第二十話「春、進級、あるいは席替えという名の再配置について」
────────────────────────────────────────
第二十話「春、進級、あるいは席替えという名の再配置について」
────────────────────────────────────────
席替えという制度について考えたことがあるだろうか。
ある日突然、教室の中の座標が変わる。昨日まで右隣にいた人間が左後方に移動し、対角線の向こう側にいた人間が真後ろに来る。物理的な距離が変わるだけで、人間関係が変わる。隣の席の人間とは自然に会話が増え、離れた席の人間とは自然に会話が減る。たったそれだけのことで、教室内の社会構造が再編される。
席替えは、教室規模の都市再開発だ。
あるいは、人間関係のシャッフル機能だ。
あるいは——再配置、という言葉が一番近い。
しかし僕が今から語る「再配置」は、席替えよりもう少し大きなスケールの話だ。
クラス替え、という名の、学年規模の再配置。
三月が終わり、四月が来た。
高校二年生になった。
*
春休みの最終日に、新しいクラス分けが発表された。
桜塚高校では、クラス分けは校舎の掲示板に張り出される。始業式の前日に見に行く生徒もいれば、当日の朝に確認する生徒もいる。僕は前日派だった。前日に確認しておかないと、当日の朝に動揺する可能性があるからだ。陰キャの危機管理は先手必勝だ。
掲示板の前に立った。
二年生のクラス一覧を見た。
桜塚高校は一学年九クラスある。名簿の数が多い。目が滑る。五十音順に並んだ名前の群れの中から、自分の名前を見つけるのは、ウォーリーを探すのに似ている。ウォーリーほど楽しくはないが。
二年九組。音無透。
九組。一番端のクラスだ。校舎の一番奥。陰キャにふさわしい配置かもしれない。そんなことを思いながら、同じクラスの名簿を上から順に見ていった。
知っている名前を探す。
のんの名前は——ない。あやのの名前も——ない。
二人とも別のクラスか、と思った瞬間、目が一つの名前で止まった。
石山奈央。二年九組。
同じクラスだった。
三秒間、掲示板の前で固まった。
三秒は短い。しかし掲示板の前で三秒間静止する人間は、傍から見れば確実に「何かあった人」だ。何かあった。あった。奈央と同じクラスになった。
一年生の時は別のクラスだった。三組と五組。教室は廊下の反対側で、部活と帰りの電車だけが接点だった。それが二年生で、同じクラスになる。九クラスある中で特定の人間と同じクラスになる確率は九分の一——約11パーセント。低くはないが、高くもない。計算したところで現実は変わらない。現実は、石山奈央と音無透が二年九組に配置された、それだけだ。
のんの名前を探した。二年四組。秋台のん。
あやのの名前を探した。二年一組。松木あやの。
つまり——四人が四方に散った。いや、僕と奈央が九組に残り、のんが四組、あやのが一組。部活の四人は三つのクラスに分かれた。
帰り道に、のんからメッセージが来た。
「クラス見た?音無と奈央一緒じゃん!」
絵文字が五つついていた。意味を読み取る気力はなかった。
「見た」とだけ返した。
「あたし四組だわー。あやのは一組だって。部活でしか会えないね」
「そうだね」
「まあ音無は奈央と一緒だから寂しくないでしょ」
寂しくないでしょ。
その言い方に含まれるニュアンスを無視した。無視する以外の対処法を持っていなかった。
次に、奈央からメッセージが来た。
「同じクラスだね」
「うん」
「よかった。知ってる人いないと不安だから」
知ってる人。
僕は奈央にとって「知ってる人」だ。それ以上でもそれ以下でもない——のだろうか。しかし「知ってる人がいないと不安」の「知ってる人」に選ばれたことは、少なくとも悪い気分ではなかった。悪い気分ではなかった、というのは陰キャ的な最大級の喜びの表現だ。
*
始業式の日、新しい教室に入った。
二年九組。校舎の一番奥、廊下の突き当たり。窓際の後ろから三番目の席に座った。席順は出席番号順で、最初の席替えは来週だと担任が言った。
奈央は窓から二列目の前の方にいた。教室に入ってきた時、僕を見つけて軽く手を上げた。僕も軽く手を上げた。周囲の生徒の何人かがこちらを見た気がしたが、気のせいだと思うことにした。
一年の時とは違う。同じ教室に、奈央がいる。
一年生の時、奈央は五組で、僕は三組だった。部活の時間と帰りの電車以外では、ほとんど顔を合わせなかった。廊下ですれ違うことはあっても、同じ空間で授業を受けたことはない。それが今、同じ教室にいる。朝のホームルームから放課後まで。この一年で積み重なったものの重さを知った上で、同じ教室にいる。それは、入学時に同じクラスだった場合とは、まるで意味が違った。
昼休みになった。
「音無、お弁当どこで食べる?」
奈央が弁当箱を持って、僕の席に来た。
