第四十九話「ファミレスの四人、あるいは久しぶりの物語について」
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第四十九話「ファミレスの四人、あるいは久しぶりの物語について」
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ダメ金の三日後。
のんから、LINEが来た。
「ファミレス行こう」
メッセージは、それだけだった。
絵文字もついていなかった。
のんのLINEは、基本的にシンプルだ。シンプルすぎて、毎回、「これはぼく宛か? 全員宛か?」と一瞬迷うくらいだ。
「いつ?」と返した。
「明日の放課後」
「誰」
「あたしとあやのと音無くんと奈央」
「なんで?」
「なんでって、久しぶりだから」
「久しぶり」
その言葉が、LINEの画面の中で、妙にはっきりと見えた。
確かに、久しぶりだった。
四人で、何かをするのは、考えてみれば、春の合宿計画を話し合った日以来かもしれなかった。あれから合宿があって、コンクールがあって、七瀬のことがあって——季節が進んで、気づいたら八月の中旬になっていた。
「了解」と返した。
「やった」とのんが返した。
のんは、「やった」を一文字のスタンプにしている。そのスタンプは、たぶん、一日に十回くらい使われている。
*
翌日。
放課後。
桜塚高校から歩いて十分の、高架下のファミレス。
「ガスト」だった。
のんがガストを指定したのは、「ドリンクバーが無限で、ポテトがうまいから」という理由だった。のんの理由は、いつも、明快だった。
四人で、奥のボックス席に座った。
のんとぼくが、隣。
あやのと奈央が、向かい側で、隣。
ぼくの向かい側は、あやのだった。
「メニュー回して」とのんが言った。
ぼくは、メニューを奈央に渡した。奈央がメニューを開いた。
「暑いから、冷やし中華にしようかな」と奈央が言った。
「あたしは、ハンバーグ」とのんが言った。
「のん、暑くないの?」
「ハンバーグは暑さに関係ない」
「意味がわからない」
「ハンバーグは、人生のいつでも、ハンバーグ」
「それは、名言じゃないし、格言でもない」
「けど、真理っぽくね」
のんの論理は、しばしば、ぼくの頭の中を通過せずに、胃に直接届く。
あやのは「ドリアにする」と言った。短かった。
ぼくは「じゃあ、ハンバーグ」と言った。
「音無くん、あたしの真似?」とのんが言った。
「真似じゃない。ハンバーグは人生のいつでもハンバーグだから」
「その名言、さっきのあたしのでしょ」
「引用して使わせてもらった」
「引用元、表示して」
「のん著『ハンバーグは人生のいつでもハンバーグ』」
「書籍のふりしないで」
奈央が、少し笑った。
今日、奈央が笑ったのは、ここが最初だった。
店員さんが来て、注文した。
全員、ドリンクバーをつけた。
注文の後、のんが一番にドリンクバーに行った。
のんが取ってきたのは、メロンソーダと、カルピスと、オレンジジュースを混ぜた、三色ドリンクだった。
「のん、それ、何」
「トリプル・ミックス」
「それ、おいしいの」
「合宿の夜の水鉄砲みたいな味」
「それ、まずい意味でしょ」
「いやいや、夏の味」
のんが堂々と、トリプル・ミックスを飲んだ。
あやのが「信じられない」という目で見ていた。
ぼくはアイスティーを取ってきた。
奈央はレモンスカッシュを取ってきた。
あやのは、ウーロン茶だった。
それぞれの性格が、ドリンクバーに出ていた。
*
料理が来るまでの間、のんが「で」と言った。
「で、って、何」と奈央が聞いた。
「いろいろあったじゃん、この夏」
「うん」
「全部、ここで棚卸ししよう」
「棚卸し?」
「全部、出して、数えて、整理する」
「それ、経理の仕事」
「四人で経理やるの」
「経理、興味ない」
奈央がメロンソーダでわない、レモンスカッシュを一口飲んだ。
のんが「じゃあ、じゃなくて」と言い直した。
「全部、話そう。棚卸しじゃなくて、おしゃべり」
「それならいい」
「奈央、厳しい」
「のんの言葉の選び方が、雑」
「雑、って言われた」
「雑は雑」
「奈央は間違ってない」
「あたしの味方は?」
「味方、募集中?」
「募集中」
「うーん、保留」
あやのが淡々と保留にした。
あやのの「保留」は、味方が欲しいのんに対する、容赦のない処理だった。あやのは、のんが甘えた時には、一番容赦がない。あやのとのんの関係は、そういう均衡の上にある。
*
ハンバーグが来た。
湯気が立っていた。鉄板の上で、ソースがじゅうじゅうと音を立てていた。
「うまそ」とのんが言った。
「うまそ」とぼくも言った。
「あたしは冷やし中華にしたのを、後悔してる」と奈央が言った。
「交換する?」
「しない。冷やし中華も好き」
