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23 とある下校時刻

 何と素晴らしい事なのだ、と思う。


 一歩を踏み締めるたびに、身が軽やかになり、地を刻む足取りが欣喜雀躍きんきじゃくやくの音を奏でるようだ。


 一歩を踏み締めるたびに、心が軽やかになり、あの遠い遠い青空の向こうまで飛んで行きそうな心地になる。


 幸福を遠くに求める必要などない。寄り添う程に近いものを、ただそっと抱き留めれば良い。ごくありふれた、そしてかけがえのない真理を、僕は深々と噛み締める。


 そんな、下校時刻を迎えた金曜日。つまり、土日の休日へまっしぐらな放課後。 ”ヴィーナス”曜日の名に違わぬ、まさに女神の祝福を受けたようなひとときだ。かつてユダヤ教で安息日とされていたのは伊達ではない。


 当然『日曜日に休む』と言う、この上なく素晴らしい風習を日本へともたらしてくれたキリスト教に対しても、深い敬意を示さねばなるまい。仏教徒の身ながら、西暦を積極的に活用し、クリスマスを祝賀するのも、やぶさかではないと言うものだ。


 靴を履き替え校舎玄関口を出て、校門へと向かっている最中の僕は、五日にも渡り耐え抜いて来た学業への従事を振り返りつつ、これより二日の間甘受(かんじゅ)する事となる休日へと思いを馳せていた。


「でさー、こう。明日何か用事あるー?」

「揺さぶるな」


 ここに至って当然、と言う感想が当然出て来る程に当然の事ながら、僕の休日に対する感慨に何一つ配慮する事なく、二階堂 舞(にかいどう まい)は背後から僕の両肩を掴んで前後に揺さぶっていた。詰まったガチャポンみたいに、揺すれば用事が出て来ると思っているのか。


「おいおい、二階堂。こいつが好きこのんで用事なんぞ言うものを作ると思う

か?」

「思わない」

「分かってるじゃないか二人共。分かったら惰性だせいで揺さぶり続けるの止めてくれ」


 後藤大地(だいち)の問い掛けに即答する舞。つくづく、僕は友人からの理解に恵まれていると思う。


「じゃあ、この舞ちゃんが作ってあげよう。明日、帆乃香(ほのか)咲良(さくら)の三人で買い物出掛ける予定なんだけど、昂も一緒にどう?」


「や」


「女子三人からのお誘いに対する返答を一文字で済ますな!?」

「元々女子三人で行く予定の買い物に、予定外の男子が混ざってみろ。体の良い荷物持ちがオチだ」


 いつの間に連絡取っていたのかは知らないけど、先日のゲーム内での服の買い物を見るに、まず盛大に待たされる事になるだろう。続けて待ち受けているのが荷物持ちの重責(物理)と来れば、首が横に振られるのは必然的に導き出される解である。昼過ぎまで寝ると言う、無駄のない時間活用計画を台無しにされる訳には行かない。


「……昂介が来るなら、行き先の調整するよ?」

「そーそー! ちゃんと昂のリクエスト聞くからさー!」

「ここぞとばかりに揺さぶりを強化するな!?」


 帆乃香の言葉を聞いた舞が、ガックンガックン前後に揺らす。いい加減酔いそうになる。


「って言うか、そろそろ離せ」

「えー。ちょっと楽しいのに」

「僕は触って楽しい子供向け玩具か」


 しかもちょっとか。


「ほら、離せってば」

「むぎぎ……この位じゃ負けないわよ……!」


 両肩に置かれた手を取って引っ剥がそうとするも、何故か舞は抵抗を始める。手の向きの都合上、こっちは上手く力が入らないから、中々剥がれてくれない。


 女の子の手を掴む、と言う行為自体に思うところがない訳でもないけど、強いて無視する。どうせ、向こうは気にすらしていないだろうし。


「何でそう掴みたがるんだよ……! 良いから離しなさい……!」

「やーだ……! あたしの意地に火を着けた昂が悪い……!」


「知るか……! 濡れタオルかぶせとけ……!」

「あたしの炎はその程度じゃ消えない……!」


「さらっとパワーアップするんじゃない……! とっとと離せ……!」

「それに、昂の肩って結構掴みやすいって言うか……! あたしと身体の相性が良いのかしらね……!」

「ボばっ!?!?!?」


 何口走っちゃってくれてんだっ!?


