第三十五話「見つかる夜、あるいは七月が来る前に変わった何かについて」
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第三十五話「見つかる夜、あるいは七月が来る前に変わった何かについて」
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見つかる、という出来事について考えよう。
見つかることは、二つの意味がある。
一つ目は、探していたものが見つかる、という意味。失くしたもの、知らなかったもの、ずっと気になっていたものが、視界に入ってくる。これは発見だ。
二つ目は、隠れていたものが見つかる、という意味。見られたくなかったもの、知られたくなかったもの、内側にしまっていたものが、外から見えてしまう。これは露見だ。
今日起きたことは、後者だった。
しかし後で考えると、見つかったことの意味は、露見より発見に近かったかもしれない。
この話の最後まで読めば、その意味がわかる。
*
パフェを半分食べた頃、白石が「あ」と言った。
「なに?」
「窓の外」
白石が窓の方を向いていた。
僕も窓を見た。
電柱の陰に、二つの人影があった。
片方は背が小さくて、黒いストレートロングの髪が見えた。
もう片方は、セミロングで、立ち姿に覚えがあった。
「……」
言葉が出なかった。
「知り合い?」と白石が聞いた。
「……知り合いです」
七瀬と奈央だった。
電柱の陰から、こちらの窓をこっそり覗いていた。覗いていた、というより、覗こうとして電柱の陰に身を潜めている、という方が正確だった。七瀬の方は窓に顔の半分を向けていて、奈央の方は横を向いていた。
二人に気づかれていないかどうか確認する必要があった。
しかし二人は、こちらが見ているのに気づいていなかった。窓の内側は外から見ると逆光になっていて、こちらの顔が見えにくい。外の二人は、自分たちが見られているとは思っていないようだった。
「呼んでもいい?」と白石が言った。
「え?」
「あの子たちをここに呼んでいいかな」
白石がすでに窓を開けようとしていた。
「ちょっと待って」
「何が問題? 一緒に食べた方が楽しいでしょ」
「問題がないとは言えないけど」
白石がにっこり笑った。
そのまま窓を少し開けて、「七瀬ちゃーん」と、外に向かって呼んだ。
電柱の陰で、二人の動きが止まった。止まって、ゆっくりとこちらを見た。
目が合った。
七瀬の顔が——固まった。
奈央の顔が——きれいに無表情になった。
「入っておいで」と白石が声をかけた。
七瀬と奈央が、観念したように、お店の扉の方に歩いてきた。
*
扉が開いて、七瀬と奈央が入ってきた。
「こんにちは」と七瀬が言った。声が少し高かった。緊張しているか、気まずいか、おそらく両方だ。
「こんにちは」と奈央が言った。声は普通だった。普通すぎるくらい普通だった。それが奈央の緊張の表れだと、一年以上一緒にいると気づく。
「二人も座って。パフェ、食べてく?」と白石が言った。
「……いいんですか」と七瀬が聞いた。
「いいよ。何食べる?」
白石がメニューを二人に差し出した。空気の切り替えが早い。バレたことも、尾行していたことも、全部ひとまず置いておいて、まずパフェを注文する流れに持ち込んだ。
七瀬がメニューを見た。「白桃のやつにします」と言った。
奈央がメニューを見た。少し間があった。「ショコラのやつ」と言った。
店員を呼んで、追加注文した。
四人がテーブルを囲んだ。
「尾行、上手だったよ」と白石が言った。
「……ばれてましたか」と七瀬が言った。
「電柱の陰から半分顔を出していたから、ちょっとわかった」
「もっとちゃんと隠れれば」と奈央が言った。
奈央の「もっとちゃんと隠れれば」という言い方は、七瀬に向けているのか自分に向けているのか、判別が難しかった。
「なんで来たの」と僕が聞いた。
七瀬が僕を見た。真っ直ぐに。
「心配で」
「心配って、何が」
「透先輩が最近元気なくて。でも部活で言いにくそうだったから、様子を見に来ました」
七瀬の言い方は、シンプルだった。余分なものがない。感情と言葉の間に、変換の歪みがない。
「奈央は?」と聞いた。
奈央が少しだけ間を置いた。
「……七瀬さんに誘われた」