「よかった」
ハンバーグの最初の一口を、のんとぼくで同時に食べた。
うまかった。
うまいファミレスのハンバーグは、世界のどこかの一流レストランのハンバーグより、高校生にとっては優勝だった。
「ファミレスのハンバーグは、なんで毎回、同じくらいうまいんだろう」とぼくが言った。
「それは、研究の結果」とのんが言った。
「研究?」
「ファミレスチェーンって、味を標準化してる。つまり、毎回、研究された『うまい』が、届けられる」
「のん、詳しい」
「ファミレスはあたしの大学みたいなもの」
「大学って、そういう使い方する?」
「あたしは、する」
のんの情報は、半分本当で半分怪しい。しかし半分本当である限り、聞く価値はある。
食べ始めてしばらく、四人とも、無言で食べた。
無言は、緊張の無言ではなかった。
食べることに集中している、いい無言だった。
いい無言を共有できる四人、というのは、たぶん、稀だ。
*
食べ終わった後、ポテトを頼んだ。
のんが「シェアで」と言った。
四人でつまむ用の、大盛りフライドポテトが来た。
「で」とのんが、もう一度言った。
「で、って、さっき言った」と奈央が言った。
「でも、まだ棚卸ししてない」
「しなくていいって」
「奈央、逃げるな」
「逃げてない」
「逃げてる」
のんが、ポテトを一本、つまんだ。
「七瀬ちゃんのこと」
ポテトをつまんだまま、のんが言った。
奈央の箸が、一瞬、止まった。
あやのが、ウーロン茶を飲んだ。
ぼくは、ポテトを一本、口に入れた。
「七瀬ちゃんのこと、全員、どう思ってる?」とのんが聞いた。
直球だった。
のんは、遠回しな話が苦手だ。遠回しにやると、話がいつまでも着地しないからだ。のんの速球は、こういう場面で、効く。
*
奈央が、先に答えた。
「……あたしは、七瀬ちゃんに、悪いと思ってる」
「悪い」
「うん。合宿の夜、七瀬ちゃんを、無視するような形で、自分が動いた」
「動いた、って、どこまで話すのさ?」とのんが聞いた。
「……どこまで話すべき?」と奈央が聞き返した。
「話したい分だけでいい」
奈央が、少し間を置いた。
「……二人で、話した。ちゃんと話した」
「ちゃんと、って」
「ちゃんと、が、こういう時、一番便利な言葉」
「奈央、ずるい」
「ずるいけど、言わせて」
「わかった」
のんが「わかった」と言った。
「わかった」はのんの、「これ以上踏み込まない」のサインだった。のんは、踏み込むべき時と、踏み込まない時を、顔に出さずに判断する。
あやのが口を開いた。
「奈央は、七瀬に謝りたい?」
「……謝りたい」
「でも、謝れない?」
「謝れない。今、あたしが謝ったら、七瀬ちゃんが、もっとしんどくなる気がする」
「わかる」
あやのが、一言だけ、同意した。
「わかる」は、あやのの同意の中で、最上級のやつだ。
奈央が、少しだけ、肩の力を抜いた。
抜いた力が、奈央の顔に少しだけ、影響した。
奈央は、誰かに「わかる」と言われることで、やっと、力を抜けるタイプの人間だった。
「奈央、ずっと一人で抱えてたでしょ」とのんが言った。
「……抱えてたかも」
「だから、今日、四人で呼んだ」
「ありがとう」
「いや、あたしの自己満」
「自己満だとしても、ありがとう」
奈央がそう言って、冷やし中華の麺を、ゆっくり、一口食べた。
食べた後、少しだけ、微笑んだ。
*
のんが、ぼくを見た。
「音無くんは、七瀬ちゃんのこと、どう思ってる?」
来た、と思った。
順番が、自分に来るのは、わかっていた。わかっていたが、来たら、答えを持ってなかった。
——いや、ちがう。
答えは、持っていた。
ただ、言葉にする覚悟を、まだ決めていなかった。
覚悟を、決める時間を、もう少し、欲しかった。
しかし、今、のんが聞いた。
のんが聞く時、逃げるのは難しい。のんの質問は、ファミレスのハンバーグと同じくらい、確実だ。
「……大事だと思ってる」
「大事」
「ちゃんと、大事。友人として、以上の、何か」
「『何か』?」
「……その何かを、まだ、名前を決められない」
のんが、一つ頷いた。
あやのも、一つ頷いた。
奈央が、ぼくを見た。
見ていた時間は、三秒くらいだった。
三秒、見て、奈央は、少しだけ、目を閉じた。
閉じた目は、「知っている」と言っていた。
奈央は、ぼくの「何か」を、ずっと前から、知っていた。
知っていて、それでも、二日目の夜、ぼくと話した。話したことを、奈央は後悔していなかった。後悔していないことも、奈央は正直に、この席で共有していた。
「音無、それでいい」と奈央が言った。
「いいの?」
「いい。七瀬ちゃんも、私のことも、大事って思うのは、音無らしい」
「……ごめん」
「ごめん、じゃない。音無、そういう人間だって、あたしは知ってる」
「……」
