第三十四話「休戦協定、あるいは共通の心配から生まれた奇妙な同盟と尾行作戦について」
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第三十四話「休戦協定、あるいは共通の心配から生まれた奇妙な同盟と尾行作戦について」
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同盟、という概念について考えよう。
同盟とは、二つ以上の勢力が共通の目的のために一時的に協力関係を結ぶことだ。歴史の教科書に出てくる三国同盟や日英同盟は、国家間のそれだ。しかし同盟は国家間に限らない。人間の集団であれば、どこにでも発生する。
同盟の条件として、対立する二つの勢力が手を結ぶ、というケースがある。
これは実は珍しくない。共通の敵(あるいは共通の目的)が現れた時、それまで争っていた陣営が一時的に連合することは、歴史上いくつも例がある。
ただし、今回の場合は「敵」は存在しない。敵は存在せず、心配している対象が一人いる。
心配している対象を心配するために、心配の方向が被っている二人が協力する。
これを同盟と呼ぶかどうかは、定義の問題だ。
しかし奈央と七瀬の間に成立したものは、少なくともそれに近いものだった。
*
同日、放課後。
白石と僕は、授業を終えて音楽室の前で落ち合った。今日は特別に部活は休みだ。
「行こ」と白石が言った。短く言った。
廊下を並んで歩いた。白石と並んで歩くのは初めてだった。音楽室でパートが隣だったり、合奏で同じ方向を向いていたり、係の仕事で顔を合わせることはあった。しかし二人で、放課後の廊下を並んで歩くのは初めてだった。
「白石は何パフェ食べるか決めてるの?」と聞いた。
「いちごのやつ。ずっと気になってた」
「行ったことなかったの?」
「一人では行けなくて」
「一人で行けない理由があるの?」
「別にないけど、パフェって一人で食べるとなんか寂しいじゃない」
白石の「なんか寂しい」の「なんか」は、論理的な根拠がなくても感覚として成立している理由を表すための副詞だ。「なんか」をつけることで、理由を問われる前に「そういう感覚がある」という事実を先に提示している。
「確かにそうかもしれない」と言った。
「音無くんはパフェ食べる?」
「食べる」
「何味が好き?」
「考えたことなかったけど、マンゴーか桃が好きかな」
「夏っぽいね」
白石が少し笑った。
学校を出て、駅に向かった。六月から七月に入ったばかりの、夕方の空気は少し湿っていた。
前を歩く白石が、少し先を向いていた。
*
一方、その頃。
七瀬と奈央は、学校から少し離れた角に立っていた。
石橋の駅に向かう通学路の途中に、路地に入る角がある。そこに二人が並んでいた。正確には並んでいたのではなく、角の陰に隠れるようにして立っていた。
「来ました」と七瀬が小声で言った。
「声が大きい」と奈央が低い声で言った。
「すみません」
白石と主人公が通学路を歩いてくるのが見えた。二人ともゆっくりとした速度で歩いていた。話しながら。
「話してる」と七瀬が言った。
「当然でしょ」
「……白石先輩、透先輩の隣が似合いますね」
奈央が七瀬の方を向いた。
「今それを言う必要あった?」
「なんとなく口から出ました。すみません」
七瀬はすみません、と言ったが、あまり反省した顔をしていなかった。感じたことが顔に出るより先に口から出る人間なのだ、この後輩は。
「……行くよ」と奈央が言った。「ついていくなら、離れて歩く。前後にならないように」
「はい」
二人は角から出て、白石と主人公の少し後ろを、バラバラに歩き始めた。
七瀬が少し速度が速く、奈央に何度か「早い」と視線で制された。七瀬は素直に速度を落としたが、五十メートルほど歩くとまた速くなった。
「なんで足が速くなるの」と奈央が小声で聞いた。
「透先輩のペースに合わせたくなるんです。自然に」
「今は合わせてはいけない状況」
「わかってますけど、身体が」
「身体を制御して」
七瀬は懸命に足を遅くした。奈央の横で、明らかに努力して遅くしている歩き方をしていた。それはそれで目立った。
「普通に歩いて」
「普通に歩くと速くなります」
「……じゃあ、一歩踏み出すたびに一拍止まって」
「一拍止まる?」
「心の中で四分音符を刻んで、一歩ごとに打つイメージ」
七瀬が実践した。
「……できました」
「ありがとう」
七瀬がリズムを保ちながら歩いている様子は、奈央から見ると少し滑稽だった。しかし黙っていた。
*
パフェの店は、駅から二分ほどの場所にあった。
「here」というカタカナ交じりの店名で、白い外壁に木製の扉がついた、小さくて清潔なお店だった。席数は少ない。テーブルが四つと、カウンター席が三つ。
