距離を渡す夜
「俺の持ち場で見てくれ。何が見えたかは、こっちへ知らせてほしい」
バルドロフの言葉に、ラーメルトは頷いた。手帳に残した問いを開き、目の前の場所と見比べる。
ここに立って、どこを見るのか。紙の上では空けてあったところへ、今は自分の足を置いていた。
持ち場からの距離を測って確かめた位置に、普通の杭を目印として置いた。ラーメルトはそこから持ち場へ戻り、杭がどう見えるかを確かめた。
置いた場所を知っている自分には見つけられる。それだけで話を進めそうになり、そばの兵へ顔を向けた。
「遠い側、と言ったら、どちらを見るでしょうか」
兵が指を伸ばした。ラーメルトはその先へ視線を重ね、頷いた。
「ええ。そちらです。近い側はこちらの杭です」
今度は自分が指した。バルドロフも目を向け、そばの冒険者へ同じ場所を示す。
エノアの筆が動いた。帳面に目を落としてから杭へ顔を上げ、指された位置を見直している。
「この言い方で、書いておきます」
ラーメルトはもう一度、持ち場から目印を見た。杭が立っただけの場所に、近い側、遠い側という呼び方が重なった。
フルメアが照明用の魔結晶を手元に寄せた。
「光を当てるわ。そちらからも確かめて」
照らされた杭と、その周りへ目を向ける。ラーメルトが見えるところを指すと、彼女は指先の方を見て頷いた。
レオンハイトが彼のそばへ来た。
「見る方が決まったら、動くときには声を掛けるねー」
「お願いします」
答えてから、ラーメルトは足元にも目を落とした。目印を探す間、ずっとそちらばかり見ていた。
夜、同じ持ち場で顔を上げたとき、杭は光の当たるところに見えていた。
ラーメルトは遠い側の目印を見つけ、近い側へ視線を移した。位置を確かめてから、また遠い側へ戻す。フルメアの照明が届いている部分を、目で辿った。
手帳を開いていたときには、位置を共有できたことに少し気が緩んでいた。今は、口に出す言葉まで用意してあるのに、喉が狭く感じられた。
目印のそばへ妖魔が進んできた。
ラーメルトは息を止めた。光の中で動く姿と杭を見比べる。そばに来た、という言葉が浮かび、そのまま叫びかけた。
「遠い側の杭の近くに、妖魔が!」
口にしてから、声が思ったより高かったことに気づいた。
バルドロフが顔を向ける。ラーメルトは杭から目を離さず、呼び方を間違えていなかったかと、もう一度その位置を見た。
「遠い側か」
「はい、あの杭のそばです」
バルドロフが目印の方を見た。
「見えた」
短く返すと、顔を近くの人々へ向けた。
「俺の持ち場だ。そこの者、下がれ!」
ラーメルトの視野で兵が振り向いた。バルドロフを見てから、足を引く。近くの冒険者も身体を後ろへ動かした。
杭を見ていた目が、その動きへ引かれた。下がっている。そう思って、ラーメルトもそちらへ踏み出しかけた。
「動くよ。足元も見て」
レオンハイトの声で、足を出す先へ目を戻した。自分の身体を動かすと、さっきまで見えていた人の姿を同じようには追えなくなる。
ラーメルトは足を止めて顔を上げた。視線を戻した先で、人が下がる動きが見えた。けれど、自分が目を外していた間まで見届けたわけではなかった。
声を張ったあとの息が、うまく継げなかった。喉を鳴らしてから、バルドロフの方を見る。
まだ相手は持ち場へ顔を向けていた。礼を言うような言葉が浮かんだが、ラーメルトは飲み込んだ。話を終えたことにしたくなかった。
自分の知らせに返事があった。下がれという指示を聞き、その声に振り向いた人が動くところも見た。
ラーメルトは指を握った。杭を指していた手だった。手を下ろしても、近い側と遠い側の呼び方が、口の中に残っている。
「今の呼びかけ、聞こえました」
エノアがそばで言った。ラーメルトが顔を向けると、彼女は帳面に筆を添えていた。
「遠い側の杭の近くに妖魔が、と。バルドロフさんが言い返されたところも」
「ええ」
ラーメルトは頷き、自分の手帳を開いた。頁を押さえる指に力が入り、紙が少し曲がった。
エノアが彼の筆先を待っている。ラーメルトは、うまくいった、と書きそうになった。その言葉なら短く済む。だが、それで何を残せるのかと思い、書き出しを変えた。
遠い側の杭の近くへ進む妖魔を見た。その場所を声で伝え、バルドロフの返答を聞いた。
そこまで書いて、筆を持ち上げた。
「下がれ、という声も聞きました。そのあと、私に見えていた人が下がりました」
口にすると、エノアが帳面へ目を戻した。
ラーメルトは自分の行の下へ書き足した。足元へ目を落とした間のことは、続きを想像して埋めなかった。
フルメアが顔をこちらへ向けた。
「書けた?」
「見たところまでは」
返事をすると、彼女は照明の当たる方へ目を戻した。ラーメルトもそちらを見た。さっき動いた人の先を知りたくなったが、手帳を閉じれば見えるようになるわけではない。
届いた声の行と、目で追えた動きの行を読み返した。片方だけなら、さっき自分が立っていた場所のことも、うまく残せなかったと思った。
ラーメルトは書いたところを指で押さえ、見届けていない先へ筆が滑らないように手を止めた。




