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北へ重ねる地図

 王都で第二報を受け取った後、エノアたちは王国の救援と観測に同行し、北へ向かった。道中の村で井戸を覗いたときも、帳面には、人を退かせたという報告が残っていた。


 水面に氷が見えた。


 エノアは井戸から顔を上げ、手元の頁へ目を落とした。筆を動かそうとすると、覗き込んでいたときの姿勢のまま肩に力が入っていることに気づく。身体を起こしてから、今見たものを書いた。


「氷があるのですね」


 隣でラーメルトが水面を見ていた。エノアは返事の代わりに頷いた。自分が見たのはこの井戸の氷だったが、北へ向かう頁に置くと、その先まで同じ色で塗ってしまいそうになる。


 筆を止め、井戸の水面、と書き足した。


「皆さんが来る前にも、この井戸の水に氷を見ました」


 そばにいた村人が言った。エノアは顔を向けた。


「ご自身で、見たのですか」


「ええ。ここで」


 話し手が井戸へ目をやる。エノアは先ほどの記述の下へ筆を運びかけ、そのまま少し離したところに書き始めた。自分が今見たことの続きを、別の人の記憶で埋めたくなかった。


 村人から聞いた話だと添え、来る前にも見たという言葉を記す。いつ凍り始めたかを書ける言葉ではなかった。けれど、そうやって分けてみると、ここへ来る前から井戸を見ていた人の声が、今の自分の目とは別に残った。


 フルメアが、風に持ち上がりかけた頁の端を押さえた。


「まだ書く?」


「はい。ここだけ、空けておきたくて」


 エノアは下の余白を指でなぞった。井戸を見て、話を聞いた。それで北のどこまで同じことが起きているのかを、今ここに続けて書くことはできなかった。


 フルメアは余白を見てから手を離した。エノアも筆を上げ、村人へ礼を言った。


 井戸のそばを離れると、受入れに当たっている人がこちらへ声を掛けた。住まいを離れて来た人々の話を、聞くのを手伝ってもらえないかという。


 ラーメルトが相手へ向き直った。


「私たちでできることなら。どのようにお手伝いしましょう」


「ひとまず休んでもらって、何に困っているか聞いていただけますか。こちらだけでは、聞いた話が混ざってしまって」


 エノアは閉じかけた帳面を開いた。


「わたしが書きます。お伝えするときに、誰から聞いたことか分かるように」


「お願いします」


 相手が休む場所を示すと、レオンハイトが到着した人々へ声を掛けた。フルメアもそちらへ歩いていく。エノアは井戸の記述を指で押さえたまま頁をめくり、ラーメルトの隣へ寄った。


「少し座ってからでいいよー。話は、急がなくていいから」


 レオンハイトに促され、荷を下ろして座る人がいた。エノアはその前で腰を低くし、筆先を紙から離して待った。


「北から来た。家を離れてな」


 相手は置いた荷の方を見ながら言った。エノアの耳に、王都で聞いた報告の言葉が重なりかける。けれど、目の前の人は、あの報告の中の人なのだとは言っていなかった。


 北から来たという本人の話を、そのまま書いた。


「今、お困りのことはありますか」


「このあと、誰に話せばいいんだ。休んでいていいと言われたが、黙って待っていていいのか」


 エノアは筆を止めた。座れる場所へ来たことと、その先が分かることは、同じではなかった。


「受入れをしている方へ、今のお話を伝えてきます。待ち方が分からなくて困っている、と」


 相手が顔を上げたので、エノアは書いた言葉を読み返した。大きな話にまとめず、尋ねられたことを確かめるように読む。


「ああ。それを聞きたかった」


 エノアが立つと、ラーメルトは相手のそばへ残った。フルメアが目でこちらの行き先を確かめ、通れるよう身体をずらしてくれた。


 受入れに当たる人へ声を掛け、エノアは聞き書きを指で追いながら伝えた。


「次に誰へ話せばいいか、分からないそうです。ここで待っていていいのかと」


 相手は休んでいる人々の方を見た。


「休んでほしいと思って、先に座ってもらったんです。その後のことを、うまく伝えられていなかった」


 エノアは新しく筆を置く場所を探した。先ほどの人の困り事の下へ、そのまま続けてしまうところだった。


「今のお話も、こちらから伺ったこととして残していいですか」


 頷きを受け、話した相手が替わったことを記した。受入れ側も、伝え方に困っている。到着した人の問いと並べると、向き合っているはずの人々の間に、まだ言葉が届いていないところが見えた。


 帳面を見せて必要な箇所を伝え終えると、エノアはそばへ戻った。誰にどう伝えるかは、受入れに当たる人々へ渡した。自分の頁には、聞いたことと、伝えたところまでを残す。


 ラーメルトが帳面に目を向けた。


「井戸のことも、書けましたか」


「はい。見たことと、聞いたことを分けてあります」


 エノアは頁を戻し、井戸の記述を確かめた。水面の氷は自分の目で見た。その下には、来る前にも見たと話した村人の言葉がある。凍り始めた日や、ほかの場所でどうなっているかは書いていない。


 頁をめくると、家を離れて来たという人の申告があり、待ち方についての問いがあった。さらに、受入れに当たる人から聞いた困り事が続く。読み返しても、誰の言葉なのかを見失わずにいられた。


 エノアは、北へ持っていく記録の端を揃えた。井戸の頁に残した余白も、そのまま重ねる。まだ書けないところを手で塞がないようにして、帳面を閉じた。


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