「どこでも」
「じゃあここで食べよ」
奈央が隣の空いている席を引いて座った。弁当箱を広げた。白い二段弁当だった。中身はきれいに詰められていて、卵焼きとか唐揚げとかが並んでいた。
「自分で作ったの」と聞いた。
「半分お母さん。半分あたし。卵焼きはあたし」
「卵焼き、きれいだね」
「褒めても何も出ないよ」
「褒めてない。事実を——」
「事実を言ってるだけ、でしょ。知ってる」
知ってる、と奈央が言った。
僕の言い回しのパターンを、奈央は把握している。把握されている。読まれている。
——読まれている。
その言葉が頭をよぎった時、少しだけ背筋がひやりとした。僕が奈央を読みたいと思っているのと同じように、奈央もまた僕を読んでいるのかもしれない。読む/読まれるの関係は、一方通行ではない。
しかしその考えは長く続かなかった。奈央の卵焼きがおいしそうだったからだ。深い思考は空腹に敗北する。これは真理だ。
この日から、昼休みは毎日二人で弁当を食べるようになった。
毎日、だ。
毎日という単語の重さを、僕は四月の前半で思い知った。
月曜日、二人で弁当を食べる。火曜日も。水曜日も。木曜日も金曜日も。翌週の月曜日も。その翌日も。途切れない。途切れる理由がない。同じクラスにいて、昼休みが来て、二人とも弁当を持っていて、「ここで食べよ」と奈央が言って、僕が「うん」と答える。それだけのことが、毎日繰り返される。
最初の一週間は、教室で食べた。僕の席の隣に奈央が座る形式。
二週目からは、天気のいい日は中庭のベンチで食べるようになった。桜塚高校の中庭には桜の木があって——桜塚の名前の由来かどうかは知らないが——四月はまだ花が残っていた。
「音無の弁当、茶色くない?」
「茶色い。肉と卵と焼き魚で構成されてるから」
「栄養バランス」
「味のバランスは取れてる」
「それバランスって言わない」
「言わないかな」
「言わない。あたしの卵焼きあげるから、野菜入れてきて明日」
「なんで交換条件になるの」
「交換じゃない。命令」
「命令って」
「あたしが音無のおかずの栄養バランスに口出す権利、あると思うけど」
「なんでそんな権利が発生するの」
「毎日見てるから」
毎日見てるから。
その一言に、反論できなかった。毎日見ている人間には、確かに口を出す何かが発生する気がした。法的根拠はないが、感情的根拠はある。
翌日から弁当に野菜が増えた。母に「野菜入れて」と頼んだら、「何かあったの」と聞かれた。「何もない」と答えた。嘘ではない。何もないのだ。ただ、奈央に命令されただけだ。
奈央は満足そうに「偉い」と言った。
偉いと言われる筋合いはないのだが、言われると悪い気はしなかった。
*
距離が、縮まっていった。
同じクラスになったことで、奈央との接触時間は一年生の時とは比較にならないほど増えた。一年の時は部活と電車だけだったものが、朝から放課後まで、一日の大半を同じ教室で過ごすようになった。部活の四人が散ったことで、教室にいる時間は奈央と二人でいることが多くなった。
朝、教室に入ると奈央がいる。「おはよう」と言う。
授業の間に「次何だっけ」と聞いてくる。
昼は弁当。
放課後は部活で、四人に戻る。
帰りの電車で、また二人。
一日の中で、奈央と過ごさない時間の方が少なくなっていた。
のんが部活の時に言った。
「音無と奈央、最近ずっと一緒じゃない?」
「同じクラスだから」と僕は答えた。
「クラスが同じだけでそうなる?」
「なるんじゃない」
「ならないよ普通。ね、あやの」
「ならないと思う」とあやのが静かに言った。
また多数決で負けた。
奈央がちょうど部室に入ってきたので、話はそこで止まった。のんは口パクで「後で聞く」とやっていた。後で聞かれても答えは変わらない。同じクラスだから。それだけだ。
それだけ——のはずだった。
四月の第三週。席替えがあった。
くじ引きで席を決める。僕が引いたのは窓際の後ろから二番目。奈央が引いたのは——窓際の一番後ろ。
つまり僕の真後ろに奈央が座ることになった。
確率的にはありえなくはない。四十人のクラスで隣接する席になる確率は——もう計算はいい。確率が僕に何を伝えようとしているのかはわからないが、結果として僕の真後ろに奈央がいる、という配置が成立した。
「また近いね」と奈央が笑った。
「くじだから」
「くじだからって、こうなる?」
「なったんだから、なるんでしょ」
「開き直り方がすごい」
奈央が後ろの席にいる。
授業中、背中に視線を感じることがあった。感じる、というのは主観であって、実際に見ているかどうかは確認していない。振り向いて確認する勇気はなかった。振り向いて、目が合ったら——何が起きるかわからなかった。何も起きないかもしれないが、何かが起きるかもしれない。その不確定さが怖かった。