「誘われたから来たの?」
「それだけじゃない」
奈央がショコラパフェに目を落とした。
「心配したのは本当。でも、こういう形でくるとは思ってなかった」
「こういう形、って」
「電柱の陰から覗くとは思ってなかった」
少し場の空気が緩んだ。白石が小さく笑った。七瀬が「奈央先輩も電柱の陰にいましたよ」と言った。
「あなたが誘ったの」と奈央が言った。
「誘いましたけど、断れなかったんですか?」と七瀬が言った。
「……断らなかっただけ」
二人がじっと見合った。
微妙な空気だった。しかし白石が「二人、仲いいじゃん」と言った。
「仲よくないです」と七瀬が即答した。
「仲悪くもないけど」と奈央が、一拍置いて言った。
それが正確なところだった。
仲よくもなく、仲悪くもない。共通の心配を持っていたから、今日だけ同じ場所にいた。
*
パフェを食べながら、話が続いた。
白石が中心になって、話題を作っていた。コンクールのこと、最近の練習のこと、夏の予定。白石の話の作り方は、角がなかった。話題が誰かの領域に踏み込みすぎないように、自然にバランスを取っていた。
七瀬がよくしゃべった。白石の話題に素直に乗っていく。奈央は少し少なかったが、何も言わないわけではなかった。
「七瀬ちゃんって、コンクール前は緊張する?」と白石が聞いた。
「します。でも緊張がなくなったら怖いとも思ってます」
「なんで怖いの?」
「緊張があるのは、真剣に取り組んでる証拠だって透先輩に教わったので」
僕が教えたのではなく、林先輩の言葉を伝えただけだった。しかし七瀬は僕から聞いた言葉として覚えていた。
「透先輩に?」と白石が僕を見た。
「先輩の受け売りです」と言った。
「でも透先輩が言ったことは、ちゃんと届いてる」と七瀬が言った。「あたしは透先輩の言葉、全部覚えてます」
奈央がショコラパフェを一口食べた。
「全部は言いすぎでしょ」と奈央が言った。
「言いすぎじゃないです」と七瀬が返した。
「全部覚えてる人間が、尾行しに来る?」
「尾行は別の話です」
二人がまた見合った。しかし今度は、さっきより少し、雰囲気が違った。完全に対立しているのではなく、どちらも言い分を持ちながら、相手の言い分も認めている、というような。
白石が「音無くん、どっちが好き?」と聞いた。
「え?」
「いちごとマンゴー、どっちが好き? パフェの話」
「……マンゴー」
「じゃあ今日の注文正解だったね」と白石が言った。
七瀬と奈央が同時にこちらを見た。同じタイミングで見た。
その視線に挟まれながら、僕は白石の「マンゴーが好き」を知っておいてくれた心遣いに気づいた。気づいたが、何も言わなかった。
言葉を持っていなかった。
*
お店を出たのは、日が傾いた頃だった。
四人で外に出た。
「じゃあ、あたしは先に」と白石が言った。「音無くん、今日誘ってよかった?」
「よかったです。ありがとう」
「また元気なくなったら言って」と白石が言った。それだけ言って、先に帰っていった。
三人が残った。
七瀬と奈央と、僕。
「石山先輩、先に帰りますか?」と七瀬が奈央に聞いた。
「……七瀬さんは?」
「透先輩に話があるので、少し残ります」
奈央が一瞬、七瀬を見た。
「……わかった」と奈央は言った。「音無、また明日」
「うん。また明日」
奈央が歩いていった。
駅の方向へ。足取りは普通だった。振り返らなかった。
奈央の背中が見えなくなってから、七瀬が「話していいですか」と言った。
*
少し先のベンチに、二人で座った。
夕方の石橋は、住宅地の穏やかな音があった。自転車の音、遠くの子どもの声、踏切の音。
「透先輩」と七瀬が言った。
「なに」
「この前の練習のこと、まだ気にしてますか?」
七瀬は知っていた。
「……気にしてる」と言った。
「透先輩はずっとそういう顔してたから」
「七瀬はそれが見えてたの?」
「見えてました。透先輩の顔って、わかりやすいので」
「わかりやすい顔か」
「あたしには、ですよ」と七瀬が少し笑った。「他の人にはわかりにくいと思います」
しばらく黙った。
「七瀬、この前はきつい言い方をしてごめん」と言った。
七瀬が少しだけ目を大きくした。
「謝られると思ってなかった」
「なんで」
「透先輩、なかなか謝らないイメージがあったから」