白石と僕が扉を開けて入った。
窓際のテーブルに座った。
「どれにする?」と白石がメニューを差し出した。
「マンゴーのやつにする」
「あたしはこっち。いちごの七段重ね」
「七段も重なってるのか」
「壮観でしょ」
「壮観だね」
注文した。
少しの間、窓の外を見た。駅前の通りが見えた。夕方の人通りがある。
「音無くん」と白石が言った。
「はい」
「七瀬ちゃんと、何かあった?」
答えるまでに、少し時間がかかった。
「パート練習で、きつい言い方をしたかもしれない」
「きつい、って?」
「技術的には正しいアドバイスだったと思う。でも、言い方が……感情が混じってた」
白石が頷いた。頷くだけで、すぐには言葉を足さなかった。
「七瀬ちゃんのことが、大切?」と白石が聞いた。
「大切、というか……後輩だから」
「後輩だから、じゃなくてもよくない?」
白石の問い方は、穏やかだった。詰めているのではなく、ただ確かめているだけだ、という感じがした。
「……大切だと思ってる」と言った。
「じゃあ、なんできつくなったの」
「……七瀬のことが羨ましかった、のかもしれない」
言えた。
声に出すと、思ったより静かな言葉だった。もっと大事なことを告白するような気持ちだったのに、言葉にしたら普通の文章になった。
「羨ましい、って、七瀬ちゃんの才能?」
「才能、というか——七瀬には、吹けばわかる種類の音がある。努力だけでは辿り着けない場所に、最初からいる。それが羨ましかった」
白石がパフェを一口食べた。
「でも音無くんの音も、あたし好きだよ」と言った。
「好き?」
「うん。柔らかい。七瀬ちゃんの音とは方向が違うけど、音無くんの音には誠実さがある」
「誠実さ」
「音って、その人が出るじゃない。七瀬ちゃんの音は天才の音。音無くんの音は、一回一回、ちゃんと向き合って出してる音」
白石の言い方は、比較ではなかった。どちらが上でもなく、どちらが下でもなく、違う、という話をしていた。
「七瀬ちゃんのことが大切で、七瀬ちゃんがうまくて、だから複雑なんだよね」と白石が続けた。「嫌いな人がうまくなっても、別に何も感じないでしょ。大切だからしんどいんだよ。それって、ちゃんと先輩として七瀬ちゃんのことを思ってる、ってことだと思う」
マンゴーパフェが来た。
ガラスのグラスに、マンゴーのソルベとクリームと生マンゴーが重なっていた。色が鮮やかだった。
「……ありがとう」と言った。
「お礼言われることしてないよ」と白石は笑った。「ただ、思ったことを言っただけ」
白石のいちごのパフェは、確かに七段重なっていた。
「食べながら話そう」と白石が言った。「重いことも、甘いものと一緒なら少し楽になるから」
「それは科学的根拠がある?」
「ない。でもあたしの経験則として正しい」
「経験則を大切にする人なんだね」
「大切にしてる。理屈より先に体で覚えたことの方が、正しいことが多いから」
白石は、白石美月という人間は、こういう人だった。
優しく、確かで、押しつけない。外見の清楚さとは別の場所に、確かな芯を持っている。
この人が「アモーレ」と呼ばれるのは、見た目だけの話ではなかったのかもしれない、と思った。
*
外では、奈央と七瀬がいた。
お店の少し手前の電柱の陰に、二人が立っていた。
「入った」と七瀬が言った。
「見えてる」と奈央が言った。
窓際の席に、白石と主人公が並んで座っているのが見えた。
七瀬が窓から中の二人を見た。主人公が何か話している。白石が頷いている。主人公がまた話している。
「…………」
「七瀬さん」と奈央が言った。
「はい」
「顔」
「え」
「見る顔じゃない、今の。バレる」
七瀬が意識して表情を直した。
奈央が窓の中を横目で見た。白石がパフェのスプーンを持って笑っていた。主人公が何かに答えている。その顔が、奈央の目に入った。
学校での表情と少し違った。少し——ほぐれていた。
「元気そうに見える?」と七瀬が聞いた。
「……まあ、少しは」と奈央が言った。
「よかった」
七瀬が息を吐いた。安堵のため息だった。
奈央はその息を聞いて、複雑な表情をしたが、七瀬の方を向かなかったので、七瀬にはわからなかった。
「来てよかったですか?」と七瀬が聞いた。
「……来なければよかった、とは言わない」
「来てよかった、とも言わないんですね」
「うるさい」
奈央が短く言った。
七瀬はそれ以上聞かなかった。
二人は並んで電柱の陰にいた。一年生と二年生。奇妙な同盟の、奇妙な夕方だった。
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(第三十五話へ続く)
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