授業中に奈央がシャープペンの芯を落とすと、僕の椅子の脚の近くまで転がってくることがあった。拾って後ろに渡すと、「ありがとう」と小声で言った。小さな、教室の中では僕にしか聞こえない声で。
こういう些細なことが、積み重なっていく。
通貨に換算するならば、一回あたりの額は極めて小さい。しかし頻度が高い。一日に何度も、何十回も、小さな硬貨が残高に加算されていく。少額の取引が、膨大な回数で繰り返される。
気づいた時には、残高が一年前とは比べものにならない額になっていた。
近い。
奈央が近い。
近いことは嬉しい。嬉しいのに、近ければ近いほど、もっと近づきたくなる。もっと知りたくなる。もっと読みたくなる。
十月に思った「奈央が何を考えているか全部読みたい」という欲望が、半年かけて強度を増して、帰ってきていた。しかも今度は、奈央が物理的に近くにいるせいで、「読めるかもしれない」という錯覚まで伴っている。
毎日隣で弁当を食べている。毎日同じ教室で息をしている。毎日、奈央の声を聞いている。これだけ近くにいれば、奈央のことは全部わかるはずだ——と、そう思いそうになる。
思いそうになって、踏みとどまる。
近いことと、わかることは違う。
本を手に持っていることと、本を読んだことは違う。
毎日顔を合わせていることと、相手の内面を知っていることは、全然違う。
奈央はすぐ後ろにいる。手を伸ばせば届く距離にいる。
しかし、あのオレンジ色のB6ノートの中身は、一ミリも近づいていない。
奈央の内面と僕の間にある距離は、席の距離とは無関係だ。物理的な近さは、心理的な近さを保証しない。
それなのに——近くにいると、保証されている気がしてしまう。
この錯覚が、たぶん一番危険だった。
*
四月の最後の日、帰り道。
のんもあやのも先に帰っていて、電車には僕と奈央の二人だった。奈央は文庫本を読んでいて、僕は窓の外を見ていた。
四月の夕暮れは、十月の夕暮れよりも少し長い。窓の外にはまだオレンジ色の光が残っていて、住宅地の屋根と電線を照らしていた。
奈央が本から顔を上げた。
「音無、最近なんか考え事してない?」
「え」
「部活中とか、ぼーっとしてること増えた気がする」
「……そうかな」
「そうだよ。のんも言ってた」
のんが言っていた。のんの観察力を甘く見ていた。あやのの沈黙を甘く見ていたのと同じように。散り散りになっても、この四人の間には見えない観測網がある。
「別に、大したことじゃない」
「大したことじゃないなら言えるでしょ」
「言えるけど、言わないこともある」
「言えるのに言わないのと、言えないのは違うよね」
伝えられなかったのか、伝えなかったのか。
あの恋愛小説の話と同じ構造だった。奈央はまたしても、同じ問いを形を変えて僕に突きつけている。
「……ちょっと、考えることが増えただけ」
「何について」
「いろいろ」
「いろいろって便利な言葉だよね。何も言ってないのと同じ」
「何も言ってないんだよ、実際」
「正直だね」
「正直なのはいいことでしょ」
「正直すぎるのは困ることもある」
奈央はそれだけ言って、また文庫本に目を落とした。
追及はしなかった。奈央は踏み込むが、踏み込みすぎない。その境界線の引き方が、奈央の優しさだと思う。あるいは賢さだ。あるいは、両方だ。
石橋駅に着いた。
奈央が立ち上がって、扉の前に立った。
「音無」
「なに」
「考え事の答え、出たら教えてね」
扉が開いた。奈央が降りた。
「また明日」と手を振った。
扉が閉まった。
電車が動き出した。
池田までの数分間、僕は窓の外を見ながら、一人で考えていた。
名前のつかない感情の残高が、この半年で膨大な量になっている。
しかも二年生になってからの増加速度は、一年生の比ではない。同じクラスになった。毎日弁当を食べている。席が前後になった。接触の回数が増えた分だけ、残高は加速度的に膨らんでいる。
通貨の種類もいつの間にか増えた。「読みたかった」「知りたかった」「近くにいたかった」「もっと近くにいたかった」——どれも使い方のわからない通貨だ。
使い方がわからないまま、残高だけが増えていく。
近くにいるのに、残高が増え続ける。
近くにいるから、残高が増え続ける。
使い方がわからないまま、残高が増え続けたら——使い方を、間違えるんじゃないか。
その予感が、四月の夕暮れの中で、静かに形を取り始めていた。
間違えたらどうなるか。
間違えたら何が壊れるか。
壊したら、戻せるのか。
答えは出なかった。
答えが出ないまま、電車は池田に着いた。
高校二年生の一年が、静かに始まった。
この一年が、どこへ向かうのか。
僕はまだ、何も知らなかった。
何も知らないまま、残高だけを抱えて、歩き出した。
────────────────────────────────────────
続く
────────────────────────────────────────