「そういうイメージがあったんだ」
「パート練習で間違えても、先輩って「次」って言うじゃないですか。謝らずに前を向く感じがあって」
「それは練習中だから。練習中は次に行かないといけないから」
「今は?」
「今は、ちゃんと言いたかった。あの時の言い方は、正しくなかった。技術の話だけならあの言い方でもよかったかもしれないけど、感情が混じってた」
七瀬が少しの間、黙った。
「感情が混じってた、って」
「……七瀬のことが羨ましかった。それが言い方に出た。先輩として後輩を指導しているふりをして、実際は自分の気持ちをぶつけてた。それは違う」
七瀬がまた、少し目を大きくした。
「正直だ」と七瀬が言った。
「言い訳の方が楽だったかもしれないけど」
「でも言い訳しなかった」
「言い訳するくらいなら、謝った方が誠実だと思って」
七瀬がしばらく黙った。何かを考えていた。考える時の七瀬は、少し歩幅が小さくなる——今は座っているから歩幅ではないが、何か内側に向かうような表情になる。
「透先輩が羨ましいって思ってくれてたなら、あたし嬉しいです」
「嬉しい? 羨まれるのが?」
「嬉しいって言い方が変かもしれないけど、透先輩みたいな人に羨ましいって思ってもらえるのは、やっぱり嬉しいです。それと——」
七瀬が少し間を置いた。
「あたしも透先輩のことが羨ましいです。先輩の音には、あたしにはないものがあるから」
「何が羨ましいの」
「……白石先輩が言ってたことと、少し似てる。先輩の音には、誠実さがある。あたしの音は、天から降ってきたみたいな音で、自分でもそれが怖い時があって。先輩みたいに、一音一音を積み重ねて出してる音が、羨ましい」
「天から降ってきた音で何が不満なんだ」と言った。
「不満じゃないけど、自分の努力で積み上げたものじゃないから、失うのが怖い。先輩の音は、積み上げたものだから、簡単には崩れない気がする」
「七瀬もちゃんと練習してる」
「してますけど、才能で吹いてる部分があると思ってて。才能がなくなったら、どうなるのかなって」
七瀬の言葉は、天才の裏側から来ていた。
天才には天才の怖さがある。
「才能と努力、両方持ってる方が強いよ」と言った。
「両方持ってるかどうかはわかりません」
「持ってる。一番うまい奏者が一番練習するのは、七瀬を見てたら分かる」
七瀬がそれを聞いて、少しだけ表情を崩した。
「……それを透先輩に言ってもらえると、嬉しいです」
「言っておきたかった。あと、コンクール、七瀬のソロを信頼してる。本当に」
「はい」
七瀬が頷いた。力強く、頷いた。
その頷きが、今夜の一番確かなものだった。
*
七瀬と一緒に駅に向かった。石橋駅から池田駅までは一駅だ。
電車に乗って、窓の外を見た。
今日のことを整理しようとした。
白石と話して、羨ましかったという気持ちを言葉にした。七瀬に謝った。七瀬から、天才の怖さを聞いた。奈央と七瀬が同じ電柱の陰にいた。
一日に、それだけのことが起きた。
池田に着いた。
改札を出た。
夜の空気が、少しだけ湿っていた。
七月まで、あと少しだ。
合宿まで、あと少しだ。
何かが、少し動いた気がした。
詰まっていたものが、すこしほぐれた気がした。
ほぐれたからといって、解決したわけではない。七瀬への複雑な感情がなくなったわけではない。奈央との距離が変わったわけでもない。
ただ、ほぐれた。
ほぐれた理由が、白石のパフェなのか、七瀬への謝罪なのか、七瀬の言葉なのか——全部だったと思う。
全部が重なって、少しだけ、軽くなった。
名前のつかない感情の残高は、今日また増えた。
しかし今日の増え方は、悔しさでも後悔でもなかった。
もう少し穏やかな、しかし確実な何かだった。
名前のつかない感情の、新しい種類。
七月が来る。
合宿が来る。
コンクールが来る。
来るものに向かって、まだ走れる気がした。
七瀬が改札を出たところで、飛び切りの笑顔で振り返りながらこう言った。
「またパフェたべましょうね!」
それで十分だった。
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(第三十六話へ続く)
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