「その上で、あたしは、音無といたい。知った上で、いたい。それが、あたしの選択」
奈央が言った。
今日一番、正直な言葉だった。
のんが「おおっ」と小さく言った。
あやのが、少しだけ、口の端を上げた。
「奈央、かっこよ」とのんが言った。
「のん、茶化さないで」
「茶化してない。本気で、かっこよ、って思った」
「……ありがとう」
「奈央、照れる?」
「照れない」
「照れてる」
「照れてない」
「顔が赤い」
「ファミレスのエアコンが効きすぎてる」
「言い訳がずるい」
*
奈央がお茶を飲んで、少し落ち着いた後。
あやのが、口を開いた。
「あたしは、七瀬に、ちょっとずつ、話しかけてる」
「ずるい、一人で!」とのんが言った。
「ずるくない。あたしのペース」
「七瀬ちゃん、どんな感じ?」
「少しずつ、戻ってきてる」
「『戻る』って、どこに」
「前の、あの子に」
「そっか」
「でも、完全に戻ることは、たぶんない」
「え?」
「七瀬は、夏を経て、違う七瀬になる。前の七瀬じゃなくて、新しい七瀬。それでいい」
あやのの言葉は、いつも、コンパクトで、正確だった。
新しい七瀬。
その言葉が、ぼくの頭の中で、ゆっくり、着地した。
着地した時、少しだけ、胸が軽くなった。
「……あやの、今日、深い」とのんが言った。
「深いって言うな」
「褒めてる」
「褒めなくていい」
「褒める」
「やめて」
「やめない」
あやのとのんの、定番のやりとりが始まった。
定番のやりとりが、場の空気を、普段のあたたかさに戻した。
*
食後、全員でドリンクバーに行った。
のんが、二杯目のトリプル・ミックスを作った。
「のん、またそれ作るの?」と奈央が言った。
「二杯目は、もっとおいしい」
「のん、舌、大丈夫?」
「舌の基準、人それぞれ」
「それは、そう」
奈央がアイスコーヒーを取ってきた。
ぼくは、二杯目のアイスティーを取った。
あやのは、ウーロン茶二杯目だった。
席に戻って、四人が、それぞれのドリンクを飲んだ。
窓の外、夏の夕方の光が、ファミレスの駐車場を、オレンジ色に染めていた。
「……久しぶりだね」とのんが言った。
「うん」と奈央が言った。
「こうやって、四人で」
「久しぶり」
「最後、いつだっけ」
「春。合宿の計画の時」
「そっか。合宿あって、大会あって、あっという間だった」
「あっという間だったね」
「でも、濃かった」
「濃かった」
のんと奈央が、交互に頷いた。
ぼくは、アイスティーを飲んだ。
アイスティーが、少しだけ、薄かった。
しかし、薄いアイスティーが、今日のこの席には、ちょうどよかった。
濃い夏を過ごした四人には、薄い飲み物が、ちょうどよかった。
*
帰り道。
ファミレスから、駅に向かって、四人で歩いた。
のんが真ん中で、左右にぼくと奈央。あやのは、のんの後ろをついてきた。
「ねえ、来年の夏、また来る?」とのんが聞いた。
「このファミレス?」と奈央が聞いた。
「ファミレスは別にどこでもいいけど、四人で」
「来る」とあやのが即答した。
「来る」と奈央が続けた。
ぼくも「来る」と答えた。
「じゃ、来年も確定」とのんが言った。
「確定」
「確定」
「確定」
確定、が三回、続いた。
四人で、来年も、このファミレスに来る。
それが、今夏の一番確かな約束になった。
コンクールの結果は不確かだったが、この約束だけは、四人全員が、確定だと言った。
確定した約束は、確定しなかった結果より、長く、残る。
*
岡町駅。
四人は、反対側のホームに向かった。
ホームで、電車を待っていた。
「音無」
「うん」
「今日、楽しかった」
「うん」
「ダメ金の後に、楽しい日があるの、いいね」
「いい」
「ダメ金は、ちょっとずつ、過去になっていく」
「過去」
「過去になっても、残るものは、残る」
奈央が、電車が来る方向を、見ていた。
遠くから、電車の音が聞こえた。
「音無」
「うん」
「新学期、始まったら、七瀬ちゃんに、謝ろうと思う」
「……うん」
「コンクールが終わったら、話しかけるって決めてた」
「話しかけるタイミング、今かも」
「今かも」
奈央が、一度、息を吸った。
電車が来た。
ドアが開いた。
奈央が乗った。
ぼくも乗った。
扉が閉まった。
電車が動いた。
車窓の外、夏の夕焼けが、北摂を、オレンジ色に染めていた。
隣に、奈央がいた。
少し離れた場所で、ぼくの頭の中に、七瀬がいた。
二人とも、ぼくの中に、確かにいた。
いつかちゃんと、向き合う日が来る。
今日は、その日の、準備の日だった。
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(第五十話へ続く)
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