第七話「ペアダンスマジック、あるいは嫉妬の発生源」
第七話「ペアダンスマジック、あるいは嫉妬の発生源」
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体育祭当日は、晴れた。
六月の空は高く、気温は上がりすぎず、体育祭日和という言葉があるとしたら今日のことだ、と思えるような天気だった。グラウンドには各クラスのカラーで染まったテントが並んでいる。入場行進の演奏を終えた吹奏楽部は、グラウンドの端のエリアに待機した。
午前中の競技は、それなりに見た。
クラス対抗のリレー、大縄跳び、借り物競争。野球部の連中が相変わらず大声で応援している。軽音楽部やダンス部の人間は体育祭でも目立った。そういうものだ。目立つ人間は何をやっても目立つし、目立たない人間は何をやっても目立たない。世界は公平ではないが、少なくとも一貫性はある。
午後の最初のコンテンツが、ペアダンスだった。
説明があった。
各クラス代表のペアが出てくるわけではなく、全員参加のフォークダンス形式らしかった。男女が向き合ってならび、音楽に合わせて踊る。曲の切れ目でパートナーが変わる。最後の曲だけは最初に選んだペアと踊る、という形式だった。要するに、最後の一曲が「本命ペア」として記録されるわけだ。
吹奏楽部は演奏担当なので、踊れない。
僕は楽器を持ったまま、演奏しながら、グラウンドの端からペアダンスを見ることになった。
見ないようにしようと思った。
練習通りに演奏することだけ考えればいい。フォークダンスの音楽は簡単だ。頭を使わなくていい。だから、余計なものが視界に入りやすい。余計なものというのは、一つしかなかった。
石山奈央が、踊っている。
五組のエリアで、奈央は黒木剛と向き合っていた。
黒木剛。
金髪で、体格がいい。制服を着ていても肩の厚みがわかる。顔立ちはきつめだが、笑うと印象が変わるタイプだ。この距離でも目立つ。目立たせようとしている人間の目立ち方をしている。
奈央は笑っていた。
楽しそうに笑っていた。
演奏の音が、少し薄くなった気がした。
実際には薄くなっていない。僕は正確に吹いていた。でも音が、遠くなった感じがした。
パートナーが変わるたびに、奈央の笑い方は少しずつ変わった。
誰とでも笑っていたが、笑い方が違う。気楽そうに笑う時、愛想で笑う時、戸惑いながら笑う時。奈央の笑顔はバリエーションがあった。どれが本物かを判定するほど、まだ僕は奈央を知らない。
最後の曲が始まった。
ゆっくりしたテンポのワルツだ。ペアは固定される。
奈央と黒木が、向き合った。
何かが、胸の中で動いた。
名前をつけるなら嫉妬、と呼ぶべきものだと思った。しかし認めるには、まだ準備ができていなかった。だから名前をつけなかった。名前をつけなければ存在しないことにできる、という言い訳は、陰キャの得意技の一つだ。
演奏は終わった。
拍手が起きた。
僕はトランペットを下ろして、グラウンドの砂を見た。
「お疲れ、演奏よかったよ」
隣に立っていた二年生の先輩がそう言った。
「……ありがとうございます」
「最後ちょっとぼーっとしてたけど」
「すみません」
「いや、まあ。なんか見てたんでしょ」
先輩は笑って、話を終わらせた。
何を見ていたかは聞かなかった。
競技が続いた。昼休みになった。
奈央はのんとあやのと一緒に弁当を食べていたが、そこに黒木が声をかけているのを遠目に確認した。五秒だけ見て、視線を切った。
弁当の味が、よくわからなかった。
母親が作ってくれたはずのおかずが、何かはわかるが、おいしいかどうかの判断ができなかった。こういう状態を、何と呼ぶのかはわからない。でも、あまり健全ではないということは、なんとなく把握していた。
帰り際に奈央と少しだけ話せた。
「演奏よかったよ」と奈央が言った。
「ありがとう」
「楽しかった?体育祭」
少し間を置いてから、「まあまあ」と答えた。
「そっかー。あたしはめちゃくちゃ楽しかった」
奈央の体育祭は、楽しかった。
それは事実として、記録された。
「ペアダンス、黒木くんと組んでたんだね」
言わなければよかった、と言ってから思った。
奈央が「うん、同じクラスだし」と答えた。特に何の感情も込めずに。
「仲いいの?」
「普通だよ、知り合い程度」
知り合い程度。
その言葉は、少し軽くなった気がした。
胸の中で何かが、少しだけ元の位置に戻った。
元の位置がどこかは、まだわからなかったけれど。