 ……と、僕が動揺して思わず手を離した事が、因果の始まりだった。


 手に力を込めていた舞は当然、バランスを崩す。思いっ切り前に――つまりは僕の背中に向かってつんのめる。そのまま倒れてしまいそうになるのを、僕の身体にしがみ付く事で何とか回避する。


『衆人環視の中、背後から僕に思いっ切り抱き付く舞の図』の完成である。


「…………………………」


「おい、あそこに人前で堂々とイチャ付いてる豪胆なカップルがいるぞ」

「末永くお幸せに〜」

「爆発しろ」


 脳内がパンクし、完全に固まっている僕の左右を、誤解の声が通り過ぎて行く。これまでの短い人生で、短いなりに様々な経験、知識を積み重ねて来たつもりではあるが、同級生の女子に抱き付かれた場合の適切な対処方法など、何一つ学んではいない。


「……いや……その……ま、舞さん……?」

「……ったぁ〜……。急に手を離さないでよね〜……」


 何ら事態の深刻さに気が付いていない、呑気な声が返って来た。


 助けを求めるように、右隣の大地を見る。


 そりゃあもう、露骨な位『良っしゃ、面白いもん見れたぜラッキー』的な表情で日和見を決め込む友人がそこにいた。助太刀など、全く考えていないであろう。


 左隣の帆乃香を見る。


「くぁwせdrftgyふじこlp」


 そりゃあもう、僕以上に狼狽えている友人がそこにいた。当事者でもないのに、何故そこまで動揺するのか分からないけど、動揺してるもんは仕方ない。


 どうやら、自力で何とかするしかないようだ。


「……ほ、ほら舞! 早く離れてくれ!」

「ああうん、ごめんねー」


 上擦った声で辛うじて言うと、舞はさっさと離れる。謝罪する程度には、気安い行為ではないと認識しているらしいが、もう本当にそれだけなのだろう。感情のさざ波一つ感じられない、平静な声での謝罪だった。


「ま……まあとにかく、僕は行かないから。三人で行って来なよ……」

「ちぇー。まあ仕方ないか……って、顔赤いけど大丈夫?」

「お気遣いなく……」


「ふーん? まあ良いけど。帆乃香、明日はここぞとばかりに買うわよ……って、顔赤いけど大丈夫?」

「…………(コクコク)」


「……? 二人共どうしたのかしらね?」

「そんな気分の時もあるんだろうさ」


 疑問顔の舞に、心底憎ったらしい笑顔の大地が言った。


「なるほどー。……っと、あたしはこれで。じゃあね、後藤。昂と帆乃香、またゲームでねー」

「……じゃあね、みんな」


 校門まで来た辺りで、別れの挨拶が出て来る。僕と大地、舞、帆乃香と、それぞれに帰る方向が違うため、四人揃っての下校はここまでである。


「おう、じゃあな」

「二人共、また後で」


 僕ら二人は手を振りながら、自宅方向へと伸びる道路の上を歩いて行った。






「んでさ、最近どうよ?」

「何が?」


 大地と二人の帰り道。舞と帆乃香の二人と別れて五分と立たない内に、唐突に尋ねられた。


「MROだよ。どんな調子だ?」

「ああ。まあ、順調なんじゃないかな」


「そうか。今度、俺らとも遊ぼうぜ」

「う〜ん……」


 普通であれば、迷いなく即答で『うん』返すところなんだけど……思わず口ごもってしまう。


「……まーだ蓮華れんげさんに言ってないのか……」

「……まあね……」


 成田蓮華。僕の姉だ。現在大学生であり、実家から離れて暮らしている。


 姉さんも僕と同じくMROを遊んでいる。もっと言えば、僕らの『超最強絶対無敵団』とは別のクランのマスターをやっているらしく、更にもっと言えば大地も姉さんのクランに所属しているんだけど――まだ彼女には、僕がMROを遊んでいる事は話していない。


「どうせ、いつかはバレるだろ。サクッと話しといた方が良いんじゃないか?」

「分かってるんだけどねぇ……」


 本来であれば、ゴールデンウィーク辺りに腹をくくって話そうかと思っていた。大型連休ともなれば、姉さんも実家に帰省するだろうし、同じ家で暮らしながら隠れてCosmosコスモスを遊ぶ、なんて事はかなり難しい。何が何でも絶対に見つかってはならない、と言う程でもないし、だったらもうここいらで覚悟を決めて……と思っていた。


 だけど、実際には都合が悪くなって、結局帰って来なかった。で、結局僕は、まだ姉さんにCosmosを所有している事を打ち明けていない。連絡自体はちょこちょこ取っているんだけど……。


