンは黒い扉を見つめる。


 右手の刻印が、これまでとは違う熱を帯びていた。痛みではない。まるで自分の体の一部が、遠くから呼ばれているような感覚。


「……行く」


「アレン」


 踏み出しかけたアレンの袖を、マナがそっと掴んだ。


「少しでも変だと思ったら……すぐ戻ってきて」


 アレンはマナの手に一度だけ目を落とし、静かにうなずく。


「ああ。分かった」


 今度は、言葉だけではなかった。本当に危険だと感じたなら、その場で引き返すと決めていた。


 アレンは一歩ずつ、障壁へ近づいていく。


 十歩、八歩、そして五歩。距離が縮まるたび、右手に宿った熱は手首から肘、肩へと這い上がり、やがて鼓動に合わせて胸の奥まで広がっていった。


「反応値上昇」


 ケイムが水晶球に目を落としたまま告げる。


「まだ危険域には入っていない。アレン、意識ははっきりしているかい?」


「ああ。問題ない」


 障壁まで、あと三歩。

 アレンがその距離まで近づいた瞬間、扉の表面に刻まれていた古代文字が、一つ、また一つと紫色に染まり始める。


「……扉が、反応してる」


 マナが呟くと、扉の中央を囲む三十三の紋章が、一つずつ光を放ち始めた。

 一つ、二つ、三つ。紫色の光は円を描くように紋章の間を走り、次々と扉の中央へ集まっていく。


 アレンは足を止めた。まだ障壁には触れておらず、扉へ手を伸ばしてさえいない。

 それにもかかわらず、遺跡全体が低く震え始める。


 上空に浮かんでいた石盤はぴたりと回転を止め、外壁から露出する巨大な歯車が、今までとは逆の方向へゆっくりと動き出した。


「全員、下がれ!」


 リヴァの叫びに応じて、兵士たちは一斉に武器を構え、ケイムも魔封符へ手を伸ばす。


 アレンも後退しようとした。


 だが、何かに引かれたように右腕が扉へ向かって伸び、踏み出しかけた足が止まる。刻印そのものが、身体をその場へ縫い留めているかのようだった。


 やがて、黒い手袋の下から紫色の光が溢れ出す。細い紋様が布越しに透け、手の甲から指先へと広がっていった。


「アレン!」


 背後から、マナの切迫した声が飛ぶ。


「もういい、戻れ!」


 重なるように、ドレイヴの怒鳴り声が響いた。

 アレンは歯を食いしばり、右腕を胸元へ引き寄せようとする。


 轟音が響き、半透明の障壁が硝子のように砕けると、無数の光の粒となって宙へ散った。


 続いて、黒い扉の中央に一本の縦線が走る。何千年ものあいだ閉ざされていた扉は、地の底から響くような重い音を立てながら、ゆっくりと左右へ開いていった。


 その内側に広がっていたのは、光さえ届かない深い闇。


 遺跡の奥から冷たい空気が流れ出し、その風に混じるようにして、何者かの声が聞こえてきた。


 男とも女とも判別できず、老いているようにも、幼いようにも感じられる。耳で聞いたのではない。頭の奥へ、直接触れてくる声だった。


 ――鍵の一つが、戻った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。