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名と線を残す

 エノアは帳面を開いたまま、ラーメルトの手帳に目を寄せた。

 彼が書いた行は見えている。けれど、その上に自分の帳面を重ねかけて、手を止めた。同じ呼びかけを記していても、続きまで同じではなかった。


「並べて読んでも、よろしいですか」


「ええ。こちらからですね」


 ラーメルトが指したのは、遠い側の杭の近くへ進む妖魔を見た、という行だった。エノアは自分の帳面から、声を書き留めたところを探した。

 遠い側の杭の近くに、妖魔が。

 目で文字を追うと、さっきの呼びかけが耳に戻ってくる。あのときは声を取り落とすまいと筆を動かした。読み返す今は、その声を出した人が隣にいる。


「わたしの方は、ここからです」


 帳面を少し傾ける。ラーメルトは両方へ目を落とし、彼女の筆が止まった位置を確かめた。


「私が声にしたところから」


「はい」


 エノアは頷いて、書き写す方の頁へ筆を置いた。ラーメルトの名を添え、その名の下へ、彼の手帳の一行を移す。

 書き終えてから相手へ向けると、彼は指で辿って頷いた。


 フルメアが身体を寄せた。エノアは帳面を彼女にも見える方へ向けたが、ラーメルトの手帳まで一緒に傾いてしまう。


「こっちは持つわ」


 フルメアが手を添えた。別々の頁が並び、エノアは筆を握り直した。


「声のところを、読んでいただけますか」


「ここね」


 フルメアはエノアの記した呼びかけを読み、そこでいったん口を閉じた。叫び声ではなくなった言葉が、手元の紙へ戻ってくる。

 エノアは聞いた声の行の脇へ、自分の名を書いた。次にバルドロフの返答を置く。ラーメルトの手帳にも、その返答がある。

 同じ言葉へ伸びた彼の指と、自分の筆先が近づいた。


「あ、すみません」


「いえ。ここで合っています」


 彼が指を引いた。エノアは少し笑ってから、返答の文字を見直した。名前を添えるために空けた幅が狭く、続きを急ぐと字が寄ってしまいそうだった。筆を持ち上げ、次の行から書く。


 下がれ、という指示のあとへ進むと、筆の運びが遅くなった。

 ラーメルトは、見えていた人が下がったと言っていた。彼の手帳にも、その動きが記されている。ラーメルトが語った指示から、紙の上なら続けて書ける。だが、そうして一息に読める形へ収める前に、彼女はもう一度、名を置く場所を見た。


「ここは、ラーメルトさんの方に」


 言いながら、先ほど彼が語った動きを書き添える。フルメアの支える手帳と見比べ、途中で自分の言葉を足さずに行を終えた。

 ラーメルトへ向けると、彼はすぐには頷かなかった。文字を端まで読み、それから彼女の方を見た。


「はい。私に見えていた人のことです」


 エノアは最後の文字に筆を添えたまま、その返事を聞いた。そこから先へ線を伸ばさず、筆を離す。


「こっちを押さえようかー」


 レオンハイトが帳面の端へ指を寄せた。エノアは手をずらし、代わりに押さえてもらう。頁を支えながら写していたときより、文字の列を見渡しやすくなった。


「ありがとうございます。最初から、読んでみます」


 エノアはラーメルトの名から読み始めた。見たもの、その場所を知らせた声。自分の名のところでは、声を聞いた記録として読む。バルドロフの返答を経て、指示と、そのあとラーメルトが見た動きへ進んだ。

 途中で目が元の帳面へ戻りかけた。レオンハイトの指が頁を押さえている。エノアは今書いた方へ目を戻し、行の終わりまで声にした。


 読み終わると、フルメアが手帳をラーメルトへ返した。


「ここ、もう一度見せて」


 彼女が指したのは、エノアの名を添えた行だった。エノアは帳面を寄せる。

 フルメアはそこからラーメルトの名へ目を移し、紙を持っていた手を下ろした。エノアも同じ順に辿った。名前だけを抜き出せばよく知っている人たちなのに、書いた行と並べると、その人が何をしたのかを読むために目が止まる。


 きれいに収めたいと思う気持ちはあった。似た言葉を寄せれば、短く書くこともできる。けれど今、ラーメルトの手帳と自分の帳面を重ねずに開いているのは、そのためではなかった。

 彼の名を消さず、自分の名も省かずに残す。エノアは書き終えた頁を、もう一度四人の間へ向けた。


「これを、残しておきます」


 ラーメルトが頷いた。フルメアは頁から顔を上げ、レオンハイトはエノアが端を持つのを待って指を離した。

 帳面の重みが手に戻る。ひとりで抱え直しても、さっきまで紙を支えていた指の場所を覚えていた。


 エノアは元の記録と写した頁を順に見た。声にして読んだところまでを確かめ、筆を収める。

 書いた名前のそばに、それぞれの行が残っていた。


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