「その内、いつかね……」

「……まあ、二階堂とかに見られたくないのも分かるけどな……」


 流石、小さい頃から姉さんの事を知っている大地である。一つ肩をすくめてみせるだけで、それ以上追求する事はなかった。






「ただいま」

「おかえりー」


 自宅の玄関扉を開けて僕が言うと、母さんからの返事が返って来た。


 取り敢えず自室に戻る前に、リビングの扉を開ける。テーブルの上に広げられたパズル雑誌と格闘する母さんの姿があった。


「良いところに。『ん』で終わる、偽造防止のために紙幣に書かれた模様って

何?」

「ユーリオン」


 さっさと答えて、冷蔵庫を開ける。入っていたトマトジュースを取り出し、食器乾燥機からコップを一つ取り出す。


「あー、わたしもちょうだい。この湯飲みで良いから」

 そう言って母さんは、湯飲みの中の麦茶を一気に飲み干す。


「麦茶飲んでりゃ良いだろ……」

 テーブル上のステンレスポットをあごで指す。


「人が飲んでるの見ると飲みたくなるじゃない。流行にさといのがわたしの良いところなのよ」


 その敏感さの犠牲となって、哀れな息子は体良く使われると言う訳だ。結局僕は下校直後の身体に鞭を打ち、一リットルペットボトルと言う大変な重量物を片手

に、冷蔵庫からテーブルまで数メートルもの大移動を行う羽目となった。


「ありがと。お礼に、鹿児島県産のサツマイモは真っ先にあんたに食べさせてあげるわ」

 解き掛けのクロスワードパズルを、シャーペンで突っ付きながら言う。


「当選したらね……」

「あんたの自慢のゆきお母様を舐めない事ね。これは当選するって気配がぷんぷんなのよ」


 実に頼もしい言葉だ。これまでに三桁以上聞かされて、三桁以上外して来たと言う確かな実績もある。


「何よその目は。可愛いあんたのためにCosmos当てたじゃない」

「いやまあ、それはそうだけど……」


 確かにあの時は驚いたけど、逆に言えばあれ一回きりと言う事でもある。


 ちなみに、当選後しばらくの間、家庭内における成田雪の増長ぶりはそりゃあ酷いものだった。事ある毎に僕と父さん(ちなみに一輝(かずき)と言う)に、自分がいかに幸運に恵まれているか、いかに偉大な存在であるか、と言う事をたっぷり語って聞かせた上で、一番風呂の強奪やら肩もみの強要やら、やりたい放題に振る舞っていた。


 ただ、『帰って来た時に蓮華をビックリさせよう作戦』を発案、実行に移した点については高く評価したい。『どうせだったら、蓮華には今度帰って来た時に直接自慢してやりましょう。それまで秘密にしといてね』……と言うのが当作戦の全容であり、僕がVRゲームを始めた事が未だ姉さんにバレていないのは、この恩恵が大である。


 とは言え……。


 大地に指摘されている通り、ずっと秘密のままにする、なんて事は不可能だろ

う。ゴールデンウィークに帰って来なかったのは偶然以外の何者でもないし、その偶然が夏休みにも起こるなんて事は到底考えられない。


「そう言やあんた。蓮華にCosmos持ってる事、まーだ内緒にしておくつもりなの?」

 などと考えていたら、図ったかのように母さんの口から姉さんの名前が出て来

る。


「……そうだけど」

 動揺を何とか胸の内側に押え込んで、答える。


「わたしとしては、いい加減蓮華に自慢してやりたくってしょうがないんだけ

ど?」

「僕にも事情ってのがあるんだよ」


「悲しいわねぇ。大好きなお姉ちゃんに嘘を吐き続けて生きる弟の姿。ああ何と言う無情……」

「べ、別に良いだろ。放っとけ」


「甘いわね。ここぞとばかりに親権発動してやるわ」

「越権行為だ!? と、とにかく、まだ姉さんには言わないでくれよ!」


 僕が言うと、母さんは「ふーむ……」と首をひねった。


「って言われてもねぇ。そこまでして秘密にする理由なんてあるの?」

「こ、攻略上の事情だよ。大体、母さんこそどうなんだよ」


「わたしのは高度な政治的判断よ。大体、明日と明後日はどうするつもりよ。直接自慢してやるのに絶好の機会なんだけど」


 …………はい?


「…………えーっと、母さん? それどう言う事……?」

「……あら、そう言や言ってなかったっけ?」


 続く母さんの言葉は、ダラダラと問題を先送りにしていた僕に、決断を迫るものだった。


「明日、蓮華帰って来るわよ」


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