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第十八話「冬、あるいは手袋を片方だけ忘れる季節について」


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 第十八話「冬、あるいは手袋を片方だけ忘れる季節について」

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 手袋というものは、なぜか片方だけ失くなるようにできている。


 両方失くすならまだ理解できる。両方とも不注意で置き忘れた、という因果が成立する。しかし片方だけ失くなるというのは、もう一方は無事だったということであり、つまり注意力が半分だけ機能していたということであり、それはつまり人間の注意力というものが均等に配分されないことの証左であり——

 何の話をしているのか自分でもわからなくなってきた。

 手袋の話だ。

 正確には、手袋を片方だけ忘れてきた人間の話だ。



         *



 十二月。

 高校一年生のクリスマスだ。


 クリスマスという行事について、僕は特に強い感情を持っていなかった。陰キャにとってクリスマスとは、街が勝手に浮かれて、店が勝手にBGMを変えて、カップルが勝手に増殖して、自分だけが平常運転を続ける、という種類の日だ。去年までは。


 今年は少し事情が違った。


 「クリスマスに梅田のイルミネーション見に行こうよ」


 言い出したのは、のんだった。十二月の頭、部室での会話。のんが目を輝かせて提案し、あやのが「いいね」と静かに同意し、奈央が「行きたい」と即答した。僕はどう答えたかというと——


 「……まあ、いいけど」


 ——こう答えた。

 毎回思うが、「まあ、いいけど」は陰キャの万能解答だ。行きたいとも行きたくないとも言っていない。しかし同意はしている。主体性を最小限に保ちながら集団行動に参加する、完璧な回答だ。完璧すぎて若干の自己嫌悪がある。


 十二月二十四日。

 クリスマスイブ。

 待ち合わせは梅田駅の改札前、午後五時。


 四人で行くはずだった。


 当日の昼過ぎ、あやのからメッセージが来た。

 「ごめん、昨日から熱出てて。今日は無理そう」


 続いてのんからメッセージ。

 「あたしあやのの家行って看病してくる!二人で行ってきて!」


 のんのメッセージには、ハートの絵文字が三つついていた。

 あやのの看病にハートの絵文字。意味がわからない。いや、意味はわかるのだが、わかりたくないのだ。


 つまり、また二人になった。


 夏祭りに続き、映画に続き、今回で何度目かわからない「結果的に二人きり」の構図だ。偶然にしては出来すぎているし、必然にしては僕の人生にそんなドラマチックな必然が存在するとは思えない。のんの仕掛けだという可能性が最も高いが、あやのの熱が嘘だとまでは思わない。のんはあやのの体調不良を「利用した」のだろう。利用、というと聞こえが悪いが、のんに悪意がないことだけは確かだ。善意の共犯者、とでも呼ぼうか。


 午後五時、梅田駅。

 奈央は約束の五分前に現れた。


 白いダッフルコートにデニム。マフラーはえんじ色。ハーフアップの髪にマフラーの色が映えていた。手には——片手だけ、黒い手袋をしていた。


 「のんとあやの、来られなくなったって」

 「聞いた。のんからメッセージ来た」

 「そっか」

 「まあ、二人で行こうか」


 奈央は特に動揺していなかった。二人で行くことに慣れてきたのか、最初から二人でも構わなかったのか。どちらでも構わない。僕の方がよほど動揺していた。


 「手袋、片方だけ?」

 奈央の右手を見て聞いた。左手には手袋があるが、右手はむき出しだった。

 「忘れた。片方だけ。家に」

 「なんで片方だけ忘れるの」

 「左だけ先にはめて、右を探してるうちに時間なくなった」

 「……それは忘れたんじゃなくて、見つけられなかったのでは」

 「結果は同じでしょ」

 「過程が全然違うけど」

 「音無は過程にこだわるタイプだね」

 「結果しか見ないタイプよりましだと思うけど」

 「あたし結果しか見ないタイプだけど」

 「知ってる」


 知ってる、と言ったら、奈央が少し笑った。「知ってるんだ」と言った。嬉しそうだった。知っている、ということが嬉しいのか、知られている、ということが嬉しいのか。たぶん両方だ。


 梅田の御堂筋沿いのイルミネーションは、想像以上にきれいだった。

 銀杏の並木がLEDで彩られて、光の回廊ができている。人が多い。カップルが多い。家族連れもいる。その中に、高校一年生の男女が二人で混じっている。


 「きれい」と奈央が言った。

 奈央がきれいという言葉を使うのを聞くたびに、僕はその言葉を奈央自身に返したくなる。返さないけれど。返す勇気はないけれど。


 歩きながら、奈央が時々右手をコートのポケットに入れていた。手袋のない右手が寒いのだろう。


 「貸そうか」

 「え?」

 「手袋。僕の右手のやつ」


 言ってから、自分の行動に少し驚いた。

 数ヶ月前の自分なら絶対に言わなかった。上着を「貸そうか」と言いかけて言わなかった記録が過去に一件ある。あの時と何が変わったのか。


 たぶん——変わったのは、僕の方だ。

 奈央は最初から変わっていない。変わったのは、僕が奈央に対してどこまで踏み込めるかの距離感だ。


 「いいの?」

 「片方だけ余ってても意味ないし」

 「ありがとう」


 右手の手袋を外して、奈央に渡した。

 奈央が手袋をはめた。僕の手袋は奈央の手には少し小さかった。奈央の方が手が大きいのだ。身長が高いから当然だが、手袋のサイズ差で改めてそれを認識すると少しだけ複雑な気持ちになった。


 「ちょっときつい」

 「返してくれても——」

 「いい。あったかいから」


 奈央は返さなかった。


 僕の左手には手袋があり、右手はむき出し。奈央の左手にも手袋があり、右手には僕の手袋。二人とも片手だけ手袋をしている。合わせれば手袋は二組分あるのに、配分が偏っている。なんだか人生の縮図のようだ。持っている人間と持っていない人間がいるのではなく、全員が何かを片方だけ持っている。

 ——考えすぎだ。手袋から人生の縮図を導き出す高校一年生は、どう考えても考えすぎだ。


 イルミネーションの並木道を歩き終えて、近くのカフェに入った。

 ココアを二つ注文した。奈央がココアの上の生クリームを先にスプーンですくって食べた。子供か、と思ったが言わなかった。言ったら怒られる。


 「あたしさ」

 奈央がココアのカップを両手で包みながら言った。窓の外にはイルミネーションの光がまだ見えていた。

 「来年のクリスマスも、一緒にいられるかな」


 一緒にいられるかな。


 さらっと言った。ココアを飲みながら、窓の外を見ながら、特別な重さを込めずに言った。奈央の声は穏やかで、未来を確認するというよりも、願い事を口にするような響きがあった。


 「いられるんじゃない」と僕は答えた。

 「ほんとに?」

 「部活は続けるでしょ」

 「部活は続けるけど、そういうことじゃなくて」

 「……じゃあ、どういうこと」

 「わかんない。なんとなく。来年も、こうやって二人で歩いてたらいいなって」


 来年も、こうやって二人で歩いてたらいいな。


 その言葉を、僕は額面通りに受け取った。額面通り以外の受け取り方を、まだ知らなかったからだ。

 来年のクリスマスも、こうしていられたらいい。それは僕も同じだった。同じだったから、「そうだね」と言った。


 奈央が微笑んだ。

 イルミネーションの光が窓ガラスに反射して、奈央の目の中にも小さな光が映っていた。


 来年のクリスマスも、一緒にいられるかな。


 この言葉がどれほどの重さを持つことになるか、この時の僕には想像もつかなかった。

 一年後の十二月——高校二年のクリスマスに、僕は全てを壊す。あの「悪夢の二週間」によって、奈央の隣にいる権利を、自分の手で粉砕する。


 しかしそれは、まだ一年先の話だ。

 今はただ、十二月の夜の梅田で、ココアを飲みながら、来年の約束をしている。約束ですらない、願望を、互いに口にしている。


 帰りの電車で、奈央は窓の外を見ていた。

 石橋駅に着いて、扉が開いた。

 奈央が立ち上がって、「じゃあね」と言った。


 「手袋」と僕は言った。

 「あ、」と奈央は右手を見た。僕の手袋をまだはめていた。

 「返す」と言って、手袋を外して差し出した。

 受け取った手袋は、奈央の体温で温かかった。


 「ありがとう。あったかかった」

 「どういたしまして」

 「来年は忘れないようにする。手袋」

 「両方持ってきてね」

 「努力する」


 奈央が笑って、電車を降りた。

 扉が閉まった。


 手袋を握ったまま、池田まで帰った。

 手袋の中に残った温度が、ゆっくりと冷めていくのを感じながら。


 来年のクリスマスも、一緒にいられるかな。


 いられるよ、と心の中で答えた。

 答えたのに、その答えに確信が持てない自分がいた。確信が持てないのは未来が不確定だからではなく、確信を持つことが怖いからだった。

 確信は約束に似ている。

 約束は責任に似ている。

 責任は——


 手袋の温度が、完全に消えた。

 名前のつかない感情の残高に、「来年も」という約束手形が一枚、加算された。


 高校一年の冬が、静かに更けていく。



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            (第十九話へ続く)

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